皇極元年 (642年) |
3月 3日 |
雲がないのに雨が降った。この月に、霖雨(ながあめ)があった。 |
4月 |
この月にも、霖雨があった。 |
6月16日 |
わずかに雨が降った。この月はたいへんな旱であった。 |
7月 9日 |
客星(まろうとほし)が月に入った。 |
7月25日 |
群臣が、「村々の祝部(はふりべ)が教えたとおりに、牛や馬を殺し、それを供えて諸社の神々に祈ったり、市をしきりに移したり、河伯(かわのかみ)に祈祷したりしたが、(中国風の雨乞いの行事)さっぱり雨が降らない」と相談すると、蘇我大臣は、「寺々で大乗経典を転読するのがよい。仏の説きたまうとおりに悔過(けか)をし、うやうやしく雨を祈ることとしよう」と答えた。 |
27日 |
大寺(百済大寺?)の南の広場に、仏菩薩の像と四天王の像を安置し、多くの僧をまねいて「大雲経」(だいうんきょう)などを読ませた。蘇我大臣は手に香鑪をとり、香をたいて発願した。 |
28日 |
わずかに雨が降った。 |
29日 |
ついに雨を祈ることが出来ず、経を読むことをやめた。 |
8月 1日 |
天皇は南淵の川上にお出ましになり、ひざまずいて四方を拝し、天を仰いでお祈りになった。するとたちまち雷が鳴って大雨になり、とうとう五日も降りつづき、あまねく国中をうるおした。そこで国中の百姓は、みなともによろこび、「すぐれた徳をおもちの天皇だ」と申し上げた。 |