両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪


Vol.0012(08.3.7.発行)~ Vol.052(09.5.29.発行)に連載

Pの飛鳥・食物記


P-SAPHIRE
A misty rose



歴史を知らない私と飛鳥を結ぶ接点を探していたら<食>にぶち当たりました。
食に関しての書物は少なくて、ほとんど手がかりがありません。
しかし、これも古墳や遺跡と同じで
「想像を膨らませながら楽しんでもいいじゃないか。人間の生の原点は<食>だろ?」
などと偉そうに考え、偏った知識ではありますが、
歴史のほんの端っこにでもぶら下がれたら嬉しいです。


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【12】

先日行われた定例会「野守は見ずや 名柄の遊猟(みかり)」では、超有名な某生薬が全く説明も解説もなされていませんでした。どうやら調べた木簡の中には書かれていない様子。古くから日本に自生しているにも関わらず、木簡に記述が無いってことは・・・日本全国どこにでも生えていて、やり取りしなくとも容易に手に入った生薬なのかも知れない!って所に行き当たりました。その一つを今日はお話したいと思います。

 小さな頃、車が来ない路地裏が子供たちのメインストリートで、今時分の季節になると、その路地裏の溝や湿った場所に、真っ白で十字架のようなお花が沢山咲いていました。四枚の花びら(本当はホウ)の中心には黄色いシベ(本当はこれが花の集合体)は、子供心にも美しく映ったものです。しかし、その花を手で千切ろうものなら、周囲の大人たちが異口同音に「あかん!それ千切ったら臭いからやめときや!」と言いました。私は構わず千切っては花束にして、その匂いも楽しみましたが、周囲は異様な顔つきで遠巻きに見るばかり。どうやらこの独特の香りには好き嫌いがあって、「好き」だと言う人は圧倒的に少数だと言うことを身を持って体験しました。その植物が【ドクダミ】で、生薬では<十薬:じゅうやく>と呼ばれています。


ドクダミ

ドクダミ・・・大和本草(やまとほんぞう)には次のように掲載されています。私が訳したので細かい間違いがあるやも知れませんがご了承下さい。「蕺菜(しゅうさい)はドクダミ、又は十薬とも言う。甚だ臭いが悪く、家の庭に植えれば茂り過ぎてしまい、後で抜こうとしても抜きにくい。駿州(すんしゅう:静岡)甲州(こうしゅう:山梨)の山中に住む農民は、ドクダミの根を掘り上げて飯の上に置き、蒸して食べれば甘い味がすると言う。本草(網目?)にも柔滑菜類(中国では、若く柔らかい茎を蔬菜とした)に掲載されている。しかし、日本人のほとんどは(これを)食べず、野菜とは思っていない。また少し毒があると言う。日本の馬医(ばい)がこれを馬に用いて飼うと、十種類の薬の効能があるとわかり、十薬と名をつけたと言う。」

 先日、「ベトナムの留学生がドクダミを千切ってそのまま口に入れて食べたのには、非常に驚いた」と、笑いネコさんが話してくれました。ベトナムでは生でサラダに入れるそうで、日本のレタスやキュウリのような物らしいです。そう言えば、ベトナム料理の生春巻きに入ってたりしますので、不思議ではないのですが・・・。前出の「庭に植えれば茂り過ぎてしまい、後で抜こうとしても抜きにくい」ではありませんが、我が庭にも今が花盛りとばかりに、白い花が咲いています。どうせならお茶にしてやろうと、毎年開花するのを待って根っこごと引き抜きます。この開花時期のドクダミが一番薬効が強く、薬にするには良い時期なんです。綺麗に洗ったドクダミを、一握りずつ束にして2日間天日干しして、後は涼しい場所でカラカラになるまで干して3cmほどの長さに切り、中華鍋でさっと(短時間で)乾煎りして保存します。そうするとカビが出ないし香ばしくなります。が・・・一種類だけではどうも・・・と言う方が多いので、玄米やハトムギなどを補って飲むのをお勧めします。注意点ですが、長時間煎じたり炒ったりすると、タール成分が出るので短時間(40分~1時間)でやって下さいね。

 春先の新芽は天ぷらにすると、あの苦味と香りが和らぎ美味しいですが、花が咲く頃になると苦味と香りが増すので、今頃の葉茎は食べない方が良いと経験者Pは語ります。今の時期飛鳥を歩くと、民家の軒下や用水路辺りに白い十字の花が咲いているのに出会えるはずです。さぁ、いざ飛鳥へ!!(笑)

<効能>便秘、腫れ物、出来物、水虫、利尿、蓄膿、高血圧などに利あり。
<生の葉>葉緑素が含まれていて、傷の直りを早くする作用があります。
<乾燥葉>抗菌作用があるデカノイルアセトアルデヒドがメチルノニルケトンに変化して抗菌作用が消えてしまいますが、解毒作用や炎症を抑える作用、毛細血管を強くさせる作用があります。また、乾燥した葉をお風呂に入れると、あせもや湿疹、肌荒れに効き目があるので、夏には最高のお風呂になります。

【馬医:ばい】律令制で、左右馬寮(めりょう)の官馬の世話などをした役。うまくすしとも言う。
【馬寮:めりょう】律令制で、官馬の飼養・調習や馬具のことを扱い、また、諸国の御牧(みまき)の馬をつかさどった役所。左右に分かれ、それぞれ四等官のほか、馬医(ばい)・馬部(めぶ)・使部(しぶ)などの職員が置かれた。うまのつかさ。うまづかさ。まりょう。


                             (09.5.29.発行 Vol.52に掲載)



【11】 「繁縷:ハコベ」

 新年が明けて、日中ほっこりと暖かく感じられるようになる3月頃から、道の隅っこや畑のそこかしこに真っ白の小さな花の群生が見られます。ハコベ・・・春の七草にある<ハコベラ>がそれです。七草粥に入れる時はまだ花が咲いていないので、どれがハコベラかわからないと言われますが、花を一度見れば忘れられなくなります。とても可憐な白い花です。

 七草粥に入っている事は良くご存知で、食べてもおられると思いますが、七草粥以外で食べたと仰る方は(年配者を除いて)少ないのではないでしょうか。畑や庭の厄介者として抜いて、ゴミに出されてしまうのが関の山。でも待って下さい!!これ、とても役立つ草なんですよ。(笑)


ハコベ

 実は、ハコベは<生薬>でもあるんです。繁縷(はんろう)という生薬名があり、タンパク質、ビタミンB,Cなどを豊富に含んでいます。また、薬効は、催乳作用(母乳の出がよくなる)、利尿作用、浄血作用があると言われ、乾燥して粉にしたものに塩を加えた物は「ハコベ塩」と呼び、歯ぐきの出血や歯槽膿漏の予防、また、歯磨き粉としても使われます。

 茎が細くて、見た目には筋ばかりで硬そうに思われますが、花が咲いていても茎が堅くならず、塩ひとつまみ入れたお湯でサッと茹でて冷水で洗い、3cmほどの長さに切って、和え物、卵とじ、すき焼き、汁物の具など、幅広く使えます。春の草と言うと、やや苦味があるだろうと思われがちですが、これは全くアクも苦味もクセもありません。食感で言うと・・・貝割れ大根。(笑)そのイメージで捉えて頂けたら、ほぼ間違いは無いと思います。


ハコベの卵とじ

 ハコベには、ミヤマハコベ、ミドリハコベ、コハコベ・・・などなど、沢山の種類があります。どれも良く似ていて、ほとんど見分けがつきませんが、どれも同じようにして食べる事が出来ますので、安心して食べて頂いて構いません。

 繁縷とは、なんとも難しい漢字ですね~。<繁>は、そのまま繁るの意味で、<縷>は、細々と連なる糸筋、細く途切れなく続く様、こまごました様などの意味を持ち、通常は「る」と読みます。従って<繁縷>とは、茎が細く糸のように途切れなく繁る植物と言う意味です。非常にハコベの雰囲気を言い表していると思います。

 日本現存最古の薬物辞典である<本草和名:ほんぞうわみょう(918年?)>には、波久倍良(はくべら)として記載されていますが、万葉集などには全く詠まれていません。現代と同じで、あまりにも身近にありすぎて、歌に出来なかったのかも知れませんね。って、これはあくまでも私の考えですが。

 これから秋になるまで、このハコベは次々に花を咲かせます。皆さんが飛鳥においでになる頃、きっとそこここで出迎えてくれるに違いありません。見つけたらしばし足を止めて、可憐なお花を見てやって下さいね。
                             (09.3.20.発行 Vol.46に掲載)



【10】 「ふき」

 早春の飛鳥を歩いていると、畑の土手に淡い黄緑色の折り重ねられた花の蕾のような植物を目にします。それは、蕗(フキ)の花茎で<蕗の薹(フキノトウ)>です。葉よりも早く花茎を伸ばし淡い黄色の花を咲かせ、やがてタンポポのような綿毛をつけた種子が風に飛ばされて行きます。花が終わる前後、フキらしい丸い葉が出て来ます。この葉茎の部分が通常売られているフキです。フキは古くから日本に自生していたとされますが、万葉集には詠まれていません。現在フキは<蕗>と書きますが、古代は<布布木(フフキ)>。長屋王家から出土した木簡の中には、片岡(奈良県北葛城郡北西部一帯であろうと推測)の御園から長屋王家へ、フキとアザミが一束二文で交易進上(こうえきしんじょう:買い上げて進上)されたと記されています。どちらも同じ一束二文と言うことなのですが、束の周が違います。フキは二尺束、アザミは十二尺束。と言うことは、アザミよりもフキは小さな束で二文だと言うことになり、フキはアザミよりも6倍の値段だった事がわかります。意外と高価だったんですね・・・。長屋王の時代はまだ山野で採っていたようですが、平安時代になると菜園で活発に栽培されています。「和名抄:平安中期」には「フキは煮て食す」と記載されていて、すでに今と同じような調理方法で食べられていた事がわかります。


フキノトウ

 フキの語源は、はっきりわかっていませんが、想像されるものとして数例ご紹介したいと思います。

  1. 用便の後、オシリを拭くのに利用した(トイレットペーパー)から「拭き → フキ」
  2. フキの葉は大きく、少しの風でもなびくので「風吹き(ふふき)→ フキ」
  3. 冬に黄色い花を咲かせるから「冬黄(ふゆき)→ フキ」

 私としては、2番じゃないかと思うのですが、あなたはどう思われますか?(笑)

 私とフキノトウとの出会いは、決して良いものではありませんでした。伯母が雪が残る畑の土手から一握りのフキノトウを採って来てお味噌汁の具してくれました。お味噌の香りと共にフキ独特の草っぽい香りが相俟ってとても美味しそうに思いました。が、しかし・・・その苦味ときたら、小さな子供にはとても食べられないくらいでした。胃薬か?と思うほどの苦味なのに、伯母はとても懐かしそうに食べていました。東北生まれの伯母にすれば、故郷を思い出させる味だったのでしょう。でもその苦味は私にとって「二度と口にしたくない山菜」として頭に焼きつきました。それから約30年の年月、私は全くフキノトウを口にせず過ごしましたが、両槻会でもお世話になっている橿原の中華料理屋(花林)で、フキノトウの天ぷらを食べた瞬間、すごいカルチャーショックを受けました。なぜなら、そのフキノトウがとてつもなく美味しかったからです。「30年間を戻してくれーー!!」と叫たいくらいでした。(笑)確かに苦味はあります。ありますが、スッキリした一瞬の苦味。それはツクシのような感じで、決して嫌な苦味ではありませんでした。モチモチっとした食感・・・その日以降私の早春の楽しみとなりました。(爆)

 フキノトウを天ぷらや煮物、味噌汁の具などに利用するには、一つのコツがあります。それは、花が咲ききっていないまだ蕾が固いぐらいの物を採ること。ただそれだけです。小さくても蕗の香りがします。さっと洗って土を流して水気を拭きとり、普通の天ぷらと同じように油で揚げて、パラッと塩を振って召し上がって下さい。早春のほろっとした苦味とモチモチした食感がご馳走になります。

 でも、フキノトウを見つけても花が咲いてしまっていた・・・って事が多いんです。蕾の時期にはなかなか出会えません。ご心配なく!!とっておきの料理方法があります。<フキ味噌>にするんです。これは温かいご飯につけて食べても、田楽につけても、フキの風味が楽しめます。

 <フキ味噌の作り方>
  *フキノトウ・・・・花が咲いててもOK!で、大きいのを5本ほど
  *お酢・・・・・・・小さじ1
  *お味噌・・・・・・大さじ1強
  *お酒・・・・・・・小さじ2
  *お砂糖・・・・・・大さじ1(これは加減してね)

 1.フキノトウを綺麗に洗って、お湯にお酢を入れてサッと茹で、すぐに真水につけます。
 2.お水の色がうすい緑になりますので、3度水を替えます。
 3.フキノトウを硬く絞って、みじん切りにします。
 4.フライパンを熱く熱してからフキノトウを入れてカラ炒りし、お味噌、お酒、お砂糖を加えて良く混ざるまで良く練り混ぜ出来上がり。

 サラダ油やごま油を利用される方もおられますが、私は油を使わずにお酒で練るような感じにしました。あっさりさっぱりしています。お味噌の塩加減により、お砂糖を加減して下さいね。少しずつ入れながら味を確かめるのが良いと思います。

 先日、両槻会の定例会で飛鳥を歩きましたが、まだ出ていませんでした。どうやらこれから出てくるようです。フキノトウを見つけたら、これらの話を思い出して頂けると幸いです。
                             (09.1.16.発行 Vol.41に掲載)



【9】 「米は蒸す?煮る?炊く?」

 私が両槻会のメルマガに、食物の話を書くようになり、当初、植物から導かれる食物の話をあれこれ調べ、自分で経験して記事にしていました。それらを調べてゆくに従って、食べていた当時の食器や道具、果ては米の食べ方にまで気持ちが広がり、最近は木簡を見るために博物館に通ったりして、「歴史は大嫌いだ!」と、公言していた自分が一番驚いているところです。(笑)

 出土した箸やスプーンに興味を抱くようになり、あれこれ調べていると、米にぶち当たってしまいました。米をどのように調理したかによって、それを食べる時の道具に変化が出て来るんじゃないかと思ったからです。風人さんから貴重な本や資料を頂き、また、自分でも食を扱った考古学の本、民俗資料などをひっくり返して眺めましたが、悲しいかな、みなさんそれぞれのご意見を主張なさっていて、本当の事が良くわかりませんでした。「米は蒸して食べたのが最初だ」と言う学者さんがいれば、「いや、米は粥で食べていたんだ」と言う学者さんもおられて、なんだか自分自身も釈然としない毎日でした。

 先日、平城京跡博物館で、羹所の甕(あつものどころのかめ)と言う物を見てきました。藤原京跡で見つかった綺麗な保存状態の甕を見ましたが、底が丸いんです。そのままでは決して置けない状態で、不思議だな~と思っていたのですが、どうやらこの羹所(今で言うカマド)の上に乗せて使ったのでしょうね。これなら上手くカマドの穴にスッポリとはまる。しかも、下からの火が良く当たるように底が丸くなっていた・・・とすると、説明が上手く付きます。


羹所の甕

 米が渡来した当時、日本では手で食物を食べていたとされています。遣隋使を中国の隋に派遣し、だんだんと人が行き来するようになると、「手で食物を食べている日本人は野蛮だ」と思われるであろうと、聖徳太子が高官たちに箸を使って食べるように言ったとしても、変じゃないし、きっとそれが本当なんじゃないかと私も思うのです。当時はまだ箸を上手く使えずに、きっと突き刺したりしてたでしょうね。と、すると、粥のようなトロミのある汁に近い物では食べられない。ましてや、手で食べていたとなると、粥ではありえない。では、蒸し米はどうか。蒸すと言う行為、主婦の感覚で言うと、結構面倒なものです。水を煮えくり返るくらいに沸かして、その上で蒸すわけですよね。時間も掛かるし、わざわざそんな手間な事をするかな?って思ったんです。今でも、蒸し器でお赤飯を炊いたりしますが、面倒なのでだんだん家で作る人が減っていますよね。私はお盆の3日間、三度三度1合の米を小さな鍋で炊きますが、結婚したてはこれが非常に難しく思いました。「初めチョロチョロ、なかパッパ、ジュウジュウ噴いたら火を引いて、赤子泣いてもフタ取るな!」と、古くからの歌で覚えました。それでも、時々芯が残っていたりしました。ご先祖様もさぞや迷惑だった事でしょう。と、思い出したら考えあぐねて振り出しに戻ってしまいました。

 すると、先日、ひょんなところで海外のお米を炊く話を知人がしてくれて、「これだ!!」って、なんか光明を見た思いがしました。それは・・・「海外の米は細長くてパサパサしているので、多めの水で煮て柔らかくなったのを確認したら水を捨て、もう一度火に戻して水気を飛ばす」と言うのです。これなら簡単じゃないですか。水分量も考えなくて良いし、ただ多めの水で煮て、余った水を捨て、水気を飛ばす。これなら、誰でもすぐに作れる!!<食の考古学:東京大学出版会発行>を読んでいると、米も、現代の一般的に出回っている丸い日本型(ジャポニカ種)ではなく、もしかすると印度型(インディカ種)のような細い米であった可能性があると、遺伝子や酵素の研究から指摘されています。とすると、今の米よりもっとアミロース含量が高くて粘り気が少なく、パサパサしていた可能性があるわけで、益々煮ると言う話が現実味を帯び出しました。また平城宮跡の下層の弥生時代遺跡から発掘された土器には、焦げ付いたご飯がこびり付いて出て来ています。著者である佐原氏も、甕で直接米を煮ていただろうと書いておられます。ぐるりと回ってたどり着いた所に、思わぬ助け舟もあって、益々発掘調査から目が離せなくなりそうです。(笑)
                             (08.11.21.発行 Vol.36に掲載)



【8】 「通 草 」

 山道を歩いていると、木々の間から赤紫色で楕円型の実がぶら下がっているのに出会う事があります。つる性植物なので、大きな木に蔓をクルクル巻きけながら天を目指すように伸びて行きます。さて、なんと言う植物の実でしょうか♪

 その植物の名前は・・・アケビ。漢字は<通草>です。通す草?・・・これでアケビだなんて!読めませんよね。(笑)「茎の導管が太くてすべて通じていることから、通草と漢名がついたのだ」と、松田修氏は<古代食の話>の中で書いておられます。三つ葉アケビのつる性の茎は、これまた木通(もくつう)と言う漢字を使う生薬です。


アケビ

 山形では、秋のお彼岸には、先祖の御霊が<アケビの舟>に乗ってこの世に戻って来るという言い伝えがあり、その頃になると山からアケビを採ってきて、仏壇にお供えする風習があるそうです。また、東北地方では、アケビを<山女>とか<山姫>とも呼びます。これは、実が爆ぜた姿が女性のある部分に似ているからと言う話しですが、それはご想像におまかせします。(笑)

 アケビの種類はいくつかあるようなのですが、山で見かけるのは、三つ葉アケビ、五葉アケビが多いです。アケビとそっくりな赤紫の実をつけるのがもう一つあります。同じアケビ科のムベ。

 アケビとムベの違いは・・・葉。3枚、5枚、7枚と、同じ蔓に枚数の違う葉を持ちますので、これはすぐに見分けられますし、熟した時に、縦に裂け淡白色の果肉が中から覗いているのがアケビで、裂けないのはムベ。冬に落葉するのがアケビ、常緑なのがムベ。


アケビの葉

【効能】
  利尿作用、抗炎症作用、腎臓炎、膀胱炎、浮腫の薬として用います。
  果実は、スタミナ果実として、精がつくと言われ、脚気や脳卒中の予防薬
 として利用されます。

【利用法】

 (若い芽)
   つる先の若い芽を摘んでサッと茹でてから水に晒し、酢味噌和えや油い
   ために。

 (お茶)
   つるを輪切りにして天日で乾かした物を煎じて飲みます。

 (実)
   実の中の果肉はそのまま食べられます。果肉を取り出した果皮の内側に
   薄く油を引き、甘味噌をうすく詰めて外が黒こげになるまで焼き、外の
   薄皮を剥いてから食べると、なかなか野趣あふれる酒の肴になります。

 (アケビ酒)
    あけびの実(中身)  500gグラム
    ホワイトリカー35度  1.8リットル
    氷砂糖  150グラムg
    あけびの皮  1個

   (1)実を取り出して、氷砂糖とともにホワイトリカーに入れる。
   (2)皮を一個入れる。
   (3)3ヵ月後に材料を取り出しさらしでこし、使いやすいビンに移し
      かえる。
     ※20~30cc程度を水で割って飲んで下さい。

 (アケビの籠)
 アケビのつるを採取し、一年かけて乾燥させてから編む作業を始めます。つるが硬い場合は水に一晩浸けてから編み始めるとつるがやわらかくなって、編みやすいです。アケビのつるは、一年で随分長くなりますし、通気性が悪いと実が出来にくいため、つるを採取するのは悪い事ではありませんし、自然の素材を生かして作るアケビの籠は、環境への負荷がとても低いところがエコポイントだと思います。(ただし、乱獲はしないで下さいね)
                             (08.10.30.発行 Vol.34に掲載)



【7】 「金木犀:キンモクセイ」

 秋・・・9月の今頃から10月頃にかけて、飛鳥を歩いていると様々な秋の花に出会う事が出来ます。真っ赤な彼岸花の列、風に揺れる金色の稲穂、紫の房状に咲く葛、白い野菊など、自然の色の美しさに目を奪われる事もしばしばです。そんな中、飛鳥の集落を歩いていると、とても良い香りが漂ってくる事があります。山では感じられなかった、甘くなんとも言えない良い香り。

 しかし、その主であるお花が見当たらない。どこだどこだ???空を見上げてハッと気が付きました。垣根の上から「ここだよ~」と言わんばかりに、金木犀の花が無数に咲いていました。金木犀は木の花で、小さなオレンジ色した4弁の花を沢山枝に付けます。


金木犀

 原産国の中国では楊貴妃(719~756年)がこの花で作ったお酒(桂花陳酒)を飲んでいたと言われてるくらい、古くからありました。中国の代表的な風景を残す桂林は、この木犀の林があることから名づけられたのは有名な話。中国名は桂花(グェイファー)と言い、通常<モクセイ>とは銀木犀の事を指しますが、日本では金木犀の方が庭木として植えられることが多く、木犀と言えば、大抵の人が金木犀をイメージなさると思います。

 しかし、近年はトイレの芳香剤の香り付けに利用されてからは<金木犀の香り>イコール<トイレ>のイメージが固定化してしまい、嘆かわしく残念に思っていましたが、2000年前後から大手の芳香剤メーカーでは金木犀の香りの芳香剤の製造をやめたそうです。昔は汲み取り式のトイレだったので、その臭いを打ち消すのに芳香剤の香りも強いものが好まれました。しかし、水洗式トイレに移行して行くうちに、強い香りよりもリラックス出来る優しい香りのハーブ(ローズマリーやミントなど)の香りが好まれるように
 なったからだそうです。

  黄葉する 時になるらし 月人の 楓の枝の 色つく見れば
    (もみじする ときになるらし つきひとの かつらのえだの いろつくみれば)
                                       万葉集 巻10-2202

 木犀が渡来したのは、江戸時代頃とされていますが、一部の学者さんの中には、万葉集にあるこの歌の<月人の楓(つきひとのかつら)>は、桂の木ではなく、木犀の木ではないかと言う方がおられて、もしかすると、すでに飛鳥・奈良時代に日本に渡来していたかも知れませんね。奇しくも、万葉集が作られた時代とほぼ時同じくして、中国では楊貴妃が存在し、桂花陳酒を浴びるように?飲んでいたわけですから。(笑)

 日本では金木犀を使ったお料理はあまり一般的ではありませんが、中国では色々な方法で食されています。その一部をご紹介したいと思います。

<桂花醤>
 1.タオルの上に、採取した金木犀の花を乗せて、軽く抑えて埃を取ります。
  (注意:決して洗ってはいけません)
 2.消毒したガラス瓶に、花を入れ、花と同分量の氷砂糖、最後に焼酎(又は桂花陳酒)を小さじ1ほど入れて、砂糖が溶けるまで冷暗所で寝かせ
   ます。
  白玉団子の香り付け、ヨーグルトのトッピング、お風呂の浴用剤、紅茶などに小さじ1ぐらい入れるだけで、とても良い香りがします。

<桂花茶>
  乾燥させた花と緑茶を(1:3の割合で)ブレンドして使います。

<桂花陳酒>
  乾燥させた花を白ワインに3年間漬けて作ります。

 私は桂花陳酒を、白ワインを利用せずに焼酎(ホワイトリカー)で時々作ります。 インスタントコーヒーの空き瓶に、1/3ぐらいの花と、同分量の氷砂糖、残りを焼酎で満たすと言う、至って簡単な方法ですが、クッキーやケーキを作る時の香り付け、ブランデーの代用としてとても便利に使っています。これなら、少しの量で作れますしね。そうそう、干しブドウを戻す時に、これに浸してやると、風味も増します。

【金木犀の効能】

 *目の疲れを癒し、肝臓の働きを助けると言われています。
 *キンモクセイの香りが食欲を抑えることがわかり、ダイエット効果があるとされます。
 *その他・・・胃炎、低血圧、不眠などに利ありだそうです。

 香りを嗅ぐだけでもダイエット効果があるのなら・・・トイレの芳香剤のままでも良いかも~と、ついつい考えてしまう今日この頃です。(笑)
                              (08.9.19.発行 Vol.31に掲載)




【6】  「蓮の葉、芋の葉」

 お盆休み、みなさんはいかがお過ごしでしたでしょうか?我が家のお盆は13日のお迎え火から始まり、15日の送り火で終わりました。仏様に短いこの世の時間をゆっくり楽しんで頂くため、期間中お仏壇の前に盆棚を設え、三度三度炊きたてのご飯と一汁一菜、そして温かいお茶をお供えします。13日のお迎えには<迎え団子>平べったく作った黄な粉餅をお供えします。そして、送る時は<送り団子>白いままのお餅と<白蒸し:しらむし>もち米と黒豆を蒸して、蓮の葉に包んでお土産としてお供えします。実はこの白蒸しを乗せる蓮の葉は古代からお皿の役割を持っていました。これは日本だけではなく、中国にはおこわを蓮の葉で包んで蒸した<荷葉飯:かようはん>と言う物があります。蓮の葉に包むことにより、蓮の良い香りがおこわに移り芳しいご飯になります。<荷葉(かよう)とは蓮の葉の意味>
 
 その蓮の葉ですが、いつ頃から使われるようになったのか・・・実は、万葉集にも何首か掲載されていて、その頃から蓮は良く知られた植物だった事が伺えます。その中に面白い歌を作ると言うので何度かご登場頂いている長意吉麻呂さんも、蓮の葉を入れて歌を詠んでおられますのでご紹介したいと思います。

  蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が
    家なるものは 芋(うも)の葉にあらし  巻16-3826

 万葉時代、宴席で出されるお料理は、蓮の葉に乗せて出すのが高級官僚の慣わしだったようですが、下級官僚たちには高級すぎて利用出来なかったので、よく似た芋の葉を利用したと言う歌です。現代では<芋>と言えばジャガイモやサツマイモを思い浮かばれるでしょうが、ジャガイモもサツマイモも1600年頃の伝来で、万葉時代の<芋>とは稲作より早く伝来した宇毛(ウモ:里芋)か日本の野生種である夜万乃伊毛(やまのいも:山芋)の事になります。山芋の葉は人差し指ぐらいのハート型をしていますので、とてもじゃないけれどお料理は乗りません。従って、里芋のことを指します。蓮の葉はやや円形に近く、里芋はやや細長いハート型をしていますが、とて良く似た柔らかさを持っています。家芋(イエツイモ)とも呼ばれる里芋は、結構どこでも良く目についたであろう事から、貴重で高級だった蓮と対照にどこにでもある里芋の葉を使ったお料理は粋(いき)じゃないと言われたそうです。その頃から粋じゃない人を「イモ」と表現していたらしいと、廣野卓氏は「食の万葉集」の中で書いておられます。


蓮の葉・芋の葉


 現在も蓮の葉は高級品で、特にお盆の頃はとてもお高いですが、里芋の葉を利用することはほとんどなくなりました。しかしながら、里芋は今も昔も身近な食材であり、茎はズイキとしても利用され(一部利用できない種もある)乾燥させれば長期保存が可能で、カリウム、マンガン、カルシウムが豊富に含まれています。また、干すことによりそれらを凝縮させる事が出来るとされています。戻して煮た物はお乳の出や子宮の戻りも良くすると言われ、産後すぐから良く食べさせられました。(笑)高血圧の改善、筋肉機能や心臓機能を調節する役目も担っていますので、季節が夏から秋に気温の変化がある今の時期にはどんどん取り入れたいものですね。
                              (08.8.22.発行 Vol.29に掲載)



【5】 「柿:かき」

 先日、「メルマガに書いているPさんの言葉は硬すぎる!」と言うありがたいご指摘を頂き、今回から普通の言葉で筆・・・いや、ここではPCのキー打ち?をして行こうと思います。ちょっと違和感を感じられるかも知れませんが、「こっちの方が普段のPらしいよ」と親しみを感じて頂けたら幸いです。さてみなさん、柿の実はよくご存知だと思いますが、柿の花って見たことありますか?柿に花などない???いえいえ、ちゃんとあるんですよ~。ただし、とても地味な緑色をしていますので、近くによってよ~く目を凝らさなければわからないくらいなんです。(笑)雌雄同じ株なので、1本だけでも実がなります。5月頃に咲き出して、丁度今頃、ガクの中心部分に実を付け出します。この時点ですでに柿の実のミニチュア版なので、こうなるとすぐに見つけられます。


柿の花

 柿は、中国から縄文時代以前に伝わったとされ、面白いことに中国では全て<渋柿>だそうです。日本に伝わって突然変異をして今の<甘柿>が出来たので、日本では甘柿が多い。しかし、実生の木は先祖がえりをするので、発芽した物はすべて<渋柿>になるそうなので、甘い柿を期待して食べた実の種を育てても渋柿が出来てガッカリすると言う話です。(笑)

 私の家にも、数本の柿の木が植えられていて、今沢山の花が実を結び始めています。甘い柿なのでそのまま食べたり、ジャムにしたりしますが、実は、楽しみはそれだけではないんですよ。5月頃、緑の柔らかそうな新芽が出る頃になると、剪定をするついでに若い葉を沢山摘み取ります。枝の先端の芽吹いたばかりの葉は衣をつけて天ぷらにすると、モチモチしてて美味しいですし、柿の葉には抗菌作用があるのでシメ鯖でお寿司を握り、柿の葉で包んだ物は柿の香りがほんのりと移り腐りにくいと言う利点もあって、今では奈良の名物<柿の葉寿司>として全国でも有名になっていますよね。ただし、桜餅の桜の葉と違って、この柿の葉のお寿司は柿の葉を取り除いて食べて下さいね。「なんだ、柿の葉寿司って、変な味がするし、噛み応えが悪い!」と、どこかで聞いたことがあります。決して葉っぱはお寿司と一緒に食べないように。(爆)

 今年の春、柔らかいその葉を採取し、日向で沢山干しました。何に利用するのか?それは・・・お茶にするためなんですよ。ここ数年、野良作業をするようになって、シミが異常に増えちゃってね。なんとかならん物かと考えていた所に、<柿の葉茶には、ビタミンCが豊富に含まれていて、シミ・ソバカスに良し!>と言う文字を発見。しかも、<洗って干すだけでOK!>な~んて言われちゃ~もう~作るしかないっしょ♪って感じで早速作業に取り掛かりました。日陰に干すと、葉は黒ずみますが、日向に干すと意外と緑色が残って綺麗なんですよ。カラカラに乾いたら手で揉んである程度細かくし、お茶パックに大さじ1ぐらい入れて急須に入れ、熱いお湯を注いで鼻息整えつつ待つこと3分。湯のみに注いでゆったりまったり飲む。なんとなく効いているような気持ちになれるだけでも有難い。(オイ)

 「我が家の木は渋柿だからね・・・」そんな話を良く耳にします。渋柿・・・いや~これがまた素敵なんですよ。渋柿の実は、付いている枝をTの字に残して採取し、皮を剥いてから縄にTの枝を挿して軒先につるしておけば、お正月頃には白い粉が吹いて美味しい干し柿が出来ます。また、熟す前の青い実のヘタと種を取ってからつぶして(今ならミキサー)布で濾し、出た汁だけを1年間保存して熟成させた物は染料や防腐剤として古くから利用されてきました。なかなか渋い色が出るので、平安時代には柿衣色(かきそ)と言う色の名前も出来たほどです。紙に塗って乾かすと丈夫になるので、団扇や傘にも利用されていました。時代劇でよく下級武士が傘に刷毛で何かを塗っていますよね、あれが柿渋の汁です。ちなみに<かき>と言う言葉は<赤き実>から<あかき><かき>となったそうで、学名は<Diospyros kaki L.>日本から世界に伝わったことがはっきりわかります。

 こんなに色々利用される事が多く、しかも、縄文時代よりも古い時代に伝わった柿なのに、万葉集では一首も詠まれていないと言うのはどうも合点が行かない。新芽の緑の美しさ、実りの赤、食べても美味しいのに・・・。あまりにも身近にありすぎて、趣には欠けたのでしょうか?飛鳥にも柿の木はたくさん植えられています。飛鳥を歩く時、そんな話もあったな~と思い出して頂ければ幸いです。
                               (08.7.4.発行 Vol.25に掲載)



【4】

 前回の記事を書いた時は、春真っ只中で、「不味い水葱の吸い物より、ノビルと混ぜた鯛が食べたいよ~」と言う歌とともに(オイ!)、ノビルの話をさせてもらったが、覚えておられるだろうか。あれから季節が移り変わり、日中は夏を思わせる暑さとなった。「夏」と言えば、やはり海!!って事で、今回は飛鳥の地からやや離れた海の話をさせてもらう。 え?飛鳥と海の関係?大有りです!

 飛鳥人は、野山で採れる山の幸を食べていた。それは確かだが、意外と思われるだろうが海産物は今よりも豊富にあったと思われる。現代の方が、環境汚染や乱獲によって、絶滅してしまった物が多い。

 夏、海水浴と称して、父は私たち家族を磯へ連れて行った。普通の家族ならば白い砂浜へ連れて行くだろうに・・・。父は釣りが趣味で、磯で釣りをしたいがため、家族を磯へ連れて行き、泳げない私は岩場の貝や小さなカニ、海草を採るのが常だった。都会育ちのクセに食べられる(これに限定される)貝や海草を見分けるのは、今でも得意である。

 大きくなり、自分も家族を持つと、やはり子供たちを泳ぎに連れ出したくなるのが人情か。いや違う。夏の風物詩である、海の幸を持ち帰るために出掛けるのだった。子供たちにニナ貝、とこぶし、フジツボ、てんぐさ・・・などと教える間に、手かごいっぱいに色々収穫。そんな時、どこかで見たような海草が紛れ込んでいて「えぇい、味噌汁なら食べれるだろう。駄目だったら吐き出せばいい」と心で思いつつ、味噌汁の具として一口大に切って入れてみた。茶色い海草は瞬く間に綺麗な緑色に変化し、その海草の周囲はとろみが・・・。まさしくそれは、ワカメ!!しかし、味噌汁はエグ味があって美味しくない。もう一度同じ海草を採取して、お湯にくぐらせた。また茶色が綺麗な緑に変化し、今度は水で綺麗にぬめりを取るように洗って、食べてみた。美味い!!この時、私は初めて<ワカメは湯通しをして洗ってから調理する>と覚えた。

 ワカメは、潮の流れが急な瀬戸内で採取されるのが一等美味しいのだと言われるが、これは万葉の時代にはすでに知られていたようである。

 <角島の 迫門の稚海藻は 人の共 荒かりしかど 吾とは和海藻 
                                      巻十六-三八七一>

 読み:つのじまの せとのわかめは ひとのむた あらかりしかど われとはにぎめ

 意味:角島の瀬戸のワカメは人には靡かないけれど、私にはニギメのように和やかに靡いてくれる

 稚海藻も和海藻も、同じワカメの意味ですが、稚海藻はまだ幼いワカメをさす。稚児の稚。その対象として和海藻は、そこそこ良い年恰好の女性を意味をするのか、靡いてくれるのだと言っている。なんとも意味深な・・(笑)

 関西では、春になると鮮魚店の店先に、ザルに天盛した茶色い茎ワカメが並ぶ。それを見る度に、あのエグ味のある味噌汁の味を思い出し、一盛買い求めては、しっかり湯通しと水洗いをし、刻みネギと生姜醤油をかけて食す。コリコリとした食感が嬉しい。今年ももう少し食べておくのだったと、後悔している・・・。

 ワカメはコレステロール値などを下げる食物繊維が豊富に含まれており、脂肪の多い肉や卵と一緒に摂ると、コレステロールの排出が促されて動脈硬化の予防に役立つ。メタボな方には非常に嬉しい食品でもある。悲しいかな私はワカメに大量に含まれるヨードを摂取してはいけない病気を抱えているため、いつもほんの一口しか食べさせてもらえぬ。これがなんとも口惜しく感じるのである。 (08.5.27.発行 Vol.22に掲載)



【3】

 飛鳥の道を歩いていると、色々な野草と出会う。特に春は、そこかしこから顔を出してまるで私に「今年もここにいるよ~」と言ってくれているような気がして、それらを見つけるのも楽しみの一つである。

 棚田をあるくと、僅かなその段差部分に細長い葉が一握りずつぐらいの、まるで集団のような物が目に入ってくる。ネギのような、ワケギのような・・・よくよくみるとそれらとは違う事に気がつく。ネギもワケギも葉は円柱だが、この野草は半分潰れたように三日月。これは<野蒜:ノビル>だ。手でちぎってみると、ネギと良く似た青っぽい香気がふわ~っと辺りに漂う。それと同時に、頭の中で<今夜は酢味噌和えだな~>と浮かぶ。


 慌てて全てを一緒くたに摘み取ってしまってはいけない。そんな事をすると後でとても厄介な目に遭う。野草と言う物は、混在して自生しているため、他の草も一緒になって植わっているし、なによりノビル自身、痛んだ葉を落とさずにずっとつけているので、それらを掃除してやらねば、とてもじゃないが食べられない。1本1本丁寧に抜き、他の草や痛んだ葉を取り除きながら束を作ってゆく。ここでもう一つ忘れてはならないのは、必ず来年の分の株を残しておく事。そうしなければ、来年はもうその場所では出会えなくなるだろう。大地の恵みに感謝して、少し残すのは最低限のマナーである。

 自宅に持ち帰り、綺麗に洗ってサッとひと煮立ちさせ、5cmほどの長さに切り、味噌、酢、砂糖、和からしで辛子酢味噌を作り、私は油揚げをさっと網で炙り、パリッとさせた物を刻んでノビルと一緒に和えて食べるのが一等美味しいと思う。ネギと違って苦味は全く無く、クセもないが、青っぽい香りはそのまま口の中で広がる。主人の格好のツマミだ。

 今年は、サッと湯通しした油揚げを屏風開きに広げ、その中に、刻んだ生のノビルとスプーン1さじの味噌を合わせて叩き混ぜた物を塗って、さっと炙った物を食べてみた。いやいや・・・これが実に野趣あふれる味。新しい発見だ!!決して絢爛豪華とは言えないが、素朴な懐かしさに浸れるのは請け負う。

飛鳥時代の食について、思いを馳せる。飛鳥時代にもノビルは存在しており食べていたと言う。きっと濁り酒の恰好のツマミになったに違いない。と思ったら、万葉集に面白い歌が残っているのでご紹介したい。

<醤酢(ひしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱(なぎ)の羮(あつもの) > 万葉集 巻16-3829


長意吉麿(ながのおきまろ)と言う高級官僚だったらしい人物は酒の席で、「ノビルを搗(つ)き砕いて醤と酢とを混ぜ合わせ鯛に添えて食べたいと願っている私の目の届くところには置いてくれるなよ、水葱の吸い物はまずいので、見たくもないのだから。」と、即興で歌を詠んだ。当時<醤>魚醤や肉醤など動物性の調味料を使っていた。万葉の頃にはもうすでに酒は濁りではあるが出来ていたので、酒を長期保存させて造られる酢もあったが、なにせ<醤>は高級品。さすが高級官僚、口は肥えていると見えて、「美味しく和えた鯛が食べたい!!」と我侭を言うあたり、どこかのデップリとしたお腹を突き出してふんぞり返っている代議士さんをイメージしてしまう。ノビルはこの頃からたたいたり潰したりして食べられていたんだな~となんだか親近感が湧く。万葉の頃と現代、さして味覚に違いはないようでなんとも愉快だ。これから歴史のまた違った側面<食>を探ってみようと思う。なんだかワクワクする。でも資料が本当に少ないので、さてさてどう突き進められるか・・・。「Pの飛鳥・食物記」飛鳥と現代の違いも踏まえて、また続きが書けるよう頑張ります。これからも宜しくお願い致します。
                              (08.4.14.発行 Vol.17に掲載)



【2】 

 2月23日、奥飛鳥:女淵の滝から、ぐるりと飛鳥駅まで歩いて来ました。
 橿原神宮前駅の改札を抜ける頃雨が降り出し、「やっぱ日頃の行いがねぇ~」と思いつつバスに乗り込む。昼食をする頃にはすっかり雨も上がり、「やっぱり神は見捨てなかった!」と感謝をした。バスに置いてけぼりをくらいつつ(ホント信じられん事実だったよ~!)タクシーに乗って<栢森:カヤノモリ>へ到着。腐葉土を敷き詰めたような、ふかふかの道を登り、女淵へと向かった。途中から小川のせせらぎを左手に進む。足元がぬかるんで危なかったが、新しいスニーカーが功を奏して、滑らずに済んだ。女淵・・・鬱蒼と樹木が茂った中に小さな滝が流れていた。マイナスイオンをたっぷり浴びて、元来た道を戻る。芽生えたばかりの黄緑色した苔や巨大な葉を持つ朴の木など、歴史を知らなくとも結構楽しめる。が・・・この鬱蒼さは・・・女性一人では来ない方が無難だと思った。

 時折吹雪きに見舞われつつ、日頃の運動不足も手伝って、ヘトヘトのヘロ ヘロになりながら、女綱、男綱を回り、これでもか!!ってくらいの朝風峠を越えた。そこには、美味しそうな柑橘類が沢山植えられていた。喉の渇きを癒してくれそうだが、よそ様のを勝手に貰うわけには行かない・・・道端に転がっていた金柑を貰って食べようとした所に、太古さんが・・・「太古さん 金柑要ります?」と聞いたら「あ、ありがとう♪」と言って、4つすべてお持ちに。(涙) 喉の乾きは癒されず、また歩く歩く歩く・・・。檜隈寺跡の話には耳を傾け・・・ても理解不可能な私は、足元のヨモギを撮影していた。


飛鳥のヨモギ

 ヨモギ、小さい頃、庭のそこかしこに生えてきた春一番の草だ。枯れたようになった冬の地面を破って出てくる、力強さを感じた。ヨモギと聞けば、真っ先に思い出すのが<草もち>だろうか。春になると、あちらこちらの神社仏閣の参道には、美味しそうな草もちが並ぶ。アイヌ・コタンの人々は、春一番大地に生える神様の授かり物として、ヨモギを余す事無く生活に取り入れたのだとか。若葉を摘み、叩いて出た毛を寄せ集め、乾かして燃える草・・・いわゆる<もぐさ>を作り、疲れを癒した。私は、春一番に出た若葉を摘み取り、小麦粉と片栗粉を6:4で衣を作り、カラリと天ぷらにして食べる。すると、口いっぱいに春の香りが広がって「あ~今年も春が来たんだな~」と感じる。

 目でも微かな飛鳥の春を感じながら、帰路についた。疲れたけれど、懐かしさも感じた一日だった。                       (08.3.7.発行 Vol.12に掲載)



【1】「両槻会第六回定例会ー西飛鳥古墳めぐりと男綱勧請綱掛神事に参加して」 
                                            P-SAPHIREさん

 歴史・・・疎い。好きか嫌いかと問われれば、好きじゃないと答える。そんな私が何故両槻会に参加しているのか、いつも懇親会の時に返答に困る。私の中では<歴史>イコール<教科書>と言う絶対覚えなければいけない、楽しくない物として位置してしまっているから、決して歴史好きではない。でも、想像は大好きである。

 両槻会では、決して教科書通りのお仕着せを言わない。想像はあくまでも想像としながら、色々な方面に膨らませて夢を見せてくれる気がする。


 今回も、益田岩船は一体何の為に作られた物だろうかとの質問に、私は「お弁当」だと答えた。半分冗談ですが、もう半分は希望です。古代、この岩船のある場所は(少なくとも5年前は)見晴らしが良くて、行楽で訪れていても不思議じゃない場所でした。そうなればご飯も食べたくなる。巨大な石をくり抜いてご飯を沢山炊いて、みんなで食べたら美味しいだろうな~と、歴史を全く知らない私はそんな空想をしておりました。みなさんは、石棺の失敗作だろうとか、物見台だろうとか、祭壇かも知れないとそれぞれ色々な
 想像をされていました。

 前半最後の岩屋山古墳では、「斉明天皇が葬られたと言う説があるが、そう言う説を唱える古墳が沢山あって・・・」と風人さんが説明。「もしかすると、死後バラバラにされて、頭は本妻、体は愛人、手足は・・・って事はないですか?」と言うと、事務局員さんたちが「斉明天皇は女性!でも、九州で亡くなってるのよね。重たかったのでバラバラにしたって言うのはありかも」と話が弾む。もちろん、そんな事はありえない話だろうけど、自由気ままな想像にも付き合ってくれる友がいる。ありとあらゆる想像をし、それをひとつひとつ打ち消す発見が発掘され、そこからまた新しい発見なんかも加わって、古くて新しい歴史が刻まれて行く・・・。それがなんとも楽しく心地良い。


 綱掛神事に加わり、地の物を頬張り、夜は飛鳥の<とんど焼き>で振る舞い酒と柿の種を頂き、顔を炎で熱くしながら仲間をみた。私は歴史は全くわからないけど、飛鳥の地に吹く風と、飛鳥に集う仲間がやっぱり一番好きなんだと思った。今度「どうして飛鳥が好きなの?」と問われたら、胸を張ってこう言う事にします。
 「そこに友がいるから」と。

 歴史好きも、歴史嫌いも・・先ずは両槻会でお会いしましょう。きっとあなたも、私の言った意味が理解して頂けると信じて、私のレポを終わります。
                               (08.1.18.発行 Vol.6に掲載)

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