両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第31回定例会レポート


両槻会主催ウォーキング

飛鳥展望散歩 2



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散策資料
2012年3月3日
レポート担当: サポートスタッフ・らいちさん


藤本山から飛鳥を望む

 ぎりぎりまでお天気が心配でしたが信じられないくらいの晴天に恵まれました。何といっても、今回の例会の見どころは展望そのもの。「当日天気が悪かったらどうするねん?」と突っ込みたくなるような、大阪のビル群まで写った写真を載せて「一緒にこの展望を楽しみませんか?」なんて前宣伝をぶちこむ事務局長。そして、当日見事に晴れさせるあの強引な晴れ男ぶりはどうでしょう?「また、風人さん図に乗るわ~人徳、人徳と言うよきっと…」ささやきあう私たちの予想を裏切ることなく事務局長は上機嫌でありました。


 集合場所の桜井駅前にひとりまたひとりと集まる参加者さんたち。
 受付を済ませて談山神社行きのバスの列に並びます。ひと月前に同じバスに乗ったときは道路凍結の為に屋形橋から先に上れず、東大門から歩いた参道はうっすら雪が積もっていて社務所の前の池には氷がはっていました。神社のあるあたりでも標高が500mくらいあるので駅周辺と比べるとかなり気温が低くなります。例会当日は途中で降ろされる心配もなく、終点のバス停に到着しました。



 参加者全員で円陣になり挨拶をすませると、十三重石塔と摩尼輪塔に向かいました。私は別行動で拝観受付の手続きに行ってから本隊に合流しました。

 石造十三重塔(峯の塔)は、前回同じようなコースを歩いた第13回定例会の時に、アジク先生に詳しい解説をしていただきました。両槻会の常連さんなら覚えておられる方もいらっしゃると思います。永仁六年(1298年)の刻銘を持ち高さおよそ5mで、当地では古くから藤原不比等の墓と伝えられています(真偽はともかく…)。台石には石工井行元と名前が刻まれていて、伊派と呼ばれる石工一族の手によるものであることがわかります。奈良県では東大寺南大門の石獅子や般若寺の十三重石塔が有名ですが、近いところでは山田寺近くにある東大谷日女神社の石燈籠が井行長の作で重要文化財に指定されています。

 摩尼輪塔。巨大なといってもいいでしょうか、八角塔身のうえに方形の笠石が乗っていて、正面上部にはダイナミックに梵字が刻まれた円盤があり、その下には「妙覚究竟摩尼輪 乾元二年癸卯五月日立之」という文字が刻まれているそうですが、下の方は地面に埋もれて読むことが出来ません。菩薩界修行の級位をあらわす五十二ある町石の最後に建っています。一番目の町石の建つ一の鳥居から順に登ってきて、ここまで来たら妙覚位、最高の悟りに達したことになりますよと参詣者に教えてくれるわけですが、バスで登って来ててはだめなんでしょうね、きっと。


 摩尼輪塔の向かって左に最後の町石と、その左にあるのは牛石と呼ばれています。牛さんに見えますかね~亀石もあれば牛石もあるのです。


燈籠ヶ辻。
 山門手前の参道沿いにはひときわ大きな春日燈籠が建っていて、元徳三年の刻銘があり後醍醐天皇の御寄進と伝えられているそうです。ここで南朝ファンの某Sさんの目がキラリーンと光ったのを事務局長はすかさずつっこんでいました。


 社務所の前から談山神社の境内に入ると、きれいに修復された木造十三重塔と権殿が見えました。じゃまだった覆い屋もなくなって、春の桜の季節が楽しみです。今は本殿が修復中でご神体の御神像は権殿にいらっしゃいます。


 ちょうどこの日が本殿にお戻りになる遷座の日だったらしく、御神像をのせる輿が置いてありました。夜には無事に本殿にお戻りになり、翌日はそのお祝いの行事が行われたようです。
 御神像とは藤原鎌足像のことですが、ここ談山神社が明治の神仏分離令までは妙楽寺と呼ばれたお寺で、その創建は鎌足の遺骨を芯礎深くに埋めて上に十三重塔を建てたのが始まりだそうです。談山の名前は中大兄皇子と鎌足で大化改新にかかわる話し合いが行われたという談所が森、談らい山に由来するそうで、飛鳥にこだわって活動している両槻会にとっても飛鳥から切り離して考えられない場所です。今回の例会のテーマは展望ですので、ここでは自由拝観ということにして時間をとっていただきました。


 私は本殿がどんな感じになっているか見に行きました。屋根の檜皮が美しくなって、朱塗りの柱や瑞垣の彩色が鮮やかに塗り替えられていました。昨年の夏にこの本殿の床下から神像を空襲から避難させるための防空壕が見つかりました。穴を掘ったときに出てきたと思われる地鎮具から、考古学的な発見もいろいろあったようです。


 権殿西横から急な山道をおよそ15分ほど登ると、御相談所と書かれた大きな石碑の建つ「談所ヶ森」にたどり着きます。



 ここが、談山(かたらいやま)。休憩できるようにベンチなんぞが置いてありました。ここで中大兄皇子と藤原鎌足が「大化改新」の秘策を練ったわけですね。「皇子と臣下がこんなところで○○○○○で、○○○○○○だろう!」事務局長の持論が飛び交います。(伝記・伝承や縁起に書いてあることも大事にしましょうよ…)ここから御廟所までもうひと登りします。



 御破裂山山頂には御廟所(藤原鎌足のお墓とされている)があります。鎌足の長子定恵が唐へ留学中に父鎌足が亡くなり、夢に出てきて「自分を大和多武峰に祀り寺院を建立したなら、神としてこの山に降り一族を守護するであろう」といったそうです。定恵は帰国後そのとおりに摂津国阿威山にあったお墓から遺骸の一部を持ち帰り、多武峰に改葬したとされています。それから神となった鎌足さんは御破裂山頂に鎮座し、天下国家に大事あれば鳴動をもって知らせてくれるのです。鳴動がよく聞こえる場所には鳴動異変監視場所とでもいう「立ち聞きの芝」が針道、粟殿、北山と3箇所、一説には明日香側にもう一箇所あったそうです。鎌足の墓については諸説あるようですが、詳しくは資料をご覧下さい。


 今回の例会の目的は、御廟の後ろからの展望です!さすがに大阪のビル群までは見えませんでしたが、二上山や大和三山など眼下に広がる大和平野の景色を楽しみました。耳成山の向こうに事務局長の豪邸も見えたでしょうか、どうでしょう。


 御破裂山頂から西口へ向かいます。ちょっと笹が伸びすぎですが北側の展望が開けていていい感じです。


 この辺りではウグイスの鳴き声がさかんに聞こえてきて、早春の山歩きに楽しみを添えてくれました。


念誦崛不動尊。
  念誦崛の手前左に大きな案内が建っています。


 足場が悪いので希望者だけ…といわれましたがほとんどの人が行きました。5分ほど降りて行きますと、岩に刻まれたお不動さんがいらっしゃいます。


 念誦崛への道沿いには、気をつけて見ていると所どころに石垣がみえます。紛争が絶えなかった頃、多武峰を守るために築かれた城郭の名残ではないかといわれています。
 両槻会の名前にも使われている斉明天皇の両槻宮もこの辺りにあったのでは…といわれていますが、さて、どの辺りにあったのでしょう?


 念誦崛は増賀上人墓と書かれた案内板にそって急な石段を登っていくと石造りのドームのような形をしています。増賀上人は徳の高いお坊さんだったのに、名利を嫌って多武峰に隠り念仏三昧をしていたようです。奇行の多い人としても有名だったようです。入寂のようすについても事務局長が詳しく説明してくれました。今回の例会のテーマは展望ですので、ここには長く書きませんが興味のある方は資料をご覧下さい。


 念誦崛のある場所は、紫蓋寺というお寺の跡でもあり、多武峰に仕えた歴代のお坊さんのお墓もあって、ここだけで五輪塔の編年がわかるというくらい石塔や石仏が豊富です。


 念誦崛から北山へ降りる舗装道をしばらく行くと分岐の案内板があります。左の山道をしばらく行くと更に分岐があって、役行者像があります。右の高田方面へおりるともうひとりの行者像があるそうですが、そっちの道はあまり歩いている人がいないようです。


 私たちはここから万葉展望台を目指して歩きます。展望台へ出るちょっと手前の道から以前は尾曽の集落が見えたんですが、今は木の枝が伸びすぎて見えなくなっているようです。一時、両槻会サイトでは天空の里、飛鳥のラピュタとかいって盛り上がりましたね。


 「うわぁお~」とか声が出たでしょうか。見る前に発声練習させられましたからね。ここからの景色を見てると、本当に晴れてよかったと思いました。誰かさんの人徳のおかげです。展望がメインの例会ですからねーさっき御破裂山頂から見た景色が飛んでいってしまいます。
 ここからの絶景を楽しんで贅沢なお昼休憩です。皆さん写真を撮ったり、あれはどこ、これはどことそれぞれの気になるポイントの同定をはじめました。
 こんなに展望のいい場所を古代の人が利用しなかったわけがない。といわれればなるほどと思います。飛鳥防衛システム?両槻宮?ただただ景色を楽しむだけに終わらない事務局長の熱弁が続きます。


 昼休憩のあとは絶景に別れを告げて、急な山道を下ります。談山神社から藤本山展望台を経て飛鳥に降りるルートは例会常連さんには馴染みのコースなのですが、まだまだ一般的に知られていない道です。上居への下りは山道なので、前日の雨がひどければコース変更もやむなしだったのですが、思ったより歩きやすかったですね。下の方の道は少し前に景観ボランティアさんたちが整備してくれていたので、ありがたかったです。谷沿いに大きな石をみつけては磐座だといったり、石積みのようなものを見つけて古墳の石室だといったり、ほら話もネタのうちのようです。


 飛鳥側へ下ってくると見慣れた棚田の景色が現れました。


 岡寺の参道へ出てきました。


 坂乃茶屋のおばちゃんにお宝の瓦を見せていただきました。丸い方は岡寺の創建当時の瓦だそうです。
 皆、写真を撮ったり、触ったりして大変でした。


伝飛鳥板葺宮跡から藤本山を望む

 伝飛鳥板葺宮跡まで来て、今降りてきた藤本山はどれかとか、宮跡のお話を聞きました。
 岡寺の塔の上に見えているのがさっき登って来た藤本山万葉展望台です。座って見上げていると飛鳥の集落からこんなによく見えるあの場所に、古代の人が何も興味を示さなかった訳がないと思えてきます。


 飛鳥川を渡って甘樫丘にむかいます。発掘中の東麓遺跡では例会翌日が見学会でした。
 そして、これから最後の展望場所である甘樫丘に登ります。


 東側明日香村の展望を楽しみ、反対側の西の展望を楽しみ、あれはどここれはどこと確認しながら、次の例会のテーマになる小山廃寺跡のこんもりした森やその周辺の説明にも力がこもっています。


 名残を惜しみながら、甘樫丘を下りバス停へと向かいました。毎回楽しい両槻会例会です。今日の好天を授けてくださった飛鳥の神様にありがたく感謝しました。参加された皆さまお疲れさまでした。

レポート担当: サポートスタッフ・らいちさん

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