両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第49回定例会


吉野宮から宮滝へ



レポート


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第49回定例会 事務局作成資料
2015年3月21日


吉野宮復元ジオラマ
吉野歴史資料館所蔵品
(画像掲載許可申請済・転用転載禁止)

 今回の企画は、両槻会ならではのスペシャルで贅沢な定例会となりました。吉野歴史資料館の中東洋行先生とメルマガでのご縁に加え、両槻会にご協力頂いている泉南市教育委員会の岡一彦先生から、主催された歴史倶楽部で好評だったコースがあると教えて頂いた二つのご縁で生まれたこの企画。一人では行き難い喜佐谷がコースにあり、キャンセル待ちが出る程、人気の企画となりました。そして岡先生には事前下見にもご参加頂き、当日は各ポイントで説明もして頂きました。しかも、その歴史倶楽部から数名のご参加も頂いたのです。総勢31名、大所帯の楽しい会となりました。

 しかしながら、下見で明らかになった問題点がありました。まずは吉野駅から時間ロスなく受付とケーブルに全員が乗車出来るかどうか、吉野と言う特殊な場所での交通手段の確保の問題。そして、喜佐谷越えの安全面での心配でした。(花粉症問題も勿論。)事務局は岡先生にアドバイスを頂きながら、事前に対策を講じて当日に臨みました。

 そして迎えた、2015年3月21日当日、9時52分の集合時間、一つ目の問題をクリアーすべく、吉野駅を降り立つや否や、いつもと違う慌ただしい定例会が始まったのでした。参加者の皆様におかれましては、事前のアナウンスに従い、吉野駅改札を出たところで3班に分かれ、予めおつり無くご準備いただいた参加費を納めて頂き、誠にスムーズに吉野山の玄関口であるケーブル千本口駅に向かう事が出来ました。ケーブル増便も事前に手配していましたが、少々、予想とは違う成り行きもあり、しばしお待たせいたしましたが、参加者31名が無事に乗る事が出来ました。改めて皆様に感謝しつつ、まだ小さな蕾の山桜を車窓から眺め、桜色に染まる風景に思いを馳せる山頂駅までの約3分でした。


 山頂の吉野山駅で簡単な出発式を済ませ、なだらかに続く登りの坂道を金峯山寺に向かいます。駅から2分程で最初の説明ポイントである、「金峯山寺総門・黒門」に到着しました。最初の説明はご存知の岡先生です。文字通りの黒い門で、今は自由に出入りが出来ますが、昔はいざと言うときには門が閉じられ、吉野山への最初の守りの門と言えるとのことでした。


 門をくぐり、坂道に続く先にある数段の階段を登り「銅の鳥居・発心門」で第2ポイントの説明を受けました。最初、事務局長から鳥居の概要と鳥居の柱の根巻部分に寺院瓦などに象徴される蓮弁が鋳出されている珍しい特徴についての説明があり、岡先生から特に高さが約8mあるという事を覚えておく様にと補足がありました。修験者にとってこの門をくぐることは、俗界からいよいよ聖地に入るぞという決心の門と言える本当に高い門です。吉野山は桜の園と言うイメージですが、紛れも無く修験道の世界なのです。修験者でない人はくぐらなくても良い様に車道があるのですが。


 そして、歩いて来た坂道の突き当たり、眼前にそびえる急な階段のある、仁王門に行き着きました。この門をくぐると、吉野山の象徴的な蔵王堂があります。まず事務局長からこの門が不可思議にも蔵王堂とは背中合わせの北側に面しているという説明がありました。この時期、残念なことに仁王門は瓦屋根修理の工事中のため、金剛力士像の阿吽像さま達にお会い出来ないばかりか、外観も外装で覆われておりましたが、岡先生からわずかに見える仁王門の軒先の建築様式について説明がありました。


仁王門の三手先枓栱(みてさきときょう)


 大きな建物の軒の出を長くする為に考え出されたのが枓栱と言う組み物で、仁王門に使われている枓栱は三手先枓栱と言うのだそうです。参加者に右手ガッツポーズをしてもらい、それが三つ組み重なった形がそうであり、肘の部分を肘木と言うと分かり易く説明して頂きました。また、それ以前の組み物は、肘木が一体化して雲形をしていたそうで、法隆寺などで見られると言う事でした。そうなのです、枓栱はややこしいのですが、なるほど、なるほどの解説でした。


 そして仁王門をくぐり、蔵王堂の後方から横を回り込んで蔵王堂の正面にやって来ると言う先の説明どおりにややこしい経路です。事務局長からはその不可思議な北側にある仁王門の意味と、銅の鳥居の蓮華の模様については日本古来の神仏習合との関係性からの説明がありました。また、事務局長と岡先生からご本尊の蔵王権現についてそれぞれに説明がありました。今回のマスコットであるゴンゲンくんの絵姿(ポーズ)は普段ご開帳されない、蔵王権現の特徴を象徴的に描かれています。毎回、定例会のマスコットイラストはいつもテーマの神髄を描いていますので、楽しみですよね。ゴンゲンくんのお顔は怒りの赤ではなく、悪に対する調伏の青であり、怒りの形相と手足を使って空と地中の人々に付きまとう悪を振り払ってくださっているのだそうです。なんと真ん中の蔵王権現は銅の鳥居と同じ高さの8mもあるそうですよ。

 又、蔵王堂の外観について岡先生は檜皮葺きということで、豪快ながら吉野山にふさわしい優しさを感じるとおっしゃいます。つばきは暑い夏に此処を訪れた際、必ずこの高いお堂の端に腰掛けて一服致します。信じられないくらい涼やかな風が吹き抜け、坂道を上って来て汗ばんだ体が心地よく冷え、眼前の新緑の山々が心を癒してくれます。大きな力に守られている優しさを感じ、ありがたい気持ちになるのです。ただ、蔵王堂のトイレは蔵王堂西側にある妙法院に降りる長~い階段を下った処にあるので、ちょっと優しくないのですが。


 さて、参詣とトイレ休憩の後、妙法院について資料の如く説明がありました。そして、此処から歩く如意輪寺までの各ポイントは、修験道の世界と言うよりは、『太平記』などの中世以降の政権争いや当時の為政者に追われた人々の悲しい歴史の話題が中心になります。芭蕉の高弟 各務支考が詠んだ「歌書よりも軍書にかなし吉野山」そのものです。個人的にはのめり込めず、深く知る事もない世界でしたが、吉野と言う地を理解するには避けては通れない時代なのかも知れません。

 その最初が、資料にはありませんが。今は存在しない二天門に関する話題です。蔵王堂の正面にあたる南門の鳥居辺りにあったその門の楼上で果てたとされる、村上良光(義光)公の忠死について見事な講談を岡先生が披露され、一同、親王側と幕府側の悲しい戦いの世界に引き込まれたのでした。蔵王堂の正面にある桜の場所で護良親王が最後の祝宴を開いたそうで、囲いと桜には意味があったのですね。ちなみに二天門の規模は不明だそうです。


 そして、事務局長からは吉野に攻めて来た京都方の総大将である「高師直」は芋峠を越えている事から飛鳥を通って宮滝経由で来たのではないか、またなんと長屋王に関わりがある家系かもしれないと言う古代絡みの話題がありました。

 蔵王堂を後にして、所謂、吉野山銀座通り(花見シーズンは身動き出来ない程ごった返す事と、左右にお店がある事から)とつばきが勝手に呼んでいる通りをしばし歩き、中世以降の登場人物満載の吉水神社へ向かいました。拝観する手前の広場から下千本・中千本・上千本が一望でき、一目千本として有名なビューポイントです。何と此処も工事中で、足組が見事に重要文化財の書院を覆っておりました。この書院は正面から見ると平屋建てに見えますが、実は「吉野建て」と言われる三階建て。この建築様式は、吉野山の民家では良く知っていましたが、書院もそれだとは少し意外な気がしました。又、天皇の住まいにしては侘しさが感じられますが、所狭しと様々な展示物があるのには驚かされました。


 また、書院は、三棟が組合わさった建物であるとの事で、お庭から拝見すると良く分かりました。そのお庭からは蔵王堂がとても良く見えるビューポイントでもありました。岡先生はこの後、この神社での「豊臣秀吉・花見のエピソード」をまたもや見て来たかの如く、面白く聞かせてくださいました。


 吉水神社を出た後、しばし歩き、勝手神社に向かいました。(かの村上良光の息子義隆はこの神社から右に折れて逃れて行きます。)立派な桜がある事で有名な神社ですが、つい最近まで、荒廃して危険なため、立ち入り禁止でしたが、修復され立ち入る事が出来るようになり、その境内で説明を受けました。詳細は資料参照してください。

 つばき的に吉野と謡曲について一言。吉野山の早朝は喧噪の昼間と違い歩く人は皆無なくらい静寂の世界です。音と言えば、歌を練習するホーホヶキョの声くらい。4月とは言え吉野山の早朝は肌寒く、静けさと相まって程よい緊張感を生むこの環境がとても謡曲と合うのです。木漏れ日を受けて輝く桜や新緑の竹林に囲まれて聴く謡曲。ひと味違った吉野山を堪能できます。一度皆様、吉野山で宿をとられ、イヤホンをお供に早朝散歩は如何でしょうか。

 昼食場所である五郎兵茶屋園地には10分程歩き到着。この園地は観桜期には平らで眺めの良い場所のため、花見客で賑わいます。待望の昼食タイムの宣言と共に、此処に来て恒例の事務局長の晴天の由縁たる人徳話が出ました!いつもは出発式で出るはずが、慌ただしさの中でお忘れだったようです。まあ、日頃のご苦労に免じてそう言う事にしておきましょう。しかし、昼食の後、恒例ではない初めての出来事がありました。

「しずやしず・・・」ではなく

「良き人の 良しとよく見て よしと言ひし 
         吉野よく見よ 良き人よく見」と

 何と!事務局長自ら、万葉の偽古代劇?園地の誓い?とばかりに、あの万葉集をお歌いになったのです。スタッフも知らなかった完全アドリブ。昼食後の消化促進か。これから厳しくなる行程を結束して楽しく吉野を楽しみましょうと、参加者へエールを送る事務局の心使いであったのでしょうか。それにしても今回は異趣な定例会。講談あり、能楽あり、偽万葉劇あり。やはり吉野という地がそうさせるのでしょうか。でもかつては有間皇子追悼劇なんてのもありました、奇想天外な両槻会です。(笑い)


 さて、「これから急な登りと下りが続きます。」と岡先生のアナウンス通りに、園地を出るや否や、今までとうって変わって、細い急な山道を、中千本の底の方まで一端下ります。そして5月から6月に咲く通称ベンジョ草と言う不名誉な名前のシャガの蒼い葉に囲まれた山道を登り、息を弾ませながら今までいた場所と対岸にある後醍醐天皇縁の如意輪寺へと向かいました。谷筋からは山の水が心地よい音を立てて流れていました。


シャガの群生(新緑の頃)

 如意輪寺へは最後に急な階段があり、皆さんとハアハア言いながら山門を上りました。久々にこの道を歩き、谷むかえから美しい如意輪寺の塔と桜を眺めるだけで満足だと思う辺りは飛鳥の岡寺の塔を見る面持ちに似ていました。ここも南朝悲話の残る場所ですが「御廟年経て忍は何を忍草」とあっさりした芭蕉の一句に共感。説明・拝観とトイレ休憩の後、稚児松地蔵の峠まで歩き、喜佐谷へ入ります。前半は何かと後醍醐天皇、義経、秀吉時代の吉野山でしたが、いよいよ古代、吉野の宮とされる宮滝へ行く事になります。脚元が厳しい箇所もあるので、両手を自由にするため、資料はリュックに納める様、事務局長からアナウンスがありました。


蔵王堂遠望(観桜の頃)

 如意輪寺を出た後の中千本の道からは背後に蔵王堂が見え、観桜期の話題に話が弾みます。当日は見えませんでしたが、実は二上山も臨めるのです。そして心臓破りの坂道は続きます。桜があると気も紛れるのですが、ひたすら下を向いて、「まだ~。」「もうすぐですよ~。がんばりましょう。」と言うやり取りが続きます。そしてやっと、稚児松地蔵さんに到着。人徳のおかげで、中千本ルートで結構な汗をかいた一行なのでした。


 此処からはいよいよ、花見ルートから外れ、別名「万葉の道」と呼ばれる植林の道・喜佐谷に入り宮滝目指し下って行きます。此処は吉野町が活性化事業の一環として「森林セラピーロード」に認定、整備された緑色に囲まれた癒やしの空間です。季節柄、心配だった花粉の飛散はさほどでも無い様子で、心配な方は事前の予防怠り無くご参加頂きました。ただ、脚元は杉の落ち葉や枯れ木、そして大小の石が転がっていますし、濡れている箇所は、脚をとられ滑りそうになります。鎖が設置されている箇所もあり、転ばない様、滑らない様、声を掛け合いながら、スティック頼りにひたすら歩いて行きました。
(下見の時は未知の道を歩くので、ワクワクと楽しめ文字通り癒された気がするのですが、本番となると、自他ともに怪我無くと言う意識が働くのか意外に神経を使う山道となりました。)


 そのうちに、心地よいせせらぎの音に気がつきました。その主は右の谷間、左の谷間から、お互いに、あるいは道と交差しながら流れ落ちる沢でした。それは出会いと分かれを繰り返し、やがて大きな滝となっていきます。まるで人生のごとくやね〜と分かった様な事を話しながら、ひたすら次のポイントである高滝を目指し下って行きました。


 そしてせせらぎが大きな爆音に変わり始めたその先には、素晴らしい光景と感動が待っていました。数日前の雨が、滝に水量を与え、下見では見られなかった、豪快な滝の姿がそこにあったのです。あちこちから、口々に、「凄~い」という感嘆の声がきかれ、参加者の期待に十分答えてくれた高滝でした。スタッフもこれまでの心労が吹き飛ばされた一瞬でした。


 滝壺の近くまで階段で降りる事が出来ますので、滝のパワーを胸一杯に浴び、写真撮影タイムもたっぷりと頂いた後、また、歩き始めました。


天然水の出る蛇口

 高滝は以外にも喜佐谷の裾の方にあり、あっという間に里の平坦な道に出ました。梅や多分彼岸桜の咲く、のどかな山里の風景に参加者も緊張から解き放たれ、ほっとするウオーキングとなりました。途中の民家で谷水を自由に飲める場所があり、住民の方に勧められ、恐る恐る一口。自然の恵みを感じられる冷たく美味しい水に舌鼓をうち、更にリラックスする一部(・・)の参加者でありました。(その間、隊列を乱した事に、蔵王権現のように仁王立ちした人徳のある方から睨まれる一幕が。すいません。象の小川を試飲しておりました。)


 一行が歩く道を走行して流れる澄んだ川は喜佐谷から流れてきた「象の小川」と呼ばれています。あの滝の水ですね。象:ゾウと書いて「きさ」とするのは古い標記で、ギザギザの象牙文様がS字型に蛇行する川をもじって象となったと言う説があるそうです。次のポイントである桜木神社にかかる屋形橋からその川をよく眺められます。吉野を彷彿させる清純な色をみると、山歩きの疲れが取れ清々しい気分になります。橋を渡るとすぐ、一本の高くそびえる大木が印象深いわりには狭小な感の境内でしたが、さらにホッと出来るよい神社でした。


 壬申の乱と薬の神様に縁がある桜木神社は、疱瘡(天然痘)の神様でもあり、赤色と犬が嫌いで、別名「イモ」とも呼ばれているそうです。奥飛鳥にある芋峠は疱瘡よけの祠が祭られていたと言う説があり、吉野には妹山もありますね、全国各地にも同様な地名があるそうです。


 この神社を出るとすぐ大きな吉野川が姿を見せ、今までの狭小な山間からいきなり広い空間が広がります。万葉集にみる「夢のわだ」と言われる象の小川が吉野川に流れ落ちる姿を見た後、斉明・持統天皇の時代に水の祭祀が行われたと推定されている場所(宮滝のお醤油屋さんの駐車場)で宮滝遺跡の説明をうけ、10分程歩く高台の吉野歴史資料館を訪れました。バス停からも近く見晴らしのよい場所にあり外観も吉野らしい親しみやすい館です。(館内にある倉庫のような大きなエレベーターには驚かされますよ。)当日は宮滝遺跡の出土物や時代別に区切られたパネル展示に従い、池田淳館長直々に宮滝の歴史を非常に分かり易く時間厳守で説明して頂きました。


 吉野と言えば吉野山が一般的ですが、それは平安時代からの事で、古くは吉野川流域が吉野と言われ、平安以前の大型建物があった形跡があるのは殆どその右岸に集中しており、古代のある時期から大和王権の勢力の元で開発が進んできたのであろうと推測されているそうです。


宮滝式土器
吉野歴史資料館所蔵品
(画像掲載許可申請済・転用転載禁止)

 吉野川流域は豊かな照葉樹林の森が広がり、宮滝から出土した「宮滝式土器」の貝殻文様が近年ウミニナとも推測されることから、7000年前頃の縄文人が豊かな森を目指し和歌山から吉野川流域沿いに季節的に訪れ、次第に定住し始めたようです。石包丁が出土していないことから、弥生時代に入っても稲作はしなかったようで、この頃から稲作の盛んな大和盆地の文化圏に組み込まれていったようです。そして、大和盆地から来た人にとって、宮滝のV字渓谷は印象的で神聖視されたのではないか、という紀伊半島の地形的景観についての説明は興味深く拝聴いたしました。(紀伊半島の成りたちには非常に興味があります。地質的な観点から視る歴史は壮大です。古代人が感動した美しい景観の成り立ちを知ることもまた、楽しです。)

 そんな神聖な景観の「吉野」でしたが、次第に「吉野」の地位も低下、人々の関心は山岳信仰の中心地としての吉野山へ集まり、吉野山が「吉野」と認識されることになってくようです。かつての「吉野」は宮滝と改称され、戦前の発掘迄、華やかな歴史から遠ざかっていきます。本来の誰の物でもない「吉野」に戻っただけかも知れませんが。

 ところで、水田に適した湧き水が少なかったようですが、吉野宮と推定されている場所は今でも良い湧き水が出るようです。大小の池で湧水施設をつくり、水の祭祀を行う苑池を作庭、天武・持統天皇時代には行幸が多く行われました。


吉野宮ジオラマ 苑池
吉野歴史資料館所蔵品
(画像掲載許可申請済・転用転載禁止)

 飛鳥苑池の正面も円錐形の藤本山。末永雅雄先生が、飛鳥の苑池を見て、宮滝遺跡の吉野川の景観を模したものではと発言されたらしいことを思い出しました。戦前、宮滝遺跡を発掘担当された先生ならではの感慨深いお言葉ではないでしょうか。

 池田館長の最後のお話から、今回の定例会はその宮滝の歴史を逆走してきたのだと言えますが、飛鳥時代に親しむ会にとってはやはり、ここが終着点でよかったなと考えていたら、いつもメルマガに寄稿していただく当館の中東洋行先生が到着され、ご挨拶頂きました。今後更に館の展示の充実を計画中で、宮滝遺跡の拡大発掘も考えておられるとか。再訪が楽しみです。また、その情報はメルマガにぜひ、投稿くださいませ。池田館長、中東先生、有難うございました。

 最後に1階のお部屋をお借りして定例会の懇親会を行い、次回、帝塚山大学清水ゼミとの合同企画である第50回定例会の案内がされました。帝塚山大学の清水昭博先生からも色々な嬉しい報告と次回合同企画への意気込みを伺いました。11月の第53回は岡先生の地元である海会寺での定例会という驚きと楽しみの企画を含む、今後の予定が発表されました。そして事務局から参加者へレポートの依頼と、初参加の方から感想を頂きましたが、皆さん改めて吉野の魅力を再認識されたようでした。つばきにとってもこの一日で吉野の歴史について改めて触れ直す機会となり、もっと深く勉強しなければと思った「吉野」でした。

 そうこうしている間に、大きな問題点であった帰りの交通機関対策としてチャーターしていたバスが到着。帰りは一路橿原神宮駅東口まで楽ちんで帰宅出来たのでした。けが人もなく無事に帰宅出来たことに対し参加の皆さま、岡先生、清水先生、そしてスタッフに感謝、吉野の神様に感謝、そして長〜いレポートを読んで頂いた皆さまに感謝して終わりにいたします。

 「吉野」は観桜期、紅葉期だけではありません。新緑の頃、盛夏の頃、厳冬期など四季を通して味わい豊かなところですのでまた、お訪ねくださいませ。
                         吉野大好きつばきでした



稚児松地蔵への道(桜の頃)

レポート担当:つばきさん



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