両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



両槻会4周年・飛鳥遊訪マガジン100号記念特別寄稿


 1300年前の人々の心

万葉古代学研究所 主任研究員 井上さやか先生
(11.3.4発行 Vol.102に掲載)


 2009年は『万葉集』の最終歌が詠まれて1250年の節目の年であり、2010年は平城遷都1300年の記念の年でした。そして来年2012年には『古事記』撰進から1300年目を、2020年には『日本書紀』の成立から、同じく1300年目を迎えます。しばらくは古代文化から目が離せません。

 万葉歌が詠まれたのは飛鳥・奈良時代のことであり、平城京をはじめとして、現在の奈良県内に政治や文化の中心地があった時期にあたります。
 1000年以上も昔のこととなると、あまりにも遠い世界とお思いかもしれません。しかし、誰かを愛する気持ちや大切な人を亡くす悲しみなど、万葉歌には現代人にも共通する感情があふれています。また、結婚のあり方、車やエアコンの有無など生活環境は大きく違いますが、法律や貨幣経済など、現在の仕組みが整備された時期でもあります。

 意外に多くの方が、『万葉集』には主に公的な歌が載っているとお思いのようなのですが、実は私的な歌や滑稽な歌も数多く載っています。恋の歌はもちろんのこと、早口言葉のような歌があったり、わざと意味が通じないように作った遊びの歌があったり。編纂方針にも一貫性はなく、その混沌としたありさまにはとまどいを覚えることもあります。しかし、その混沌にこそ魅力が宿っているとも思います。

  現代人はどこかで、進歩主義的な歴史観を持ってしまっている気がしま
 す。古い時代より新しい時代の方がすべてにおいて良くなっているはずだ、
 あるいは、古代人は素朴でおおらかだったはずだ、と。たしかに、科学技
 術などのめざましい発達により、生活は格段に便利になりました。しかし、
 人間の本質はあまり変わらないようにも思います。ことばは時代によって
 変化しても、歌に詠まれた感情には普遍性があります。

 目を国外に転じてみても、人間の心は普遍的です。日本以外で日本語文学について話す機会も増えましたが、その度にそれを実感します。その一方で、言語や文化の違いが価値観の多様性を生むことも実感します。それぞれの文化の違いを客観的に知ることで、より深く自国の文化を知ることにもなり、日本国内だけを見ていたのでは分からなかったことに気づかせてもらうこともしばしばです。

 古代の人々や異文化に生きる人々の心情を想像してみると、意外な発見があってとても楽しくなります。そもそも日本文化は、異なる言語や文化が交錯することで育まれたものでした。

 古代日本ではいわゆる万葉仮名が使用されており、すべてを漢字で書き表していましたが、漢字はもともと古代中国語の文字です。外国語の文字を日本語にあわせて使ったわけで、それをもとにひらがなやカタカナもできました。同じようなことは他の国でも行われたようです。また、政治や宗教やものづくりの技術も、現在の中国や韓国、さらに遠い国や地域からもたらされたものが数多くあります。それらは柔軟に取り込まれ融合し、いわばるつぼの中の混沌とした状態から、日本独特の文化として結晶していきました。

 混沌とは新しい物を生み出す場であり、エネルギーそのものだと思います。それを内包していた古代日本文化が魅力的なのは、当然のことかもしれません。

 過去の歴史や文学作品から未来へのヒントを得ること、グローバルな視野を持つことでローカルな文化を発見し大事にしていくことが、これからの時代にこそ必要だと考えています。

 この機会に、ぜひご一緒に、『万葉集』をはじめとした文献を読みながら、奈良で古代と世界に思いを馳せてみませんか。

             (「私論公論」[京都新聞2009年9月25日掲載]に加筆)





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