第51回定例会は、飛鳥光の回廊の日程変更に伴って、初の8月開催の定例会となりました。定例会の予定は、第1部として、飛鳥資料館学芸室研究員の西田紀子先生の「飛鳥の古民家―飛鳥の甍に想いを馳せて―」の主講演に帝塚山大学教授の清水昭博先生の「江戸時代の瓦職人・常門新兵衛と飛鳥の古民家」と題したミニ講座という何とも贅沢なラインナップとなりました。
飛鳥に点在する古民家を夏真っ盛りの8月に散策するわけにも行かず、恒例の事前散策は今回は断念。集合は飛鳥資料館ということになりました。
早めに集合しスタッフが会場準備をする中、早々と到着してくださる参加者の方もいらっしゃって、定刻通り講演会を開始することが出来ました。
まずは、西田先生のご登壇。
西田先生からは、今回の主テーマである「民家」についての説明がありました。民家って聞くと、普通の人が住んでる家と言うイメージがありますが、建築史学的には「歴史的な庶民の住まい」のことを言うんだそうです。つまり、現代の家屋や都市型住宅は、建築史学的には民家の範疇には入らないんだそうです。
じゃあ、何処まで遡れば「歴史的」と言われるのかと言うと、築50年以上経過したもの。今年は2015年ですから、そこから50年引いて1965年までに建てられていれば、一応「民家」の括りには入るようです。その中でも優品とされる建物は、保存されたりすることになるそうなんですが、これがまた一筋縄では行かないんだとか。
保存するためには、ある程度の調査が必要なわけですが、民家と言うからには、お住まいになってる方もいらっしゃるわけです。
実際に保存を進めて行くうえでも、持ち主の方とのやり取りがとても大変なんだそうです。
景観保護とか町並み保全とかいいますけど、いくら公的な補助があるとは言えやはり持ち主の方の負担にならないように少しずつ理解を得て進めて行くのは大変なことだと言うのが、西田先生のお話を伺っていてよく分かりました。
だって・・・もし、貴方が今住んでる家にある日突然「家を調査させてください」と人が訪ねてきたら、「どうぞ♪どうぞ♪」と、外観から内部、押し入れや天井まで採寸して記録して行くことにOKを出しますか?って話ですよね。
で、その後「お宅は貴重なおうちですから、保存しましょう!」なんてことを言われたら。「え?」ってなりますよね。建て替えは?改装は?このまま住んでられるの?と、実際問題としての疑問が沢山湧き上がってくると思います。趣旨は分かる。意義や意味も分かる。けど・・・・。という感情を持つことも最もな話だと思いました。
じゃ、建築後50年経ってればどの民家も対象になるのかと言えば、そこはやはりそういうものでもないようです。民家っていうからには、一般庶民のおうちのように聞こえますが、やはり「優品」と言われて保護や保全が掛かっているものは、庶民とは程遠い立派な造りのおうちが多いように思います。
西田先生は、この辺りのことを橿原市の今井町を例に挙げて説明してくださいました。
今井町・今西家住宅 |
次に、実際に調査はどのようにして進められていくのか。西田先生が調査された民家のお話を交えて、その難しさをお話くださいました。最終的には、歴史的は価値を持つ民家は、失われていく可能性が高いので、その都度報告書をきちんと残していかないと後世に伝えることは難しくなってしまうことも力説されていました。
調査の方法や保存・保全のお話に続いては、じゃあ民家はどのように観察して分類されるのかをお話くださいました。
古民家って、間取りや部屋の名前など独特な言い回しが多いんですよね。「六間取」「四間取」とか「喰い違い」なんていうのは、部屋割りを表す言葉になり、事務局作成の資料にもありますが、もう聞き慣れない言葉だらけで、資料チェックの時に頭が痛~くなりました。(汗)
古民家には、町屋と農家があるそうですが、これらは部屋割りの違いや立地などで大まかに分類されるようです。ただ、講演の最後の方に西田先生も仰ってたんですが、立地だけで農家か町屋かを分けてしまえない部分もあるようです。
明日香村内でも数は少ないながらも数件のおうちが調査されているそうで、そのうちのいくつかをご紹介くださいました。大和棟を持ったお宅が村内にどれだけあるかなど、こちらも事務局作成の資料でもご紹介しています。大和棟のお宅と言えば、八釣や雷の大きなお宅が有名だと思いますが、奥飛鳥にもかなりの数が残っているのだそうです。ただ、こちらもキチンとした調査が入っていない状況で、いつまでその景観が保てるか・・・と、西田先生は危惧されてました。
入谷の集落 |
残そうとする地道な努力がなければ、簡単に壊れて失われてしまうものが沢山あって、ただ「飛鳥の風景が好きだ」と言うだけの自分が申し訳ないような気分になってきます。
さて、建物としての古民家の次は、屋根に葺かれた瓦から見る古民家のお話を続いて帝塚山大学教授の清水先生がしてくださいます。ミニ講座というお約束だったのですが、こちらもきっちり講演並みの内容がありました。以前、飛鳥遊訪マガジンにもご寄稿下さったことがありますが、タイトルにもある瓦職人の常門新兵衛さんに、憑りつかれた清水先生は、新兵衛さんの瓦を追いかけて調査された経緯をお話くださいました。
まずは、「常門新兵衛 作之 天保九年戌三月吉□ 奥瓦嘉」と書かれた一枚の瓦笵との出会い、そこに偶然出会った飛鳥の鬼瓦が絡んできて、ここで飛鳥が舞台となるわけです。問題の鬼瓦の所在を特定したのが、我が両槻会の事務局長であったことは、付け加えておきましょう(あとで、文句言われそうやし(笑))。「飛鳥と言えば!」ということで清水先生が連絡したのが事務局長だったそうです。
飛鳥の鬼瓦には、「奥瓦嘉 常門村□師 新兵衛 作之」の銘。鬼瓦も新兵衛さん作であることを確信した清水先生は、まずは院生を派遣し、ご自身もカメラマン同伴で後日お宅を訪問されたそうです。そして、そこでまた運命の瓦と出会い、最終的に新兵衛さんは、江戸時代の終わりごろ常門村に住み飛鳥の奥山の瓦屋で働く瓦工だったことを特定されました。縁は異なものというか、研究者の執念って凄いというか・・・瓦が絡むことなので、σ(^^)も少し理解できるんですけど。(笑)
さて、引き続いては、両槻会初の試み。ミニシンポジウムです。
せっかく、専門の違う先生がお二人来て下さるんですから、この機を逃す両槻会ではありません。まずは、両先生に飛鳥でお好きな古民家はありますか、事務局長の質問を皮切りに、それぞれの先生から飛鳥や古民家、瓦などに対する思いをお話頂きました。
ご専門が違うと言うことで、会話の中で時折り「先生はどう思われます?」なんて言うやり取りもあったりして楽しかったです。こんな話、滅多に聞けるものじゃありませんよね。
σ(^^)は、第二部から参加してくださる方々の受付に資料館の入口まで参上せねばなりませんでしたので、残念ながらシンポジウムを途中で退席。(+_+)
第二部は、恒例となった飛鳥光の回廊の点灯ボランティアです。皆さんをお迎えに・・・・と、入口へ向かうと、目の前に広がる景色に一瞬目が点になりました。濡れた地面に降りしきる雨・・・。受付の方によると、数十分前から降り出したとのこと。なんということでしょう・・。(T_T)そんな中、参加者の方が時間通りに資料館に到着してくださいます。傘を差して・・(T_T)
第二部から参加くださった皆さんにも、講堂にお入り頂いて簡単なご挨拶後、飛鳥資料館の夏期企画展「ひさかたの天」を観覧しました。沢山の応募作品を前に、撮影場所の話や以前の写真コンテストの作品の話をしたりと、思い思いの観覧時間を過ごしました。
さて、ここで問題なのは、雨。
講堂に戻って、光の地上絵の説明などをしている間に、どうやら止んでくれたようです。
ではいよいよカップ蝋燭を並べる作業に入ります。担当は、特にありません(笑)。思い思いの場所で、カップを外す、砂を入れる、カップを運ぶ人、カップを並べる人、グリッド作成へと分かれていきます。
お供を連れて視察に励む最年少参加者♪ |
そうそう、今回の定例会には、両槻会最年少参加を更新した坊やがいたんですよ。御年なんと1歳半!でも、カップを外したり、手渡したりときちんと作業のお手伝いもしてくれて、「そっちの進行具合はどうかな?」と視察も忘れません(笑)出来ることを出来るだけ、それが点灯ボランティア参加の条件です。^^
ものの三十分ほど作業したころでしょうか、南西の山の方でゴロゴロと雷の音が聞こえ始めました。「降るかな?」「来るかな?」雨を心配する声があちらこちらで上がりますが、それでも手を止める人は誰もいません。「あっ!」「来たっ!」と、いう声が聞こえたと思った途端、ザーッと雨脚が強くなり、大急ぎで建物の中に避難。講堂で、懇親会をしながら雨がやむのを待つことになりました。
いつも目一杯の時間でウォーキングや講演会を開催しているので、懇親会自体が本当に久しぶりになります。以前は、毎回やってたんですけどね。
結局、最終的にカップろうそくによる点灯は中止ということになり、第52回定例会の第二部は、そのまま終了することになりました。さすがの両槻会もお天気には勝てません。雨の中、第二部だけの為にわざわざお越しくださった皆さんには、本当に申し訳ない結果となってしましました。m(__)m 前庭に広がる星宿を楽しみにして下さってた方もいらっしゃったのに、残念です。
このデザインが日の目を見ることはあるんだろうか??^^;
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