両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第30回定例会レポート


両槻会主催講演会

仏教伝来の頃の飛鳥



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散策資料
2012年1月14日
レポート担当: サポートスタッフ・よっぱさん



 両槻会主催第30回定例会は、田辺征夫先生(奈良県立大学特任教授、前奈良文化財研究所長)をお迎えし、「仏教伝来の頃の飛鳥」と題して、平成24年1月14日(土)午後1時から、飛鳥資料館との初めての共催で講演会が開催されました。

 この講演会の開催に際し、田辺先生からは
「日本最古の本格的寺院とされる飛鳥寺よりも古い伝承をもつ寺が、飛鳥にはある。坂田寺もその一つ。これら初期の寺院の発掘調査成果を瞥見し、同時に40年近く前、最初の頃の坂田寺発掘調査に参加した経験などを交え、仏教伝来の頃の飛鳥と仏教を受容した当時の情勢をめぐる諸問題について考える。」
とのコメントを寄せられていたことから両槻会恒例の事前散策は、これまでにない「坂田寺跡」一遺跡のみの散策となりました。


坂田金剛寺址碑

 今回の資料館との共催は、開催直前になって決定され、事務局ではそれに伴う様々な問題が検討されました。その一つは参加費に関するもので、資料館への直接申込ならば入館料のみで聴講可能であったことに対し、両槻会からの参加には経費分担金が必要でした。しかし、事前散策時の事務局長の現地説明と事務局作成の両槻会ならではの詳細な資料に、その価値を求めたのは私だけではなく、多くの方が事前散策から参加されました。

 当日は、午前10時過ぎから続々とお馴染みの方々と初参加の方2名が近鉄飛鳥駅前に集合、受付を済ますと手渡された30ページにも及ぶ「事務局作成散策用資料」」とこの日のテーマに合わせて、大和の麒麟さんが両槻会発行のメールマガジン飛鳥遊訪マガジンに特別寄稿として書いて下さった「尼寺・坂田寺を考える」と題するタイムリーな特別寄稿を片手に、各々がバスに乗り込み出発、その資料を読み込みながら石舞台前に到着すると坂田寺跡への事前散策が開始されました。


坂田寺跡へ向かう参加者

「第廿七代継体天皇即位十六年壬寅。大唐漢人案部村主司馬達止。此年春二月入朝。即結草堂於大和國高市郡坂田原。安置本尊。歸依礼拝。擧世皆云。是大唐神之。」~扶桑略記欽明13年10月13日条~

 司馬達等が高市郡坂田原に営んだ草堂に由来するとされ、鞍作氏の氏寺として建立された「坂田寺」。寺跡へは玉藻橋から稲渕川沿いに南下、祝戸集落を抜けて到着しました。


 寺跡ではまず、事務局長から井戸・方形池・マラ石に関する説明や同所から出土した墨書土器などの遺物、北方に対面する山腹から発見された祭祀・信仰遺跡とマラ石とに関する考察などの説明を受けた後、西面回廊に沿うように残されている生活道路を抜け、伽藍を北東から南西に分断している県道を横切って公園化された寺跡に入り、その後、南面回廊・東面回廊・仏堂跡へと移動しながら、各回廊や仏堂・須弥壇・鎮壇具埋納土坑に関する説明と出土した鎮壇具などの説明を受けました。


南面回廊跡から東面回廊跡へ

 現地は道路や民家があるだけで、寺跡と言っても前述のように回廊や仏堂の一部が復元されて、公園として残されているのみで、ひとりでこの地に至ってもその伽藍など想像することもできない現状でした。


中心伽藍跡を分断する県道15号線(北東から)

 しかし、事務局長はいつものように、下見に下見を重ね、種々の参考文献を収集して事前散策に臨まれたようで、参加された方々は、その絶妙な語り口に聞き入り、事前散策資料と説明時に示された遺構や出土品の写真を凝視しながら、メモや写真撮影に忙しそうでした。

坂田寺跡遠望(西から)
クリックで拡大します。

 また、事前散策資料には、坂田寺跡の発掘調査遺構図に現在の民家や道路も重ねて作成された概略図も掲載されていて、それを参照しながらの事務局長の説明で、その方位の振れ具合や伽藍の全体像・規模を想像することができました。(遺構概略図と坂田寺跡現況写真の対比は、こちら


 その後、参加者は夢市茶屋の飛鳥鍋で体を温めた後、飛鳥資料館までバスで移動、資料館に展示されている坂田寺跡からの出土遺物である素弁蓮華文軒丸瓦、手彫忍冬文軒平瓦、心葉形水晶玉などの鎮壇具をしっかりと目に焼き付けて、講演会に望みました。

 午後1時、飛鳥資料館講堂には30数名が集い、事務局長からのあいさつの後、「水神 様(ためし)」の異名をとるN先生の司会で講演会が開催されました。


 田辺先生は、この講演では「仏教伝来のこと」「坂田寺を掘る」「飛鳥の代表的な初期寺院」「飛鳥寺と倭京」の各項目に沿って説明してくださいました。

「坂田寺を掘る」では、
 ・ 第一次の発掘調査成果
 ・ これを受けて責任者として行われた第二次の発掘調査の意義と成果
 ・ 坂田寺創建瓦発見時の経緯や寺域を握る鍵と言われていたマラ石の下層発掘に関するエピソード
 ・ 後任の方に引き継がれたこの地のその後の発掘調査結果と今後の発掘調査の方向性
 ・ 出土した瓦と飛鳥寺創建瓦との比較と日本書紀の記述による創建年代
について説明して下さいました。

 また、「飛鳥寺と倭京」では、
 ・ 「京」に関する当時の認識
 ・ 寺の正方位と方格地割や都市計画との関係
 ・ 飛鳥での都市計画の有無と正方位に立てられた飛鳥寺造営の意義に
ついても言及されました。

 更に、この講演中、先生はご自分で用意されたレジュメだけではなく、終始、事務局作成資料を非常に引用されていましたが、講演会前に先生に資料をお渡しした事務局長によると「両槻会がこんな資料を作ってくるとは思われていなかったようで、資料を褒めていただき、この会を驚きを持って受け止めていただいたようだ。」と興奮冷めやらぬ状態でした。

 講演会の最後に先生からは、「蛇足」と言われながらも両槻会の参加者に対して、現在進められている飛鳥の世界遺産登録に向け、「いかに飛鳥の特色と価値をどのように伝えるかをみんなで考え、意見を出して欲しい。」との宿題をいただきました。

 田辺先生がおっしゃった「日本国家形成の中核としての飛鳥の証拠が、すべて地下にあること」に一種「飛鳥の良さ」を感じ、「埋もれた飛鳥を訪ねること」を活動趣旨の一つとしている「両槻会」への参加者である私は、これまでそのような発掘調査地を訪れて「地上にある遺跡を背に、田畑を指さし埋もれた遺跡の説明を受けることも飛鳥の楽しみ方の一つではないか」と考えていました。しかし、先生から投げかけられた「飛鳥の世界遺産登録に関し、いかにその特色と価値を伝えるか」を考えたとき、現在の飛鳥に趣を感じ、今後も飛鳥に足を運んでこの地を楽しもうと考えている者としては、定例会のつどお邪魔している「飛鳥の地」で生活されている方々、発掘・行政・観光や遺産登録などの分野で「飛鳥」に関わっておられる方々の意見にも耳を傾け、将来の飛鳥のあり方、飛鳥への接し方について考えるとともに、今の飛鳥が好きな者として何ができるのか、何をすべきなのかを考えさせられました。


 講演会終了後は、いつものように両槻会の親睦会に移行しましたが、今回は飛鳥資料館からの申込みで参加された方や「水神様」先生も最後まで参加され、あらためて両槻会の活動趣旨やこれまでの活動内容、今後の活動予定について事務局長から説明があり、初参加の方々や資料館申込で参加された方々から両槻会への感想をいただいて、第30回定例会は無事終了いたしました。

 お忙しい中、今回の講演を快く引き受けてくださった田辺先生とその準備に奔走してくださった飛鳥資料館の方々のご苦労に感謝するとともに、飛鳥好きの一人として「今後の飛鳥」が誰にとってもより良きものになっていくことを願って本レポートを終わらせていただきます。ありがとうございました。

レポート担当: サポートスタッフ・よっぱさん

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