両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



ひとり井戸端会議


明日香しぐれさん
明日香 紅藍



まかり出でましたるは・・
明日香の年の瀬
春のさつなさ
みよチャン
向原寺のほとけさま
大晦日の雪
たちばな
もうひとつの飛び石
明日香の浪漫と草鞋の威力
10 橘寺の精進料理
11 電柱の地中化
12 岡ゑびす
13 明日香の桜



【1】  (09.10.30.発行 Vol.65に掲載)

 まかり出でましたるは、明日香の辺りに住まい致す、しぐれと申す者でございます。

 こんにった、両槻会めるまが編集者なる人より、ものを書けとの命をうけ、何か書かばやと存じ候らへども、居並ぶそうそうたる研究者、専門家も舌を巻く超マニア常連さんの中に入り、しぐれ如きが記すべきもののあろうはずもなしと、悩ましきところ、件の編集人氏の曰うに、
 両槻会のメルマガは、どんどんレベルが高くなって、もっと普通の人も読めるような、記事も載せたいの…。

おお、さもあらん。
「レベル高過ぎじゃ」と、思うていたわたくしは、丁と膝を打ちました。

『我が堂に入る者、蘇我太郎にしくは無し』
『レベル下げるに、明日香しぐれにしくは無し』

 それじゃぁ、なんか書かせてもらいますぅ~。
 ということで、僭越ながら、リアルな明日香村の日々のよしなしごとを、そこはかとなく書きつけちゃおうかと存知ます。名付けて、ひとり井戸端会議。
 才高きメルマガ読者諸氏のご不興は、重々存知候らえども、かくのごとき次第なれば、何卒ご辛抱お付き合い頂きますよう、お願い申し上げまする。

 そもそも、かく申すしぐれは、江戸前で採れた者でございますが、奈良にはおよそ30年ほど前にやって参りました。予てよりの念願叶い、明日香村に住まい致して、ようよう5年が経つのでございます。

 さて、巷では、京都で「この前の戦」といえば、応仁の乱のことと申しますが、わたくしは、明日香で「あの戦」と言えば、壬申の乱のことだと思うのでございます。時の流れが、些か他所とは異なるようでございます。

 過日、某おばぁちゃまが、
   ●●さんは、明日香の人やないんやで。
   あそこの家は、あんた等と同じで、最近よそからから来はってん。と、こっそり教えてくれたのでございます。そこで、しぐれは考えました。「最近」と言えば、この数年と思うのが常なれど、何せ壬申の乱の明日香村のこと、そうそう甘くはないに違いない…

   しぐれ  えーと、最近って、50年くらい前のこと?
   媼 A  ちゃうちゃう、もっとや、200年くらい前かいな!
   しぐれ  ………。

 また別の日、別のおばぁちゃまが夏みかんを下さいました。

   媼 B  うちの蜜柑、ほっといても毎年なるねん。
        ちょっと古い木やけど、甘くて、ようなるねん。
   しぐれ  あっ、嬉しいな♪ うれしいな♪ 
        どれくらい古い木~?
   媼 B  300年。
   しぐれ  …と、ときじくの木の実か……

 京都の桂離宮を見学致しました折り、その見事な襖絵や意匠のすばらしさに、思わず

   まぁ、新しいものは、モダンできれいねぇ~~
 と褒めたつもりが、案内のおじさんに睨まれてしまった、涙目のしぐれは、既に明日香村民の資格十分と、胸を張った次第でございます。

 そりゃ、明日香から見れば、京都はキャピキャピにモダンできれいねぇ~~~。



【2】 (09.12.25.発行 Vol.69に掲載)

 蝋梅のつぼみが膨らんで参りました。師走でございますねぇ。明日香村では、暮れになりますと、村のお坊様方が托鉢に各家々をまわられます。毎年恒例でございます。いかにも日本らしい、懐かしい風習かと存じます。あらかじめ回覧板で、大字ごとにその日時が知らされ、村のみなさまは、いつ何時ぼんさんがおいでになっても良いように、お布施をぬかりなくご用意なさるのでございます。

 ところが、そこはそれ、まだ新米村民の私は、うかつにもそのことをすっかり忘れてしまうのでございます。で、本年も、玄関先で突如
 
   チリーン♪ チリーン♪♪
   南無南無南無ぅ~~……なんたらかんたらぁ~

 と、始まったではございませんか!しかも、お一人ではございません。ぼんさんが束になっておいででございます。“ざ・ぼんさんず”でございます。

  うわぁ~~~  でたぁ~~~   

 と、慌てふためく、しぐれでございます。

   お財布はどこ?
   金封はどこ?
   ぼんさんはどこ?
   ねこはどこ?

このようなときに限って、お財布も袋も見つかりませぬ。居留守も出来ませぬ、死んだふりも、もはや無理でございます。そして、ようやく見つけたお財布には、あろうことか、ほどよい加減のお札がございません。当初の心づもりより、大きなお札が一枚しかございませんっ。

   なんとしょう、 なんとしょう

と、うろたえております間に、ぼんさんの南無南無が終わりそうになりそうななさそうな…ますます、うろたえた私は、

   えいっやぁっ

と、唯一みつけたお札を、その場にあった可愛いピンクの封筒に入れて、玄関へ飛び出しました。
 
   ありがとうございます。なむなむ

と、神妙な表情に取り繕い、ぼんさんに向かって手を合わせたのでございます。お布施を受け取られますと、ぼんさんはすぐお隣へと回って行かれました。

一瞬の出来事でございます。なにやら、不意打ちに遭って、今年も私が負けたような…昨年も同様であったような…封筒がはずかしかったかナ…お布施を弾みすぎたかナ…

いえいえ、そのような小さな醜い心ではいけません。今年一年の罪悪を、“ざ・ぼんさんず”が払って下さったのでございます。ありがたい、ありがたい。と、のんのんさんを拝む、明日香村の年の瀬でございます。(来年はまけないゾ)



【3】 「春のせつなさ」 (10.3.16.発行 Vol.78に掲載)

春でございます。
板蓋宮のたんぽぽも、稲淵棚田の菜の花も、ぽかぽかと光を浴びて嬉しげでございます。
天香具山も、3月はじめからもそもそと動き出し、4月なかばともなれば、もうにこにこと笑っておりまする。
岡寺境内では鴬の声も辺りの山にこだまして、いちだんと風雅でございます。

さて、とはいえ、春は切ないものでございますね。

  うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 情悲しも 独しおもへば

ふむふむ、なるほど、異議無し。
でも…、恋をしているわけでもないし、お友達もたくさんいるのに、切ないのはなぜでごさいましょうねぇ。
ぼんやりと甘樫丘が霞にけむるような夕暮れは、なおさらでございます。
橙色の光の中に、れんげやつくしや若草がゆれているのに…
ほのかにときめくような昔の思い出が、記憶の底から浮かんでくるような、消え果てるような…
夢のような、うつつのような…
やはり、明日香の春の夕暮れは、いささか切ないのでございます。
と、草だんごをほおばりながら、文学少女のごとく物思いにふけっておりますと、

 「切ないのは、秋の夕暮れときまっとんじゃぁ~ べらぼうめ!」

と、浪速育ちの夫・カキしゃんが無粋にも叫ぶではございませんか。

 「だめでしょ!妙な東京弁はやめておくんなはれぇ~。ほんでみぃ、春こそ、せつのうおまっせぇ~」
と、へんな大和弁で応戦する江戸前しぐれ。

しばし、「秋じゃ!」「春じゃぁ~」「てやんでぇ!」「ちゃいまっせぇ~」「おとといきやぁがれ!」「ひっしのパッチぃ~」…と、もめている間に、長閑な春の陽も西に傾き、橘寺の辺りでは、ねぐらへ帰る烏が、カァ~カァ~~。島ノ庄では、お腹を空かせたねこが、にゃぁ~にゃぁ~~。

はたして飛鳥人は、どのように感じていたのでございましょうか。
日本人には、「文学的切ない記憶] DNAでもあるのでございましょうか?
いつかみなさまご一緒に「明日香村、切ないスポット」をピックアップしましょうネ♪♪



【4】 「みよチャン」          (10.6.11.発行 Vol.82に掲載)

みずみずしい季節となりました。
早苗を植え終えたばかりの田んぼに、神奈備の山が映る様は、
日本に生まれてよかったぁ~
梅雨があってよかったぁ~~
と、思わずには居れませぬ。

明日香村に住まうようになってから、
梅雨の季節が、たいそう好ましく感じられるのでございます。
別段、ナメクジに共感はいたしませぬが、
辺り一帯が水田となり、草花もみずみずしく、
ホトトギスも暗いうちから、佳い声で鳴いております。
卯の花も咲いております。
蛍も飛び交います。
瑞穂の国にとりまして、梅雨は素晴らしい季節でございます。

さて、この時期になりますと、生き物も楽しそうでございます。
裏の物干しの辺りには、アオガエルの青田さんが
今年も元気でケロケロと叫んでおります。
茶色でちょっと大きいのは、茶谷さん。
ヤモリの守屋さんも、ヘビの長井さんもいずくにか潜んでおりますが、
出来る限り、長井さんには遭遇したくはございませぬ。

で、我が家のお台所には、ときおり大きな蜘蛛が現れるのでございますが、あまり嬉しくはないので、「蜘蛛」と言葉にするさえ疎ましいので、ある時から、「みよチャン」と呼ぶことに致したのでございます。
するとまぁ、あら不思議、おそろしさが、半減したではございませぬか。
何故ならば、きゃつは「蜘蛛」ではなくて、「みよチャン」だからでございます。
これは、ことだまというものの効果でございましょうか。
なにやら、親しみさえ沸くような気がしないでもないような… ドウカナ?
嘘ではございませぬ。 みなさまも是非、お試しあれ。
イヤ~なオジサンに、密かに「ベティちゃん」と名付けてみるなどと。
もしかして、もしかして、可愛くなるかも~~~でございます。



【5】 「向原寺のほとけさま」 (10.10.1.発行 Vol.90に掲載)
         
おめでたいことがございました♪

両槻会の皆様もよ~くご存じの、明日香村は豊浦の向原寺さん。
なんと、36年ぶりに観音様がお戻りになりました。
36年と申しますと、干支が3周り致します。
あと二回りで、還暦でございますぞ。
花も恥じらう18歳の美少女が、ひとにらみで気の弱いヤクザも媚びる、鉄腕おばさんになってしまう年月でございますぞ。
こわいですぞ。
この愛らしい向原寺のほとけさまは、36年前に人さらいにさらわれたのでございます。
イヤ、人さらいではない、仏さらい…
なお悪いではございませぬかっ!!
その盗っ人は、悪いヤツでございます。
仏罰があたり、今頃はとんでもない目に遭っていることでございましょう。
お腹を壊して、陀羅尼助を飲んでも治らない、虫歯が痛くてげんこつあられが食べられない、夜ごとにほとけさまが夢枕に立ってぶつぶついうので睡眠不足だ、禿げ散らかして実年齢よりずうっと老けて見える、笑顔が破壊的に不気味だetc、なんてことになっておりましょう。
それ見たことか、いいきみでございます。
で、このおめでたい出来事を新聞記事で読んだわたくしは、喜び勇んで寿印の一升瓶をぶら下げ、御祝いにはせ参じました。

   よくぞ、ご無事で戻られました~~

と、不覚にもうるうるしたのでございます。

ご本堂の中央におわしましたのは、実に可憐なほとけさまで、どうやら観音様であろうとのこと。定かではございませぬが、お顔から上は白鳳時代のお作とかや。

   うん、うん、おおらか、おおらか

岡寺さんの磚に彫られている天女によく似た、微笑むようなお顔立ちでございます。
江戸時代に修復されたというお体も損傷されることなく、レースのように繊細な光背もみごとな、まことにまことにうつくしいほとけさまでございます。
額の上の化仏は線彫りで、これはあまり見かけぬ珍しいつくりと承りました。
不思議なご縁で戻られたそうでございますが、詳しい物語りはご住職にお尋ね下さいませ。
ほとけさまに対する36年分の思いが溢れんばかりに、お話しをして下さることでございましょう。



【6】 「大晦日の雪」          (11.1.7.発行 Vol.98に掲載)
 
あけましておめでとうございます。
本年も、何卒よろしくお願い申します。
たいそう寒い、大つごもりでございましたなぁ。
明日香は辺り一面、白銀に飾られたのでございます。

毅然としたわたくしの指令を受けた従順な夫は、毛糸の帽子を深々とかぶりころんころんに分厚いコートを着込んで、雪の降りしきる中、石舞台の写真を撮りに参りましたが、さすがに大雪の大晦日では石舞台もお人はまばらでございました。
大晦日の石舞台

わたくしは勿論、自動車の中で威厳をただしアメを舐めながら、奮闘する夫を暖かく見守っておりました。

大晦日の川原寺跡
大晦日の橘寺

さて、住まいおります明日香村岡では、31日の晩には、氏神様の治田神社へお詣りいたします。

わたくしどもも、真夜中少し前に治田さんへ参ります。
小さいながらも立派なお社の前では、大きな焚き火がたかれ、お酒やらおつまみも用意されております。

そこで、取り敢えずの初詣。
先着何名かには、お伊勢さんのお札もお授け下さいます。

そして、岡の老若男女が入れ替わり立ち替わり焚き火の周りで、わいわいと機嫌良く、よしなしごとを語るのでございます。
製材所を営むTさんが、材木を提供してくださいますので、まことに立派な焚き火でございます。

   あったか~い♪
   あんまり近寄ると、こげるよ!

で、そのあと、我が家では岡寺さんへお詣り。
こちらでは、年が明けますと、新年のご祈祷が始まります。
護摩を焚いて太鼓を打ち鳴らすぼんさんずのご祈祷は、道鏡もかくの如きかと思われるほど、なにやらかっこいいのでございます。

そして、毎年のことではございますが、ご祈祷をお願いする際に記入致しますおのれの満年齢に、びっくりするのでございます。
分かっていることではございますが、まいどまいどびっくりするのでございます。

   うそじゃろぅ!!

と叫んでみても、事実でございます。宇宙の理でございます。

ご祈祷の後は、おみくじを引いたり、厄除けのおぜんざいを頂いたりして、ひと遊びしてから猫の待つ家へ戻ります。

   さむかったね~~
   みんな、いい人ねぇ~~
   食べ過ぎちゃったわね~~
   おもしろかったねぇ~

などと各々好き勝手なことを言いながら、ぬくぬくとお布団に入るのでございます。
そういうわけで、今年もまた懲りずにびっくりした元旦のしぐれでございました。



【7】「たちばな」          (11.4.29.発行 Vol.106に掲載)

まもなく五月ともうしますのに、朝夕はいささか寒うございます。
かの東北は、いっそう寒うございましょうね。
お察し申し上げます。

さて、五月ともなりますと、明日香村は芳しい香りで満たされます。
さよう、花橘の香りでございます。
もちろん、橘よりフツーのお蜜柑の方が多いのでございますが、いずれにいたしましても、いい香りでございますねぇ。
むかしは、もっともっと蜜柑山が多かったと、農家の方がお話し下さいました。

毎年五月三日には、橘寺さんで「橘祭」が行われます。
これは、はるかむかし、「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」=橘をもたらしたという、田道間守さんご供養の法要でございます。
法要の後に、参詣者には、奉納されたお蜜柑のお振る舞いもございます。
それに加えて、ことしは郡山の老舗和菓子屋・菊屋さんが名菓を奉納され、境内では菊屋さんの御菓子も特別に販売されるそうでございます。 

 おもしろそう~~♪ おいしそう~~♪

ことしは、大震災の影響で、参詣の方が少ないやも知れませぬゆえ、両槻会の皆様も大いにご参拝下さいますよう、明日香村民としてお願い申しあげます。

ところで、飛鳥時代の上流貴族の間では、この不老長寿のシンボルである橘の木を植えることがたいそう流行ったとのことでございますが、その話は、いったい何処に記されているのでございましょう?
かねてより「何処じゃ何処じゃ? 根拠は何じゃ? 記紀には見当たらぬぞ?」と思っておりましたが、本日、めでたく判明いたしたのでございます。

万葉文化館の、中西進先生にうかがいましたところ、

 「あ、万葉集ですよ」とのこと。
 「えっ、なんで、どうして? どこどこ?」なんぞと取り乱し暴れるわたくしに、
 「万葉集に歌われている庭の風景で、貴族の階級が分かります。」と、やさしく諭される大先生。

先生 「梅や橘が植えられているのは上級貴族。薄や萩ばかり歌われているのは下級貴族です。」

  しぐれ「では、では、ぺんぺん草のしぐれの家は…」
  先生 「お気の毒に…」
  しぐれ「せっ、せんせぇぇ~~~」

というわけで、長年の疑問が晴れました。
というよりも、「こら、自分でしっかり調べんかい!!!」と、両槻会のお友達からはしかられそう…
本日も、ごめんなさいの、しぐれでございました。



【8】「もうひとつの飛び石」          (11.7.8.発行 Vol.112に掲載)

お暑うございます。

私が住まいいたします明日香村岡と、お隣の島庄の間には、垣内を分かつ小川が流れておりまする。
唯称寺川と申します。
飛鳥川の支流でございます。
この川は、しぐれの埴生の宿の床下を流れてゆくのでございますが、ほんの少し先の、木立がこんもりと茂った辺りは、なんと、深い渓谷になっているのでございます。
かなり立派な谷で、初めて見る方は、

    あれまぁ、こんなところにぃ~~!!!!

と、びっくりするような渓谷でございます。

で、今般 ジモティならではのレアな情報を入手いたしました。
あっ、ジモティって「地元民」ね(はぁと)

その渓谷沿いに、細い道がございます。
今頃は夏草が生い茂り、いかにも悪い虫やら山賊やらが出てきそうで、そこを通るには、些かの勇気を必要とするような小路でございます。
しかも、通常はだれひとり、通る必要のまったくない小路でございます。
お猿の篭屋さえ、とおりますまい。

ところが、ご近所のおばちゃんの言うことにゃ、
  「あそこな、小学校のときは、飛び石を渡って通ってたでぇ~」
な、な、なんと! 飛び石ですとぉ?
  「橘から島庄の学校まで、毎日飛び石を渡ってたでぇ~」

 さて、お立ち会い、

それは、今から70年ほど前のことじゃ。
小学校の校門は、今の石舞台・夢市の信号辺りにあったのじゃ。
裏門は、駐車場の西側の今でも門の名残のある、あそこじゃった。
橘から通うには、神奈備山の麓を回って、橋をわたり裏門から入るみちと、飛鳥川まで下りて、飛び石を渡って正門から入るみちと、ふたとおりあったのじゃ。
むかしの橋は、板を二枚渡しただけの、2尺足らずの幅しかないもので、小学3年生くらいの小さな子供には、とてもこわい橋じゃ。
男の子がおもしろがってゆらすと、泣きながら橋板にかじりついたもんじゃった。
飛び石の方は、またちょうど川の中程に、間の空いているところがあって、これも、足の短いこどもが飛ぶには、とても危なくこわいものじゃった。どちらを通るか、帰りはみんなで、
  「【飛びこえ】帰~えろ♪」
なんぞと言ったものじゃ。
「飛び石」とは言わへんかった、「飛びこえ」と言うたものじゃ。

さらに、おばちゃんが言うことにゃ
  「飛び石いうたら、ここの飛び石やろ。これが有名やろ!」  
とのこと。
彼女にとっては、稲淵の飛び石は、
  「そんなんも、あるなぁ」
と言う程度。  

夏草に埋もれた、幻の飛び石出現。
明日香の飛び石は、渓谷の如く深~いのでございます。


より大きな地図で 飛び石 を表示



【9】「明日香の浪漫と草鞋の威力」        (11.10.14.発行 Vol.117に掲載)

金木犀が良い香りでございます。
秋でございますね。

先日、某小山へ登って参りました。
ここは、地元では

  額田王のお墓がありまっせ~

と言い伝えられているところでございます。

私有地のお山ですので、傍若無人に侵入するのはまことに失礼かとまずお断りをしてから登ったのでございます。
1人ではいささか心許ないので、用心棒に夫のカキを伴っての探検でありました。
ほんの3分ほどでたどり着ける場所なので、

  らくしょう、らくしょ-♪

とサンダル履きで行ったのがまずかった。
はなはだしく恐ろしい思いを致しました。


まず、道がない!
つかまるものは、多少あります。竹とか、蔓とか…
でもでも、サンダルがすべってころりん、もうたいへん。

  あっ こっちは崖だ!!
  木のとげが痛いぞ!!
  危ないっ!
  間違えたかナ?
  戻れもどれ!

などとワァーワァー騒ぎながらようやくたどり着きました、額田王の歌碑。

 古へに 恋ふらん鳥は ほととぎす
 けだしや鳴きし わが念へるごと

はたちほどの弓削皇子の歌に答えた、60歳あまりの額田王の作でございます。

  いいなぁ いいなぁ 素敵だなぁ
  浪漫があるなぁ~
  本当はだれを思い浮かべていたのかなぁ~~

などと歌碑にかじりついて喜ぶことしばし。


さて、サンダルしぐれには、帰りの下りが更におそろしゅうございました。
滑りまくりでございます。
もはや額田王どころではございません。
浪漫もどこかへ消え失せました。

  ほんのちょっとのところなのにぃ~

もう、泣きそう… っていうか既に半泣き。

そのとき、りりしいカキの声!

  よし、オレが支える、
  心おきなく落ちてこいっ!!

ワタシ、落ちるのイヤなんですけど~~

  大丈夫だっ!

でも、でも… どうしよう、サンダルが…

  サンダルはだめだ。草鞋を履け!

わらじなど、どこにあるっ!

とか言っている内に、ズルッと滑ってお尻がどろんこ。
すかさずさっと、よけるカキ。

 あのね~、あのね~
 さっきなんて言った?
 だれかが「支える」とか言ってた?
 気のせい?

  うん、気のせい
  うん、気のせいだ♪

明日香の浪漫と草鞋の威力をあらためて認識した次第でございます



【10】「橘寺の精進料理」          (11.10.28.発行 Vol.118に掲載)

村長選も終わり、村にはようやく落ち着きが戻りました。
都市型の選挙しか存じませぬ私には、大変興味深い2週間でございました(笑)。

  いなかの村長選って、こういうものなんだ~♪

けれども、じつは日本のほとんどの地域が、かくのごとき田舎ぶりの選挙をしているのございましょうねぇ。
地域密着というか、村がまっぷたつというか、チロリン村というか…
みんな、みんな、一所懸命でいいひとなんですよねぇ~~ うん。
そういうわけで、たいそう興味深いものでございました。うんうん。
お疲れさまでございました。

さて、選挙のお話しは、おしまい。
食欲の秋じゃもの!!!
本題は、美味しいもののお話しでございます。
過日、十数人のお友達をご案内して、お食事をいたしました。
ちょっとめずらしいところがイイナ
という、東海、北陸地方の知人のご要望を鑑み、

  では、橘寺の精進料理。

と、コーディネーターのしぐれは張り切りました。

橘寺さんでは、10人以上が集まれば、お昼食を頂くことが出来るのでございます。
ワイワイ、ガヤガヤと、おじさん、おばさん、おばあちゃまが咲き誇る境内の酔芙蓉をかきわけて、

  あら、芙蓉がきれいねぇ
  景色がいいわねぇ。

などと言いながら、いそいそと
本坊にお行儀よくお座りいたしました。

ご住職の姉上からお料理の解説を伺いながら、

  いただきまぁ~す。

で、これが美味しいのでございます。
お寺さんの精進料理と申しますと、たいがいはご想像のとおりで、まぁ、はっきり申して、どこも、たいしたことないのでございます。

  精進料理?
  あんな、鳥のエサみたいなもんは、わしゃいらん!

などと、叫ぶおじちゃまさえ居られます。
ところが、橘寺さんのお料理は、ちと塩梅が違います。
独創的で、心のこもった品々でございます。
舌の肥えた口うるさいおねぇさま方が、みなさま、
 
  良いお味ねぇ~~~。
  ちょっと、他とちがうわねぇ。
  アラまぁ~ これは鱧みたい。 すごい!! 

でしょう? でしょう?
しぐれは内心、
よっしゃぁ、やったぜぃ!!
と、有頂天。
もったいないお化けが出て、お料理は全て平らげてしまいましたので、帰路は、太った皇帝ペンギンのようにポンポコリンになってしまいました。
お陰様で、明日香の印象も更に向上いたしたようでございます。

両槻会でも、お食事会など催しても宜しいかも知れませぬなぁ。
「明日香研究─寺院における伝統的食文化の変遷」とかなんとか言っちゃってネ♪



【11】「電柱の地中化」          (12.1.6.発行 Vol.124に掲載)

あけましておめでとうございます。
ことしは雪も降らず、穏やかなお正月でございました。
皆さまはいかがお過ごしでございましたでしょうか。

さて、明日香村岡の垣内は範囲が広く、隣組もいっぱいございます。
それぞれの隣組には、番号なんぞという無粋なものはついておりませぬ。
ぜんぶお名前がついております。
メインストリート辺りが「本町」、本町にある鳥居から岡寺さんまでが「やんたに」、岡恵比寿さんから向こうが「北町」などなど・・・。

で、昨年暮れから、本町の電柱を地中化する工事が始まりました。
寒風にめげず、おじさんやおにーさんやおねーさんが、一所懸命に工事のお仕事をしてくれているのでございます。
有り難いことと存じます。
震災以来、東電を始めとして電力会社には風当たりが強いのでございます。

  ずるい、無責任、ぼったくり、卑怯、上から目線・・・・・

しかしながら、先端でお仕事をしてくれているのは、
おそらく、派遣やパートのおじさんやおにーさんやおねーさんでございます。
真面目に、汗をながして、汚れながらお仕事をしてくれております。
なにやら、しぐれは

  寒いのに、ありがとネ ありがとネ

と感動しているのでございます。
なにしろ、景観疎外物である、明日香村メインストリートの電信柱を
地中化してくれるのでございますから。
嬉しいことではございませぬかっ。
どの様な景観になるか、楽しみではございませぬかっ。

  さむいのにね~ 
  えらいよね~ 
  うれしいよね~
  良いお仕事してますよね~
  そうだ、こんどあったかい缶コーヒーを差し入れしようカナ♪

と、ご近所のおばちゃんに、はしゃいで語っておりましたところ、おばちゃん曰く、
 
  でも、あっちにもこっちにも、随分とおおぜい居てるやろ!

おお、そうであった。
おおぜい居てた。
それに、ありがと、ありがと、とか言いながら缶コーヒーを配っていたら、きっと変なオバサンと思われるかも知れないし・・・
いや、きっと変なオバサンに違いない。
紛うことなく、変なオバサンである。
と、へたれでビビリのしぐれは、この企てから3歩ほど引いたのでございます。
でも、でも、やっぱりあげようかナ・・・・・

今年は、良いことがいっぱいありますように!!



【12】「岡ゑびす」          (12.2.17.発行 Vol.127に掲載)

お寒うございます。
立春も過ぎ、明日香村岡の「岡ゑびす」さんでは、2月19日が初ゑびすでございます。 「岡ゑびす」さんの正式名称は、高市御縣坐鴨事代主神社(たかいちみあがたにいますかもことしろぬしじんじゃ)だそうでございます。
3遍くらい舌を噛みます。

住民が初ゑびすを復活させて、今年で4年目でございます。
岡の有志が、そのために一所懸命に動いておりまする。
毎年夏に、光の回廊を段取りする実行委員会の善男善女でございます。
不肖私、しぐれも頭数というか、みそっかすのメンバーでございます。
当日は、寒風の中、受付でぼーっと立っておりまする。
みそっかすなりに、ふらふらとお札も配っておりまする。

朝から飛鳥坐神社の飛鳥宮司さんがお越しになり、

  えーっとぉ なんとかぁかんとかとぉ なんとかにぃぃ もぅすぅぅぅ~

と、お一人一人のお願いを、謹んでお祈りして下さいます。

焼き餅やお善哉のお振る舞いもございますので、みなさま是非お詣り下さいませ。ご酒もございますぞ。
毎年岡の人々がお詣り下さいますが、なかなか村外の方はおいでになりませぬ。

  名乗るほどのもんではございやせん
  ただの通りすがりでござんす!

とか言って、両槻会の皆さまがお詣りをして下さったら、善男善女のおじちゃんやおばちゃんがどれほど喜ぶことでございましょう。
ついでに、

  村に貢献してますねぇ~

などと褒めて下さったら、もう、おじちゃん、おばちゃん有頂天!!!
きっと、生きてて良かった~~
と思うこと間違いなし。
明日香村の平均寿命がまた延びる。

ところで、高市御縣坐鴨事代主神社というのは延喜式にある式内社で、橿原市雲梯町の河俣神社に比定されておりまする。
いくら高市御縣坐鴨事代主神社を調べても、明日香のあの字も出てまいりませぬ。岡のおの字も出てまいりませぬ。

  何故、何故、なぜじゃ!

 【『出雲国造神賀詞』に皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」とあり、この「宇奈提(うなせ)」は「雲梯(うなて)」のことであるとして、延喜式神名帳に記載される式内大社「大和国高市郡高市御坐鴨事代主神社」に比定されている】
とWikipediaにございますが、

  明日香のあの字はどこ行った? 
  おの字もゑの字もどこ行った?

神社マニアの知人にたずねたところ、現在は学者の意見も、雲梯町の河俣神社ということで一致しているとのこと。
したがって、岡ゑびすさんは、式内社ではないそうでございます。
いつ頃如何なる経緯で岡ゑびすさんが、「高市御縣坐鴨事代主神社」と名乗りをあげたのか、
不明だそうでございます。

  う~む う~む
  岡ゑびすさん、ガンバレ!!



【13】「明日香の桜」          (12.4.27.発行 Vol.132に掲載)

やっとのことで春となりましたが、晴れたら晴れたで、暑すぎるではございませぬかっ。
それに、今年の桜はまだかまだかと気を持たせ、咲いた途端に無情の雨。
花の色は移りにけりな・・・などと申す間もなく、散ってしまいました。
ところで明日香には、開花が吉野の上千本か奥千本ほどの、桜の穴場がございます。
明日香通のみなさまならお気づきかと存じますが、ホラ、あそこ。
ねっねっ。フフフ あっ、でも言っちゃだめ。ないしょですよ~
来年の春をお楽しみにね♪

さて、本日は明日香の桜の思い出をお聞き下さいまし。あれはもう、20数年も前のことじゃった。
まだまだ元気な、お星さまになる前の老母しぐれとふたりで、石舞台の桜を愛でに行ったと思いなされ。
その頃は今のようなライトアップはしておらず、夕方5時には門が閉ったのでございます。しぐれ母娘は、終了直前に中に入りましたとさ。
その時間では観光客の方々などはすでにおらず、わたくしども二人だけでございました。
まだまだ明るい春の空には、まことにきれいな望月が、透き通るように輝いておりました。
桜はひとひらも散る花びらもなく、“ぽっ”と花の開く音が聞こえるのではないかと思えるほどに、まさにその時が満開でございました。
「なんとうつくしいのでしょう」と花を見上げてはしゃいでおりましたところ、どうしたわけか、しぐれは涙がぽろぽろとこぼれたのでございます。

   ありゃりゃ??

ふと見ますと、老母しぐれもまたぽろぽろと涙をこぼしておるではございませぬか。
なな、何ということでございましょう。
あまりの桜の美しさに、切ないほどに涙がこぼれたのでございましょうか。
そのとき、しぐれはなにやら壮大で純粋で絶対的なもの?を感じたように思われました。

   今死んだら、確実に成仏するぜぇ~!!!

いみじくも、そのように思えたのでございます。
奈良公園の桜にも、吉野の桜にも、京都の桜にも、東京の桜にも、弘前の桜にも、このような力は無いと存じまする。
明日香だからこそではないかと存じまする。
じつに、かの西行の心持ちが分かるようにさえ思われました。

   願わくは 花の下にて春死なむ…

なにやら分かりませぬが、かみさまかほとけさまか桜さまか分かりませぬが、不思議な幸せにつつまれたような、えもいわれぬ感動にみたされ納いたしたのでございます。
あのような状況を、その後再び経験することはございませぬ。
うん、素晴らしく、うつくしゅうございました。
桜が咲きますと、いつも思い出すのでございます。
母しぐれのことも思い出すのでございます。
というわけで、明日香の桜には摩訶不思議な力があると、信じたいわたくしでございます。




遊訪文庫TOPへ戻る  両槻会TOPへ戻る