両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪






 第41回定例会を前に

奈良文化財研究所 青木敬先生
(13.10.4発行 Vol.171に掲載)


 古代日本の宮都であった飛鳥、そこに膨大な時間と費用と人数を費やしてつくられた寺院や宮殿が点在することを、皆さんよくご存じかと思います。飛鳥は、7世紀の日本列島において、華やかなりし政治の中心地でした。
 ところが、現地へ行っても、そこには草むらか、あるいは土壇があるだけ。当時の壮麗な建物はまったく残っていません。遺跡が整備されていたとしても、土壇と礎石が並んでいるだけです。

 ある時、飛鳥・藤原地域は「○○跡」ばかりで、興味のない人には面白くないと書かれたガイドブックを見て、それこそイマジネーションを逞しくして、現地へ行きたくなるような文章を書くのがガイドブックの使命やないか!と一瞬思いかけました。しかし、「○○跡」を見るだけで当時をイメージするのは、たしかに簡単なことではないし、逆に魅力的なガイドブックにするため、調査成果などのコンテンツを分かりやすく提供することこそ、わたくしたち文化財にかかわる人間の使命ではないか?それも十分に果たしていないからこそ、「面白くない」とあまりにも正直に書かれてしまうのではないか、そう思い改めました。もの言わぬ考古資料から、いかに的確な情報を引き出し、伝えるか、われわれに課せられた重要な使命です。

 では、面白くない、すなわち「つまらない」モノをいかに「おもしろく」伝えるか。いや、つまらないのではなく、実はとてもおもしろいのですが、そこがうまく伝わっていない、あるいは伝えきれていないのかもしれません。

 今は、土に埋もれて見えないけれども、地下に関心の尽きることのない遺跡が数多く眠る、そこが飛鳥・藤原地域の醍醐味のひとつです。発掘調査では、1400年前が眼前に広がります。現在にいながら過去へタイムスリップできる発掘調査で得た知見をもっと活用できれば、ただの草むらや土壇からも古代人の声が聞こえてくるに違いない、よし、耳を傾けてみようではないか。こんな気概を抱いて古都奈良で発掘調査に従事し、はや7年。まだまだ乏しい調査経験ではありますが、それでも発掘調査を通じていくつもの発見がありました。

 そんな発見のひとつ、それは、寺院や宮殿の「ただの土壇」が、地形的な立地環境や、建主さんの置かれた立場や地位、建物の規模や格式などに応じてさまざまな技術的工夫を凝らした基壇ということに気づいたことでした。お恥ずかしながら、わたくしが奈良で発掘調査をはじめた頃、基壇は機械的に細かく土を積み重ねただけという程度の認識しかありませんでした。
 ところが、そう日を置かずして、こうした認識があまりに一面的だと、基壇そのものから教えられたのです。発掘調査現場で検出した基壇を、その都度観察して記録することを繰り返すうち、基壇には、建物の土台と一言で片付けてしまうにはあまりにも惜しい、古代人の知恵や技術力が凝縮されていることを知ったのです。それ以来、わたくしは、版築技術や基壇のつくりかたといった古代の土木技術の探求をライフワークとしています。

 考えてもみてください。1400年もの風雪を経て、いまだに建物の土台部分が残っているのです。堅固につくる高い技術力なしに残ることはありえません。思い返せば、大極殿の基壇が目に見えて残っていたからこそ、藤原宮や平城宮の位置を特定する大きな糸口となりました。それだけでなく、こうした基壇らしき高まりが手掛かりとなり、未知の寺院の発見に至ったケースもたくさんあるのです。基壇は、これまでも歴史を解くカギとして大きな役割を担ってきました。それなのに、基壇を見ても、ただの土壇として一顧だにしないのは、あまりにももったいないのです。

 そこで今回は、土器や瓦といった遺物や遺跡そのものではなく、普段注目されない寺院や宮殿の基壇(考古学では遺構と呼んでいます)をテーマとした話をしたいと思います。実は、基壇のつくり方を調べてみると、そこには驚くべき歴史が眠っているのです。それも海の向こうの朝鮮半島や中国大陸まで広がっていく壮大な歴史が。たかが基壇、されど基壇。普段気にも留めない草むらの下に、先人の知恵と大いなる歴史が隠されている、いつもとは違った角度から歴史をのぞいてみませんか?今回のわたくしの話が、飛鳥を愛してやまない皆さんの知的好奇心をいっそう呼び起こすきっかけになれば、これに勝る喜びはありません。




















 第18回定例会を終えて

奈良文化財研究所 都城発掘調査部 青木敬先生
(10.1.22発行 Vol.72に掲載)


 新年が明けてまだ1週間とちょっとという土曜日の午後、飛鳥資料館で話をさせていただきました。それもテーマは「石神遺跡」。「飛鳥の○○」みたいな、飛鳥各所を覗いてみるようなテーマでなく、ひとつの遺跡で話をするということでした。こういった話ですと、往々にして遺跡の紹介と、掘ったらこんなん出ました的な話になってしまいがちです。私としては、こうした単なる遺跡紹介に留めない内容にしてみようとの心づもりで臨もうと決めました。ただ、相手は石神遺跡。概要を把握するだけでも相当手間のかかる遺跡です。ただ、いったん理解できるとこれほど面白い遺跡もありません。ここをどう分かりやすく皆さんに伝えられるか・・・。自分自身も奈良へ来た最初は、石神遺跡のことがなかなか理解できず困ったことがあります。そんな経験を思い返しながら、平易になるよう努めました。

 会場は、いかにも飛鳥好きとお見受けできる皆さんが何人もおいでになっていました。さらに私と同業者であり、職場の先輩でもある方がいらっしゃるではありませんか!熱気も感じられるし、これはやりがいはあるけれどなかなか大変そうだぞ・・・。とはいっても、いまさら逃げるわけにもいかず、話さないといけませんから、四の五の考えずに、とにかく現段階で何が分かっていて、そこから何が言えるのかということ、モノを目の前にしてどのようにして理解すればいいのかということを心がけて話をはじめました。石神遺跡をとり上げる場合、時期区分と変遷をまずおさえます。これは、遺跡を理解するための物差しみたいなものです。難しい部分なのですが、ここが分からないと先へ進めないので、一番時間を費やして話したつもりです。

 とにかく、皆さん熱心です。私がドキドキしてしまう位、みんなこっちを見ています。ここは知ってもらいたいという部分に熱を込めて話すと、皆さん何かしらのリアクションが返ってきます。言葉を換えれば、それはこちらが話しやすくなる証みたいなものです。こうなれば、あとはとにかく真剣に話せばちゃんと伝わるなと感じ、自分なりに納得いくまでお話しさせていただきました。皆さんの雰囲気のよさが幸いして話しやすかったというのが率直な感想です。いろいろ各所で脱線し放題、まとまりのない話になってしまい、あのような話で皆さんに理解いただけたか不安ですが、何か感じ取っていただけたのならば、これに勝る喜びはありません。

 あっという間の3時間でした。正直言って、石神遺跡のことを紹介するには3時間位では全く足りません。石神遺跡の魅力の何%を皆さんにお伝えできたのか、内心忸怩たるところがあります。ここは勉強あるのみ、自分自身にさらなる精進を誓いたいと思います。夜の定例会?も楽しく過ごすことができました。皆さんが飛鳥の歴史に何を感じているのか、少し分かったような気がします。こうした皆さんとのコミュニケーションが何より大切なのだと実感しました。今回はこうしたよい機会を頂き、感謝しております。これからも石神遺跡に留まらず、飛鳥・藤原地区の遺跡を中心に、調査・研究の成果を皆さんにお伝えできればと思っております。ご理解とご協力をいただければ幸いです。
 最後に、両槻会の今後益々のご発展をお祈り申し上げます。





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