「うみにあうてら-海会寺-」 第53回定例会に寄せて
泉南市教育委員会 岡一彦先生
(15.10.30.発行 Vol.227に掲載)
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私と両槻会との出会いは、思い起こすこと3年と少し前。ふとした思い付きから応募した飛鳥資料館の写真展に始まります。子どもの時から飛鳥が大好きで、いまだにちょこちょこと現地に行っては写真を撮っていました。「展示してもらえたらいいかな」程度の軽い気持ちで応募したのですが、意外や意外。数週間後には自宅に「入選」そして「表彰式」の案内状が舞い込んだのです。
「今更、表彰式もなぁ・・・」と思いながらも副賞の魅力には勝てず、恥ずかしながら式に参加しました。写真展には素晴らしい写真が数多く展示されていましたが、私の目を引きつけたのは夕暮れの古宮土壇で撮られた一枚の写真でした。撮影者には「風人」のクレジットが。「ん?この方の名前、どこかで見たことがあるな。ああ両槻会の事務局長さん!」それまでインターネットで両槻会の活動はよく知っていましたので、その特徴ある飛鳥らしいお名前は頭の中に記憶されていました。表彰式では、こちらから思い切って声をかけさせていただいたところ、大変驚かれた様子でしたが、気さくに対応していただき、「ぜひ定例会にも参加してください!」とお誘いいただきました。(ちなみに写真展では風人さんは見事2位!入選の私は3年経った今でも事あるごとにそのネタで弄られています・・・)
参考:飛鳥資料館第一回写真コンテスト
そんな思いがけないご縁で始まった私と両槻会。第53回の定例会は、会として初めて奈良県外で開催されるとのこと。そしてその初めての場所に「海会寺」を選んでいただいたことに感謝いたします。
「海会寺」のある大阪府泉南市は、明日香村からは直線距離で約50km、現在の交通手段を利用すると、車では高速を使って約1時間半、電車では近鉄とJRを乗り継いで約2時間、ちょっとした小旅行の気分でお越しいただける場所に位置しています。大阪府民でも泉南市の場所を知らない方も多く、「関西国際空港の対岸の市、泉南市の南側は阪南市・岬町そして和歌山県です」場所を尋ねられたらそのように答えています。
「海会寺」は7世紀後半に建立された古代寺院の遺跡です。昭和59年からおこなわれた発掘調査の結果、中門から向かって右手に金堂、左手に塔を置く、いわゆる法隆寺式伽藍配置を採用する最古級の寺院であることが判明し、すぐ隣には寺院に関連すると考えられる集落跡もみつかりました。これらの成果から、昭和62年には国史跡に、平成7年には出土品302点が一括で国の重要文化財に指定されています。現地は「史跡海会寺跡広場」として、塔や講堂・回廊の基壇、集落跡などが整備・公開されています。
「海会寺」は本当に難しい遺跡です。まず読み方から難しい・・・。「海会寺」と書いて「かいえじ」と読みます。建立氏族も不明で、当時の寺名ですら明らかではありません。しかし、発掘調査でみつかった軒丸瓦は、わが国初の勅願寺・百済大寺と考えられる吉備池廃寺、そして摂津・四天王寺の軒丸瓦と同じ木型を使って作られています。当時の天皇家に深く関わる文様の軒丸瓦が、なぜ遠く離れた泉南の地「海会寺」で使われることになったのか。
さらに「海会寺」の位置や堂塔の建立状況など、まだまだ難しい謎は数え切れないほど満載です。
「海会寺」は「謎」だらけ。しかし「謎」は言い換えれば「ロマン」といえるのかもしれません。「謎」が多い分、魅力ある遺跡であることに間違いありません。皆さんも是非、第53回の定例会に参加いただき、謎(ロマン)を満喫していただければと思います。
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