3月 3日
雲がないのに雨が降った。この月に、霖雨(ながあめ)があった。
4月
この月にも、霖雨があった。
6月16日
わずかに雨が降った。この月はたいへんな旱であった。
7月 9日
客星(まろうとほし)が月に入った。
7月25日
群臣が、「村々の祝部(はふりべ)が教えたとおりに、牛や馬を殺し、それを供えて諸社の神々に祈ったり、市をしきりに移したり、河伯(かわのかみ)に祈祷したりしたが、(中国風の雨乞いの行事)さっぱり雨が降らない」と相談すると、蘇我大臣は、「寺々で大乗経典を転読するのがよい。仏の説きたまうとおりに悔過(けか)をし、うやうやしく雨を祈ることとしよう」と答えた。
『戊寅。群臣相謂之曰。随村々祝部所教。或殺牛馬祭諸社神。或頻移市。或祷河伯。既無所効。蘇我大臣報曰。可於寺転読大乗経典。悔過如仏所訟。敬而祈雨。』
7月27日
大寺(百済大寺)の南の広場に、仏菩薩の像と四天王の像を安置し、多くの僧をまねいて「大雲経」(だいうんきょう)などを読ませた。蘇我大臣は手に香鑪をとり、香をたいて発願した。 『庚辰。於大寺南庭、厳仏・菩薩像与四天王像。屈請衆僧。読大雲経等。于時。蘇我大臣手執香鑪。焼香発願。』
7月28日
わずかに雨が降った。
7月29日
ついに雨を祈ることが出来ず、経を読むことをやめた。
8月 1日
天皇は南淵の川上にお出ましになり、ひざまずいて四方を拝し、天を仰いでお祈りになった。するとたちまち雷が鳴って大雨になり、とうとう五日も降りつづき、あまねく国中をうるおした。そこで国中の百姓は、みなともによろこび、「すぐれた徳をおもちの天皇だ」と申し上げた。 『八月甲申朔。天皇幸南淵河上。跪拝四方。仰天而祈。即雷大雨。遂雨五日。溥潤天下。〈 或本云。五日連雨。九穀登熟。 〉於是。天下百姓倶称万歳曰至徳天皇。』