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 阿倍氏~桜井の古代氏族~

(財)桜井市文化財協会 丸山香代先生
(12.11.30発行 Vol.148に掲載)


 奈良県桜井市芝にある桜井市埋蔵文化財センターは、常設展示以外に年に3回展示替えをする企画展示のコーナーがあります。常設展示では、桜井市内の遺跡から出土した旧石器時代から奈良時代までの遺物を展示しており、邪馬台国畿内説の候補地として有名な纒向遺跡に関する展示コーナーは必見です。

 現在企画展示のコーナーでは、12月2日(日)まで特別展『阿倍氏~桜井の古代氏族~』を開催しています。今回の展示は、桜井市を本拠地とした一大氏族の“阿倍氏”に注目し、それに関連する考古資料を中心に陳列しました。“阿倍氏”の中でも有名な人物としては、東国遠征に赴いた比羅夫や、大化の改新(乙巳の変、645年)後に左大臣に任命された倉梯麻呂(倉橋麻呂)、遣唐使として唐に留学し、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」という有名な歌を詠んだ仲麻呂などがいます。平安時代に陰陽師で有名な安倍清明を輩出した陰陽家の安倍氏もこの阿倍氏の末裔と考えられています。

 今回の展示物で特に注目してほしいのは、最近吉備池遺跡から見つかった素弁蓮華文軒丸瓦です。調査は吉備池廃寺中心伽藍のすぐ南側で行われました。吉備池廃寺は舒明天皇によって639年に創建された百済大寺に比定されている寺院で、その創建瓦は単弁八葉蓮華文軒丸瓦と型押し忍冬唐草文軒平瓦のセットが用いられたことが分かっています。今回見つかったこの素弁蓮華文軒丸瓦はこれまでの調査で見つかっていない、単弁の軒丸瓦より古いと考えられる軒丸瓦です。この素弁蓮華文軒丸瓦は斑鳩寺や四天王寺で使用された笵(軒瓦をつくる際に使用する文様の彫られた型)と同じものでつくられたことがわかりました。この笵は斑鳩寺から四天王寺の瓦を焼いた楠葉平野山瓦窯へ移動したことがわかっています。創建期の四天王寺の屋根を飾った素弁蓮華文軒丸瓦を見ると、瓦笵が比較的きれいな段階で作られたものから、かなり使用し笵のくずれたものまで見られます。今回、吉備池遺跡で出土したものは四天王寺のくずれた笵でつくられた段階のものに似ており、瓦の作り方もそっくりです。展示ではこの2ヶ所から出土した素弁蓮華文軒丸瓦を実際に見比べていただくことができます。

 瓦の文様の採用は造営主体者の意思や氏族間の関係などが考えられます。同笵の瓦が出土した四天王寺と吉備池廃寺の間にはいったいどのような関係があったのでしょうか。

 考古資料から見ると、今回出土した素弁蓮華文軒丸瓦だけでなく、吉備池廃寺創建瓦である単弁八葉蓮華文軒丸瓦と同笵のものが四天王寺からも出土します。このことから両方向にモノが行き来していたことが分かります。

 文献史料としてはこの二つの寺院が直接関係していたことを示すものはありません。しかし間接的に関係が窺える史料(1、2)があります。

 1)『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』:皇極天皇の代に阿倍倉橋麻呂を百済大寺の造寺司に任命する記事。
 2)『日本書記』:大化4年(648)に左大臣阿倍内麻呂(倉梯麻呂、倉橋麻呂)が四天王寺の塔に仏像四躯を納めた記事。

 この二つの記事を見ると、この二つの寺院を関連付ける人物として阿倍倉梯麻呂をキーパーソンとしてあげることができます。このことから二つの寺院に阿倍氏が関わっていた可能性が考えられないでしょうか。
 この機会に古代氏族阿倍氏の一端を桜井市立埋蔵文化財センターでご覧下さい。






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