両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪


両槻会第11回定例会 雨天予定レポート

第11回定例会 ウォーキングイベント「天空の里を訪ねる は、
生憎の雨となり、雨天用予定で行われました。


この色の文字は、リンクしています。
 第11回両槻会定例会は、「天空のラピュタを訪ねる」じゃなくて(笑)「天空の里を訪ねる」と題して、談山神社から冬野を通って尾曽の集落へ歩くプランでした。


 初めての「天空の里」、とっても楽しみにしていたのですが...無情の雨!(x。x)゜゜゜
 せめて「小雨の場合」の予定表が使えるようにとの祈りも空しく、集合場所の桜井駅は正に本降りの雨でした。
 ネコは下見に参加していなかったのですが、途中には山道が崩れているような所もあったそうで、この雨ではとても無理と、「やや強雨」予定に変更になってしまいました。
 残念ではありますが、こういう時にキッパリと無理せず予定変更を決断するのも、大切なことです。

 で、今回の予定は談山神社→聖林寺→橿原考古学研究所博物館となったわけです。えー、出発時にネコ的にはメインディッシュは橿考研博物館...と思っていたのですが、正にその通りでした。ま、それは後のお楽しみとして、順にレポしていきましょう♪

 桜井駅発10時45分の談山神社行きのバスは、両槻会御一行様のおかげで、この雨にもかかわらず満員!...本日最初の人助け!(笑)
 バスは雨の中を談山神社へと上っていきます。紅葉には一寸早いし雨だし...道は空いていました。桜や紅葉の時期には、歩いた方が早い?というくらいの渋滞になる道なのですが。



 談山神社に着いて、先ずは藤原不比等の十三重の石塔へと一寸した急坂の登り道...下ってくる人を除けて舗装から踏み出したら、草の生えた道端は結構グショグショでした!やっぱり山道は無理だった...止めて正解と思いつつ十三重石塔に到着。ここで、風人さんから、談山神社に入ってからは絶対に聞けないような説明が少々。(笑)

 談山神社の参道は雨で暇な土産物店の呼び込みが...栃餅とか草餅とか、湯気の立ったコンニャク!!美味しそう...立ち止まる暇もなく...うーん、一寸残念!


  談山神社に入ったところで解散。自由に境内を散策...って、雨なのでカメラも持ってこなかったネコはさっさと拝殿に。(笑)

 拝殿には、10月に行われた嘉吉祭のお盛物がケースに入れて飾られていました。よく見るとそろそろ黴が生えてきていてあまり綺麗じゃない...(x。x)゜゜゜
 展示されていた「多武峰縁起絵巻」など見て、集合場所の入口へ戻りましたが、まだ一寸早いから、誰も居ない!
 されば...横の茶店の「甘酒」が呼んでいるーー!(爆)


 バス停前の茶店で昼食後、バスで聖林寺に向かいました。
 聖林寺のバス停に着いて、順に下車...ですが、県外からの参加者も多く、両替してからバス代の支払で、なかなか全員が下車し終わりません。すると、聖林寺方向から二人の男性がダッシュして来ました。両槻会が下車に時間を掛けたおかげで、このお二人は無事に乗車されました...本日二つ目の人助け!(笑)

 聖林寺では、両槻会のために座敷を用意して下さっていました。びしょ濡れで悪いなぁ...(^_^;)
 先ずは、隣の座敷の展示されていた曼荼羅を拝見しました。随分色々な種類がある...のですが、残念ながら仏教知識に欠けているため、意味不明。分かりやすかったのは、国宝の十一面観音像を西陣織にしたもの。立体的に見えて見事な出来でした。
 本堂のご本尊は元禄時代に作られた丈六の石仏で、子安延命地蔵菩薩だそうですが、不思議な雰囲気の石仏です。お顔が何とも人間的なのと、体に比べ大きすぎるように見えるのが原因ではないかと思います。おそらく、創建時にはもっと高い位置に安置されていたのではないでしょうか?

 国宝の十一面観音菩薩はコンクリート造りの別棟に安置されています。何処もそうですね!雰囲気的には、本堂に安置の方が良いのでしょうが、やはり国宝は火災から守らねばならないから、仕方がないのかも。



 拝観の後、座敷でお茶を頂きながら、懇親会をしました。いつものように長めの事務局長のお話と、短め(?)の会長挨拶と、お初の参加者の方の自己紹介等々、和やかな時間が過ぎました。さて、次への移動と、皆が帰り支度を始めたところに、お寺の坊や(小学生くらい)が、お寺で販売しているくず餅の箱を持って登場...うーん、子供には弱い!!
 「木の実降り 鵯鳴き 天平観世音」という秋桜子の句と秋の聖林寺の景色が描かれた和紙の包みのくず餅の箱が、ネコのリュックに収まりました...重いーー!(x。x)゜゜゜
これも本日の人助け?(笑)

 さて、雨はようやく上がりました...今頃上がったって、ねぇ!
 再びバスに乗って桜井駅へ。メインディッシュの橿原考古学研究所へと向かいました。


 博物館に入ったところで、主任学芸員の山田隆文先生を風人さんが見つけ、説明を御願いしたところ、快く引き受けて下さいました♪
 ほーら、やっぱりメインディッシュだぁ!!(^ヘ^)v
 今回の特別展示「宮都 飛鳥」は実質的に山田先生が担当されていて、思い入れ一杯の説明でした。最初の部屋は飛鳥京跡発掘の歴史、次々に明らかになっていった飛鳥京の全体像が示されています。ついで同時代の東アジアの都城遺跡の発掘写真の展示で、「地域という横の関係」が表現されていました。こういうのをまとめて見るのは初めてでした。その前で何やらマニアックな議論をする参加者も...(笑)

 二つ目の部屋は、飛鳥時代の宮の変遷で「時代という縦の関係」が表現されていました。キーパーソンは天武天皇。入ると正面に1998年に修復された薬師寺の天武天皇像が鎮座ましましています。その右には正倉院御物にある、天武天皇から代々直系に伝えられていた厨子の模造品と、その中に納められていた「紅牙撥鏤尺」と「緑牙撥鏤尺」の模造品が展示されていました。

 ここで、ずっと疑問に思っていたことを質問。「模造品」という言葉についてです。一般的に「模造品」という言葉は、「偽物」という意味合いの強い言葉として使われています。一方で、「複製品」「レプリカ」というのは、本物の代わりにそっくりに作った物という意味で、偽物を作って誤魔化すというようなニュアンスはありません。博物館で「模造品」とい
う表示を見るたびに、何となく変な気がしていたのです。
 今回山田先生がこの厨子や撥鏤尺が模造品であるという説明をされた時に、「作り方も材料も当時の物に習って正確に作られた物」という表現をされました。そこで、博物館ではどう区別して使っておられるのかを尋ねてみたのです。お答えは「本物に似せて作った物が複製品、レプリカであって、似ていれば材質などが同じでなくても良い。一方、模造品の方は本物と同じ材質で、同じ作り方で作った物を言う。この厨子や撥鏤尺の場合は特に制作が難しいので、非常に高度のテクニックを持った職人さんの芸術作品である。」ということでした。長年の疑問が解けた瞬間...ありがとうございました。m(_ _)m
 
 その他にも、この厨子の伝わり方、何故正倉院に納められているのか、厨子の中に入っていた双六と天武天皇のお話など、山田先生の解説はいつまで聞いていても飽きない、極上のメインディッシュでした♪

 楽しい時間も終わり、橿考研で解散。
 そうそう、帰る前に山田先生からおみやげを頂いちゃいました♪エビノコ大殿のペーパークラフトです。(^ヘ^)v こういうの大好き♪ 何から何まで、ありがとうございました。
m(_ _)m

 参加者の皆様、寒い1日でしたが、ご無事でしたでしょうか? これに懲りずに、3月の再挑戦の「天空の里を訪ねる」にお越し下さいませ。m(_ _)m

レポート作成 両槻会事務局 笑いネコ




橿原考古学研究所付属博物館 2008年秋期特別展「宮都 飛鳥」見学レポート

 飛鳥京跡と呼ばれる広範囲の中、橿原考古学研究所が手掛けた発掘調査などの概要「宮都 飛鳥」が橿原考古学研究所の付属博物館で開催されています。(会期:2008年10月4日〜11月30日)

 このタイトルの「宮都」という呼び名は、日本書紀の天武記に見える「宮室」と「都城」から作られた造語なんだそうです。(「宮都 飛鳥」図録より)
 飛鳥を平城京や平安京のように「京」として捉えることができるか・・は、色んな考え方があるようですが、天皇の居住する宮室を中心に整備され機能していたのであれば、都であったと考えて良いでしょうね。

 発掘による調査が進む以前、飛鳥の各宮地は、字名や文献史料などによって、色んな学説が存在し、それぞれに比定がされていたようです。
 けれど、今から約50年前の1959年に行われた吉野川分水建設の為の試掘調査で検出した柱穴列が契機となって(後にこの柱列は、飛鳥京跡の内郭北辺であることが分ります。)、現在までに、飛鳥岡本宮・飛鳥板蓋宮・後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮の4つの宮が重層して存在することが確認されています。
 文献史料と発掘による考古資料、どちらか一つじゃ決定打にならないんですね。土から出てきた物好きのσ(^^)は、せめて日本書紀ぐらいきちんと読まないとな・・と、今回の展示をみてしみじみと思いました。^^;


 展示では、主な発掘調査の当時の写真と、その遺構が飛鳥京跡の何処にあたるかを赤で分り易く表示した小さめの遺構図が付加されていました。

 コの字型に並ぶ柱穴は内郭の前殿と言われる建物跡。
 発掘によって地面から顔を出した柱根は内郭を取り囲んでいたであろう塀。
 そして、整然と並べられた敷石などからは、この地が計画的に整備された様子。
 全て遺構図を見ることで、より鮮明に浮かんできますし、それぞれの往時の姿を想像することが出来、楽しい思いができました。
 この写真パネルは、遺構の形状はもとより、背景となる明日香村の景色や写真の色が長期に渡る調査と時代を感じさせます。

 飛鳥に興味を持ってまだ10年にも満たない私は、カラーになってからのパネルの、それも半分ほどしか記憶にありません。此処まで判るまで長い月日が掛かっているんですね。それもまだまだ全容解明とはでは行かないし。


 飛鳥における宮地は、推古天皇の豊浦宮から始まるとされています。豊浦宮跡は、現在の向原寺にある豊浦寺下層遺構がその跡地だとされていますが、その後に移った小墾田宮に関してはまだ「ここだ」と確定されるには至っていません。日本書紀にみえる「大門」「大殿」「宮門」「庭中」などの記載からその様相が推測され、雷丘東方遺跡が最重要候補となっているようですが、それを裏付けるだけの遺構が発見されていないのがネックとなっているようです。

 飛鳥京跡の中に含まれるのは、舒明天皇以後の飛鳥岡本宮・飛鳥板蓋宮・(難波長柄豊崎宮を挟んで)後飛鳥岡本宮・(大津宮を挟んで)飛鳥浄御原宮になり、特別展ではそれらの宮の変遷が順に紹介されていました。

 この中で、一番先に思い浮かぶのは、やはり天武天皇の飛鳥浄御原宮でしょうね。3層4期に重なる遺構の最上部になり遺構の残存状態も良く、近年現地説明会が年に一度は行われています。
 しかし、反面でこの上層部を壊して掘り下げることが出来ないこともあって、下層にあると思われる飛鳥岡本宮・飛鳥板蓋宮・後飛鳥岡本宮の詳細の殆どが不明なままになっています。

 最下層になる舒明天皇の飛鳥岡本宮は、僅かな火災の痕跡と建物が正方位を向いていない(北で西に振れる)ことが判明しているだけです。
 宮地が正方位を向くのは、皇極天皇の飛鳥板蓋宮からになります。そのために自然地形に大幅に手を入れ、大規模な整地が施されたようですが、これまた宮の中枢部の詳細は不明のままです。
 この時の整地面は、東西・南北の移動や規模などの僅かな違いが認められるものの、その後も宮地として継承されていくことになります。

 あと、土器や須恵器などが数種類展示されてはいますが、飛鳥京跡から出土する遺物は、他の遺跡に比べるとかなり少ないのだそうです。宮なんていうと沢山の人が出入りするからそれこそ遺物も多いなんて考えるのは、浅はかな考えなようです。^^;
 遺物が少ないと言うことは、つまりこの地が儀式を行い政務を執るための空間で、常に清掃されていた場所だからなんだそうです。出土遺物の殆どが溝や整地時の埋土などから出てくること、「遺物=(大半が)遺棄されたもの」と考えると遺物が少ないのにも頷ける気がします。

 「あれ?この辺りからは、確か木簡が沢山出てたんじゃなかったっけ?」と思われた方もいらっしゃるでしょうね。・・って、そんなこと思うのはσ(^^)ぐらいでしょうか。 で、しげしげと図録を眺めて見ました。(^^ゞ

 有名ところでは、飛鳥京跡の年代決定に一役買った「大花下」「小山上」「小乙下階」の冠位十九階の書かた木簡は、飛鳥浄御原宮外郭の僅かに東の石組溝の下層の土抗からの出土だそうです。確かに飛鳥浄御原宮内ではないですね。
 (木簡に書かれたこの冠位は、大化5年(649)から天智3年(664)までの15年間だけ使用されたものだそうです。この時代に該当する飛鳥の宮は、飛鳥板蓋宮と後飛鳥岡本宮になります。飛鳥板蓋宮や後飛鳥岡本宮には、外郭と呼べるものがないんだそうです。)

 この他にも「大津皇」「大友」「大来」などの皇子名が記載された木簡や、「辛巳年」「丁丑年」「癸巳年」の記年銘木簡など、出土当時には話題になり、資料的にも重要なものが、飛鳥浄御原宮内郭の外側からは出土しているようです。
 こんな風に、「綺麗に掃き清められた宮内」と言う状況が出土遺物の数から推測されるのも面白いなと思いました。
 (宮内を出ると木簡などの出土も増えるようで、内郭の西側にある飛鳥苑地遺跡などからも多数の木簡が出土しています。ま、苑池が清掃されていなかったと言うわけではないでしょうが。^^;)


 「飛鳥浄御原宮」の名は、小野毛人と言う天武朝の官人の墓誌に刻まれているのが発見されています。(墓誌銘文:「御朝任太政官兼刑部大卿位大錦上小野毛人朝臣之墓営造歳次丁丑年十二月上旬即葬」)
 丁丑年(677)は、天武6年にあたり、「飛鳥浄御原宮」の名が記された最古の文字資料になるのだそうです。

 その他の展示では、沢山の奥さんがいた天武天皇ならでは(と言うと失礼かもしれませんね。^^;)の子沢山のお陰か、先に書いた皇子名の記された木簡の数々や、正倉院御物である「赤漆文潅木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)」の模造品なども展示されていました。
 この厨子、「国家珍宝帳」と言う宝物の目録のような物に、二番目に記載されている由緒正しいものだそうで、天武から持統→文武→元正→聖武→孝謙へと代々受け継がれ、天武・持統直系の天皇には、重要な究極の一品になるのだそうです。(この間の天皇なのに、一人だけ相伝されなかった方(元明天皇=天智娘・草壁皇子正妃)がいらっしゃるんだそうです。直系の重みには勝てなかったってことでしょうか。)
 どうして、正倉院御物に天武天皇が絡んでくるのか、説明をお聞きするまでは判りませんでした。(情けない・・)
 正倉院御物の中には、もしかしたらこの他にも、飛鳥の風を感じたものが混じっているのかもしれませんね。
 これらの展示で、天武天皇の人間味とほんの少し親しみを感じました。
 天武天皇って、無骨な強面の取っ付き難い人と言うイメージがないですか?どうしても、σ(^^)は、壬申の乱の勝者で策略の天才って言う冷血漢のイメージが先行してしまうんですよね。(天武ファンの方、すいません。m(__)m)

 話が逸れました。(^^ゞ

 この他、饗宴施設と言われる石神遺跡、白錦後苑か?と言われる飛鳥苑池遺跡、数々の皇子の宮跡候補地に、用途不明の酒船石とそれを囲む石垣遺構と亀形石など。また、推古天皇の時代に46寺を数えた寺院もその後急速にその数を増やして行ったと考えられます。そして、盟約や持統天皇の度々の行幸で知られる吉野の離宮と推定されている宮滝遺跡なども簡単に紹介されていました。

 「宮」や「都」と書くとたったの一文字ですが、これだけの施設を備える為には、絶えずどこかで工事がされていたように思えます。重機もコンクリートもアスファルトもない時代に。
 飛鳥京跡と括ってしまうには、飛鳥浄御原宮跡の外側には、取り巻き支える性格の違う数々の遺跡・史跡が多く点在しています。

 この秋季特別展「宮都 飛鳥」の会期は、まもなく終わります。
 が、この特別展用に編まれた図録は、展示写真や解説を網羅していますし、さらに詳しく書かれてあります。観覧の機会を逃がされた方にも、この図録はお薦めです。(^^)


 タイトルがタイトルだけに、「これは行かねば!」と開催早々と両槻会の定例会とで、私にしては珍しく二度観覧する機会がありました。
 関連する講演会で展示に関する詳しいお話をお聞きして「展示品を前に聞けたらどんなにか楽しいだろうに」と思っていたので、両槻会での再訪は私にとってはとってもラッキーでした。
 パネル一枚だけでは、素人には理解の及ばない部分が多いことも、それをどうにか伝えようしてくださってる担当の先生方の努力も。
 これからは、なるべく興味のある展示関連の講演会には足を運ぶようにしたいな・・と。

 余談:案外皆さん素通りされる(笑)中国や半島の都城の展示も今のσ(^^)にはとっても面白いものでした。
 地図があるのとないのでは、こんなに理解度が違うんだと言うことを身をもって知った感じです。
 ってことよりも、まず「宮都」を「きゅうと」と読むんだと言うことを初めて知りました。ずっと「みやと」だと・・。(何の疑問も持たずにずっと重箱読みしてた奴です。)今回、音として聞くことの大事さ痛感しました。^^;

レポート作成 両槻会事務局 もも



両槻会第11回定例会 「天空の里を訪ねる」予定
通常予定

    ― 秋の多武峰と天空の里「尾曽」を巡るウォーキングイベント ―

コース概要
近鉄桜井駅 → (奈良交通バス) → 多武峰談山神社拝観 → (徒歩) 
→ 冬野川水源地 → 冬野集落 → 上畑 → 尾曽 (威徳院)→ 
上 (気都和既神社) → 細川 → 上居 (立石) → 石舞台公園 → 解散

タイムテーブル
(歩行距離 約7キロ 多少山道有り)
10時30分 桜井駅南口広場奈良交通バス乗り場集合
10時45分 桜井駅南口発 バス乗車 (460円)
11時15分 談山神社バス停着
11時30分 談山神社 (不比等十三重塔立寄)
         談山神社自由拝観 50分
12時20分 再集合 談山神社案内栞の地図番号 31付近
12時30分 西門跡昼食 20分
12時50分 出発
13時10分 冬野名水 小休止
13時20分 冬野集落
13時45分 上畑 尾曽古道分岐点
14時20分 尾曽 威徳院 小休止
14時40分 出発
15時00分 上 気都和既神社
16時10分 石舞台着
16時26分 橿原神宮東口行バス乗車 (340円)
16時50分 橿原神宮前駅東口着 解散

ルートマップ


雨天予定
  • 小雨の場合
    予定コースを歩きます。(降雨・気温・山道の状態を見ながら、上畑以降のコースを変更します。)
  • やや強雨
    桜井駅南口10:45 → 11:09 談山神社バス停 → 拝観(昼食込み) → 談山神社バス停  12:47 → 12:57 聖林寺バス停 → 聖林寺拝観と懇親会 → 聖林寺バス停 14:27→ 14:37 桜井駅南口 → 桜井駅 15:02 → 15:17 畝傍御陵前駅 → 橿原考古学研究所付属博物館特別展見学 → 16:30 畝傍駅前解散
  • 強雨
    桜井駅南口 10:45 → 10:53 聖林寺前バス停 → 拝観と懇親会 → 12:57 聖林寺前バス停 → 13:07 桜井駅南口 → (昼食) → 13:54桜井駅 →    14:05畝傍御陵前駅 → 橿原考古学研究所付属博物館見学特別展見学 →  15:30 畝傍駅前解散

第11回定例会が雨天予定に変更になりましたので、第13回定例会として再度予定に
組み込むことになりました。下記案内ページをご覧下さい。

   第13回定例会 ウォーキングイベント 「天空の里を訪ねる」 案内ページ

参加申し込みは、メールにてお申し込みください。
両槻会メールアドレス : asukakaze2@gmail.com
両槻会は会員制ではありませんので、どなたでも参加していただけます。(要申込み)

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