両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第41回定例会レポート

飛鳥時代の土木技術



吉備池廃寺にて
この色の文字はリンクしています。
第41回定例会資料
2013年11月2日

 第41回定例会は、予定時刻の午前9時20分には、事前散策から参加された方全員がすでに集合、出発式では、事務局長から久々に「今日の天候がよいのは、またまた私の人徳で・・・」との挨拶がありました。


大福駅前での出発式

 この日は参加者の皆さんが早々と集合してくださったため、事前散策からご同行下さった講師の青木敬先生、そして事務局のももさんとタイムキーパーを仰せつかったよっぱを先頭に、予定より5分も早く、午前9時25分に近鉄大福駅を出発しました。


軒先の復古瓦を見上げる

 出発時点で時間に余裕があったことから、この日は最後尾についた事務局長の提案で、通過予定であった蓮台寺に急遽立ち寄り、本堂の軒に葺かれた復古瓦?を見上げたり、吉備真備の墓と伝えられる五輪塔を見学した後、吉備池廃寺に向かいました。


吉備池南堤を行く

 吉備池廃寺では青木先生から、金堂の基壇に堀込地業があり塔の基壇に堀込地業がないのは金堂の下層に古い谷筋が通っているからだと教えていただきましたが、現地に立って周囲の地形を見ながら説明を受け、より一層理解することが出来ました。


神武天皇聖蹟磐余邑顕彰碑を前に

 吉備池廃寺での説明の前後には、事務局長から春日神社や大臣薮、神社北側にある磐余邑顕彰碑と磐余地名伝承の説明もありました。


米川(百済川か?)

 次に一行は、大藤原京左京五条八坊 中嶋遺跡に向かいました。
 ここは、橿原市教育委員会が発掘し、大きな池の堤跡が発見されたことから、「磐余池か!」と話題になった遺跡です。


堤上にて

 青木先生からは、確認された堆積土から池があったことは間違いないが、築堤の時期から日本書紀の履中天皇2年に記されている磐余池とするには問題があると説明がありました。また、磐余の範囲と磐余池の位置に関する諸説についても説明があり、青木先生は千田説、あい坊説に近い説を支持されていて、もっと時間があれば上宮遺跡に絡めて磐余池の説明もしたかったとおっしゃっていました。


堤遠望(西から)

 中嶋遺跡での説明を受けた後、一行は、堤上に位置する集落の小径を歩き、御厨子観音下から香具山山麓を通り、万葉の森公園に予定通り午前11時に到着し、少し早いお昼の休憩を取りました。


香具山から大官大寺跡へ

 万葉の森公園での昼食・トイレ休憩の後、一行は香具山山麓の散策道を抜けて大官大寺跡に向かったのですが、ここで道に迷ってはいけないと、「日本一の香具山通」を自負する事務局長が先頭に立ち一行を大官大寺跡に導いてくれました。


大官大寺跡から香具山を望む

 大官大寺跡では、青木先生から発掘の経緯や基壇の説明に加えて、岡本桃里の描いた図面を基に大官大寺に四天柱礎が何故無かったのかということや、百済大寺・高市大寺・大官大寺などの当時の官寺が香具山周辺に造営されていることや大王家と神聖視されていた香具山とのつながりなどを教えていただきました。


大官大寺跡説明風景 搭基壇南東隅から


中の川に沿って

 その後一行は、「斉明天皇の狂心の渠」ではないかと考えられている中の川沿いに南下し、奥山廃寺にたどり着きました。


奥山廃寺 塔基壇上にて

 ここでも青木先生から、塔基壇や四天柱礎、前身寺院の存在をうかがわせる基壇下層の堀込地業について説明があり、事務局長からは、境内北東に位置する井戸から出土した墨書土器と小治田寺などについての説明がありました。

 そして一行は、事務局長の宣言どおり、飛鳥資料館に予定時刻の午後0時38分に到着したのです。

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ミニ情報
予定時刻に到着したのは裏門で、表門から資料館に到着したのは3分遅れでした。
  この日、最後尾に回った事務局長はしゃべり足りずに各所で予定をオーバーし、先頭 のももさんとタイムキーパーのよっぱが、3分遅れまで縮めたのでした。
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  資料館に到着して若干の休憩後、引き続いて青木先生に特別展のギャラリートークをお願いしました。
 阿倍山田道の敷葉工法のはぎ取りを前にして、これを発見した瞬間は木や葉が青々としていたのが20~30秒で変色したというお話があったり、石神遺跡から出土した釉薬が施された土器片が、当時は日本で製作出来なかったガラス器を模したものであることなど、青木先生がおられないと聞くことが出来なかったお話ばかりで、いつも以上に両槻会の特典と後押しして下さる先生方のありがたみを痛感しました。


 さて、講演会は、資料館の石橋室長の挨拶と事務局長からの青木先生のご紹介の後、予定通りに開演されました。


 まず先生は初心者にもわかりやすく、堀込地業と版築や版築に使われた道具の説明から詳しく始められました。青木先生は、丁寧に作られたレジュメに加え、パワーポイントによる各地の発掘調査時のスライド写真まで手間暇かけてご用意くださり、他の先生方同様、損得抜き(ボランティア)で両槻会定例会に来ていただくにもかかわらず、この会に対する先生の意気込み(ご支援)が、そこには凝縮されていました。


 続いて、日本における各寺院や古墳、宮跡の版築例を発掘調査時の写真を交えて説明がありました。
 この説明の中では、版築時に強度を高めるために石灰を混入していたこと、礫を定規代わりに混入していたこと、高松塚古墳では墳丘上の版築がずれないように、あえて搗棒でたこ焼き器のように穴を残していたことなどを教わりました。
 また、基壇の築造には、堀込地業を行っているものとそうでないものがあり、版築の技法も礫を混ぜるものや下層と上層で土質を変えるもの、堀込地業の底から基壇頂まで同質の土を使うものなど様々な技法があり、それは造営の時期や地域(飛鳥の中心部かそれ以外の地域か)による違いがあることも判りました。

 次に、当時の中国や韓半島の国にあった各寺院の基壇についても発掘調査時の写真を示してくださり、先に説明された日本のどの版築が中国や韓半島のどこの版築技法と同じかがよく分かりました。

 そして最後に、堀込地業や3つの技法に分類される版築技術が、日本に取り入れられた時期や、その技術を取り入れていた韓半島や北朝・南朝の国と日本との交流関係についての説明があり、建築技術の変遷にもその当時の日本と韓半島や中国との交流の影響があったことが判りました。そして、閉館時間ぎりぎりの午後4時30分までの3時間に及ぶ熱のこもった講演が終了しました。

 この日先生は、事前散策からギャラリートークを経て講演終了まで、しゃべり詰めの一日でしたが、打上の席では、有志の質問に答えて頂きながらも、心ゆくまで疲れた喉を潤して頂きました。
(その分、夜の疲れを持ち帰っていただいたかもしれませんが・・・。)

 青木先生には、一日中(かつ夜遅くまで+後々の寄稿まで)おつきあい頂きありがとうございました。
 また、飛鳥資料館の石橋室長はじめ関係者の方々には、定例会開催に関して、いつもご配慮いただき、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、打上の席で、青木先生から非常に大切なお話を頂きました。
 青木先生は、『ある先生から、「両槻会は、金は出ないが飛鳥や歴史を一生懸命学んでいるから応援してやって欲しい。」と言われた。私もそう感じるから両槻会を応援する。』と。
 ご支援をいただいている先生方にもこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
ほんとうにありがとうございます。



レポート担当:よっぱさん  

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