両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第28回定例会レポート


彼岸花ウォーク

埋もれた古代を訪ねる2と光の回廊参加



この色の文字はリンクしています。
散策資料
2011年9月23日


 第28回定例会は『彼岸花ウォーク:埋もれた古代を訪ねる2と光の回廊参加』と題しまして、9月23日(金・祝)に行いました。

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第28回定例会 彼岸花ウォーク:埋もれた古代を訪ねる訪ねる2 ウォーキングコース を表示

当日の飛鳥駅は、なかなか改札を出る事が出来ないほどの混雑ぶりでした。
ご挨拶のあと、5名の初参加の方を含む24名で、最初の目的地である檜隈寺跡に向かってスタートしました。風が気持ち良いウォーキングで、田んぼの畦にはニョキニョキと見頃を迎える彼岸花が咲いていました。


檜隈付近

檜隈寺は渡来系氏族の東漢氏の氏寺とみられることや、地形に制約されるためか、西を正面とする伽藍配置であるという説明などを事務局長から受けたあと、於美阿志神社の境内に残る基壇跡などを見学しました。
その南方にある檜前遺跡群からは掘立柱建物跡や古代の朝鮮半島から伝わった建築様式の大壁建物跡が見つかっていて、場所や立地から東漢氏に関わる建物だろうと考えられているそうです。
(檜隈寺跡、檜前遺跡群など本日巡りました場所についての詳しい解説は、ぜひ資料をご覧下さい。)


栗原

そこから東の方角の山の谷筋に呉原寺跡があります。檜隈寺跡で出土した瓦と同じ“火焔文入軒丸瓦”が出土していることから檜隈寺との強い繋がりが感じられるのだそうです。
『日本書紀』によると雄略天皇の時代に、呉国から来た人が置かれたことからその地が呉原と名付けられたという記事があり、また『続日本紀』には、玄奘三蔵に師事した道昭が国内で初めて火葬された土地であると書かれているそうです。“呉原寺西大門”と呼ばれる地名があったりと興味がますます湧いてくるのですが、残念ながらまだ謎だらけの呉原寺跡なのだそうです。(呉原寺の詳しい説明は資料をご覧下さい。)


道端の小さな石仏の写真などを撮りながら、北の方角にある立部へどんどん行きます。
前を通るだけの予定でしたが、少し時間に余裕があるということで定林寺跡に立ち寄りました。聖徳太子建立の七ヶ寺の一つだそうで、礎石や基壇が残りますが、こちらも詳しく分かっていない寺跡なのだそうです。(定林寺跡の詳しい説明は資料をご覧下さい。)


橘寺へ

慌ただしく定林寺跡をあとにし、北の方角に進み橘寺へ向かいます。
お忙しい法要の直前でありますのに、執事の古賀野さんにお時間を取って頂きました。そのため今日はいつもより早めのスピードで歩いてきました。


往生院にて

普段は写経や講演などの研修道場として利用されている往生院にて、ミニ講演をしていただきました。お彼岸・お盆のお話から、密教のおつとめの仕方でのお坊さんでないと分からないお話や、ちょっとむかしの橘寺の塀が一部無かった頃のお話など興味深く聞かせていただきました。お忙しい中、どうもありがとうございました。


塔心礎見学中

境内にある塔跡の心礎は、基壇面より1.2m程下にある地下式で、心柱穴には添え柱穴が三ヶ所作り出され珍しい形となっています。心礎が基壇面より深いほど古い様式なのだそうで、飛鳥寺や四天王寺では深さ3m以上もあったそうです。
アドバイザリー・スタッフのジョンスさんの説明によると、古代の中国では塔の下に大きな部屋を造り、そこに仏舎利とされる物などを安置した事から、基壇面より深い方が古い時代のものと分かるのだそうです。

境内には、善と悪の顔を持つ二面石があったり、軒下の隅木が雨で腐ったりしないように、瓦でカバーを作ってかぶせてある珍しい隅木蓋瓦が見られたり、花の色が白色から次第にピンク色に変わる酔芙蓉も咲いていたりして、昼食後の見学の時間が足りないくらいでした。(橘寺の詳しい説明は資料をご覧下さい。)

橘寺から道を隔てた北側には川原寺跡が広がり、西金堂・塔・中門などの土壇が復元整備されています。『光の回廊』の準備のため、カップロウソクが一部置かれていたり、何本もの色鮮やかな飾り物が立てられていました。その後、現在は駐車場になっている飛鳥宮のエビノコ郭へ向かいました。ここには飛鳥宮跡で最も大きな規模の建物が建てられていたそうです。配られた資料に載せてありました、事務局長が制作したイメージイラストを参考に頑張って建物を思い描いてみました。(川原寺・エビノコ郭の詳しい説明は資料をご覧下さい。)

その後、南門のあった位置を確かめながら、後の朝堂的?な建物があった場所へ移動して、内郭の南北を分けていたという三条の東西掘立柱塀の位置などを確認したあと、内郭正殿跡の辺りへ移動しました。
今は田んぼが広がる気持ちの良い場所ですが、かつて、ここには三層に重なり合う四期の宮跡があったことが発掘調査によって考えられるのだそうです。整備された飛鳥京の井戸跡にも『光の回廊』に使用される大きな飾り物が準備されていました。(飛鳥宮の詳しい説明は資料をご覧下さい。)


飛鳥苑池遺構を見学中

吉野川分水を越えて飛鳥川の方へ下って行くと、調査中のために広くシートが広げられ、重機が置かれた飛鳥京跡苑池遺構が現れました。横に土が盛られ、一見宅地造成中にしか見えない場所ですが、石積みの護岸や流水施設を持った石造物、松の根が発見された中島や島状の石積みが造られていたそうで、これらから視覚的な効果を考えて造られた池であるとわかるそうです。また、より深い北側の池から東岸北側で階段状の遺構が発見されています。(飛鳥京跡苑池遺構の詳しい説明は資料をご覧下さい。)


弥勒石
(7月23日下見時撮影)

飛鳥京跡苑池遺構から飛鳥川に沿って進みますと、“木の葉堰”と呼ばれる堰があます。古代にも同じような場所にあったと思われます。その近くには、お顔が刻まれた大きな弥勒石が祠にお祀りされています。下半身の病にご利益があるそうで、たくさんの草履が奉納されていました。事務局長から、弥勒石にまつわるのではないかという昔話が語られました。長いですが面白いお話なので、ぜひ読んでみて下さい。(木の葉堰・弥勒石の詳しい説明は資料をご覧下さい。)


遺構が三層に重なる飛鳥京跡辺りは、田んぼが段々になっていて、この時期は青さの残る稲穂が気持ち良く広がりますが、稲刈りが終わった後の景色もまた美しく、昔に思いを馳せながらのんびり歩くのもこれまた良いです。


飛鳥寺西門跡へ

彼岸花が真っ赤に連なる畦など眺めながら、飛鳥寺西門跡へ向かうと、飛鳥遊訪マガジンや定例会の講師としてもお世話になっている近江先生が、ご家族の方と飛鳥散策をされている所に偶然出会いました。やはりご縁があるのでしょうか。しばし事務局長と歓談され名残惜しいですがお別れをしました。先生、また両槻会の散策にもご一緒下さいね♪ 

飛鳥西方遺跡の今回の発掘現場にもシートが掛けられていましたが、隙間から丸い石が覗いていました。こちらの方にも土管が続いているのでしょうか。(飛鳥西方遺跡の詳しい説明は資料をご覧下さい。)


飛鳥寺西方の彼岸花

そこから北へ進み、次の水落遺跡に着く頃には私などかなり疲れてきておりましたが、皆さんはいかがでしたでしょうか?。


石神遺跡北限付近にて

石神遺跡では北限の位置や、“須弥山石”や“石人像”が発見された場所などを実際に確認しました。その頃の建物や道はないけれど、遠くに見える山々がその頃のままなんだと位置を確かめる事が出来て楽しいものです。(水落遺跡・石神遺跡の詳しい説明は資料をご覧下さい。)

飛鳥寺域の北西角はここだと教えてもらい、最終目的地の飛鳥資料館へ向かいました。

ウォーキングのみの参加の方とはここでお別れです。お疲れさまでした。またのご参加をお待ちしています!

飛鳥資料館に到着後、休憩をはさみ加藤真二学芸室長から、“文化財レスキュー事業”の現状報告がありました。
6・7月と加藤先生は応援に行かれ、宿泊地の仙台から山崩れを応急処置した道を通ったりして、2時間かけて現場に向かわれたそうです。被災した品物を砂利の中から掘り出す事から始め、洗浄がとても大変な仕事であり、保管の場所もなく遠くまで運ばねばならないなど、実際に行かれて活動された方のお話をお聞きすると、やはり目の前に光景が浮かび身近に感じられました。
宮城はとりあえず終わったそうですが、福島はようやく現地に入れるようになったばかりという状態で、まだまだ膨大な時間が掛かるという事がわかりました。27回定例会で、ご協力いただいた皆さんからの寄付金も、これらの活動の一部に使用されたと思うと少しだけホッとした気がしました。

その後、飛鳥資料館の前庭で行われる『光の回廊』で使用するカップを、資料館の方と共に準備をしてゆきました。
前日に、スタッフ数名で“亀形石造物”の地上絵を描くための下準備でマス目を作っていましたが、誰もがゼロからの制作は初めてだったので、うまくゆくかどうか心配していました。
カップの中には倒れないように土か水を入れ、“亀形石造物”は設計図を見ながらカップを置いてゆきます。眼と体の内側の円は青いセロハンを巻き付けたカップを置きました。離れた場所から亀に見えるか皆が確かめに行きますが、ちょっと亀には見えないなぁの声が・・・チラホラ


他のカップも、庭に展示されている石造物の周りや、広い庭の芝生の上などに置いてゆきました。夕日が知らないうちに沈み、空が夕焼けに染まっていました。皆でロウソクを入れ、明かりを灯し、風除けのリングを乗せてゆきました。


亀型石造物 完成!

土や水をカップに入れるため、手を汚しながらお手伝い下さった方、時間を掛けて亀に見えるように手直しを繰り返して下さった方々をはじめ、皆さんのお陰で飛鳥資料館の庭に『光の回廊』が完成しました。皆さんお疲れさまでした~!


前庭でのナイトミュージアムガーデン

すっかり暗くなった庭で、加藤先生による「ナイトミュージアムガーデン」が始まりました。いつも見る石造物がライトアップされると、その存在感が一層大きくなり、幻想的に浮び上がりました。それらの石造物などを順に巡りながら、説明をしていただくという何とも素敵で贅沢なトークでした。

消灯・撤収と最後まで参加下さった皆さん、お疲れさまです。ありがとうございました。
そして、次の24日の『光の回廊』もお手伝い下さった皆さん、どうもありがとうございました。
皆さんと、『光の回廊』という初めての試みがご一緒出来てとても楽しかったです♪


レポート担当: 若葉 

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