両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪


第54回定例会

主催講演会

都城の造営と造瓦


レポート


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第54回定例会 事務局作成資料
2016年1月16日
 第53回定例会は、奈良文化財研究所の石田由紀子先生をお迎えして「都城の造営と造瓦」と題した講演会を開催しました。

 恒例の事前散策には、講師の石田先生も同行下さって解説して頂けるという贅沢な一日の始まりです。真冬の開催で天候が心配されましたが、この日は晴天に恵まれ、穏やかな陽射しの中での散策となりました。


 まず最初に訪れたのは、本薬師寺跡。藤原宮の造営を語るためには欠かせない遺跡の一つになります。両槻会では、何度も訪れたことのある場所ですが、土壇や礎石を確認しながら、石田先生のお話に耳を傾けました。


 本薬師寺跡を後にして向かうのは、日高山の北西斜面に築かれた藤原宮のための瓦窯跡です。
日高山瓦窯と名付けられたその場所は、藤原宮朱雀門から南西約300mしか離れていません。宮直近の場所の築かれたゆえに比較的早めに操業を終えたこと、ここで使用された瓦笵のその後の話、方角を確認しながら付近に想定できる工房跡のことなどを石田先生からお伺いしました。


 日高山と言えば、瓦窯跡だけではなく、朱雀大路を作るために丘陵が掘削されたことでも有名です。
散策では、朱雀大路跡を確認し、さらに掘削された丘陵を北面から確認しながら、宮跡へと歩を進め、畦道を歩いている最中に、事務局長から西に見える宮南西の大垣が復元された場所が示されました。が、一列縦隊で歩く列の後半までは声が届いてきません。「なんだ?なんだ?」と、皆で西を確認して始まる探し物「あ、南西角の場所?」と、お互いで確認し合って一件落着。(笑)


 耳成山を正面にした大極殿院南門跡では、石田先生が藤原宮内の建物がどのように築かれていったのか話して下さいました。宮内の建物で地盤を強固にするために行われる掘り込み地業がされているのは、ごくわずかだったのだそうです。この辺りは、今でも雨が降るとぬかるむことで有名です。そんな地盤の上に瓦葺きの建物が果たして耐えられたのでしょうか。藤原宮の短命は、こういうところにも原因があるのかもしれません。


 次は、奈良文化財研究所藤原宮跡資料室へ向かいます。
ここには、飛鳥・藤原地域で出土している瓦が展示されているのですが、その文様や製作技術について、また、先に訪れた日高山瓦窯のジオラマなども前にして、石田先生から説明して頂きました。詳しく解説して頂きながらだと、1人でただ眺めているのとは違って、色々なことがすんなり理解できるような気がします。こういうのを「腑に落ちる」って言うんでしょうね。


 資料室での見学を終え、講演会場である飛鳥資料館に向けて歩いていくわけですが、その前に一か所、大官大寺跡にも立ち寄りました。


 大官大寺は、今回のテーマである都城の造営とは直接に関わるわけでありませんが、官の大寺ですし、先生が同行して下さっているんですから、この機会を外すわけにはいきません。
 石田先生には、大官大寺の遺構のお話は勿論、縄文時代の飛鳥における人々の営みなどお話も伺うことが出来ました。ついうっかり忘れそうになりますが、飛鳥だから飛鳥時代の遺構しかないわかえではないんですよね。大官大寺の下層には、縄文時代の遺構が眠っているんだそうです。

 事前散策を無事終え、一路飛鳥資料館へと向かいます。


 本定例会のために、石田先生がご用意くださったレジュメは、A3で6枚に宮の造営に関する細かい年表も一枚つけて下さっています。そのうえ、レジュメにはカラーの写真や図面も入れ込んでくださっていて、見応えたっぷりです。

 石田先生を簡単にご紹介した後、先生も両槻会との縁についてあらためてお話下さいました。ひょんな場所でのひょんな出会いがご縁となって、メルマガへのご寄稿や今回の講演に繋がっているんだと思うと、何だか胸いっぱいになってきます。

 さて講演は、まずは瓦の長所や短所、瓦が普及した経緯などのお話の後、「瓦から何が分かるのか」ということで、瓦自体に残された傷(笵傷)の事例や、瓦から年代を導き出すことが出来る理由などをパワーポイントの画像を用いて、細かく説明してくださいました。

 基本的な瓦のお話の後は、いよいよ藤原宮の造営に絡む造瓦のお話に入ります。
 藤原宮所用瓦には、多くのバリエーションがあり、それは大量の瓦を生産するために多くの瓦窯が分散して造られたことに由来するようです。宮内で必要な瓦はおよそ200万枚とも言われますから、どれほどの生産体制が必要だったのか考えただけでも気が遠くなりそうですよね。藤原宮の瓦生産には、既存の瓦窯と新規の瓦窯という二本の柱で支えられ、おおまかに既存の瓦窯は粘土板技法、新規の瓦窯は粘土紐技法という製作技法の違いや文様の違いなどが認められるんだそうです。


 五條市の牧代瓦窯、橿原市の日高山瓦窯や久米瓦窯、讃岐の宗吉瓦窯、近江の石山国分遺跡、淡路の土生寺瓦窯、、髙市郡高取町と御所市にまたがる高台・峰寺瓦窯、生駒郡平群町の安養寺瓦窯、大和郡山市の内山・西田中瓦窯と、藤原宮の瓦生産を担った各地の瓦窯の特徴と生産された瓦の特徴をこれまた丁寧に解説してくださいました。(瓦好きにとっては、物凄く楽しい時間でした♪)なかでも、変形忍冬唐草文と呼ばれる一風変わった幾何学的な文様の軒平瓦があるのですが、この文様の起源、そしてその変遷の様子がおよそ二系統に分類できるというお話があって、文様大好き人間のσ(^^)にとっては、とてもワクワクするお話でした。

 また、藤原宮所用瓦が、なんと難波宮跡の近くでポツンと一個だけ発見されているんだそうです。一個だけということは、実際に建物に葺かれていたものではなく、何かの拍子で遺構に紛れ込んだと考えるのが筋なんでしょうね。この瓦は、讃岐の宗吉瓦窯で造られた瓦だと言うことが分かっていることから、この瓦は、運搬途中でポロッと取り落とされたりしたものなんじゃないかと仰っていました。讃岐から海路を運搬されてきた瓦は難波で陸揚げされて、その後陸路で大和国内に運び込まれたのではないかと。


本薬師寺跡にて

 本薬師寺については、事前散策でも細かく各遺構の説明をしてくださいましたが、下層から条坊遺構が見つかっていることや藤原宮から本薬師寺へ瓦笵が移動していることなどから、藤原宮の造営を考える際の大事なキーポイントとなるお話がありました。
 また藤原宮内には、先々行条坊や先行条坊に運河と言う具合に、建物を造営するために整地された下層に沢山の遺構があり、どの遺構からどんな瓦が出土するかで、宮の造営や造瓦の体制に迫れるんだということを丁寧に説明してくださいました。

 どこの遺構から何が出たか・・・そういうものを1つずつ積み重ねて行くことで、色々見えてくるものがあると言うことがよく分かりました。宮のことだからと言って宮内の遺構のみに拘っているだけでは、ダメなんですね。

 レジュメには、藤原宮所用瓦の一覧だけではなく、造営や造瓦の中断、瓦笵の移動などがよくわかるように、時系列で並べられた年表のようになったものもありました。この表のお陰で、遺物と歴史的事象がなかなか結び付かない私には、この時期にこういう動きがあったのか・・・と捉えることができ、少しは時系列で理解できたかな?と思えました。

 本定例会のテーマは「都城の造営と造瓦」ですから、お話は平城宮にまで及んでいきます。
 藤原宮から平城宮に資材が運ばれ再利用されたことは『万葉集』にも歌が残されていて有名です。実際、平城宮へ運ばれた瓦は、大垣や門などの主要建物以外に葺かれたと考えられるようで、移築された大極殿には、新しい平城宮式の瓦が葺かれたんだそうです。


平城京 大極殿

 以前、今でもお寺の修理などで再利用できる瓦類は、目立たないところに葺かれると言うのを聞いたことがあります。門なら北側に古い瓦を葺き、正面の南には新造の瓦が葺かれるんだそうです。それと同じと考えていいのかもしれませんね。一番目立つ大事な建物は、やはり心機一転ということなのかもしれません。

 平城宮の造瓦は、宮の北側にある奈良山瓦窯群でほぼ一括して行われ、大量の瓦を生産するために各地の窯に分散して生産させた藤原宮とは異なる体制が取られたと考えられるようです。近場でつくれば、管理も運搬も少しは楽になるのかもしれませんね。

 藤原宮の瓦窯は、藤原宮の造営が終わると操業を停止し、平城宮へは瓦を供給していないと考えられるんだそうです。屋根に葺いた古い瓦は再利用するけど、生産の大元である瓦窯は残さないんですね。
 ただ、全く繋がらないように思えた藤原と平城の造瓦は、内山・西田中瓦窯で使用された瓦笵が平城の中山瓦窯へ移動していること、受け継がれている技術があることも分かっているんだそうです。そして、そこから、一部の工人が藤原宮と平城宮の両方に参加している可能性もみえてくるんだそうです。

 さて、講演後は、久しぶりに懇親会を行いました。参加者の方の感想や初参加の方のお話をお聞きできました。またその後には、3月に予定してます第55回定例会の見どころなどの案内をさせて頂き、無事閉会となりました。

 今回の講演で、石田先生は約100分の間、喋り続けて下さいました。ご多忙の中、大量のパワポ資料やレジュメをご用意くださり、本当に有難うございました。m(__)m



レポート担当:もも



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