両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪





瓦からわかること
~長屋王と瓦~

橿原考古学研究所 岡田雅彦先生
(09.9.18.発行 Vol.62に掲載)


 瓦には様々な顔(文様)があります。瓦の顔はよく似たものが多いため、違いがわからないとよく言われることがあります。しかし、瓦の様々な表情を綿密に観察していくことで、他の遺物では明らかにしにくく、文献資料では記載されなかった歴史を、読み取ることができる場合があります。

 2004年3月、奈良県北葛城郡河合町で薬井・瀧ノ北遺跡の発掘がおこなわれました。調査の結果、この遺跡は瓦窯の灰原(灰や焼き損ねた瓦などを捨てた場所)の可能性が高いとされました。また、そこから出土した軒瓦は、奈良市にある旧そごう(現在イトーヨーカ堂)の下に存在した、長屋王の邸宅で使用されていた軒瓦と全く同じものでありました。つまり、長屋王の邸宅で使用された瓦の窯であったということになります。

 この長屋王の邸宅で使用されていた軒瓦の名前は、名称がつけられておりまして、研究者の間では『6272-6644』(前の数字が軒丸瓦でA・Bの2種類、後ろの数字が軒平瓦A・B・Cの3種類がある。わかりにくい名称ですが、慣れれば便利です。)と呼ばれています。この瓦にはある特徴があるようで、長屋王の邸宅以外での出土例を集めてみていくと、長屋王家に関係のある遺跡で出土する傾向があるとされています。

 1つ例をあげますと、桜井市にあります青木廃寺と呼ばれる、当時の名前がわかっていないお寺があります。この寺から出土した平安時代の軒瓦には、『壇越高階茂生』と書かれたものがあることから、高階氏が関わっていた寺であったと考えられています。この高階氏は、実は長屋王の父親である高市皇子の末裔であることが、文献資料からわかっています。長屋王の邸宅と同じ瓦が出土すること、高階氏が関わっていたお寺であることなどから、長屋王が父母の菩提をともらうために建立したのではないかという説があります。このような事例などから、『6272-6644』が出土する場所は、長屋王家と関わりがある場所であった可能性が高いと、考えられているわけです。

 では、先に述べました薬井・瀧ノ北遺跡と長屋王家は、どういった関係があったのでしょうか。それは、長屋王の邸宅から大量に出土した、長屋王家に関係のある木簡から明らかにされました。それには、片岡(地名)という場所に長屋王家の菜園があり、そこから長屋王家にハスやカブラなどを進上したと書かれています。つまりこの『片岡』という場所には、長屋王家の所領があったと考えられています。この『片岡』という地名が、薬井・瀧ノ北遺跡と関係してきます。

 薬井・瀧ノ北遺跡の西側の王寺町には『片岡王寺』という古代寺院があること、また南西の香芝市には尼寺廃寺という、『片岡尼寺』と考えられている寺院があること(これら以外にも片岡地名は多数あり。)など、薬井・瀧ノ北遺跡周辺には『片岡』という地名が多く、長屋王の邸宅から出土した木簡に書かれた、『片岡』と呼ばれる地域があったと想定されています。

 木簡に所領があると書かれていた地名『片岡』と、薬井・瀧ノ北遺跡周辺に残された地名『片岡』が一致することは、以前から考えられてきました。しかし、長屋王家に関係のある場所で出土する『6272-6644』が、薬井・瀧ノ北遺跡の調査で生産していたことが明らかになり、この地域に長屋王家の所領『片岡』があったことが確実に証明されたわけであります。

 最初にも述べましたが、顔がよく似ていて違いがわかりにくいといわれる瓦ですが、彼らの顔を丹念に見比べ、分布をみていき、そのつながりを考えることで、文献資料やその他の遺物ではわからなかった歴史が明らかになってくるわけです。











第22回定例会に向けて

橿原考古学研究所 岡田雅彦先生
(10.8.20.発行 Vol.87に掲載)


 第22回定例会でお話をさせていただきます岡田です。今までこの定例会でお話されてこられた方々は、その業界で有名な方々でありまして、私のような無名の者がお話をさせていただいていいのかと、かなり恐縮しておりますがよろしくお願いいたします。

 私は2001年に奈良大学に入学いたしまして、大学院を含めて6年間考古学の勉強をいたしました。そして、2007年4月より奈良県立橿原考古学研究所で奉職しております。高校3年生の春までは警察官になるつもりでした(なぜ私が考古学の道を歩むことになったかは、時間があれば講演内でお話させていただきます。)ので、考古学を勉強しようと考えてからちょうど現在で10年目になります。おそらくこれを読んでいただいているみなさんの方が私よりも歴史が好きな期間が長いかもしれません。専門については瓦ですが、大学3回生までは埴輪の研究をしたいと思っておりました。しかし、とあることがきっかけで瓦研究を志しました(これについても時間があれば講演内で)。

 私と両槻会さんとの出会いは、大和郡山市西田中瓦窯の瓦検討会をした際に、とある方(大学の先輩であり職場の先輩)に連れられた「Hさん」と「Mさん」に出会ってしまったのが始まりであります。それ以降、お二人にお会いするたびにずるずると巻き込まれ、去年の清水さんの講演(第16回定例会:講師 清水昭博先生 事務局)のときには事前探索の案内役をすることになり、いつの間にか定例会の講演にまで話が進んで行ってしまいました。お二人の人を巻き込む力には本当に脱帽です。

 定例会には去年の清水さんの時に1回しか参加しておりませんが、その時の印象は参加者のみなさんの熱心さにただただ驚いていました。歩くのは大変だから人は少ないだろうと思っていたのに、事前探索から多数参加され、疲れを知らずそのあとの長時間の講演にも素晴らしい集中力で参加されているのを目の当たりにして、とても驚いたのを覚えております。今回私がそれに応えないといけないと思うと、今からかなりのプレッシャーを感じております。

 一般的にあまりおこなわれていないことだと思いますが、私の要望で今回講演するにあたって、事前に瓦に関するアンケートを取らせていただきました(ご協力いただいた方々ありがとうございました。)。なぜ今回アンケートをとったのかというと、「瓦はわかりにくい」「文様が同じに見える」などという話や、風の噂で博物館が瓦のみの展示をおこなうと人が入らないという話を聞いたりしていました。そのため、いつもみなさんが瓦についてどれほど知っていて、どれほど興味を持っているのかが気になっていたわけであります。多数の方々が回答していただいたので良好なデータを手に入れることができました。この結果は当日利用させていただきたいと思っております。

 さて今回の講演は、「一般的にわかりにくいと言われている瓦を好きになろう」をコンセプトにしています。そこで『瓦を楽しく学んでみよう!-瓦の見方を教えます-』という題名になりました。本当はこの題名と違うものにしていたのですが、私を引きこんだお二人から「今回のコンセプトと違う。もっとわかりやすく楽しい題名にしてほしい」との要望があり変更することになりました(この経緯についてはお二人のブログを見ていただければわかります。)。この題名を見て楽しそうだと集まっていただいた方々ががっかりしないように頑張りたいと思います。

 講演内容ですが、瓦の基礎的な内容つまり「瓦にはどういった種類があるのか」「瓦とはどうやって作るのか」「文様はどのように見分けることができるのか」「瓦をみることでいったいどんなことがわかるのか」ということを中心に進めていく予定です。一番の目的として、この講演に来ていただいた方々が、のちに博物館等で瓦を見た時、いつの時代のどんな瓦であるのかということを他人に説明できるような内容にしていきたいと思っております。

 新人で力不足の私ですが、興味を持っていただいて来ていただける方がおられましたら、温かい目でよろしくお願いいたします。





 遊訪文庫TOPへ戻る  両槻会TOPへ戻る