下ツ道(参考図) |
この古墳が6世紀後半の築造であれば、それを基準にした道路も6世紀後半を遡ることは無く、古墳が道路建設の基準にするだけの存在価値を有する期間に限定されると思われますので、推古天皇の時代の道路建設説には、丁度良い基準点として存在したことになります。
また、日本書紀推古天皇条に、「軽衢(かるのちまた)」の記述があるのも、下ツ道の存在を思わせます。チマタとは、主要な道路が交差し賑わいのある場所を言います。軽(橿原市大軽町=国道169号線丈六交差付近)にチマタがあったとすれば、それは阿倍山田道と下ツ道の交差と考えられ、下ツ道の存在が伺えます。
さらに、飛鳥咲読の第二回目で紹介しました、奈良市三条一坊朱雀大路下層より出土した7世紀初頭の須恵器も、推古天皇の頃の道路建設を支持する出土遺物だと思います。 |