両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



飛鳥咲読




第22回定例会
瓦を楽しく学んでみよう!
-瓦も見方教えます-

もも
Vol.86(10.8.6.発行)~Vol.88(10.9.3.発行)に掲載





【1】 (10.8.6.発行 Vol.86に掲載)

 次回定例会は、タイトルに瓦が付くということで、咲読はももが担当させて頂きます。今回は回数も3回と短めになっていますので、気楽にお付き合い頂ければ。m(__)m

 第22回定例会は、「瓦を楽しく学んでみよう!─瓦の見方教えます─」と題し、橿原考古学研究所の岡田雅彦先生に講演をしていただけることになりました。岡田先生には、昨年の第16回定例会の折りに事前散策時の解説と飛鳥資料館第1展示室で古代瓦の解説をしていただき、お話も分かりやすく優しい先生だと皆さんにもとっても好評でした♪
 岡田先生は、出土した古代の丸瓦や平瓦などから製作方法を始めとした様々な情報を読み取るご研究をなさっておられますので、瓦の基礎のお話もたっぷりお聞きできそうです。あ、今回は、古代瓦の基本的なお話となる予定です。岡田先生には、ひとつの寺跡や史跡を特別に掘り下げてお話をしていただくわけではありませんので、その点ご理解ください。

 両槻会主催講演会では、二度目となる瓦の講演会ですが、昨年の第16回定例会「飛鳥瓦の源流─百済、新羅、高句麗、そして中国南朝─」にご参加くださった方にはその源流から続く飛鳥瓦のお話として、また今回初めてご参加くださる方には瓦の基本から飛鳥瓦までの流れとして、それぞれにきっと楽しんでいただけると思います♪

 ・・・が、瓦の基礎って何だか難しそうと躊躇される方もいらっしゃるでしょうね。(^_^;) 素人には、瓦のどこをどう見ればいいのか分かりませんし、ましてや製作過程を思い描くのはかなり困難だと思います。で、結局どこまで行っても所詮「瓦は瓦」で、屋根の部材でしかあり得ない・・・。でも、反対に作り上げられていく過程が分かれば、その工程を想像することはできるんじゃないでしょうか?製作の手順が少し理解できれば、何がどう違うのかも分かりやすくなると思います。そうすれば、そこから広がっていく古代史全般への更なる妄想(笑)も不可能ではないと思うのです。(^^)
 ・・・なんて、偉そうなことを書いているσ(^^)も、基本的なことはほとんど理解していませんで。(^^ゞ

 皆さんも、幼い頃には粘土遊びをされたと思います。何にでも姿を変える粘土は、玩具にもお菓子にもその時欲したものに姿を変えてくれました。そう瓦も、もとは粘土なんです♪形作るために型を用い、仕上げのために叩いたり撫でたり・・・、そうして焼かれて出来上がったあと、長い間土の中で眠っていたものが古代瓦。手順を少し知ることで、古代瓦から読み取れる歴史も少し増える・・・そう考えると、瓦の基本も少しは身近に感じていただけるんではないかと。強引?(^^ゞ

 さて、唐突ですが、今年3月に「槻木広場か!?」と話題になった飛鳥寺西方遺跡のことを覚えておられるでしょうか。飛鳥遊訪マガジン77号にあい坊さんが特別寄稿として書いて下さっていますし、83号ではTOMが時遊録でもご紹介しました。

 で、ももの興味は、ここが槻木広場か?ってことではなくて、ここで出た土管。(笑)これが瓦製だということは、あい坊さんの記事にも書かれてありました。この土管は、円筒形の筒に接続部分である段差があります。聞くところによると、土管は古代日本には造瓦技術と一緒に伝わったと考えられているようです。屋根を雨から守る瓦が水を流す土管に姿を変えたのは、瓦の特性という以外にその形にあったんじゃないでしょうか。で、この土管を縦半分にすると・・・、なんと!玉縁式の丸瓦の形にとてもよく似ているのです♪ 粘土から丈夫な円筒形のものを作り出す技術があってこその土管だと、瓦好きのσ(^^)は、こんなところでも思うのです。(笑)

 屋根に乗っているものと相場の決まっている瓦も、時にはこんな風に姿を変えることもあると気に止めて頂けると嬉しいな♪と思うのです。屋根の上の瓦と地下の土管が兄弟かもしれないなんて、なんだかお天道様とお月様が兄弟・姉妹だっていう神話の世界みたい♪なんて馬鹿な例えで喜んでいるのはσ(^^)ぐらいでしょうけど。(^_^;)

 ちょうど今、橿原考古学研究所附属博物館で開催中の「大和を掘る28」で、この土管が展示されています。地下から取り上げられた土管は思ったよりも大きくて、ジョイント部分もとっても綺麗に仕上げられています。そうそう、内側も覗けるようになっていました♪9月5日まで開催されていますので、是非、瓦の兄弟かもしれない土管の実物をご覧になってみてください♪
 とまぁ、だから何なんだ?って話で、瓦は粘土だよ♪だけで終わってしまって肝心の瓦の話が出てこなかった一回目の咲読ですが、こんな調子で二回目以降はどうなるのやら・・(^^ゞ

【2】 (10.8.20.発行 Vol.87に掲載)

 今回は、講師の岡田先生が定例会に向けて原稿をお書きくださいました。有難うございました。m(__)m (ってか、原稿を無理やりお願いしたのはσ(^^)ですが・・(^_^;))で、今回の定例会に先駆けて行った「第22回定例会 事前アンケート」でも、お忙しいところ色々と考えてくださってありがとうございました。m(__)m

 アンケートの集計は、両槻会サイトにUPしております。是非ご覧くさい♪ Web版をはじめ第20回定例会当日にアンケートへのご協力を頂き
ました皆さん、ありがとうございました。m(__)m

  第22回定例会事前アンケート集計結果

 アンケート集計結果を踏まえたお話は、講演会当日を楽しみにして頂くとして、残り2回の咲読では、「まずは瓦に馴染んでみよう!」と題しまして(笑)、今回のアンケートの設問にも出てきた瓦の中から、馴染みのありそうな瓦や、馴染みは無いけどきっとどこか見たことがあるはずだという瓦など、少しは身近だろうなぁ~と思う瓦の話をさせて頂こうと思います。
 ・・・という事で、身近な瓦の第一弾は、分かりやすくて見つけ易い鬼瓦のお話を。鬼瓦がその名のとおりの鬼の形をとるようになったのは、8世紀頃からになるようです。じゃ、それまでには、鬼瓦はなかったのか?ってことになりますが、一応飛鳥時代から鬼瓦は葺かれていました。でもそこに鬼の姿はありません。鬼もいないのに鬼瓦とはこれ如何に♪(笑)
 耳にされたこともあると思いますが、飛鳥時代のものはよく「鬼板」とも表記されています。「鬼瓦の位置にある板状の瓦」ってことなんでしょう。「鬼板」は、飛鳥時代には蓮華文、藤原宮では重弧文(逆U字型が幾筋か施された文様)などが施されていました。最古とされる鬼瓦は、若草伽藍出土の蓮華文のものになります。これは、割付線や手彫りの痕跡などがあることから、笵で作られたものではなく生乾きの状態の粘土に直接文様が彫られたと考えられています。(出土品とは微妙に趣が違っていますが、法隆寺の大宝蔵院の屋根に上がっているものは、この鬼板をモデルにしたと思われます。)

大宝蔵院で見られる鬼板

 参考:重弧文鬼板(飛鳥資料館倶楽部サイト内画像)

 そして、今年遷都1300年祭で盛り上がっている平城宮に至って、ようやく我が国にも鬼の施された鬼瓦が登場します。鬼瓦の鬼って言うと、角あり牙ありの般若のような形相で立体的なものを思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、これは室町時代頃からになるようです。当初の鬼瓦の鬼は、もう少し穏やかな表情をしていて(と言っても一応鬼ですから、それなりに怖そうな顔をしようとの努力はあったのでしょうが、愛嬌のある顔立ちをしています(笑))、どちらかと言うとレリーフ状の平べったい感じのものになります。
 この他にも、平城宮第二次内裏北方官衙地域では、鳳凰文鬼瓦(この春、飛鳥資料館で開催されたキトラ古墳壁画展で展示されていました。)なんていうのも出土していますし、まぁ、一言に鬼瓦と言っても、蓮華文あり、重弧文あり、鳳凰文ありと実に様々で、こちらも文様や変換を追えば結構楽しいかもしれません。(^^)

 で、鬼瓦以外にも鬼の居た瓦も少しご紹介しておきます。鬼面文もしくは獣面文軒丸瓦と呼ばれているものが、葛城市の地光寺から出土しています。葛城市歴史博物館のマークにもなっていますので、ご存知方もいらっしゃると思います。このタイプの軒丸瓦は、飛鳥では、西橘遺跡、川原寺、大官大寺などで、確認されています。鬼の顔つきが若干異りますが、藤井寺の衣縫廃寺でも出土しているようです。地光寺出土の鬼面文軒丸瓦は、まん丸い軒丸瓦の中に大きく口を開いた一見獅子舞の獅子のような獣(鬼?)がいます。ニッ♪と口を開いた結構愛嬌のある顔立ちをしていますので、機会があれば一度じっくりご覧になってみてください♪

西橘遺跡出土 鬼面文軒丸瓦
明日香村埋蔵文化財展示室展示品(転用転載禁止

 葛城歴史博物館 (TOPページ左上に鬼面文軒丸瓦のイラストがあります。)

 この他に、紀寺跡(小山廃寺)では、隅木という屋根の角の方に突き出た部材を覆うための瓦(隅木蓋瓦)にも鬼面が施されたものがあるようです。鬼面の施された瓦って、どうやら角とか隅とかがお好みのようですね。先にあげた鬼面文軒丸瓦も蓮華文の軒丸瓦よりもはるかに出土数が少ないようですから、もしかしたら隅っこの方とか、特定の決まった方角や場所などの一部分にのみ葺かれたのかもしれません。で、元平安好きのσ(^^)は、思わず「鬼門か?」「艮(丑寅・うしとら)か?」と安易に考えてしまいます。(^^ゞ 飛鳥時代に方角に対してそういう感覚はあったんでしょうかね。風水の話がたまに出てきたりしますから、全く無かったわけでもないんでしょうけど。これは、瓦をのせたままの屋根でも出土しないかぎりは、はっきりとは分からないんでしょうね。 



【3】 (10.9.3.発行 Vol.88に掲載)

  さて、前回の鬼瓦に続いて今回は、鬼瓦周辺の瓦にも少し目を向けてみたいと思います。鬼瓦の後ろには何が見えますか?軒先近くに見える鬼瓦ならば、その背後に屋根の上に向けて伸びていく堤のような一筋の瓦の流れが見えると思います。先端で鬼瓦が「お前ら何悪さしとんねん!」と鎮座しているこの堤のような部分を「棟」と言います。(棟には、屋根の一番上の“大棟”、軒に向かって流れ下りてくる“降り棟”、軒の角に向けて流れている“隅棟”などがあります。)棟は薄い瓦を積んで積んで積んで・・・高さが出されています。この高さを出す為だけの上げ底瓦にも、実に立派な名前が付いています。その名も、熨斗(のし)瓦♪ なんともお目出度いお名前で(笑)。熨斗と聞いて思い出すのは、熨斗袋などの「のし」ですが、この熨斗瓦にそのお目出度い熨斗が付いているわけでは勿論ありません。形状が細長くて熨斗袋のようだからその名が付いたという説があるらしいですが、伸餅の「のし」じゃないの?と音だけ聞いて思った食いしん坊のσ(^^)です。文字としては「熨斗」の方がかっこよくて綺麗ですが、熨斗瓦が置かれている状況を眺めていると、嵩上げの為にただただ積み上げられた平板な瓦は、「伸された瓦」とも思えるような気がするんですが。(^^ゞ

 ま、名前の由来はさて置いて、大棟の高さは、建物自体の格に関係してくるとも言われますので、この熨斗瓦のお仕事もとても重要なんです。さて、棟繋がりでもうひとつだけ瓦をご紹介したいと思います。

 棟の足元の丸瓦や平瓦との境目に用いられる瓦があります。こちらは「面斗(めんと)瓦」と呼ばれていて、長方形の両短面を弧の字に欠いたような形をしています。この瓦は、葺かれる場所によって個々に細かい名前があります。それがまたなんだかとっても美味しそうな蟹と鰹(笑)。それぞれの瓦の形が蟹の甲羅と鰹(鰹節?)のように見えるからだそうですが、ちょっと見え難い位置に葺かれているので、なかなかその実体を把握することは難しいです。(^_^;) 

 ちなみに蟹面斗は水平の部分(大棟や塀など)で用いられるもの、鰹面斗は降り棟などに用いられるのものなんだそうです。σ(^^)は、蟹だけ間近に見たことがあります。こちらは、寺院の築地塀などでもたまに見られることがあります。本当に蟹の甲羅に見えるのか、一度検証してみてください。(^^) 熨斗瓦や面斗瓦は、平瓦や丸瓦を欠いて利用されることもあるようですが、きちんと別に作られる場合もあるようです。このあたりに、その建物の重要性や格が関わってくるのかもしれませんね。ま、これらの瓦は、今ではなかなかお目にかかる機会も少ないですが。(^^ゞ


熨斗瓦と面斗瓦

 瓦にも色々種類があるとは言え、「やっぱり瓦って地味ぃ~」と思われてません?(^_^;)ということで、アンケートには登場しなかったんですが、意匠が面白い瓦をひとつご紹介しておきます。皆さんも、阿吽の獅子や菊などの造形を屋根の軒先近くでご覧になったことがあると思います。これも立派な瓦で「留蓋」と言う名前が付いています。ただの飾りとして置かれているのではなくて、きちんと瓦本来の雨仕舞いという役目は果たしています。ごくたまに、由緒有り気な古いおうちの外塀の角などに置かれていることもありますが、これは、寺の山門などの切妻屋根(横から見ると逆V字形の屋根)の軒先で極普通に見かけるものです。兎や桃や蓮の葉や立浪と呼ばれる波状のものや打出小槌、七福神勢なんていうところもあったりします。先にあげた熨斗瓦や面斗瓦に比べれば、ぐんと見つけやすいですので、お散歩の折りなどに少し気に掛けて見てみてください。(^^)

 さて、定例会タイトルとは、あまり縁のなさそうな瓦の呼び名のお話ばかりになってしまった今回の咲読ですが、σ(^^)も皆さんと一緒に第22回定例会で勉強させていただこうと思っています。基礎ってイマイチ苦手なももです。(^_^;)

 ということで、第22回定例会では、皆で一緒に楽しく瓦を学びたいと思います。





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