両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



飛鳥咲読




第46回定例会
古墳出現前後のの謎の土製品
―いわゆる山陰型甑形土器について―

光の回廊 点灯ボランティア

Vol.193(14.7.25.発行)~Vol.196(14.9.5.発行)に掲載





【1】 (14.7.25.発行 Vol.193に掲載)     風人

 第46回定例会に向けての咲読です。担当は、風人ですが、途中で1~2回代打が出るかも知れません。

 第46回は、帝塚山大学大学院後期博士課程の西垣遼先生をお招きしての講演会をメインに据えて実施します。「古墳出現前後の謎の土製品-いわゆる山陰型甑形土器について-」というタイトルです。

 何だか難しそうだし、飛鳥にも関係なさそうだから・・・・。と、思わないでくださいね!(笑)確かに、聞きなれない土器の名前です。「さんいん型こしき形土器」! 

 山陰地方に多く分布する甑の形に似た土器という意味なのですけど、これが甑に似ているのに甑ではなさそうだというところまでは、名前から想像できますね。

 甑(こしき)というのは、米などを蒸すための土器です。別鍋で沸したお湯の水蒸気を利用する平たく言えば蒸し器なんですけど、それに形状が似ているってことから甑形と呼ばれ始めたようです。早口言葉の様なこの土器、何やら謎めいて面白そうじゃないですか! 

 この土器、結構なサイズが有ります。お茶碗のような物ではなくて、一抱えもあるような代物です。竪穴住居の炉の傍や壁際から出土する事例が多いのだそうで、煙突ではないか?と考えることも可能なのだそうです。しかし、これにもいろいろと疑問も出てきます。飛鳥で煙突と言えば、渡来系の方達の住居だと思える檜前の遺構から、L字形竃が検出されたことがありましたね。暖房器具としての役割も兼ね備えたような竃だったようです。家の中で火を使うと、煙抜きをしたいですよね。あるいは、火力を上げるにも煙突は重要だと思います。

 しかし、そのような便利なものだったら、なぜもっと普及しなかったのでしょう。全国の出土例の75%は島根県と鳥取県からなのだそうです。不思議ですね。地域限定型煙突?(笑)

 西垣先生は、どのように考えられるのでしょうか。皆さんも、この謎解きに、どうぞご参加ください。西垣先生は、両槻会定例会では既にご存じの方も多いと思います。何度も飛鳥の現地解説をしてくださっていますので、その学問への真面目な取り組み方や優しい語り口調など、思い出される方も多いのではないでしょうか。

 先生が、なぜご自分の研究対象を「山陰型甑形土器」にされたのか不思議だったのですけど、このような謎の解明にきっと魅力を感じられたのかなと想像しています。

 飛鳥に直接的な関わりは有りませんが、飛鳥が好きな方は歴史・考古学に興味をお持ちですし、謎解きもきっとお好きだと思います。ひと時、飛鳥を離れて、若い先生のチャレンジをお聞きするのも、きっと楽しい時間になるのではないでしょうか。

 さて、お知らせのコーナーにも書いていますが、同日、恒例になりました「飛鳥 光の回廊」が実施されます。毎年、両槻会は、飛鳥資料館会場の点灯ボランティアとして活動をしています。飛鳥資料館の前庭は、謎に満ちた飛鳥の石造物のレプリカが配され、独特の雰囲気を持つ広い空間です。ここにカップロウソクを配置することで、より幻想的で魅惑的な光の空間を作り出したいと思っています。

 ただ、とても両槻会スタッフだけでは出来ることではありません。
 約3,000個のカップロウソクを配置・点灯するのは容易なことではないのです。是非、皆さんのお力をお貸しください。

 もちろん、個々の体力やその日の体調に合わせていただいて、無理をしていただくことは決してありません。出来る範囲でというのが両槻会のモットーですので、その点はご心配なく、ご参加ください。

 ワイワイガヤガヤと作業をしていると楽しいもので、時間の経つのも忘れてしまいます。そして、自分たちで作った光の地上絵に、きっと感動されるのではないでしょうか。昨年は、夕暮れが迫ると同時に揺らめく仄かな灯りに、そこここで歓声や拍手が上がりました。


只今点灯作業中

 飛鳥中の会場で、飛鳥資料館が一番綺麗だったと言ってくださる観覧者も多数居られ、疲れも癒されました。今年は、皆さんもご一緒に、この感動を体験されませんか。

 子供さんやお孫さんの夏休みの体験として参加されるのも構いません。あまり小さなお子様は、ご遠慮いただきますが、お手伝いをしていただけるような年齢でしたらお申込みいただけます。ご検討下さい。

 点灯までご参加いただけましたら、飛鳥資料館より夕食のお弁当・お茶が準備されます。お申し込みに際しては、「点灯まで参加します」と、お書きの上でお申し込みください。

昨年の様子






【2】 (14.8.8.発行 Vol.194に掲載)   風人

 第46回定例会の咲読、2回目になります。今号では、飛鳥光の回廊のお話をしたいと思います。2014年の光の回廊は、9月13日から15日までの3日間となっています。(3日目は一部会場だけのようですが、現時点で詳細は不明です。)明日香村全体がカップロウソクの仄かな灯りに揺らめき、幻想的な景色を作り出す明日香村最大のイベントです。

 年々、趣向が凝らされ、イベント規模も大きくなってきており、多くの方が明日香村を訪れています。

 飛鳥資料館会場は他の会場から離れていることもあり、訪れる方は少ないのですが、その美しさでは全会場の中で一番だと仰る方も居られます。最もシンプルに、そして幻想的な空間を作り出すのが飛鳥資料館会場の前庭なのです。昨年は、入場と同時に歓声を上げる来館者も居られるほどでした。

 他会場を圧倒するカップロウソクの数と、それによって浮かび上がる飛鳥の謎の石造物群。私には、まるで古代飛鳥時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る幻想的な眺めでした。

 両槻会では、4年目の光の回廊点灯ボランティアになります。風人個人としましては、飛鳥応援大使の活動の一環として飛鳥駅前を2年手伝いましたので、計6年目の点灯ボランティアになります。また、2009年・2010年に飛鳥資料館で行われたキトラ壁画公開の時に計8日間のお手伝いをしており、光の回廊との関わりも深くなってきました。

 今年は、両槻会が飛鳥資料館前庭のデザインを作成することになりました。昨年までは、一部の光の地上絵をデザインしていたのですが、トータルデザインとなると経験が有りません。両槻会では、凝った立体的なデザインやカラーカップを使ったものよりも、光の回廊の原点に返って、ロウソクの揺らめきの美しさが飛鳥には似合っているのではないかと考えました。ただ、ロウソクの数は半端ではありません。約3000個を予定しています。

 これまでは、光の地上絵を見やすく作ろうと考え、傾斜地を活かしたデザインを考えてきました。しかし、今年は、メインデザインを須弥山石の周辺に置いて、皆さんに、一歩中に入っていただこうと思っています。資料館の右奥の高い所から、ロウソクの川を作り、メインデザインに絡めながら、酒船石・出水の酒船石を繋ぐ流れを作り出したいと思います。

 また、飛鳥資料館らしいデザインとして、奥山廃寺式の瓦当文様を一つ作ります。円をデザインの基本に考えていますので、奥山廃寺式の光の地上絵も、トータルデザインの一部となってくれるものと思います。


飛鳥資料館前庭イラスト設計図

  上の企画案をご覧ください。これを元にして、カップロウソクを並べてみたいと思っています。

 カップロウソクの点灯には、主に3つの行程が必要になります。
  1:カップを並べる。
  2:ロウソクをカップに入れる。
  3:点灯する。

 1の行程は、更に細分します。転倒を防止するためにカップには、土や砂を入れなくてはなりません。また、ただ並べては、綺麗には見えませんので、地面にグリッドを作らないといけないのですが、今回は円を基本にしましたので、コンパスだけで済むだろうと思っています。離れて見てみたり、近づいて修正したり、この行程がもっとも大事になります。

 2の行程は、ロウソクの芯を立てて、真ん中に落とすことが大事です。端によると、カップが炎上してしまうからです。そして、細かなことですが、芯を立てておかないと次の行程に点火がままなりません。また、風が強い場合は、防風リンクなどもかぶせる必要が出てきます。

 3の行程は、ライターによる点灯です。この辺りから落日となり、時間との勝負になります。

 昨年は、夕焼けが綺麗で、ひと時疲れを癒してくれました。全作業が終了すると、前庭の印象が一変します。自分たちが作り出したんだよって、誇らしい気分にもなります。感動ものです! 

皆さんも、是非、その輪の中に入ってください。小学生以上(親同伴)のお子さんのお手伝いも受付けますので、ご家族連れでのご参加もご検討下さい。








【3】 (14.8.22.発行 Vol.195に掲載)   もも

 今号は、一回目の咲読で予告させて頂いた通り、代打で もも が登場することになりました。よろしくお願いします。とは言っても、σ(^^)に山陰型甑形土器のお話が書けるわけもなく、光の回廊で光のオブジェとして作成する予定の瓦当文様・奥山廃寺式にちなむお話をさせて頂こうと思います。

 奥山廃寺式軒丸瓦はその名のとおり、奥山廃寺で使用された瓦の文様になります。奥山廃寺は、明日香村内をメインに回る観光コースからは外れていますので、訪れたことのない方もいらっしゃるかもしれませんが、両槻会の定例会では何度も訪れていますので、参加くださった皆さんは覚えてくださっていますよね?奥山廃寺は、奥山久米寺の境内と重なっているために、以前は奥山久米寺跡と呼ばれていました。案内板は今もそうなっているかと思いますが、今では地名から、奥山廃寺と呼ばれるようになっています。

 奥山廃寺の寺域を目で実感して頂くには、大官大寺跡の少し南の辺りから、東を眺めてもらうとよいと思います。ちょうど軒を連ねた集落の場所が周辺より少し高くなっているんですよね。そうです、両槻会がよく定例会で話題にする「微高地」です。この微高地に現在の奥山の集落とほぼ重なるようにして、飛鳥時代のお寺がひとつあったと考えてもらってもいいと思います。

 昔の名前が分からないから奥山廃寺と呼ばれているわけですが、古くは、久米寺(橿原市)の前身寺院説や奥の院説、高市大寺説などもあったようです。近年は、北東の井戸跡から「少冶田寺」と読める墨書土器が出土したことなどを踏まえて小墾田寺だとする説が有力となりつつあるようです。

 でも、この小墾田寺なんていうのは、σ(^^)も両槻会に関わるようになって、それもつい最近よく耳にするようになった名前なんですよね。皆さん、ご存知でした?(^^ゞ

 小墾田寺は、「小冶田寺」や「小冶田禅院」などが、奈良時代の史料には見られるそうですが、私たちが比較的気軽に手に取れる『日本書紀』には記載がありません。唯一と言っていいかどうか、『日本書紀』の朱鳥元年(686)12月に天武天皇のための無遮大会を行ったとされる「大官・飛鳥・川原・小墾田豊浦・坂田」の中に「小墾田豊浦」と出てくるのが見られます。「小墾田豊浦」に関しては、「小墾田にある豊浦寺」という解釈がされていたようなんですが、最近はこれを「小墾田寺」と「豊浦寺」のふたつの寺だと考えて、無遮大会の行われたとされる前三寺を僧寺、後ろ三寺を尼寺と考えることも出来るとか。

 とすると、無遮大会は五寺でなく六寺で行われたことになりますね。これって、小墾田と豊浦の間に「・」を打ち忘れたとか、「五」と「六」を書き写し間違えたとか、そういうことになるんでしょうか?(謎)

 さて、謎だらけの小墾田寺の話はこのぐらいにして、瓦にお話を戻しましょうか。(^^ゞ
 奥山廃寺式軒丸瓦は、飛鳥寺の花組・星組に続いて登場した文様だと考えられています。


飛鳥寺・花組(奈良文化財研究所藤原京跡資料室 展示品)

飛鳥寺・星組(明日香村埋蔵文化財室 展示品)

奥山廃寺式軒丸瓦(奈良文化財研究所藤原京跡資料室 展示品)

 直線で形作られた連弁と、角張った弁の先に置かれた点(珠点)は、星組の影響を受けているように見えます。でも、一見味気なさそうな幾何学的な文様なんだけど、少し丸みのあるふっくらとした顔つきの柔らかさに、花組の面影を感じたりします。これが、クッキーやビスケットだったら美味しそうだと思いません?胚芽入りとか全粒粉なんていうクッキーにありそうだと思うんですが。こんなことを思いながら、瓦を眺めるのは変ですかね?(笑)

 奥山廃寺式軒丸瓦は、飛鳥寺や豊浦寺、石神遺跡などの飛鳥地域に加え、奈良盆地の東山麓から平城京内や斑鳩地域、山背の南部などでも確認され、なんと岡山県からも出土しているそうです。特に石神遺跡での出土量は、奥山廃寺の次に多くて、数年前に「石神遺跡に仏教施設か?」という報道も流れました。

 奥山廃寺式軒瓦の年代は、620年代から630年代にかけてと想定されています。620年と言えば、推古朝末期です。飛鳥の北方に7世紀前半に建てられ始めた寺。本来の寺の名前は?発願者は誰?氏寺?官寺?

 およそ1400年前の飛鳥の沢山の謎に思いを馳せつつ、飛鳥で光のオブジェを作り上げるのも、また一興だと思います。時は違えど、飛鳥は飛鳥。(^^)

 光の回廊 飛鳥資料館会場の点灯ボランティアは、お子様連れやお孫さん連れなどご家族でのご参加も大歓迎です。皆さんのご参加をお待ちしております。









【4】 (14.9.5.発行 Vol.196に掲載)    風人

 9月に入り、第46回定例会の咲読も最終回になりました。参加申し込みをいただいた方々には、詳細案内の発送を開始しています。

 さて、今号では、第1部で取り上げます「山陰型甑形土器」について、風人なりに考えてみたことを綴りたいと思います。第46回定例会に向けての咲読の1回目に、この土器の概要や秘められた謎の面白さを紹介しました。今回は、少し具体的に書いてみます。

 まず、講師の西垣先生が講演概要として書いてくださっている文章を、図にしてみることにします。


 皆さんは、この図を見て気付かれたことは有るでしょうか! 私は、なぜ、逆向きの物を並べて描いたのでしょうね。(笑)
 この土器は、どちら向きに使ったのかで、大きな区分で二通りの解釈が出来るからです。

 一つは、広い方を下に置いた場合で、この場合は煙突などではないかと考えられます。把手に紐を通していた痕跡が見られるそうなのですが、その場合は紐で吊り下げたのではないかと考えられます。炉や竃の上に被せるように吊り下げると、火力の調整や煙の除去に効果が有るように思われます。室外に煙を抜く場合は、これでは短いのですが、土管のように連結することも可能かも知れません。百済には同様な土器が、煙突に使われている事例が有るそうです。「土製煙筒」というのだそうですが、連結して野外に煙を出す部分には蓋のような物が付けられ、雨滴の侵入を防止するようです。現在の煙突も、同様の工夫がされていますね。また、出土した物には、内部に煤が付着しているようで、明らかに煙突として使ったと思われます。

 では、日本の出土例は、どうなのでしょうか。内部に煤の付着は、有ったのでしょうか。残念ながら、私の調べた範囲では具体的には分かりませんでした。しかし、用途が分からないとされている現状からは、明確な煤の痕跡は見つかっていないのだろうと推測が出来ます。煙突の内部に煤が付着しないとは考えられませんので、煙突ではないのかも知れません。

 もう一つは、右側の図から考えられます。こちらは、狭い方の口を下にしています。甑(コシキ)と同じように蒸すための器具だと考えられますが、そうすると、この甑と組み合わせて使う水を沸す土器が必要になります。現状での出土事例では、そのような組み合う土器は発見されていないそうです。それに、土器のサイズが大きすぎないでしょうか。大量のご飯が蒸し上がりそうですね。(^^ゞ 家庭用なら、こんなに大きなサイズは必要ありません。皆さんのお家の炊飯器と比べてみれば、お分かりだと思います。これでは、業務用あるいは炊き出し用ですよね。お米ではなく、何か特殊な物を蒸すような用途が有ったのでしょうか。

 山陰型甑形土器は、住居跡から出土した事例が多いとされています。つまり、室内で使っていた器具ではないかと考えられるのですが、煙突、甑以外に現在のところ、このような説が考えられるようです。

 1:炉や竃の上に設置して、燻製を作る道具である。
 2:麻を蒸す。(収穫された麻は、製糸のために蒸してから水に浸し、皮を剥ぐそうです。)
 3:蒸留酒を作る。(他の器具との組み合わせが必要になります。)
 4:儀式に用いた器具である。

 各説は、未だ推測の域を出ないと思うのですが、私では出土状況や集落遺跡のどのような場所からの出土なのかが分からないので、いくら考えても単なる当てずっぽうになってしまいます。

 また、この土器の出土地域が限られていること、弥生時代末期から古墳時代の初期という限られた時期に使用されていたことなど、注目すべき点は幾つかあるように思います。ひょっとすると、地域を支配する集団や文化の交代が有ったのかも知れませんね。出雲地域の支配者の交代などというと、またまた複雑なことになりそうで深みに嵌りそうですが、とても面白そうです♪

 講演会では、西垣先生がどのような考え方を示してくださるのか本当に楽しみです。

 次号からは、第47回定例会の咲読を始めます。またまた、風人が担当になりますが、よろしくお願いします。





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