両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第44回定例会

帝塚山大学考古学研究所・両槻会共催行事

薫風そよぐ宮都・飛鳥

参加者レポート


この色の文字はリンクしています。
第44回定例会 事前散策資料
2014年5月17日

 
出発式
「薫風そよぐ宮都 飛鳥」
両槻会 第44回定例会のテーマです。
新緑の木々の揺れる好天の飛鳥は、日陰に入りたいと思える暑さでしたが、ときおりの爽やかな明日香風が快い。やはり、「采女の袖ひるがえす明日香風」とは、このような初夏の風だったのではないでしょうか?

豊浦寺を経て、息を切らして登った甘樫の丘では、リーダーさんの「あべのハルカスが見えまーす」との叫びに畝傍山の東に目を向けましたが、近眼の私には見えませんでした。

今回の両槻会は帝塚山大学とのコラボ開催、講師先生も帝塚山の清水先生、泉南市教委の岡先生と豪華な組み合わせ、加えて帝塚山の学生さん4名による各ポイントでの説明があり、見慣れた風景もとても新鮮に感じられました。

学生さんたちは勉学の一環とのことですが、水落遺跡、飛鳥寺、飛鳥京苑池、飛鳥宮正殿跡、川原寺と各ポイントでの、興味深く引き込む説明は練習されたのでしょうが、話す力も若年ながらおみごと。なかには緊張していた人もおられましたが、一生懸命な姿に応援したい気持ちになれました。他のメンバーさんも同様なのか、風人さんの説明時より大きな拍手の音が------。

事務局さんと学生さん 達との協力による、49ページにも及ぶ資料
飛鳥資料館での学芸員さんによるギャラリートーク
清水先生の飛鳥資料館ジオラマによるミニ講演会
そして、岡先生のお言葉にあった、「第三の目、心の目で観る」いにしえの飛鳥に想いを馳せながら、その風景を楽しむことのできた幸せな一日でした。

若い人が多く、いつもより歩くスピードが早く、歩いた距離も多い19,869歩、翌朝、はや脚が痛いのは、まだ若い証拠なのでしょう。ありがとうございました。 来年は前期高齢者
Nさん


甘樫坐神社にて豊浦寺の説明を聞く
朝の集合場所では、若い学生さんがたくさんいて少し不思議な光景でした。
歩くのが初めての人もいると聞き、少し気の毒になりましたね。
だって、両槻会の歩くスピードは決して「のんびり」「ブラブラ」ではないんですもの(^_^;)
大丈夫かしら~と他人事ながら心配になりました。まぁ、大きなお世話ですが…。

今回は飛鳥の基礎の再確認のような道のりで、少しだけ増えた知識を棚卸しと整理ができたような気がします。あと、少しでいいので、ちょっとマニアな所もあれば、もっと満足感が高まったかなぁと思いました。

ポイントでの説明は学生さんがしてくださいました。人前で説明するのは緊張しますよね。私もいつも悩むので、気持ちは痛いほどわかります。頑張ってほしいです!
ただ、後半、三連続での学生さんの説明は少ししんどかったかな。間に先生の説明が入れば少し引き締まったかも…というのが正直なところでした。

さて、学生さんが疲れないかと心配していた私ですが、とても疲れて、翌日は一日ダラダラと過ごしてしまいました。人のことより、まず自分…でしたね。
最後になりましたが、いつもながら楽しい一日でした。ありがとうございましたo(^o^
Sさん


甘樫坐神社にて豊浦寺の説明を聞く
第44回両槻会定例会に参加された皆さんお疲れ様でした。
私をはじめ参加された皆さんの日ごろの行いが良かったのでしょう。

青空と爽やかな風に恵まれ、汗かきの私でもあまり汗をかくこともなく一日を楽しく歴史散歩をする事ができました。
 
今回は帝塚山大学の学生さんとのコラボで明日香に何十回も訪れている私も、新しい切り口で散策出来たかなと思います。

学生さんが、たどたどしく説明されることもありましたがそれもOKです。かなり事前の学習をされたことと思います。ご苦労様でした。人前に出て説明をするということは大変大事なことで、聞く人の3倍以上勉強する必要があると思いますよ。 

清水先生をはじめ、何人もの講師の先生に説明をしていただいて古代の歴史ロマンを「心の中のイメージ」を広げることもできました。明日香散策のだいご味は、一見何もない明日香の50CM地下をイメージしながら心の中で発掘することでしょうか。
Yさん



甘樫丘へ
天候にも恵まれ、充実した内容で、飛鳥を堪能させていただきました。清水先生をはじめ帝塚山大学の皆さん、風人さんをはじめ両槻会の事務局の皆さんのご尽力のお蔭です。衷心より御礼申し上げます。
今回の定例会で、二つの言葉が心に残りました。
一つは、「二つの眼で見る」です。加えて、心の眼で見るためには、より一層の知識が不可欠とのこと。今ある景観の素晴らしさだけでなく、歴史的な背景を感じることが出来ることが、歴史探索の魅力と、あらためて思った次第です
もう一つは、「一目見て、飛鳥と橿原の境が何処か解ります。」です。景観法のあるなしが、古い家が残った所以とのこと。古さだけでなく、家の古さと同時に、いま現在もそこに住む人々の生活が息づき、古い時代と新しい時代がうまく解け合って、懐かしさと人の心を惹きつける魅力が飛鳥には漂っていると感じながら歩いた一日でした。
Eさん


甘樫丘展望台にて
「快晴の飛鳥」
約一年ぶりに、定例会に参加させていただきました。
なにせこの一年、ウォーキングも歴史勉強も遠ざかっていたもので、ちゃんと歩けてお話にもついて行けるだろうかと心配でしたが、今回はいつもの両槻会のスタッフさんたちに加え、プロの先生方と、実際に勉強中の学生さんたちも参加されていて、おかげで基礎的なお話からマニアックな濃いお話までたくさん聴くこともでき、とても充実したウォーキングになりました。

朝から快晴の中、橿原神宮前駅を出発。
いつものコースをいつものように歩くだけで、久しぶりの身にはワクワク。
甘樫丘に登ると、飛鳥に来たぁ~!という気持ちになります(笑)。
本当にいいお天気で、遠くまでよく見えました。あべのハルカスまで見えた・・・ようです。「あれがそうですよ~」と黒い棒のような影を指して教えていただきました(笑)。

それぞれの遺跡では、現役学生さんたちによる解説。
緊張しながら初々しく、一生懸命説明して下さいました。
でもやっぱり、学年が上がるほど、しっかりとしゃべれるようになるものなんですね~(笑)。
そして、プロの先生方はさすがすごいな、と改めて思いました。

蘇我入鹿さまの首塚は、私にとって一番思い入れの深い場所。
飛鳥に興味を持ったのも、飛鳥に通うようになったのも、そして両槻会の皆さまとご縁ができたのも、すべてこの場所から始まりました。
ここに、本当に入鹿さまの首が埋まっているわけじゃないけど、でも、入鹿さまと飛鳥を好きになった大切な場所として、毎回お参りしています。

飛鳥資料館では、先生のギャラリートークが面白かったです。
展示物そのものの解説より、その展示物をどうやって並べるか、どんな風にポスターにするかなどの裏話が、興味深かったですね(笑)。
昔、学生時代に、博物館学芸員の資格を取ろうと勉強していた頃を思い出します(苦笑)。

午後は、資料館から川原寺跡まで、遺跡を回りながら飛鳥を縦断。
さすがに、燦々と照る太陽のもと、微妙な高低差を高所向きに歩いていくのは疲れました。
それでも、最後まで頑張って歩けてよかったです。翌日は筋肉痛でしたけど(苦笑)。

歩きながら、皆さまとわいわいおしゃべりできるのも、毎回の楽しみの一つ。
お天気に恵まれ、歴史に思いを馳せながら楽しくウォーキングできたのも、準備をして下さったスタッフの皆さま、先生方、そして学生さんたちのおかげです。
本当にありがとうございました!
Sさん 


水落遺跡にて
今回の飛鳥歩きはいつもと違って、橿原神宮前駅東口から甘樫坐神社まで、途中の史跡の説明を省き一目散に駆け抜けました。ただ、参加者どうしあそこが厩坂寺跡とか、ここの上り坂あたりが厩坂であるとか言いながら歩いていました。さすがに飛鳥通の方が多い。交差点では1回の青信号で全員が渡り切らなければならないのは大変でした。これなら、バスで橿原神宮前駅から豊浦まで行った方がよかったのではないかと思いましたが後程、飛鳥資料館での学芸員によるギャラリートークや清水先生によるミニ講演にかなり時間がかけられ充実していたので、スケジューリング上やむを得なかったのではないかと思いましたが…。
甘樫丘では風人さんの風景の説明で、望遠レンズがあれば白い建物の方向にあべのハルカスが写るはずとか、矢田丘陵南端の方向に法隆寺が、大和三山の間にある赤い柱は藤原京大極殿院と朝堂院を区切る門の跡であるとか、三輪山麓に箸墓古墳が見えるとか言っておられたので望遠レンズで写してみたくなりました。
水落遺跡では帝塚山大学大学院の学生による詳しい説明があり、水落遺跡の建屋跡の基礎が何故あれほど厳重に動かないようにしているかについて、天文台のような施設が上にあったのではないかと説明されているのが大変興味深かったです。それと、遺跡からお湯を沸かしたような炭が出土しているということでした。これについて、以前から水を落として時間を計測するならば、夏と冬とで水の粘性係数が違うので、時間が狂ってくるので、それをどう調整するのか疑問でしたが、もし冬にお湯を沸かして、粘性係数を調整したのであれば、時間はかなり正確に計測できたのであろうと推測できます。きわめて興味深い説明でした。
以上、今回は学生さんの説明によりとても充実した飛鳥歩きとなりました。スタッフの皆さんありがとうございました。
Tさん 

 
水落遺跡にて
天候にも恵まれ、絶好の飛鳥歩き日和であった学外実習。今年度から博士後期課程に進学し、新生活に慣れ始めようとしていた一番始めのイベントが、今回の学外実習での遺跡説明であった。
 遺跡を説明する上で、気をつけたポイントが3つある。1つ目は、遺跡説明箇所の参考文献全てに目を通すこと。情報の取捨選択をするためである。2つ目は、まとめること。今までの経験から、勉強した全てを説明できないことが分かった。ポイントを絞ることが大切である。3つ目は、現地の地形も含めた説明である。文献では、表現できない姿が現地にはある。そのため、現地を使った説明を意識した。
以上3つを心がけながらも、説明慣れしていないせいか、課題点が多くあった。しかし、遺跡説明後に質問に来てくださる方もおり、勉強させていただく事が多くあった。将来、考古学の学芸員を目指している私にとって、このような説明させていただける機会をいただけてありがたかった。次回があれば、また改善して臨みたい。
Nさん(学生) 

 
飛鳥寺跡(安居院境内)にて
「飛鳥寺にて…」
今回、飛鳥寺の発表をすることになり初めて真剣に飛鳥寺を勉強しました。飛鳥寺を勉強していると近隣の寺や遺跡などと深い関係があることを知りました。もっと他の遺跡などを調べると飛鳥寺との密接な関係を知る事ができ、面白いと思いました。しかし、今回の発表で知識は得たものの、人前でそれを披露する力が不足していると痛感しました。なので、自分の力をつけて人前であたふたしない様になれば、その時、晴れ渡った飛鳥の大地に舞い戻ってきたいと思います。もっと他の寺、遺跡などを勉強し飛鳥について知りたいと思える一日でした。
できることなら、もう少し曇って欲しかったです。
Tさん(学生) 

 
東垣内遺跡
「薫風そよぐ宮都・飛鳥」
今回の定例会は、かなり王道中の王道を歩く感じであった。ここ最近は事前散策で行くことが多かったです。
 しかし、今回の定例会はいつもの定例会と一味違って、散策時案内説明する方が複数いるという。しかも学生さんも混じっていると。いつもと趣向が異なっていました。
 途中でO先生が「二つの目で飛鳥を見て欲しい」ということをおっしゃっていました。なるほどと思いました。
話はずれますが、何故飛鳥に行くのかと聞かれることがあります。いわゆる関東の方は京都や奈良市周辺には少しは興味あるらしいですが、飛鳥にはそんなに興味というか聞いてくる人はいませんでした。理由は見るところがあまりないということでした。
 うーん確かにそうかもしれませんが、そういう所が飛鳥らしく、個人的には好きなんですが・・・。そういう思いがあったので、二つの目でいう言葉は私だけでなく、皆さんの心に深く刻まれたのではないでしょうか?
と同時に今回の散策案内説明を聞いていて、10人いると10の飛鳥があるということを感じました。それがはっきりしないというか、あいまいでわからないと感じるかもしれませんが、それがいいし、各個人で別の飛鳥があっていいのではないかと思います。
学生さんたちは緊張している人もいれば、場数をこなしてうまくなっている人もいました。少し偉そうなことを書きますが、先生方も学生のときがあったと思うし、最初は多かれ少なかれ同様な感じだったのではないでしょうか?(まあ事務局長みたいな方は、例外だと思いますが・・・。)
私事ですが、振り返ると両槻会に第15回から参加していました。意外と参加していますね。
今回参加で約30回奈良に来ています。大体2日ぐらい奈良にいるので、ここ数年でトータルで60日つまり2ヶ月いる計算になります。いやー思っているより来ていますね。まあ他人からは奇特に見られるのでしょうね。今後も体調や用事が大丈夫な限り参加したいと思います。
と話がずれましたが、今回の資料も凄いですね。毎回毎回資料作りと事前の打ち合わせ等スタッフの皆様お疲れ様です。毎回凄いと感じます。
最後に川原寺跡は工房のほうから行きたかったなと個人的には思いました。
Dさん 

 
資料館へ向かう
「New wine in old bottles.(新しい酒を古い革袋に)」
風が香り、水が光る・・・五月の飛鳥は実に素晴らしい。古人がこの地に都を定めた気持ちが時空を超えて肌に感じる。この時期、行き慣れた飛鳥の中心地をあえて定例会とした両槻会の世話人の意図が伝わってくるようだ。
今回の定例会の感想を自分なりに一言でまとめていうと、“New wine in old bottles”(新しい酒を古い革袋に)という事になるであろうか。 
感動の第一は、古人の高い感性と技術力、そして現在の匠の技である。
飛鳥が仏教文化を中心に拓かれた国際色豊な都市であったことを学習し、土中に埋没してしまっていた遺構・遺物を目のあたりにした時、当時の人々の思想や感性、そしてその理想を実現させるために、高めて行った知識や技術の粋の程が感動的に伝わってきて、崇高さすら覚えた。
仏(神)や権力、そして美しさを求める欲求は、過去から現在まで絶えず人間の心を捉え続け、文化や歴史を紡ぎ出す重要な糸となってきたと思われるが、その過程を進化と呼ぶならば、古代人の築き上げた文化に現代人のそれが加わればどんなに素晴らしい進化の実がなるものかと想像し、胸の高のまりを感じる。それは、飛鳥博物館の特別展の出土品と復元製作品の同時展示(「海獣葡萄鏡」、「施釉陶器」など)からも窺えた。古代の匠の作品に現代の匠の“腕”が加わればどんなに素晴らしい作品に仕上がるのか。自分なりの答えをそこに見た気がした。
本当にわれわれ現代人は、古代人より進化していると言えるのであろうか。現代の私たちはもっと謙虚に過去と向き合わなくてはならないのではないかとの思いの募る結果となった。
そして次なるは、若き学研者たちへの期待である。
担当していただいた帝塚山大学の学生諸君には、今回の定例会に対して事前の準備をはじめ当日の説明、案内など真摯に取り組んでいただき、心から感謝を申し上げたい。慣れない中、汗だくになりながら遺構や遺物を前にして緊張気味に説明する姿は、すがすがしくも好感が持て、次の時代を背負うに十分な貫禄がすでに備わり、大いなる期待を抱かされる。まさに準備された古き革袋に、新酒が注ぎ込まれつつある状態を感じさせてくれた一日であった。
今や考古学の世界は他の分野の学問で研究補完することにより、バランスよく歴史を復元することが可能になってきた。単に文化の編年や伝播を辿って行くだけでなく、彼らの手によって、もっと人間の生活それ自体や、社会構造の復元などの研究にも更なる成果があがることを期待したい。まさに飛鳥こそは、そうした研究の最適地の一つであると思われる。どんな美酒が醸し出されるか楽しみである。
蛇足ながら、以下にフェノロサが明治21年6月5日奈良で演説した際の記録を付記することを許されたい。

『奈良の諸君に告ぐ』
    今日この奈良に存在せる古物は
    独り奈良一地方の宝のみならず    
  実に日本全国の宝なり。
  否、日本全国の宝のみならず 
  世界において複た得べからざるの至宝なり。
  故に余は信ず、この古物を保存するの大任は 
  即ち奈良諸君の宜しく尽くすべき義務にして 
  又、奈良諸君の大なる栄誉なり、と

大変意義深い提言であるが、文中の「奈良」を「飛鳥」に、「奈良諸君」を「飛鳥を愛する人々」に変えても、今日の生きた教訓として意義があり、私達が真摯に取り組む義務があると思う。
私もまた飛鳥を愛する一人である。
Kさん 

 
ただいまジオラマ解説中
土曜日の考古学での学外実習は、「飛鳥」ということで私も飛鳥には何度か行ったこともあり、博物館にも行ったことが数回あったけれど、考古学、古代の都の飛鳥、「遺構、遺物、遺跡」という所に注目して飛鳥に訪れたことがなく、そうした意味で初めての体験でした。
最初はただただ遺跡などを見て回るだけだと正直思っていたけれど、両槻会のみなさんや、清水先生、上回生の人達と一緒に見学していく中で、僕の知らないような多くの知識や考え方があること、ここまで調査していかなければならないのかということ、そして、まだこれ以外にも今後の研究で明らかになっていくことが数多くあるという所に感動しました。みなさんの研究の努力があり、すごく中身の濃い、充実した時間をこの学外実習で学ばせてもらったと思います。
今後ともまたこういう機会がある際には参加して、来年には僕も1回生の前でしっかり説明しなければならいないということを大いに感じました。今回は貴重な時間を作っていただき、暑い中共に歩き、詳しく説明していただきありがとうございました。
Nさん(学生) 

 
飛鳥寺西方遺跡へ向かう
「薫風そよぐ宮都に参加して」
先日の定例会に参加させていただきました。今回は学生が解説する遺跡があるということで、彼らの大学の先輩でもあるので特に楽しみにしていました。
当日は良すぎると言ってもいいほどの夏日でお天気には恵まれすぎなくらい恵まれました。
橿原神宮からのスタートで今まで歩いたこともない道を歩いたりしたので、何処にたどり着くのかわからなくてわくわくしました。受け取った冊子のページの多さには少しびっくりしましたが、内容が濃くいつもとても勉強になることばかりで、今回もとても勉強になりました。学生の中でも若者2人が喋った飛鳥寺と川原寺は2人の緊張が伝わってくるようで、聞いてるこちらも少し緊張してしまったり…〈笑〉上のお2人はお2人らしい雰囲気で話されていたので、ぶれないなぁと思って聞いていました。
何気なく歩くのではなく、第二の目を使って当時の情景を思い浮かべて飛鳥の地を歩く…とても重要なことだなと思いました。これから飛鳥を歩く時は第二の目、想像力を養いながら歩いてみたいと思います。とても楽しい定例会でした。ありがとうございました。
Aさん 

 
飛鳥寺西方遺跡にて
今から思い起こすと、第44回定例会は盛り沢山でした。それだけに下準備が大変だったであろうと、想像されます。
午前中は薫風そよぐ明日香風に汗を乾かし、昼からは万緑の初夏の陽射しを浴びて、顔から首筋まで、まだ熱っぽく感じられます。

豊浦寺跡では、集会場付近で体を少し捻って、特異な伽藍配置を想像し、飛鳥寺と同じ星組瓦が使われていることなど教わりました。「明日香川行き廻る岡の秋萩は」、甘樫丘であることも実感できました。
豊浦展望台では、飛鳥寺の寺域が、狭隘な民家の屋根が密集するところまであったと聞き、資料館のロビージオラマで確かめることもできました。犬養孝歌碑の志貴皇子の詠はどの詠も、音楽で言えば「モーツァルトの長調の調べ」と言った人がいました。

水落遺跡に至る広場の入り口には、広葉樹の柔らかな新緑が逆光に輝き、さながら今回の主役である学生たちの将来を祝福するようでした。

飛鳥資料館では、ゆっくりと時間を過ごすことができました。庭の緑陰の下、弁当を食べながら、須弥山石、道祖神石、亀石、猿石など眺めていました。法隆寺の木の文化と異なり、飛鳥は石の文化だと思いました。飛鳥京ジオラマは、時代に関係なく全ての建物が展示されていると教えられました。「このジオラマが家にあったら」と呟く声が聞こえてきましたが、精巧な官舎群辺りで30百万円もするそうで、それも叶いません。私はジオラマの中に竪穴住居を作り、ひそかに潜んで飛鳥宮の隅々を歩いてみたいと思いました。

散策はまだまだ続きましたが、レポートは終えなくてなりません。

京都では「引き算」をすることによって、歴史が見えてくると言われています。目に見える風景の中から、ビルを引き算し、車とアスファルト道路を消す。山、川、坂道、森は昔から、さして姿を変えることなく、そこにある。そうやって眺めてみれば、戦国時代や平安時代までタイムスリップできるそうです。

飛鳥は「心の目で見る」という言葉が印象に残りました。飛鳥では自分の心で見たものを、「足し算」をすることによって、歴史が見えてくるのでしょうか。

会うことができない飛鳥の人々と会い、聞くことができない彼らの言葉に耳を傾けることができるのは、「万葉集」があるからではないでしょうか。
Oさん 

 
弥勒石通過
飛鳥は、住んだこともないのに妙に懐かしくて、何度でも訪れたいと思う地です。日本人の原風景などと言われていますが、近県で祖母の作る茶粥を食べて育った私には、山の色、木々の色、土の色もごく自然に目に入ってくる風景です。三山とふたかみ山を目で探し、自分のいる場所を確認してほっとするのです。
 さて、その大好きな飛鳥で一日散策が行われるというので、喜んで出かけました。講演もよいのですが、私にはフィールドがいちばんです。いつもより疲れた感はありましたが、期待に応えてくれたすばらしい一日となりました。
 飛鳥素人ですが、準備をされた真摯な説明は聴く人に伝わります。宮跡、寺跡、施設跡、石敷き跡、瓦・・・。ここに建っていた、見たこともないような太く頑丈な柱を想像し、かつてこの地に暮らした人々に思いを馳せました。
 今回、なぜかいちばん印象に残っているのは、弥勒石の掘っ立て屋根の窮屈さかな。
Kさん 

 
飛鳥京苑池遺跡
第44回例会に参加させて頂き有り難うございました
奈良の転居して35年、飛鳥にも数十回足を運んでいますが、この兩槻会に参加する度に何がしかの新しい発見があります。
資料も充実しているので、帰宅後じっくり読み返して楽しんでおります。
例会開催には相当手間暇かけておられることと、拝察いたしますが、これからも、よろしくおねがいします。
Kさん 


出水の酒船石(模造・飛鳥資料館前庭)
鳥取県出身である僕には、飛鳥の探索はとても興味深い体験だった。そこで気になった点を挙げつつ、感想を書こうと思う。
まずは水落遺跡についてだ。水落遺跡の全体的な大きさと、自分の想像していた漏刻の大きさに僕は何となくギャップを感じた。飛鳥資料館で復元模型を見た事で、ある程度そのギャップは小さくなったものの、時刻を知らせる大切な役割のあつた建物がこんなにも小さなものだったのだろうかという考えが消える事は無かった。
次は、飛鳥寺跡の飛鳥大仏だ。寺のお坊さんの説明で飛鳥大仏は、見る方向によって表情が違って見えると教えていただいた。ただ、それは修復によるものか否かまでは教えてもらえなかつた。本来の製作者の意図する所か、修復するにあたって何らかの目的意識が働いた為にそうなったのかとても興味深い。
最後に気になったのは、飛鳥京苑池の酒船石だ。ただ水を流すだけなら、あんな形でなくても良いのにわざわざあの形にしたのは何故なのか?見て楽しむ為だけのものなのか、そういった加工が出来た技術を示したかったのか?僕には想像する事しかできないが、前者であれば良いと思う。酒船石に水が流れているのを見ながら、ゆっくり過ごせるだけの心の余裕があったら素敵だと思うからだ。
今回の実習は、日差しが強く歩いた距離もそれなりにあったので、運動不足の体には辛かつた。しかし学外実習の豊富さを魅力に感じ、帝塚山大学を受験した僕にとっては入学してよかったという思いを実感できたとても良い機会だった。これからも、自分の興味を持った学外実習に積極的に参加していこう。

Mさん(学生) 

 
飛鳥京跡 井戸跡にて
「飛鳥遺跡探訪を終えて」
私は、今回の遺跡探訪で飛鳥の魅力を再発見することができました。これまで飛鳥の遺跡探訪は、先生方の説明を聞きながら歩く、「体験型授業」でした。今回は大学院生と学部生が、資料作成から遺跡説明までを任されることになりました。資料作成では、難しい考古学用語は極力使わないようにし、初めて飛鳥を訪れる学生が理解できるように心がけました。
遺跡説明では、実際に訪れることでわかる遺跡の見どころを伝えるため、事前に下見を行いました。遺跡探訪当日、緊張もあり、話したいことの八割ほどしか話せませんでした。ですが、当日までの作業を通して、説明を担当した遺跡により興味を持つようになりました。 
飛鳥は田園風景が広がる綺麗な場所です。その地面の下には古代の遺跡、寺院跡がたくさん眠っています。これらのほとんどは埋まっていて実際に見ることはできませんが、その魅力を引き出すことは説明する人の技術で変わるものだと学びました。
Kさん(学生) 

 
飛鳥京跡 史跡整備公園にて
「宮都飛鳥」
5月17日土曜日、学外実習で宮都飛鳥の遺跡を散策しました。飛鳥寺や川原寺・飛鳥資料館など様々な場所を、先生のミニ講座や先輩方の分かりやすい解説・資料つきで見学し良い経験となりました。
私は今まで一度も飛鳥を訪れたことがなく教科書などでしか見たことがありませんでしたが、それを間近に生で見ることができ非常に感動しました。この学外実習で飛鳥への関心が深まったため個人的に興味深かった水落遺跡や今回見ることができなかった遺跡などに関してももっと学びたいと思いました。
次、飛鳥を訪れるときは「心の目で見る」ということを意識して自分のペースで一つ一つゆっくり見て回りたいと思います。
Wさん(学生) 

 
復元された建物跡
「飛鳥の地を歩いて」
「2つの目で見るだけでなく、心で見る飛鳥」
私はこの言葉が1番心に残りました。現在の明日香に当時のまま残っている建物などは、ごく少数です。しかし、この言葉を聞いてからは当時の姿を自分の中で蘇らせて見ることができたように思います。甘樫の丘から見た、この景色が1300年前はどんな景色だったのだろうか。聖徳太子が作ろうとした国とは果たしてどんなものだったのだろうか。また一つ、飛鳥のことを好きになった1日でした。
Sさん(学生) 

 
川原寺中門跡にて
「飛鳥での私」                                      
去年は説明を聞く側として参加しており、今年は説明をする側として遺跡探訪に参加しました。このことによって、去年目の前で説明されていた先輩方の大変さを、身を以て知ることになりました。
私の説明した場所は説明順序では最後の川原寺ということでも緊張するところでした。最初は参加者の人たちにしっかりと説明できるだろうかと心配でした。説明を終えた後、自分としては満足な説明ができたわけではなく、落ち込んでいたのですが、先輩や聴講生の方に「よかった」「勉強になった」と言ってもらえた時は感情を抑えきれず涙を流してしまいました。
大学に入って二年目にして、説明役のスタッフとして参加するとは自分でも驚きましたが、年上の多くの人の前で説明するという、普通の大学二回生ではできない貴重な体験をさせていただいたことに深く感謝しております。
Yさん(学生) 

 
川原寺僧坊跡にて
「院生さん、学部生さん、そしてY君に」
まずは、院生さん、学部生さん、本当にご苦労さまでした。
そして清水先生をはじめ帝塚山大学考古学研究所の皆さんご苦労様でした。
さらに、両槻会スタッフの方々も、いつもと違う定例会でしたが、お疲れさまでした。

院生さん、学部生さんには今回の企画、本当に大変だったと思います。
しかし、それにも屈せず、事細かく調べ上げ、それを一生懸命に披露して参加者の皆さんにひしひしと伝わったことが、側にいて感じられました。
自分の思いを人に伝えることは非常に難しいでしょう。しかし、皆さんの姿を見ていて、その全てを伝えようとすることよりも、思いを伝えようとする姿勢や意気込みが一番大事なのだとあらためて認識させていただきました。

また、こちら(大人)の気遣いの至らなかったことも痛感しました。
それは、学部生の中でも一番年少のY君の説明が、定例会の最後になってしまったことです。午前の散策、昼食後の丹羽先生のギャラリートーク、ジオラマを使っての清水先生の説明等がありましたが、Y君には、橿原神宮前駅を出発してから川原寺に到着するまでの間、頭の中はずっと「カワハラデラ」だけで、参加者の後ろの方で調べた資料を最後の最後まで確認していた姿が、非常に印象に残っています。
ただ、Y君だけではなく、他の院生さんや学部生さんも自身の説明ポイントが終了するまでは、Y君同様、口数や目つきが違いましたけどね。

各々の説明ポイントでは、院生さん、学部生さんの調べつくされた内容が説明されましたが、その伝え方にはそれぞれに個性があり、それがまた参加者の心をつかんだのではないでしょうか。
Y君の説明もその緊張感が伝わり、こちらも緊張感に包まれながら説明を聞いていたのですが、その説明が瓦に至った途端、一気に口調や雰囲気が変わり、Y君に余裕が見えたときはさすがに清水先生の生徒さんだなと感じました。

Y君が、川原寺に携わることになったのは何かの縁だと思います。これを追いかけてみるのも面白いかもしれませんよ。

ということで、来年の今頃は、Y君の後輩の説明を聞かせて頂き、またこんなレポートが書けることを期待しています。

サポートスタッフ よっぱさん 

 
弘福寺へ
「感謝」 
 今回、初めて両槻会と帝塚山大学考古学研究所が合同で飛鳥の遺跡探訪をおこないました。企画から当日にいたるまで色んな不安もありましたが、飛鳥を歩き終えた帝塚山大学生・大学院生たちの声を聞き、この企画を実施して本当に良かったと思いました。
初めて飛鳥を訪れた学生にとっては飛鳥の魅力を十分に感じる一日になったことでしょう。解説を担当した学生に飛鳥の遺跡を堪能する余裕はなかったでしょうが、飛鳥を深く学べる良い機会になったことと思います。そして、何よりも人の前で話をするということの難しさを十二分に感じたことでしょう。彼らの成長の大きな一歩となったことは間違いありません。
今回の企画の成功は両槻会スタッフや参加者の皆さまのご厚意なしにあり得ませんでした。心から感謝申し上げます。また、楽しいコラボ企画を考えましょう。
考古学研究所長 清水昭博先生 

 
解散式
まず、資料作りや当日の解説まで、頑張ってくれた学生さんたちに感謝します。ありがとう。そして、ご苦労様でした。
また、この企画の意図を理解した上で参加してくださった参加者の皆さん、皆さんの優しさに感謝申し上げます。にこにことほほ笑むような優しく暖かい視線が、若い学生さんに伝わり、勇気となって頑張りを引き出してくれたように私には感じられました。
そして、最後になりましたが、特別にご参加くださいました泉南市教委 岡一彦先生に、感謝申し上げます。m(__)m 名言を残してくださり、皆さんの記憶に深く刻まれたことと思います。

両槻会では、王道コースと呼ぶ何度も何度も歩いたコースでしたが、私はこんなに緊張して歩いたのは初めてでした。(笑) 絶対、自分で説明した方が楽と感じていましが、学生さんたちの頑張りと参加者の優しさは、いつしか私の緊張も溶いてくれました。今回の定例会のテーマは、本当は「優しさ」だったのかも知れないと思いました。

この企画を昨年から温めてくることが出来たのは、ひとえに清水先生の学生を育てたいと言う信念と情熱と飛鳥への愛のおかげです。両槻会事務局も、この企画を通して様々なことを学べたように思っています。学生さんのレポにあったように、来年は私が説明する側にという意欲を消したくないと思いますし、飛鳥に縁を持ってくれる若い方々が、もっと増えてくれるような企画を実施出来ればと思っています。

一言書き加えるなら、今回は飛鳥の魅力のほんの入口であることを、特に若い皆さんに知っていただければと思っています。飛鳥の魅力は、深いのです。そのことに気付いていただければと、これからも両槻会は若い皆さんと関わって行きたいと考えています。今後とも、よろしくお願い致します。

皆さんのおかげで、楽しい定例会になりました。本当にありがとうございました。
両槻会事務局長 風人 



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第44回定例会資料



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