両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第48回定例会


運ばれた塩

−飛鳥地域の製塩土器から探る−

レポート


この色の文字はリンクしています。
第48回定例会 事務局作成資料
2015年1月17日


両槻会の第48回定例会は、帝塚山大学大学院 研究生の河村卓先生をお招きして、「運ばれた塩―飛
鳥地域から出土する製塩土器から考える―」と題した講演会を開催しました。

寒い時期ですので、今回の事前散策はなし。参加者の皆さんには、直接会場である飛鳥資料館講堂にお 集まりいただきました。
さて、第48回定例会は、河村先生の講演に加え、橿原考古学研究所の佐々木芽衣先生に昨年夏に未完成の修羅が出土したことで話題となり、11月には現地説明会の行われた「藤原京右京十一条四坊」のお話を、また飛鳥資料館学芸員の丹羽崇史先生には、前日から始まった冬期企画展「飛鳥の考古学2014―縄文・弥生・古墳から飛鳥へ―」のギャラリートークをお願いしていました。一度に3回分の内容を盛り込んだとても濃い定例会をこなすために、定例会の開始時刻はいつもより早めの12時40分。

参加者の皆さんには、あらかじめ詳細案内メールで、便利なバスの時刻をお知らせしていたのですが、早めに来館し予習のために冬期企画展をご覧になった方や、寒さもなんのそのと徒歩で会場までお 出でくださった方もいらっしゃいました。毎度のことながら、寒さに負けてちゃっかりバスを利用した スタッフは、皆さんの元気と熱心さには頭が下がります。凄いっ!

河村先生のレジュメは、画像たっぷりのA3サイズ8枚に加えて、詳細な地図や表を3枚もつけてくださっていました。資料に地図や表などが付いていると、楽しくなるのはσ(^^)だけでしょうか?視覚から入るってとっても大事なことだと思うんです。ま、ただ単にσ(^^)の理解力が乏しいだけかもしれませんが。(^^ゞ


定例会のタイトルは、「運ばれた塩―飛鳥地域出土の製塩土器から探る―」となっています。
でも製塩土器って、歴史好きの方にもあまり馴染みがないですよね。展示されてても何だか地味だし・ ・。(河村先生、すいません・・^^;)

先生は、和泉の方で参加された発掘調査で「なんだ、このスカスカの土器は?」と思われたのが、製塩土器との出会いだったそうです。「なんだ?」って思うのって、やっぱり大事なんだなぁ~と。そしてやはり、興味をもつこと。あとは出会いのタイミングなんだろうなぁ~と、思った もも です。

製塩土器の話に入る前に、まずは日本の塩作りの歴史として、基本的な塩の知識や製法、時代による変遷などをご紹介くださいました。塩なんて身近に有り過ぎて、改めて考えたこともなかったですし、その製法一つをとっても、実に様々な方法が古代から行われてきたようです。塩田という言葉は聞いたことはありますが、入浜式や揚浜式 流下式なんていうのもあり、近年ではイオン交換膜法なんていうのがあるんだそうです。海水を汲んで人力で、という時代ではもうないんですね。当たり前か。^^;

そうそう、工業用の塩なんていうのもあるんですって。塩って、本当に色んなものに利用されているんですね。

では、古代はどんな風にして塩を作っていたんでしょう。
実際に、先生が体験した塩作りの行程を画像やイラストを交えて説明してくださいました。

広島の呉市に、「県民の浜」という複合施設があって、ここには古代の製塩遺跡の復元展示されていて 、古代のさながらの塩作り体験ができるようになっているんだそうです。体験型遺跡保存ってやつになるんでしょうか。

咲読でも書かせて頂いたんですが、万葉集には「藻塩焼く」という表現があります。

名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘女ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに 手弱女の 思ひたわみてたもとほり 我れはぞ恋ふる 舟楫をなみ(6-935)

藻(海藻)は、ホンダワラを指すと言われていますが、このホンダワラ、スポンジのような感じで水分を多く吸収するんだそうです。これを海水に漬け塩分を付着させて乾燥させるという行程を何度も繰り返して、塩分濃度の高い海水と塩水のついた海藻作るんだそうです。そして、海藻を燃やして出来た灰をまた濃い海水に戻して、海水よりも塩分濃度の高い塩水(かん水)を作り、これを煮詰めることで塩ができるようです。

この煮詰める作業に使われている土器が、「製塩土器」というわけです。

パワーポイントの画像で、この「かん水」を見せて頂きましたが、薄茶色で、出来上がった塩も真っ白ではありませんでした。海藻を焼いた灰が入っているから、そういう色目になるんでしょうね。


河村先生作の塩

そうそう、これより先に流下式塩田の「かん水」から、塩を作る工程も見せて頂いたんですが、こちらの「かん水」は透明で、出来上がった塩もほぼ真っ白でした。

さて、万葉集絡みで塩を調べていると、「本当に海藻を焼いて塩作りをしていたのか?」と疑問符のついたものを見かけることがありました。歌に出てくる「藻塩焼く」や「塩焼き」は、最後の海水を煮詰めることを言うんじゃないのか?と、私も思っていたのですが、先生のお話によると、近年、海藻を焼いた痕跡のある遺跡が愛知県で見つかっているそうです。ほぉ~・・と、ここで一つ賢くなりました。^^
でも、海藻を焼いた灰を使わずに塩を作る方法もあるそうです。宮城県の御釜神社の藻塩焼神事は、こちらの方法で塩作りが行われるそうです。

製塩作業の神事が行われているところは他にもあって、三重県の御塩殿神社では、ちょっと変わった三角錐の土器に塩を詰めてさらに焼き固める「焼塩」という神事が行われているんだそうです。神事の様子をこれまた画像入りで説明してくださいました。行かれたんだそうです!三重県の神社まで。それも、台風が直撃するかも?という時に!研究するって大変ですね。^^;

でも、焼塩って、火を入れて煮詰めて作ったはずの塩を何故にまた焼くの?・・・って思いません?(笑)

先生のお話によると、土器や釜などで煮詰めて作った塩は粗塩の状態で、少し湿気を含んだものになるようです。塩は潮解(ちょうかい)といって、ほっておくと空気中の湿気を吸ってベタベタした状態になり、目減りしていくんだそうです。確かに、スーパーなどで売られている粗塩も、サラサラの食卓塩とは違って少ししっとりしていますよね。
せっかく手間暇かけて作った塩が目減りしたら、たまったもんじゃありませんよね。ということで、出来るだけ水分を飛ばすために、さらに火を加えて固形の「焼塩(堅塩)」にするんだそうです。

ここで、使われる土器もこれまた「製塩土器」。
製塩土器と一言で言っても、このまま運ばれたり、保存されたりもしたそうですから、塩作りに使った土器というだけではないんですね。火にもかけられ、持ち運べ、保存もできるなんて、まさに万能の容器ですね。


さて、両槻会と言えば飛鳥。製塩土器は、もちろん飛鳥・藤原地域でも、出土しているそうです。
先生は、グラフや表、地図などを使って解りやすく、出土地の分布傾向を丁寧に説明してくださいました。

飛鳥地域での出土は飛鳥川東岸一帯が主で、藤原地域では宮周辺での出土が目立つとのことです。時代は古墳時代から中世の遺構で、土坑や溝からの出土が殆どのようです。土坑や溝と言えば、ゴミ捨て場みたいなものです。ま、破棄される運命の土器でしょうから、仕方ないのでしょうね。

製塩土器と一言で言ってしまいますが、様々な形のものがあることは、咲読をお読みくださった方ならお分かりかと思います。


製塩土器のシルエット(風人作)

この形の違いから、製塩土器の産地が分かる。産地が分かるということは、どこからもたらされたものかが分かるということになります。

講演では、飛鳥地域で出土した製塩土器の破片から、その特徴をパワーポイントの画像を見ながら、説明解説してくださいました。
ちょっと括れてるとか、内傾してるとか、その違いを説明してくれる時の先生が、楽しそうに嬉々として見えたのは、気のせいでしょうか?(笑)地域や時代でこんなにも差があるとは思っても居ませんでした。

飛鳥・藤原地域で出土する製塩土器の産地は、瀬戸内海沿岸や大阪・和歌山沿岸の西からのものがほとんどのようです。ただ、飛鳥・藤原時代のものはないうえに、どういう用途で使用された塩なのかまでは、出土数と状況だけでは、判断出来ないとのことでした。

飛鳥・藤原時代の人々が塩を使わなかったなんてことは有りえませんから、謎はさらに深まるばかりです。都があった時代には、沢山の人々往来があったであろう地域です。

そうそう、製塩土器そのものが飛鳥・藤原時代には減るんだそうです。で、奈良時代にまた登場する。飛鳥・藤原時代だけ、見事なまでに綺麗に掃除された?製塩土器じゃない何かが使用されていた?σ(^^)には、その先は想像もつきません。(^^ゞ
色々含めて今後の課題・・・と仰ってましたので、今後の展開をさらに楽しみにさせて頂きます。(^^)

河村先生は、本来平城京内の製塩土器の研究をされているとお聞きしました。今回両槻会主催ということで、ご無理をいって急遽飛鳥・藤原京期の製塩土器を資料を収集・分析してくださったそうです。
いつもご無理ばかり言って、申し訳ありません。m(__)m


河村先生の講演の後、休憩を挟んで佐々木芽衣先生のミニ講座。


佐々木先生は、昨年夏に未完成の修羅が出土したことで話題となり、11月には現地説明会の行われた「藤原京右京十一条四坊」の発掘調査に携わっておられました。

現地説明会も開かれて資料も公開されていますので、参考に公開されている資料にリンクをはっておきます。

藤原京右京十一条四坊・下ツ道 C1-2区発掘調査中間報告
藤原京右京十一条二坊・四坊 現地説明会資料

σ(^^)は、昨年の現地説明会に参加できませんでしたので、今回佐々木先生のお話をお聞き出来て嬉しかったです。
自然流路と東西溝が交互に廃絶と掘削を繰り返していることや、現在の用水路との関係などを図や写真を交えて説明してくださいました。発掘調査の目的だった下ツ道の東側側溝が、発見できなかったのは残念ですが、自然流路(簡単に言えば川ですよね?)って面白いと思いました。流れてくる源と流れて行く先があって、水が流れる目的さえあれば時代を問わずそこに水の流れがあるんですよね。(何言ってんだ?σ(^^)(笑))
そうそう、「しがらみ」がいくつも作られていたっていうことも、この自然流路が周辺の生活と密接にに関わっいたってことになるんじゃないのかな?と、思ったりしました。

現地説明会では、大型建物跡が出た二坊の方に注目が集まっていたように記憶しているのですが、今回佐々木先生のお話をお聞きして、「こっちも十分面白い♪」と思いました。

そうそう、発掘調査で移転された「芋洗い地蔵」は、全てが終わったら、南に作られる新しいおうちにお引越しなさるそうです。それまでは、久米仙人繋がりで縁のある久米寺に仮住まいされているそうです。(^^)

さて、佐々木先生のお話の後は、冬期企画展「飛鳥の考古学2014―縄文・弥生・古墳から飛鳥へ―」のギャラリートークのために、会場を地下の特別展示室に全員で移動です。


今回の展示は、「もし飛鳥資料館に縄文・弥生などの常設展示スペースがあるとしたら」というコンセプトで行なわれたとのことでした。そうですよね。ついつい、飛鳥地域=飛鳥時代と思ってしまいがちですが、飛鳥地域にも縄文や弥生時代のものがあってもおかしくないですよね。というより、当たり前?

展示されているのは、耳慣れた遺跡からの出土遺物が多いです。違いは、遺跡名の後半に「下層」の文字がついていること。飛鳥・藤原時代以前から、飛鳥には人々の生活の痕跡が残っているんだそうです。特に大官大寺下層では、縄文時代の土器が、ほぼ完形で出土したりするんだそうです。土器って、破片が多いですよね。これはとても珍しいことなんだそうです。

飛鳥には、縄文時代の遺跡が30余りあるんだそうです。弥生時代の遺跡は少ないそうなんですが、それでも飛鳥川沿いには見られるとか。川などの水辺を起点に生活が営まれていたということになるんでしょうか。

これらの土器は、時代の変遷が分かるように遺跡ごとに並べて展示されていて、丹羽先生が文様や形が変化していってる様子を解説してくださいました。もし、今回の展示を一人で見ていたら、「土器の破片がたくさん並んでる」という感想しか持てなかったと思います。やっぱり、解説をお聞きしながら見ると違います♪


そうそう、会場に入ってすぐのところに、展示されているサヌカイトの矢尻が展示されています。先生は、反対からも覗いてみてくださいと仰ってました。矢尻の先の方からみると、プツンと先端のないものが2個。これは、先端が折れたために破棄されたものだということです。先端の尖ったものも同時に展示されていますので、見比べると面白いと思いますよ。

もちろん、飛鳥資料館で恒例となっている冬期企画展「飛鳥の考古学」の展示ですので、昨年度の調査成果も紹介されています。σ(^^)は、甘樫丘東麓遺跡から出土したちょっと変わった文様のデカイ軒丸瓦が展示されていたのが嬉しかったです。瓦にご興味のある方は、こちらも是非♪(笑)

この日は丹羽先生は、すでに午前10時と午後2時から2回のギャラリートークをこなされた後でして、「声がかすれていてすみません」と、仰っていました。
いえいえm(__)m 両槻会が個別にギャラリートークをお願いしたのが悪いのです。こちらこそ、我儘なお願いをお聞きいただきありがとうございました。m(__)m

ギャラリートークは、時間の都合で30分ほどとなりましたが、ひとつずつの土器片についてのお話して頂いてもずっと聞き続けていられそうでした。冬期企画展のギャラリートークは、2月15日にも10時と2時から行われる予定ですので、ご都合のつく方はお出掛けになられると良いと思います。絶対、説明を聞きながら観覧した方が面白いです!!オススメ♪


両槻会主催第48回定例会は、河村先生の講演・佐々木先生のミニ講座、丹羽先生のギャラリートークと、てんこ盛りでしたが、無事予定通り終了することができました。ご協力くださった先生方、飛鳥資料館の皆さん、そして、参加してくださった皆さん、有難うございました。


最後になりましたが、本定例会の開催日である1月17日は、20年前に阪神淡路大震災が起きた日でした。講演に先立ち、参加者の皆さんと一緒に黙祷を捧げ被害に遭われた方々の冥福をお祈りしました






レポート担当:もも



ページトップへ ▲

第48回定例会 事務局作成資料



ページ作成 両槻会事務局
画像及び文章の無断転載・転用は禁止します。
両槻会TOPへ戻る