両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第23回定例会資料集


伝承・伝説の地から歴史の地へ


-磐余・天香具山から飛鳥へ-


   
  項目                  (文字は各項目にリンクしています。)
ウォーキングマップ 香具山詳細マップ 見学ポイント概要 関連年表
関連系図
碑文一覧 関連万葉歌一覧 磐余近郊の諸宮一覧 諸宮一覧マップ 吉備池廃寺伽藍概要図
百済大寺文献資料 磐余池復元図 民話 月の誕生石 天岩戸伝説
アンケート集計ページ 当日レポート 両槻会


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                      ウォーキングルートマップ




 コース概要:
 近鉄大福駅 → 徒歩 → 蓮台寺 → 吉備春日神社 → 吉備池(吉備池廃寺) → 青木廃寺  → 
 稚桜神社 → 御厨子神社(月輪石) 御厨子観音 → 香久山万葉の森公園(昼食) → 香久山内
 (蛇繋ぎ石 → 月の誕生石 → 天香山神社) → 興福寺(八釣地蔵尊) → 畝尾坐健土安神社 → 
 畝尾都多本神社 → 香久山内(国見丘万葉歌碑 → 山頂 →上の御前 → 下の御前) → 
 天岩戸神社 → 日向寺 → 湯笹明神 → 大官大寺跡 → 明日香小山バス停
  
 総距離 約12km


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天香具山内詳細マップ



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 見学ポイント概要


 蓮台寺
 
寺伝によれば、天平年間(729~749)行基の開基という。吉備真備が浄刹をこの地に建立し、心楽寺と命名、大日如来・地蔵菩薩を安置したのが始まりとされる。境内には、吉備大臣の墓と伝えられる五輪塔があるが、徳治2(1307)年の銘あり。
発掘調査により、大藤原京一条大路(横大路と藤原宮北面の中間道路)に伴う深さ約2mの道路側溝の一部が検出されている。


 吉備寺跡
 
吉備は、俗に吉備真備の別業地と伝えられ、南西部の竹藪は大臣藪・大臣屋敷とも呼ばれていた。発掘調査の結果、中世の城砦跡だと判明している。吉備池廃寺式軒丸瓦・磚仏等出土。

 吉備池廃寺
 発掘調査により検出された飛鳥時代の大寺院跡。基壇の大きさや瓦の制作年代観などから、舒明天皇11年(639)に建てられた「百済大寺」だと考えられる。金堂・塔・僧房・中門などが検出されている。

 青木廃寺
 出土瓦により、長屋王が父高市皇子の菩提を弔うために建立した寺院だと考えられている。橋本廃寺・青木千坊とも呼ばれる。傍らに、青木廃寺に祀られていたという「泥かけ地蔵尊」がある。

 稚桜神社
 
履中天皇・神功皇后の磐余稚桜宮跡と伝えられる。祭神:気息長足姫命・出雲色男命・去来穂別命(神功皇后・出雲色男命・履中天皇)。若桜神社と混同した資料も存在する。

 御厨子神社
 
もと水尻神社と書き表されていた。磐余池の樋口の意味か。清寧天皇磐余甕栗宮の伝承地。境内に「月輪石」がある。根裂石ともいう。月輪石の命名説は不明。祭神は根裂神・安産霊神・誉田別命。神社のある森は、「壇上(たかみくら)の森」と呼ばれていた。清寧天皇は、雄略天皇の第三皇子。

 御厨子山妙法寺
 
俗称御厨子観音は、吉備真備建立と伝えられる(子供の善覚律師に命じて観音堂を建立させたことに始まる)。境内から飛鳥時代の瓦が出土するというが、詳細不明。吉備真備が読み解いたという「耶馬台詩」なる物が存在するという。12行10段120文字の漢字をある規則に従うと読めるという。玄宋皇帝の前で読むように命令され、観音の化身だった蜘蛛の力を借りて読み解いたとされる。

 蛇繋ぎ石
 
天香具山の山頂に祀られるタカオカミ神が、うち跨ってきた龍を繋ぎ止めた石とも言う。磐座とも言われるが詳細不明。命名由来も不明。尾根の上方に転がり置かれたような石で、不思議な存在感を示す。

 月の誕生石
 
月が誕生したとの伝承と民話を残す石。

 天香山神社
 
祭神:櫛真命。式内天香山坐櫛真命神社(あるいは櫛真智神社)に比定される。卜事に関わる神とされている。神武紀に菟田の八十梟帥を征討するのに、天神が夢に「天香山の杜中の土で平瓫、厳瓫を作り天神地祇を敬祭せよ」と教えた、とある。『延喜式大、月次新嘗』『亀相記』に上古亀卜を掌る神とある。「くし」は「奇」、「まち」は「兆」の意味か。本来、山頂に在ったともされ、また本殿は後世の物で背後の屏風条の岩をご神体とする古代祭祀の形態を留めるとも言う。
 境内には、卜事に用いる「波波迦木(ハハカノキ)」や、アマテラス・スサノオの誓約に関連するという湧き水などがある。


 興福寺八釣地蔵尊
 
寺伝によれば、物部守屋が橘寺の東金堂を焼いた時、金堂安置の地蔵菩薩が天香具山の頂上にとどまった。そこで聖徳太子は山麓に一寺を建立、興福寺と称し、延命経から名付けて山号を八釣山と名付けたという。また、聖徳太子所縁の名灸が有り、リュウマチや神経痛等に良く効くと、多くの参詣者を集める。

 畝尾坐健土安神社
 
祭神、健土安比売命・天児屋根命。神武天皇即位前記に書かれる埴土の土霊を神格化した神だとされる。

 畝尾都多本神社
 
祭神、啼沢女神。啼沢(哭沢)の杜に鎮座。古事記によると、伊邪那美命が火の神、迦具土神を生んだため神去り、悲嘆にくれた伊邪那岐命の御涙に成れる神を、香山の畝尾の木の本に坐して泣沢女神と名づくとある。
696年7月10日に高市皇子が亡くなった時、檜隈女王が詠まれた万葉歌が歌碑にされて境内に建つ。檜隈女王は、高市皇子の娘、あるいは妻の1人とされる皇族。詳細は不明。


 国常立神社
 
天香具山山頂に鎮座。祭神、国常立尊。国常立尊は、『古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊と記される国土形成神であり、また国土の永遠の安定を祝福する神であるとされる。 近世には、俗に雨の竜王と称し乞雨祈願が盛んだった。並び建つ社はタカオカミ神で、こちらも水神である。左右のお社と祭神は取り違えられた時代もあると言われる。社前に雨乞い神事に関連する壺が埋め込まれている。

 上の御前・下の御前
 
香久山の南中腹に、伊邪那岐(イザナギ)命を祀る上の御前(伊邪那岐命神社)、伊邪那美(イザナミ)命を祀る下の御前(伊邪那美命神社)がある。
 伊邪那岐命・伊邪那美命の二神は、国土形成の神話や黄泉の国の話などで知られる。両社は、山頂の国常立神社の末社として扱われる。


 日向寺跡
 「聖徳太子伝暦」推古天皇29年(621)の条に、太子建立諸寺を記した中に「日向寺」の名前が見える。創建は出土瓦から藤原京の時代とされている。付近の小字に「大門脇」「日向寺南」「日向寺向」がある。現在の弁天社の辺りが塔の場所と考えられ、心礎・礎石も存在したが、破壊・散逸している。法然寺境内に礎石が残るという。

 天岩戸神社
 
祭神、天照大神。天照大神が岩戸隠れされた所とされ、巨石四個が在って、岩穴を御神体としている。本殿はなく拝殿のみがあり、古い祭祀の形を止める。高千穂や伊勢の岩戸神社が有名であるが、古事記神話の記事に即しているという点では、こちらの神社が見合う場所に在るといえる。

 湯笹明神
 
天岩戸の前で、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が踊った時に手草にした笹の葉は、湯笹とも呼ばれるが、「斎笹」が本来であろう。明神は、その笹の神霊を祀る。明神の在る場所の小字名は、「舞台」と名付けられている。
 西国三十三所名所図会に、「右磐戸より半町ばかり南田圃の中に笹一む ら生茂り、周に竹垣を結めぐらせり。これを天の湯笹といふ。いにしへ神楽の御湯に 此笹を用ひしとぞ。其古例によりて伊勢の 祭礼のせつ此笹を取に来ること毎年かくる 事なかりしが、後年此さゝの根をわけて彼 国に持かへりてかしこにうへしより、今は 此事たへてなしと土人ものがたれり。故あることなるべし。」とあり、天岩戸神話にまつわる伝承が残る。



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   関連年表

西暦 年号 事   項
617 推古 25
  • 聖徳太子、熊凝に精舎を建てる。(扶桑略記 以下「略記」)
628 36
  • 3月 推古天皇没
  • 9月 山背大兄皇子か田村皇子(舒明)か後嗣定まらず群臣紛糾、蘇我蝦夷、境部臣摩理勢を殺害し、田村皇子を擁立する。
629 舒明  1
  • 1月 田村皇子即位(舒明天皇)
630     2
  • 9月 第一回遣唐使派遣
  • 10月 飛鳥岡本宮に移る
636     8
  • 6月 飛鳥岡本宮が焼失、田中宮に移る
  • 7月 大派王(敏達天皇皇子)、蘇我蝦夷に朝参の弛緩を指摘・勧告するが蝦夷従わず。
638     10
  • 10月 天皇、有間温湯宮に行幸
639     11
  • 7月 大宮と大寺(百済大寺)をつくる。百済川のほとりを宮地とし、西の民は宮を造り、東の民は寺を造る。書直県をその大匠とする。   
  • 12月 百済川畔に九重塔を建てる
    • 天皇、伊予の温湯に行幸
  • この年、百済川の側に精舎を移し、百済大寺を建てる。(略記)
  • 百済川のほとりに子部社を切りひらいて、九重塔を建てる。百済大寺と号す。社神の怨みにより九重塔と金堂の鴟尾を焼破裂。(大安寺伽藍縁起并流記資材帳 以下「縁起」)
640     12
  • 4月 天皇、伊予より帰り、厩坂宮に入る。
  • 10月 遣唐留学生高向玄理・南淵請安ら帰国
    • 天皇、百済宮に移る。
641     13
  • 10月 舒明天皇没。宮の北で殯を行う。16歳の中大兄皇子が誄を行った。
  • この年、蘇我倉山田石川麻呂、山田寺の造営開始。
642   皇極 1
  • 1月 宝皇后が即位(皇極天皇)
  • 7月 蘇我蝦夷、旱魃に際し、大寺の南の広場に、仏菩薩の像と四天王の像とを安置し、多くの僧をまねいて「大雲経」などを読ませた。
  • 9月 百済大寺造営のため、近江と越の百姓を徴発させる。
  • 12月 舒明天皇を滑谷岡に葬った。
    • 皇極天皇、小墾田宮に移る。
  • この年、阿倍倉橋麻呂と穂積百足の二人を造此寺司に任命。(縁起)
643 2
  • 4月 天皇、仮宮殿から飛鳥板蓋宮に移る。
  • 9月 舒明天皇を押坂陵に葬った。(改葬)
  • 11月 蘇我入鹿、山背大兄皇子を斑鳩宮に襲う。皇子自害する。
644 3
  • 11月 蝦夷・入鹿、甘樫丘に邸宅を並び建てる。
645     大化  1
  • 6月 乙巳の変 軽皇子が即位(孝徳天皇)
  • 8月 仏法興隆の詔 十師及び寺司・寺主・法頭を任命。恵妙法師が百済寺の寺主に任命される。
  • 9月 古人大兄皇子粛清される。
  • 12月 難波長柄豊碕宮に移る。
646     2
  • 1月 大化の詔発布
649     5
  • 3月 蘇我倉山田石川麻呂、謀反の疑いを掛けられ自害。
650     白雉 1
  • 10月 丈六・脇侍・八部など三十六尊の繍像を造り始めた。繍仏像一帳を、皇極上皇が難波宮で造りはじめ、翌年三月に完成した。(縁起)
654     5
  • 10月 孝徳天皇没
655    斉明 1
  • 1月 皇極天皇飛鳥板蓋宮に重祚する。斉明天皇。
  • この冬、川原宮に移る。
656 2
  • この年、天皇、飛鳥岡本に宮室をお越し遷る。後飛鳥岡本宮と名付ける。 また、両槻宮・吉野宮を造る。
661     7
  • 7月 斉明天皇没。中大兄皇子称制する。
  • 11月 飛鳥川原に殯する。
663 天智 2
  • 8月 白村江の戦いで大敗する。
667 6
  • 3月 近江大津宮に遷都する。
668 7
  • 1月 中大兄皇子即位(天智天皇)。
  • 丈六釈迦仏像ほかの諸像を百済大寺に安置する。(略記)
672 天武・弘文 1
  • 6月 壬申の乱起こる。
  • 7月 大友皇子自害。
  • この冬、飛鳥浄御原宮を造り、移る。
673 天武 2
  • 2月 大海人皇子即位する(天武天皇)。
  • 12月 美濃王と紀臣訶多麻呂を造高市大寺司に任命する。
  • この年、御野王と紀臣訶多麻呂の二人を造寺司に任命する。百済の地から高市の地に寺を移す。(縁起)
677 6
  • 高市大寺を改めて、大官大寺と号す。(縁起)
680 9
  • 4月 凡そ諸寺は、今後、国の大寺二、三を除いて、その他は官司の管理をやめる。
  • 11月 天皇、薬師寺建立を発願する
682 11
  • 8月 日高皇女(元正天皇)の病によって、百四十余人を大官大寺で出家させた。
685 14
  • 9月 大官大寺・川原寺・飛鳥寺で天皇のために経をよませる。
686 朱鳥 1
  • 7月 大官大寺で、天皇のために観世音経を説かせた。
  • 9月 天武天皇没。皇后称制。
  • 10月 大津皇子、謀反の疑いにて捕らえられ自害。
  • 12月 五寺(大官大寺・飛鳥・川原・小墾田豊浦・坂田)で、無遮大会を行う
688 持統 2
  • 11月 天武天皇を大内陵に葬る。
690  4
  • 1月 鸕野賛良皇后即位(持統天皇)
694 8
  • 12月 藤原京へ遷都
697 文武 元
  • 8月 持統天皇譲位、軽皇子即位(文武天皇)。
699 3
  • 九重塔建て、丈六像を造る。(略記)
701 大宝 元
  • 6月 大安寺で僧尼令を講説させる。  
  • 7月 造大安寺・造薬師寺の二官を寮に准じ、造塔・造丈六(ともに大安寺)の二官は司に准ず。
702 2
  • 8月 高橋朝臣笠間を造大安寺司に任ず。
  • 12月 持統太上天皇没。四大寺(大官・薬師・元興・弘福)で斎会。
703 3
  • 2月 故持統太上天皇のため、四大寺で斎会。
  • 3月 四大寺に詔し、大般若経を読ませ、百人を得度した。
  • この頃(文武朝)、九重塔と金堂を建て、丈六仏をつくる。(縁起)
707 慶雲 4
  • 6月 文武天皇没。
  • 7月 阿閉皇女即位(元明天皇)。
710 和銅 3
  • 3月 平城遷都
711 4
  • 大官大寺並びに藤原宮焼亡(略記)
716 霊亀 2
  • 5月 元興寺(大安寺の誤記?)を左京六条四坊に移す。
718 養老 2
  • 9月 法興寺を新京へ移転。
  • この年、薬師寺を平城京六条二坊に移す。(薬師寺縁起)
729 天平 元
  • 聖武天皇、道慈に大官大寺を移造させる。(略記)
742 12
  • 大官大寺造営成る。(大安寺縁起)
745 17
  • 大官大寺を改め大安寺とする。(略記)
747 19
  • 「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」勘録。
766 天平神護 2
  • 大安寺東塔に落雷。
782 延暦 元
  • 光仁天皇の一周忌を大安寺で行う。
784 延暦 3
  • 長岡京遷都

文献 : (略記)= 扶桑略記  (縁起)= 大安寺伽藍縁起并流記資材帳
      表記のないものは、日本書紀または続日本紀。

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 関連系図






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 ウォーキングルート上の碑文一覧

吉備春日神社境内
 金烏臨西舎 鼓声催短命 泉路無賓主  此夕誰家向
大津皇子(懐風藻)
金烏 西舎に臨み 鼓声 短命を催す 泉路 賓主無し この夕 誰が家にか向ふ
吉備池畔
 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
大津皇子
(万葉集・3-0416)
 うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背と我が見む 大来皇女
(万葉集・2-0165)
御厨子観音下(推定磐余池畔)
 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
大津皇子
(万葉集・3-0416)
天香山神社
 ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも
柿本人麻呂
(万葉集・10-1812)
畝尾都多本神社
 哭沢の神社に御瓶据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ
檜隈女王
(万葉集・2-0202)
国見の丘
 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 
 国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は 
舒明天皇
(万葉集・1-0002)


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  関連万葉歌一覧


 磐余

 春日蔵首老が歌一首
つのさはふ磐余も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ
3-0282


 大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にして涙流して作らす歌一首
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

3-0416


 石田王が卒(みまか)りし時に、山前王が哀傷しびて作る歌一首
つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 
ほととぎす 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き かづらにせむと 
九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く 万代に 
絶えじと思ひて 通ひけむ 君をば明日ゆ  外にかも見む

右の一首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ。
3-0423


 或本の反歌二首
こもりくの泊瀬娘子が手に巻ける玉は乱れてありと言はずやも
川風の寒き泊瀬を嘆きつつ君があるくに似る人も逢へや
3-0424
3-0425


かけまくも あやに畏し 藤原の 都しみみに 人はしも 満ちてあれども 
君はしも 多くいませど 行き向ふ 年の緒長く 仕へ来し 君の御門を 
天のごと 仰ぎて見つつ 畏けど 思ひ頼みて いつしかも 日足らしまして 
望月の 満しけむと 我が思ふ 皇子の命は 春されば 植槻が上の 遠つ人 
松の下道ゆ 登らして 国見遊ばし 九月の しぐれの秋は 大殿の 砌しみみに
露負ひて 靡ける萩を 玉たすき 懸けて偲はし み雪降る 冬の朝は 刺し柳 
根張り梓を 御手に 取らしたまひて 遊ばしし 我が大君を 霞立つ 
春の日暮らし まそ鏡 見れど飽かねば 万代に かくしもがもと 大船の 
頼める時に 泣く我れ 目かも迷へる 大殿を 振り放け見れば 白栲に 
飾りまつりて うちひさす 宮の舎人も 栲のほの 麻衣着れば 夢かも 
うつつかもと 曇り夜の 迷へる間に あさもよし 城上の道ゆ つのさはふ 
磐余を見つつ 神葬り 葬りまつれば 行く道の たづきを知らに 思へども 
験をなみ 嘆けども 奥処をなみ 御袖の 行き触れし松を 言とはぬ 
木にはありとも あらたまの 立つ月ごとに 天の原 振り放け見つつ 
玉たすき 懸けて偲はな 畏くあれども
13-3324

 反歌
つのさはふ磐余の山に白栲にかかれる雲は大君にかも
13-3325
 香具山
 天皇、香具山に登りて国を望たまふ時の御製歌
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は   
1-0002


 中大兄の三山の歌
香具山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそうつせみも 妻を争ふらしき  
1-0013

 反歌
香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原
1-0014


 天皇御製歌
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
1-0028


 藤原の宮の御井の歌
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤井が原に 大御門 
始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は日の経の 大き御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大き御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大き御門に 
よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影面の 大き御門ゆ 雲居にぞ遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば 
とこしへにあらめ 御井の清水 
1-0052


 高市皇子尊の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 并せて短歌
かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神の原に 
ひさかたの 天つ御門を 畏くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし 我が大君の きこしめす 背面の国の 真木立つ 不破山越えて 高麗剣 
和射見が原の 行宮に 天降りいまして 天の下 治めたまひ 食す国を 
定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御軍士を 召したまひて ちはやぶる 
人を和せと 奉ろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任したまへば 大御身に 
大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし 御軍士を 率ひたまひ 整ふる 
鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も 敵見たる 虎か吼ゆると
諸人の おびゆるまでに ささげたる 旗の靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の 風の共 靡くがごとく 取り持てる 弓弭の騒ぎ み雪降る 
冬の林に つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの畏く 引き放つ 矢の繁けく大雪の 乱れて来れ まつろはず 立ち向ひしも 露霜の 消なば消ぬべく 
行く鳥の 争ふはしに 渡会の 斎きの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 
日の目も見せず 常闇に 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 
太敷きまして やすみしし 我が大君の 天の下 奏したまへば 万代に 
しかもあらむと 木綿花の 栄ゆる時に 我が大君 皇子の御門を 神宮に 
装ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲の 麻衣着て 埴安の 御門の原に 
あかねさす 日のことごと 鹿じもの い匍ひ伏しつつ ぬばたまの 夕になれば
大殿を 振り放け見つつ 鶉なす い匍ひ廻り 侍へど 侍ひえねば 春鳥の 
さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 思ひも いまだ尽きねば 言さへく 
百済の原ゆ 神葬(かむはふ)り 葬りいませて あさもよし 城上の宮を 常宮と 
高くし奉りて 神ながら 鎮まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 
思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天のごと 
振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏くあれども
2-0199

 短歌二首
ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひわたるかも
埴安の池の堤の隠り沼のゆくへを知らに舎人は惑ふ
2-0200
2-0201

 或書の反歌一首
哭沢の神社に御瓶据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ

 右の一首は、類聚歌林には「檜隈女王、哭沢の神社を怨むる歌なり」といふ。
日本紀を案ふるに、曰はく、「十年丙申の秋の七月辛丑の朔の庚戌に、後皇子尊薨ず」といふ。
2-0202





 鴨君足人が香具山の歌一首、并せて短歌
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに 
3-0257

 反歌二首
人漕がずあらくもしるし潜きする鴛鴦(おし)とたかべと船の上に棲む
いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔生すまでに
3-0258
3-0259

 或本の歌に曰はく
天降りつく 神の香具山 うち靡く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 
池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 
大宮人の 退り出て 漕ぎける船は 棹楫も  なくて寂しも 漕がむと思へど  

右は、今案ふるに、寧楽に遷都したる後に、旧を怜びてこの歌を作るか。
3-0260


 師大伴卿が歌五首 (・・・のうちの一首)
忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
3-0334


 柿本朝臣人麻呂、香具山の屍を見て、悲慟しびて作る歌一首
草枕旅の宿りに誰が夫か国忘れたる家待たまくに
3-0426


いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山
7-1096


ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも
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香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも
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磐余近郊に所在した諸宮
 天皇名 地図番号  宮名  在宮期間
神功皇后  磐余稚桜(わかさくら)  摂政3年(203)  ~  同69年(269)
履中天皇  17代 磐余稚桜宮  履中元年(400)  ~  同6年(405)
清寧天皇  22代 磐余甕栗 (みかくり)  清寧元年(480)  ~  同5年(484)
継体天皇  26代 磐余玉穂宮  継体20年(526) ~  同25年(531)
敏達天皇   30代 百済大井宮  敏達元年(572)  ~ 同4年(575)
訳語田幸玉(おさださきたま)  敏達4年(575)  ~ 同14年(585)
用明天皇  31代 磐余池辺雙槻(いけのへのなみつき)  用明元年(585)  ~ 同2年(587)
舒明天皇  34代 百済宮  舒明12年(640) ~ 同13年(641)


所在伝承地・推定地マップ



宮の所在地は、あくまでも伝承地または推測に基づいて、おおよその位置を示しています。
⑤百済大井宮は、具体的な位置を示す情報がありませんので、書き加えていません。


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吉備池廃寺伽藍概略図


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百済大寺に関わる文献資料


日本書紀:舒明天皇十一年七月条
 「詔日、今年造作大宮及大寺。則以百済川側為宮處。是以西民造宮、東民作寺。
便以書直縣為大匠。」
 同十二月条
 「是月、於百済川側、建九重塔。」

 大安寺伽藍縁起并流記資材帳
 「(舒明)十一年歳次己亥春二月、於百済川側、子部社乎切排而、院寺家
 建九重塔、入賜三百戸封、号曰百済大寺、此時社神怨而失火、焼破九重塔
 並金堂石鴟尾、天皇時崩賜時、勅大后尊久、此時如意造建」

 大安寺縁起
 「(舒明)天皇践祚之初、百済河側、択勝地移精舎、(熊凝精舎)、号百
 済大寺、復以封邑三百戸、良田二百町、種々財宝一々施入」


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磐余池推定復元図




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民話 月の誕生石

 『 香久山の北の小山に、ひとかかえ程の丸みのある、とても綺麗な石があった。次第に大きくなり人肌のようなぬくもりをのこし、夕焼け空を染め上げたように輝いていました。不思議な事に、お腹のあたりが今までになかった白い帯びのようなものが浮き出てきました。「石が赤ちゃんを生むのかもしれない。」「どんな赤ちゃんを生むのだろうか?」子供たちはすっかり心うきうき、赤ちゃん石が生まれるのを心待ちにしておったそうな。
 それからも石は少しずつ大きくなり、お腹のあたりも、ぐっと突き出てきてなんだか苦しそうにさえ見えたそうな。それから1~2日後の月の無い晩のこと、山のほうで赤ちゃんの泣くこえを聞いたような気がして、「赤ちゃんが生まれたんだ、石の赤ちゃんが!」子供たちは皆そう叫んで外に飛び出したそうな。すると声がする山の空がパット明るくなり、そしてあの山の頂きから、真ん丸い月が顔を出した。
 「石の赤ちゃんが生まれた、生まれたんだ・・・」と小躍りして喜んだそうだ。翌日、子供たちは山へ見に行くと、石はしぼんだ様に、お腹が小さくなり石の上に赤ちゃんの足跡が影の様に残っておったそうな。 』  
月の誕生石案内板より


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天岩戸伝説


 天真名泉 ( あめのまない )

 古事記によると、天安河の宇気比(誓約・うけい)の時、天照大御神が素箋鳴尊の十拳剣を天真名井で振りすすぎ、三女神が生まれました。(宗像三女神) また素箋鳴尊が天照大御神の八尺の勾玉を振りすすぎ、五柱の男神が生まれました。
 この誓約の記事には、記紀によってその書き方に違いがあります。日本書紀では、素戔鳴尊は男神を生んだことで清き心を証明しますが、古事記では自分の十握剣から女神が生まれたことで清き心を証明しています。 


 天岩戸伝説

 天安河の誓約の後、須佐之男命(スサノオノミコト)の行動は粗暴になって行きます。天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、天岩戸に引き篭ってしまいます。高天原も葦原中国も闇となり、様々な禍が発生しました.

 事態の打開に、八百万の神が天の安河の川原に集まり、どうすれば良いか相談をしました。高御産巣日神(タカミムスビノカミ)の子、思金神(オモイカネノカミ)の案により、常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、天の安河の川上にある堅い岩を取り天の金山の鉄を採り、鍛冶の天津麻羅(アマツマラ)を探し、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)に命じて八咫鏡を作らせ、玉祖命(タマノヤノミコト)に命じて八尺の勾玉の五百津(いほつ)の御須麻流(みすまる)の珠を作らせ、天兒屋命(アメノコヤネ)と布刀玉命(フトダマノミコト)を召して、天の香山の雄鹿の肩の骨を抜き取り、天の香山の天の波波迦(ははか)の木を取って占いをさせ、天の香山の五百津真賢木(いほつまさかき)を根ごと掘り起こし、上の枝に八尺瓊勾玉と御須麻流の珠を掛け、中の枝に八咫鏡と下の枝に白丹寸手、青丹寸手を垂らし、布刀玉命が御幣として奉げ持ち、天兒屋命が祝詞を唱え、天手力男神(タヂカラオノカミ)が岩戸の脇に隠れて立ち、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が天の香山の天の日影を襷にして、天の柾の葛を縵にして、天の香山の笹を手に束ね持ち、天の岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊りました。すると、高天原が響めくように八百万の神々が一斉に笑った。

 この声を聴いた天照大神は、(以下略記)天岩戸の扉を少し開け、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出しました。こうして天照大神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなったといいます。


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