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 山陰型甑形土器について

帝塚山大学大学院後期修士課程 西垣遼先生 
(14.8.22.発行 Vol.195に掲載)


 第46回定例会で発表させていただく西垣遼です。ガッキーという名前では、何回かお世話になっております。今回は「古墳出現前後の謎の土製品-いわゆる山陰型甑形土器について-」と題した発表をさせていただきます。今回の寄稿では、山陰型甑形土器の様々な名称についてみていきたいと思います。

 題目にある“山陰型甑形土器”と呼ばれる資料は、古くは梅原末治氏による『鳥取縣下に於ける有史以前の遺跡』(1923)で報告され、1960年代に行われた鳥取県福市遺跡の調査では「こしき」と表記され、報告されていました。その後、1980年代に入り、山陰地域に多いという事実と形が甑に似ているということから①山陰型甑形土器と名づけられました。

 しかし、その名称にはいくつかの問題点がありました。そのうちの1つが、大きさが80cmと大きく、本当に甑として使用できたのか疑問視されていました。そのため、甑の部分をカタカナ表記で“コシキ”とし、甑と同じ機能を持たない可能性も含めた②コシキ形土器といった名称が新たに名づけられました。

 その後、2000年代に入ると韓半島で似たような形の土器が煙突として使用されていることが分かってきました。そこで新たに、③煙突状土製品や④土製煙筒といった煙突としての機能を前提とした名称が名づけられました。

 しかし、こうした新たな名称にも、問題点がありました。それは、甑形土器と名づけられた時と同様に、本当に煙突として使用していたのかといった疑問点です。

 これまでの名称は、機能を前提とした名づけ方であったため、別の機能が推定されると名称が変わってしまうという問題点がありました。そのため、最近では機能に左右されない⑤筒形土製品や⑥円筒形土器といった形を重要視した名称がつけられました。

 このような流れの中で、都合6つほどの愛称をもった“山陰型甑形土器”ですが、今現在もどういった使い方をしたのか分かっていないため、名称に関する共通の見解はありません。そのため、1つの資料に対して、現状では6つほどの呼び方があることになります。

 しかし、分布の中心地である山陰地域の発掘報告書では“山陰型甑形土器”と表記されることが多く、“山陰型甑形土器”といった名称で認識されることが多いようです。そのため、今回の私の寄稿や発表でも“山陰型甑形土器”と呼ばせていただきたいと思います。

 以上のように、山陰型甑形土器は、古墳出現前後の人々がどのような使い方をしていたのかよく分からないことから、発見されてから様々な名称で呼ばれてきました。

 しかし、ここで重要なことは、現代の人々にはよく分からなくとも、昔の人々はこの土器をみて「あっ!」とひと目で分かる共通の認識があった。ということだと思います。

 いわゆる山陰型甑形土器と呼ばれる資料が、古墳出現前後の山陰地域の人々にとって、どういった意味をもつ資料であったのか。そういったことについて皆さんと一緒に考えていきたいと思います。






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