両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪






 定例会に向けて

帝塚山大学大学院 研究生 河村卓先生 
(15.1.9.発行 Vol.206に掲載)


 第48回定例会で発表させていただきます、河村卓と申します。定例会では「運ばれた塩-飛鳥地域の製塩土器から探る-」と題した内容で発表させていただきます。メルマガの寄稿については定例会に関連した内容で書かせていただきますので、よろしくお願いします。

 今回、飛鳥地域における製塩土器の様相について発表させていただきますが、その前に製塩土器について少し触れたいと思います。製塩土器の研究は1950年代から始まります。瀬戸内海沿岸地域の児島において粗雑な土器が発見され、その土器が製塩に使われていたことが明らかとなりました。他の沿岸地域でも同様の土器が注目されはじめ、製塩土器による塩の生産について議論されるようになりました。

  一方で、周りに海を持たない内陸地域の遺跡でも製塩土器が報告されるようになりました。それまで、海とは無関係な内陸地域では、製塩土器についてあまり関心が向けられませんでした。しかし、内陸地域の遺跡から出土することによって、製塩土器の中には、塩の「生産用具」の他に「保存・運搬用具」として使われた土器が存在することが明らかとなりました。製塩土器研究は、塩の生産のみならず、塩の消費や流通について議論されていくようになりました。

 それでは、飛鳥地域における製塩土器の様相についてみていきたいと思います。実は飛鳥地域では製塩土器の出土は1950年代から報告されています。その一部を紹介しますと、古墳時代の製塩土器が飛鳥寺下層の竪穴住居跡から出土しています。橘寺では奈良時代の製塩土器が出土しています。飛鳥京跡からも出土が確認されています。その他は定例会で詳しく述べさせていただきますが、これらの製塩土器はどれも生産地である沿岸地域から運ばれています。

 今、簡単に運ばれたと述べましたが、運ぶことは大変な話です。実際に土器を使った塩作りを体験したことから思うのですが、土器で塩を作ること自体かなり時間がかかります。ましてや、その塩を土器に入れた状態で運ぶわけですから、輸送のコストもかかります。

 私は広島県で塩作りを体験しました。作った塩は、土器ごと持って帰ることができるので、鞄にしまい、電車、新幹線を乗り継ぎ、およそ3時間かけて奈良に帰ってきました。土器を取り出すと、足の部分が割れていました。運び方に問題があったのかもしれませんが、電車をつかっても土器が欠けるのであれば、当時、製塩土器を運んでいた人たちは相当苦労しただろうと考えさせられました。

話が逸れてしまいましたが、飛鳥地域で出土する製塩土器も生産地からわざわざ運ばれたわけです。そういった苦労があるにもかかわらず、製塩土器に入れた塩が求められていたわけですから、その中身である塩の用途は単に食用と考えるのも難しいところです。

 以上のことからも、定例会では飛鳥地域で生活した人々の塩利用の一端を製塩土器から考えていきたいと思います。







 遊訪文庫TOPへ戻る  両槻会TOPへ戻る