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現在の寺の境内に入ると塔跡に鎌倉時代に造られた十三重石塔が目に入ります。そのために、四天柱礎が寄せられていますが、側柱はほぼ元位置を保っています。付近から山田寺式軒瓦が多く出土することから、塔はこれを用いて7世紀後半頃に建立されたとされています。また、基壇内部に7世紀前半代の瓦・土器などが多く混入している為、7世紀前半に別の建物があった可能性もあるようです。
金堂は、塔の北側で(現在の本堂から北東にかけて)東西23.4m・南北推定19.2mの基壇が発見されています。また、東北隣接地で落とし込まれた礎石二個が発見されたことから、講堂の位置もほぼ推定できるようです。西回廊が一部検出されたことで、回廊内の東西は66mであったと推定されています。 |