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明日香村大字小山と橿原市南浦町をまたぐように所在し、金堂と塔の基壇跡が残ります。
寺域は、藤原京十条大路に面し、左京十条四坊の四町と九条四坊のうち二町の合計六町を持っていたと推定されています。(条坊表記は岸説)
大官大寺は、『日本書紀』や『大安寺縁起并流記資財帳』などから、天皇勅願の寺として舒明天皇11年(639)に百済宮とともに造営が開始された百済大寺の後身だとされています。
百済大寺は、天武天皇2年(673)には高市大寺、天武天皇6年(677)には大官大寺と寺名が変更され、平城遷都の際には、さらに改称され大安寺として新都に移転したとされています。
伽藍は、中門・金堂・講堂が一直線に並び、金堂の南東に塔を置く特殊な一塔一金堂形式になります。回廊は、中門と金堂を結び、さらに北に延び講堂の北で閉じます。伽藍中軸線は、藤原京の条坊に一致するとされています。 |