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両槻会第21回定例会レポート


キトラと高松塚の壁画


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2010年 7月 31日  

  第21回定例会レポート
  主催講演会 「キトラと高松塚の壁画について」
  講師:奈良文化財研究所 飛鳥資料館学芸室長:加藤 真二先生

 

飛鳥資料館講堂にて

 2010年7月31日両槻会21回定例会は奈文研・展示企画室長・飛鳥資料館学芸室長 加藤真二先生をお招きして「キトラと高松塚の壁画」と題し古墳壁画に就いて飛鳥資料館にて講演をして頂きました。

 当日は雲こそあったものの夏日に変わりなく蒸し暑い中、総勢30名が集まりました。先ずは資料館に展示してある、キトラ古墳石室陶板復元の見学から始まりました。
 この複製陶板は大塚オーミ陶業(株)と言う所で複製をしてもらったそうですが、非常に費用が掛かったとの注意に、参加者は恐る恐る注意しながら見学することが出来ました(笑)複製は、古墳内部調査直ぐの写真を基本に作られ、実際に発掘にあたった調査員の方々のOKを得ており、本物と酷似したものとなっているとのお話でした。ただ残念なことに、朱雀と玄武は来年3月まで東京で展示されているとのこと、お目にかかることは出来ませんでした。



キトラ古墳復元陶板石室模型の前で説明を受ける

 部屋に戻りパワーポイントによる壁画の説明がなされました。「四神四兄弟」と称し、薬師寺金堂本尊台座に刻まれた四神、キトラ古墳の四神、高松塚古墳の四神、正倉院宝物の八卦十二支鏡裏面の四神の詳細な比較説明がなされました。先生の説明によると作られた時代は上の順で古いそうです。またこれら四神の原図は中国にその元を求めることが出来るそうです。

 また、朱雀も元来は鳳(オス)凰(メス)のように一対のものではなかったか、その鶏冠の部分にその違いを求めることが出来、キトラの朱雀に対応するものは薬師寺の台座に求めることが出来るそうです。白虎の向きがキトラと高松塚で異なるのはキトラの白虎、青龍は循環する気の流れを象徴しており、高松塚では魔除けを主眼に置いたものであろうとの説明がありました。

 双方の古墳壁画は天円地方の思想に基づき、石室を一つの世界・宇宙に見立てているそうです。そして壁画の差異は、704年に帰ってきた第8次遣唐使の実際に見聞きしてきたものを基本とする「高松塚古墳」と、聞き伝えによるものを基本とする「キトラ古墳」にあろうとの説明がありました。それ故、高松塚古墳が築造されたのは704年以降、キトラ古墳が築造されたのは704年以前であろうとのことです。



四神の幡を前にして講演をされる加藤先生

 また、中宮寺に残る「天寿国繍帳」に描かれる朱雀とキトラ古墳の朱雀との類似性が指摘され、「上宮聖徳法王帝説」に記される繍帳の製作者名がいずれも渡来系の人々であったことから、古墳壁画の製作者もこれら渡来系の人々であったであろうとされました。

 以上の比較検討から被葬者は高松塚は非常に高貴な人物、キトラ古墳はそれに次ぐ人物であろうとの説明でした。

 これらの説明の後、参加者からの活発な質疑があり、今回の定例会の第一幕を終えました。小休憩の後、今度は現在、資料館で特別展示されている「小さな石器の大きな物語」会場に移り先生から細石刃文化の説明がなされました。加藤先生のご専門はこちらだそうです。



2010年夏期企画展「小さな石器の大きな物語」ギャラリートーク

 旧石器時代後半の新石器時代に入る前の石器の分布や、それらが日本にもたらされたルート等の説明がありました。概して、石器は日本が未だ大陸続きであった時、北と南から流れ込んで来たそうです。北と南では北方のシベリア地方から樺太を伝って流入して来た「くさび型石器」と呼ばれる石器の方が、中国華北の地方から流入していた「ナイフ形石器」と呼ばれるものより優れたものであった為、「くさび型石器」が「ナイフ形石器」に取って代わって行ったそうです。
 また、二上山で採取されるサヌカイトが日本の石器材の中心となっていったことや、AT火山灰層(25000年前)から発掘される氷河期の石器など興味深い話をして頂きました。細石刃文化に進んだことで大型石器の持ち運びの必要がなくなり、更に土器が発明され縄文時代へ移行して行ったこと等、普段飛鳥時代にばかり関心を向けている参加者には新鮮な話となりました。日本の国で氷河期を過ごした私たちの遠い祖先への思いは感慨深いものがありました。
その内、飛鳥資料館で「日本人のルーツ」展などが出来るかも知れません(笑)

 暑い中、参加頂いた皆さん、石器までご説明くださった加藤先生、本当にどうもありがとうございました。

 追記:定例会後の懇親会で加藤先生に昨年末「島根県出雲の砂原遺跡で、12万年前の旧石器が出土したと報道されている。」ことに就いてお聞きしました。先生は現物を見てこられたそうで、「あの石器は12万年前と確定するには要素を欠いており断定できるものではない。」との厳しいご意見でした。

                                     レポート担当 TOM

資料編へつづく

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