両槻会主催第25回定例会は、万葉文化館 万葉古代学研究所主任 井上さやか先生に「飛鳥と万葉集」と題したご講演に加え、当日午前中に行いました事前散策の解説までもして頂けるというとても贅沢な回となりました。
3月20日当日の天気予報は雨。しかし、事前散策集合時には、春の陽気が心地よい絶好の散策日和となりました。これは、誰の人徳だ?と、一足早く集まったスタッフ内では意見が分かれました。(笑)
集合時間に合わせてお集まりくださった皆さんに、井上先生のご用意くださった事前散策用の資料、両槻会が用意させていただいた当会ならではの考古中心の補助資料を配布させていただきました。事前散策は19名でのスタートとなりました。
万葉集がテーマなら事前散策はどうすれば良いだろう。遺跡や史跡のように目に見えるものがないけれど、ただ歌碑を廻るだけというのも。ゴールは、講演会会場である飛鳥資料館。スタートをどこにする?どの道を辿れば無理なく楽しく過ごせる?…と、初めて行う万葉関連の定例会に、事務局は何もかもが手探りの状態でした。最終的に井上先生にご相談し、いつもの道でも視点が変わればまた見えてくるものも違うはずだからと、ルートは橿原神宮前駅から丈六交差点を通り、豊浦寺、平吉遺跡から雷丘を経て山田道を通り飛鳥資料館へと向かう約4kmのコースに決定しました。そして、井上先生には、ルート上6箇所で万葉集にちなんだお話をしていただくことになりました。(解説場所などは、ルートマップをご参照下さい。)
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山 (1-28)
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
橿原神前駅東口の改札を出てすぐの壁にはめ込まれた銅版には、持統天皇の歌が記されています。
百人一首にも記載されている有名なこの歌には、未だ定訓がないということ、万葉集と百人一首では、この歌の訓みが変わっているのも定訓がないために時代で好まれた読み方がされたんだとのお話もありました。飛鳥遊訪マガジン「伏見の飛鳥やぶにらみ」でも、同様の話を掲載したことがありましたので、ご記憶にある方もいらっしゃると思います。(^^)
軽の池の汭廻行き廻る鴨すらに玉藻のうへに独り寝なくに (3-390)
剣池(石川池)の堤上にある碑に刻まれている紀皇女の歌です。ここでは、歌の詳しい解説は勿論、剣池のことが詠われている別の万葉歌のお話、また、軽の地や市のお話に剣池や孝元天皇陵など考古的なことも合わせてお聞かせくださいました。剣池畔に軽の池の歌碑が建っていると、古代にもこの池は「軽の池」と呼ばれていたんだろうと思いがちですが、そういったご説明も詳しくしてくださいました。
この場所に限らず、歌碑の設置には景色や心情など歌に一番寄り添えると思える現代の場所に建てられているだけで、実際にその場所で歌が詠まれたかどうかの真偽を問うような種類のものではないんだそうです。歌碑は、歌への縁、拠り所。その始まりは、飛鳥に開発の波が押し寄せようとしていた十数年前、飛鳥の景観保存を訴えるための手段のひとつともされていたのではないかということでした。今、いつ行っても当たり前のように広がる飛鳥の風景の保存に、これらの歌碑が一役かっていたかもしれないと思えば、今までなんとも思っていなかった歌碑にも少し感謝しなければ・・と思ったももでした。(^^ゞ
剣池を過ぎ、和田池のほとりを通って豊浦へ向かいます。お話は、向原寺裏の甘樫坐神社境内で伺いました。
故郷の豊浦寺の尼の私房にして宴せる歌三首
明日香川行き廻る丘の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ (8-1557)
右の一首は、丹比真人国人
鶉鳴く古りにし郷の秋萩を思ふ人どち相見つるかも (8-1558)
秋萩は盛りすぐるを徒らに挿頭に挿さず還りなむとや (8-1559)
右の二首は。沙弥尼等
パッと見は、「秋萩が雨で散ったか。」「一緒に眺めたい」「萩は散ってしまうのにそのまま帰るのですか」なんて、他愛ない遣り取りとも思えるのですが、それがそうでもないようでして。(^_^;) 場所が尼の私房であること、また、橘寺でも似たような歌(16-3822)が詠われていることから、今の私たちの感覚だと「え?」と思えるようなことは、時代による常識や慣習のちがいのせいかもしれず、一概に言い切ってしまえるものでもないんだそうです。古代の人々の生活は、まだまだはっきりと細かいところまでわかっているわけではないですしね。
万葉集中、萩の歌は約140首、古代日本で好まれたと言われる梅の約120首よりも多く詠まれています。が、これは、中国には見られない傾向なんだそうです。萩の花に魅力を感じたのは、古代日本人独特の感性。何だか、ちょびっと嬉しくなったももです。(^^) この他にも、ここではクガタチのお話や豊浦寺の遺構のお話なども沢山お聞かせ頂きました。(^^)
甘樫坐神社からクネクネと里道を歩いて平吉遺跡へと向かいます。途中、豊浦寺の塔心礎を見学していこうということで・・・すいません、ここでももが道を間違えました。m(__)m
曲がらずに真っ直ぐ行けば良いものを、何を考えたか(きっと何も考えず(^_^;))「こっちです」なんて平然と道を曲がってしまいまして、少しだけ(10mほど?)戻っていただく羽目になりました。申し訳ない。(^^ゞm(__)m
さて、もものお気に入りの場所(笑)、平吉遺跡では昼食休憩をとります。その前に、飛鳥川や甘樫丘などのお話をお聞きしました。
8-1448 |
11-2701 |
1-78 |
3-356 |
大伴宿祢家持の坂上家の大嬢に贈る歌一首
わが屋外に撒きし瞿麦いつしかも花に咲きなむ比へつつ見む (8-1448)
明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえむかも (11-2701)
和銅三年庚戌の春二月、藤原宮より寧楽宮に遷りましし時に、御輿を長屋の原に停めて逈かに古郷を望みて作れる歌
飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ (1-78)
上古麻呂の歌一首
今日もかも明日香の川の夕さらず河蝦鳴く瀬の清けかるらむ (3-356)
明日香宮より藤原宮に遷居りし後に、志基皇子の作りませる御歌
采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く (1-51)
はじめの四首は、飛鳥川のほとりにある歌碑に記されている歌になります。(場所などはルートマップをご覧下さい。)最後の一首もこれまた有名な歌ですよね。この歌の碑は、甘樫丘の中腹と伝板蓋宮跡の二ヶ所に設置されています。こんな風に数箇所に同じ歌の碑が設置されている場合もあります。今日一番最初に見た持統天皇の「春過ぎて」の歌碑も、橿原市の醍醐池畔や天香久山神社境内でも見ることができます。(揮毫者は違います)
平吉遺跡では、昼食とトイレ休憩を兼ねて40分の休憩を取り、出発前に少しだけお集まりいただいて、初参加の方にも自己紹介などをしていただきました。
甘樫丘の麓を抜けて次の目的地である雷丘に向かいます。雷丘は、整備されて上りやすくなっています。せっかくですから今回は、上まで上ってみることにしました。そんなに高くないですしね。(^^)
ここでも、日本霊異記の小子部栖軽や発掘調査の成果も交えてのお話になりました。発掘調査では、丁度飛鳥時代の部分が掘削されて跡形もなかったようですから、本当に想像するしかありません。ただ、現在、雷丘と呼ばれるこの小さい丘の規模は古代から変わっていないのか、また呼び名はどうだったのか何ていうお話がありました。古代と同じ呼び名が使われているからといって、そこにあるそれが古代と全く同じものだと考えることはできないんだそうです。σ(^^)は今までそういう風に考えたこともありませんでした。
天皇の雷岳に御遊しし時に、柿本人朝臣麻呂の作れる歌一首
大君は神にし座せば天雲の雷の上に廬らせるかも (3-235) |
ここからは、山田道を東に向かい、途中の小公園では南に広がる風景を眺めながらお話をお聞きしました。
天皇(天武)の藤原夫人に賜へる御歌一首
わが里に大雪降れり大原の降りにし里に落らまくは後 (2-103)
藤原夫人の和へ奉れる歌一首
わが岡のオカミ(雨冠に龍)に言ひて落らしめし雪の摧けし其処に散りけむ (2-104)
大原はあちらの方で…と、井上先生が示しながらお話下さいます。また、石神遺跡の発掘調査成果も交えつつ幅広いお話をお聞かせいただけました。そうそう、この小公園の地面には、万葉歌のタイルが埋め込まれているのを皆さんご存知でしたか?丘(?)に雷が落ちたようなデザインのタイルには雷丘の歌が、少し上向き加減の髪の長い女性の横顔がデザインされたタイルには真神原の歌が、それぞれ記されていました。これも歌碑になるんでしょうか?(^^ゞ
今回の事前散策では、馴染んだ風景でも少し視点を変えると見え方も変わるということを、実感しました。いつもは、掘った!出た!の考古中心に頭が傾きがちなんですが、そういう分けた見方はせずに見たり聞いたりすることも大事なんだと思いました。井上先生、要所要所での興味深いお話を沢山有難うございました。m(__)m
さて、いよいよ飛鳥資料館の講堂での講演です。
講堂前に設置した受付では、スタッフが商品企画に関わった「飛鳥 古代瓦ストラップ」や「あかい奈良」の販売もさせていただきました。ご購入くださいました皆さん有難うございます。m(__)m
また、事前散策とは別に井上先生がご用意くださった資料を配布させていただきました。A4にして四枚分に万葉歌や参考文献からの抜粋などがびっしり。これはもう、拝見しているだけで賢くなった気分になれます。(笑)
まずは、「飛鳥と万葉集」というタイトルに添って、また両槻会が「飛鳥」に拘っているという点にもご配慮下さり「あすか」という地名の表記の違いについてのお話がありました。
「飛鳥」も「明日香」も、それぞれ現在の地名として使用されていることから、どれも表記としては間違いでは無いとされたうえで、万葉仮名では、「阿須可」や「安須可」などの使用例があることもご紹介下さいました。
また、「飛ぶ鳥」と書いてなぜ「あすか」と読むようになったのかなどについても、記憶術のひとつとして枕詞の存在があったのではないかとお話くださいました。「飛ぶ鳥の」とくれば「あすか」と、言葉を繋がりとしてセット化することで、より記憶しやすいようにしたとも考えられるようです。ひとつずつの区切った言葉ではなく、流れを持たせるということなんでしょうね。これって、学生の頃に語呂合わせで歴史上の出来事の年代を覚えたのと通じるものがあるのかもしれませんね。書き文字のなかった時代、誰しも文字が書けるわけではなかった時代の人々は、記憶力が物凄く良かったんでしょうか?
飛鳥の主な万葉歌として、「宮処・アスカ」で5首、「故郷・アスカ」で2首、取り上げてお話くださいました。
大君は神にし坐せば赤駒の匍匐ふ田居を都となしつ 19-4260
大君の神にし坐せば水鳥のすだく水沼を都となしつ 19-4261
大君は神にし坐せば天雲の雷の上に廬らせるかも 3-235
わが里に大雪降れり大原の古理にし里に落らまくは後 2-103
わが岡のオカミ(雨冠に龍)に言ひて落らしめし雪の摧けし其処に散りけむ 2-104
「神にし坐せば・・」と大袈裟に詠い上げられたのには、当事当たり前の感覚でなかったからこそ必要な表現だったと考えられるそうです。言われてみれば、当たり前だとされていたことをわざわざ殊更に言う必要はありませんよね。言わずもがな・・・ってやつですか。
また、現在の「都」という漢字と古代日本に置ける「宮処・ミヤコ」の違いや、この歌に詠われた「都」が藤原であるか飛鳥であるかも、発掘調査などを元に導き出していく考古学と、表現されたものが全てありのままであるはずがないと考える文学との見解の違いなど、ももにはとても楽しいお話でした。
有名な天武と藤原夫人の間で遣り取りされた大原の雪の歌に関しても、ただ仲の良い間柄で遣り取りされたちょっと気の利いた洒落た歌(と、σ(^^)は思ってました。)というだけではなくて、積雪が春の水をもたらす瑞祥であるとされた中国のお話から、天候に始まる自然現象までも為政者の責任(徳による)とされた中国の影響が読み取れたりするのも面白いなと思いました。一人で辞書を引くだけでは、そんな一語一句細かく調べたりすることはできませんけど、今度からはもう少し、ひとつずつの言葉も気に掛けるようにしたいと思います。(^^ゞ また、これらの歌は、先の事前散策でもご説明頂いてますので、ただ講義を聞くだけよりも理解しやすかったように思います。
采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く 1-51
故郷の明日香はあれどあおによし平城の明日香を見らくし良しも 6-992
志貴皇子のこの歌は、事前散策時にも簡単にご説明いただきました。講演会後に行いました懇親会でも、この歌を好きな歌として取り上げられる方が数名いらっしゃって、現実の「明日香風」について様々なご意見や実体験などのお話になりました。皆さん、ほんとーに熱いです。(^^)
井上先生のお話は、飛鳥から都移りをした後、藤原・平城に至っても「アスカ」は、懐かしむ場所=故郷として歌の中に存在し、志貴皇子の歌は、現実の距離感ではなく詠み人の中にある心象的な飛鳥が都であった時期との距離などが現されていると捉えた方良いとのお話でした。これもまた、書かれていることが全て文字通りの意味ではないということになるのでしょうね。前述の「神にし坐せば」や「大原」の歌にもあったように、わざわざそう詠まれたことには、そこには違うなにか意識が潜むと考える方が自然なのかもしれませんね。
この「文字通りではないと捉えるべき」という考え方は、もしかして、ヒネクレ者のσ(^^)には、あっているかも?と思えてなりませんでした。(笑)
「故郷」が古き都であった例は、以前やはり飛鳥遊訪マガジンの「伏見の飛鳥やぶにらみ」にも、掲載しています。この時に取り上げられた「ふるさと」は、平城であったのですが、いつの世も旧都は、故郷になっていくということになるんでしょうか。
最後は、「アスカの神なび」について、長歌・短歌を含めて9首の歌(3-324・3-325・2-159・2-160・2-161・13-3230・13-3231・13-3268・13-3269・9-1761・9-1762)を取り上げられました。
これらの歌は頂いた資料には、一日通して、井上先生のお話の要所要所にでてきた原文で記載されていました。(万葉仮名で書くのは、大変なので割愛させて頂きます。(^^ゞ)
「アスカの神なび」は、雷丘、甘樫丘、ミハ山、南淵山に加えて、鳥形山や川原寺裏山など、様々な説があるようです。現在では発掘調査によって飛鳥時代の宮跡がほぼ確定されるに至ったのを受けて、神なびについても新たに更なる検討をする必要があるとのことです。
それぞれ見方や捉え方が違う考古学と文学でも、一方を無視して研究を進めるわけにはいかないということなんでしょうね。あっちの成果とこっちの成果が上手く重なって最終的な成果へと辿り着くのが少しでも早くなると良いな♪と、どちらにも興味のあるσ(^^)は思います。
万葉集の原文には、訓読されたものを見るのとは違う面白さがあることもこれらの歌を元に教えて頂きました。
万葉集に多いといわれる恋歌ですが、この「恋」は、万葉集では「孤悲」と書かれていることが多いのだそうです。「こひ」とは、元々男女感の恋愛感情だけを表すのではなくて、相手が居ない時に一人で思うことを言うんだそうです。この「孤悲」の文字には、なんだかグッと来るものがありました。
また天皇に関する歌でよく使われている「やすみしし」の言葉も、σ(^^)はただの飾り言葉のようなものだと思っていたんですが、こちらも原文では「八隅知之」と書かれているそうで、広く隅々まで知り(治める)渡るみたいな意味にも取れるようです。こういうお話を伺うと、原文からのイメージも大事しないといけないと思いました。が、原文を見たところで私には読めないんですけどね。(^^ゞ
井上先生には、予定時間を超過して熱く語ってくださいました。また、講演後の質疑応答でも、参加者の問いや感想に快くご返答下さいました。井上先生の居られる万葉文化館でも、来年度からはもっと所在地である「飛鳥」に拘って力を入れて行こうというお話になっているそうです。万葉文化館で展開されるであろう「飛鳥」も楽しみにしたいと思います♪井上先生、午前中から通して両槻会にお付き合い下さり、沢山の興味深いお話を有難うございました。m(__)m
このレポートは、ももの記憶だけで書き連ねています。当然、漏れもあれば間違って思い込んでしまったものもあると思いますので、当日の先生のお話を正確にお伝えできているかどうかは定かではありません。(^^ゞ その点、ご了承ください。m(__)m
井上先生のお話をお聞きしたあとは、少し休憩を挟んで参加者全員円座になって懇親会を行いました。
まずは、両槻会設立4周年・飛鳥遊訪マガジン100号記念投稿の表彰式です。(^^)
第24回定例会や飛鳥遊訪マガジンでもご案内していました記念投稿には、事務局の想像を上回る応募を頂きました。有難うございました。m(__)m 受賞作品は、順次飛鳥遊方マガジンに掲載させていただきましたので、皆さんもお読みいただいたかと思います。
受賞者には、感謝状に添えて、オーダーエンブレム町田さんご提供のオリジナル四神ピンバッチ(賞にあった神獣の物1個、朱雀賞1名、青龍賞1名、白虎賞1名、玄武賞1名)と両槻会定例会への参加割引優待券(有効期限1年の半額券1枚)を贈らせ頂きました。
引き続き、今回は参加者の方々に事前に「万葉歌を一首選んできて下さい」との課題を出させていただいていました。(講演会で課題を出すところなんて他にあるんだろうか・・とも思いましたが。^^;)もしかしたら、「話すのは苦手だから・・」と仰る方が沢山いるんじゃないかと言う事務局の心配を良い意味で裏切ってくださいました。(^^)
発表は、参加者の約半数の13名の方にして頂きました。当日、皆さんの選ばれた歌は、次のようになっています。
1-0002 |
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち… |
toshiyukiさん |
1-0013 |
香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より… |
よっぱさん |
1-0051 |
采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたづらに吹く |
坂井さん・西さん |
2-0165 |
うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我れ見む |
三木さん |
2-0211 |
去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年離る |
なずなさん |
3-0337 |
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ |
なずなさん |
3-0375 |
吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山蔭にして |
小原さん |
4-0594 |
我がやどの夕蔭草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも |
櫻木さん |
8-1418 |
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも |
TOMさん |
12-3129 |
桜花咲きかも散ると見るまでに誰れかもここに見えて散り行く |
tubakiさん |
13-3254 |
磯城島の大和の国は言霊の幸はふ国ぞま幸くありこそ |
yukaさん |
16-3788 |
耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ |
風鼓さん |
16-3857 |
飯食めど うまくもあらず 行き行けど 安くもあらず… |
奈都娘さん |
歌を選ばれた理由は、本当に皆さん様々でした。やはり秀歌と言われる歌がお好きだという方は勿論のこと、お住まいになっている地域に親しみのある歌、または左注や題詞に惹かれたという方、訓読のされ方によって響いてくるものが違うといわれる方。本当に人の数だけ歌には、思いがあるんだと思いました。万葉集といえば、難しい古典文学だと思われることもあるかもしれませんが、歌に勇気付けられることがあり、歌に思いが重なることがあるということを今回の懇親会から学ばせていただいたように思います。発表してくださった皆さん有難うございました。m(__)m
さて、懇親会終了後、両槻会主催講演会では、もはや恒例となりました飛鳥資料館の特別展を学芸員の成田聖先生にご紹介いただきました。
飛鳥資料館の春期特別展は、「星々と日月の考古学」と題し、キトラ古墳や高松塚古墳でも発見された天文星宿図を、国内外の星や日月に関する遺物展示を通して迫ろうというものだそうです。貴重な資料も沢山展示されるそうです。特別展準備にまつわるお話もとても楽しくお聞かせくださったお陰で、私たち素人にも展覧会がより一層身近に感じられました。成田先生、お忙しいなか有難うございました。m(__)m
- 飛鳥資料館 平成23年度春期特別展「星々と日月の考古学」
日時:平成23年4月16日(土)~5月29日(日)*会期中無休
場所:飛鳥資料館 特別展示室
時間:午前9時~午後4時半(入館は午後4時まで)
春期特別展記念講演会
日時:5月14日(土)
時間:13時開演
会場:飛鳥資料館講堂
講師:奈良女子大学教授 相馬秀廣氏
飛鳥資料館学芸室長 加藤真二氏
申込:不要
最後になりましたが、定例会開催の一週間前に、東北関東大震災が起きました。
今回の震災で被害にあわれた皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。また、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げます。m(__)m
事務局では、今回の定例会を中止することも考えましたが、今私達に出来ることは何かを考え、やはり予定通り開催することが大事なのではないかとの結論に達しました。
このような状況での開催にあたりまして、講師を勤めてくださった井上先生には、ご負担をお掛けしたことと思います。申し訳ありませんでした。ご講演頂き有難うございました。また、参加くださいました皆さん、会場の飛鳥資料館の皆さんには、この場を借りて御礼申し上げます。有難うございました。m(__)m
定例会当日、受付において募らせて頂きました東北関東大震災への義援金に販売させていただいた物品の収益金と両槻会の運営費の一部を加えまして、被災者支援に役立てていただくため、3月23日に日本赤十字に送らせて頂きました。義援金には、事務局の想像を遥かに超えるご協力を頂くことができました。
ご協力くださいました皆さん、有難うございました。
第25回定例会での義援金集計
- ・義援金箱の合計 ¥21,238
・あかい奈良売上合計 ¥5,000 (あかい奈良10冊分)
・古代瓦ストラップ売上収益 ¥6,000
・小計 ¥32,238
・第25回定例会(参加費)余剰金 ¥1,615(参加費合計-必要経費)
・事務局運営費・活動準備金より ¥16,147
・合計 ¥50,000
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