656 |
斉明 2 |
9. |
斉明天皇、田身嶺に両槻宮をつくる。 |
678 |
天武 7 |
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定慧和尚、藤原鎌足の遺骸を多武峯に改葬し、十三重塔を営む。 |
898 |
昌泰 元 |
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多武峯尊像破裂する、以後35回に及ぶという(多武峯破裂記)。 |
963 |
応和 3 |
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増賀上人、多武峯に登る。 |
970 |
天禄 元 |
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多武峯権殿を創建する。 |
1183 |
寿永 2 |
7. 9. |
多武峯・金峰山の僧徒,蜂起して源氏に応ずる(吉記)。 |
1351 |
観応 2 |
11. 9. |
多武峯一山の伽藍坊舎焼ける。 |
1429 |
正長 2 |
5. 3. |
観世・宝生、多武峯芸能(猿楽)を演じる。 |
1435 |
永享 7 |
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永享 10南朝の遺臣、多武峯に拠る(十津川記)。 |
1438 |
永享 10 |
8.28. |
多武峯、畠山持国(管領)の大軍をうけ堂舎焼かれる。大織冠御影、橘寺に難を避ける(大乗院日記目録)。 |
1451 |
宝徳 3 |
3.11. |
多武峯船(八号船)明と貿易のため出航する。多武峯の大織冠は12年間長谷寺に移座する。 |
1453 |
享徳 2 |
3.30. |
長谷寺・多武峯は天竜寺などと幕府に請い、対 明貿易をおこなう。
長谷寺と多武峯は楠葉西忍が宰領司、翌年7月に帰国した。 |
6. 9. |
大和四座、多武峯芸能(猿楽)を演ずる。 |
1466 |
文正 元 |
10. 1. |
多武峯僧徒、越智家宗を攻める(大乗院寺社雑事記)。 |
1481 |
文明 13 |
3. |
多武峯衆徒と越智党の争いおこり、衆徒戒重を攻め多数討死する(大乗院寺社雑事記)。 |
1506 |
永正 3 |
7. |
赤沢朝経の大和侵入に対し、大和国衆は連判状をもって盟約し、箸尾・十市は多武峯にこもる。 |
9. 5. |
沢宗益多武峯を攻略、一山焼かれる(大乗院寺社雑事記)。 |
1532 |
天文 元 |
6. |
多武峯十三重塔を建造する。大和に一揆おこり、高取城を攻め、多武峯を攻め損じる。 |
1559 |
永禄 2 |
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十市遠勝、多武峯に拠り松永久秀を攻める。 |
1585 |
天正 13 |
閏 8.25. |
多武峯に刀狩りがおこなわれる。 |
1588 |
天正 16 |
3.26. |
多武峯大織冠、郡山に遷座の綸旨がでる。 |
1590 |
天正 18 |
12.28. |
豊臣秀吉の病気平癒のため大織冠郡山から多武峯に帰座する。 |
1687 |
貞享 4 |
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松尾芭蕉、伊賀から初瀬、三輪、多武峯を歴訪する。 |