両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



特別回

奥飛鳥滝巡り


参加者レポート集


女淵
撮影:ぷーままさん

奥飛鳥写真集 散策資料 飛鳥咲読


この色の文字はリンクしています。

2011年12月3日

「奥飛鳥の滝巡り」に参加して   らいちさん

 両槻会のウォーキングといえば、毎回ガイドブックに載っていないようなマニアックなコースを案内していただいていますが、それが特別回ともなりますと、軽衢から平城京まで下つ道を25キロ踏破したり、石舞台から宮滝まで芋峠を越えて大海人皇子の足跡をトレースしたりと、いつも以上に魅力的なコースであるのはもちろんなんですが、その分行程も過酷なものであったりします。終わった後の達成感もかなりのものなんですが…

 今回は奥飛鳥にある皇極天皇が水乞いをした?とも言われている女淵の、更に上流にあるという男淵を目指すというので、どんだけとんでもないところへ連れて行っていただけるの?といろんな意味でドキドキわくわくという感じでした。おまけにコース上には飛鳥の知られざる名瀑が点在していると聞いて、とても楽しみにしていました。

 何年か前に一度、定例会で新緑の奥飛鳥を訪ねるという回がありました、参加できなくて悔しかった第8回のときです。このときに初めて飛鳥にもこんなに立派な滝があるということを知りました。両槻会では定例会が終わると毎回資料集やレポートを公開されていますので、これらを参考にしながら、奥飛鳥の隠れ滝を探して一人で女淵までは行ったことがあるのですが、さすがに男淵までは行くことが出来ませんでした。

 今回の特別回のようなウォーキングはたぶん両槻会でなければ出来ない企画ではないでしょうか、こんな機会を逃すわけにはいきません。

 そこは飛鳥川の水源地で水神のすむ神聖な場所ですので、ウォーキング企画をすると雨に降られる確率がかなり高いようです。第8回のときも雨に降られていますね…。今回も週間予報ではかなりの降水確率でした。前日の予報でも50%、当然、当日は雨を覚悟していましたが、朝からザーッと強い雨がひとしきり降った後、空が明るくなり、集合の1時間前には青空が広がっていました。山中を歩いているときは時折パラパラと降られることはありましたが、ほとんど、傘やカッパの出番はありませんでした。


女淵での撮影風景(撮影 tubakiさん)

 スタッフや参加者の皆さんの願いが飛鳥の水神さまに通じたのでしょうか、青空の下、気持ちよくスタートできました。覚悟していたとおり、かなりのハイペースで歩かされましたが、稲刈りの終わった棚田や里山の遅い紅葉が目をひく奥飛鳥ののどかな風景の中、清浄ないくつかの滝を巡り、撮影にはたっぷり時間をとっていただいたので、それぞれ思い思いの構図でベストショットを撮れたのではないでしょうか。

 栢森集落にある加夜奈留美命神社では祭神の詳しい説明をしてもらいました。古社一つにも実に奥深いいわれが潜んでいて、簡単に通り過ぎることができません。狐狸がやってるのかというようなお店のランチも堪能いたしました。男淵は聞いてた通りの難所で、とても一人では行けそうにない場所だったので、やっぱり参加してよかったです。久しぶりに訪れた七曲展望所(こんな名前だったのですね)は周りの樹木が成長して視界が狭くなっていてこれは残念でした。

 現説には間に合わないとあきらめて、でも一応場所だけでも見ておこうと寄り道した苑池の発掘現場では、橿考研の職員さんたちの温かい対応にふれ、最後まで気持ちよく過ごせた一日でした。

 スタッフの皆さん、ご一緒した参加者の皆さん、ありがとうございました。


七曲展望所より(撮影 らいちさん)

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もうこんの森に想いを馳せ、九頭神の奥飛鳥をのぼり、くだる。
                   ~両槻会ウオーキング考~   tubakiさん


 さる神無月、あるツアーで念願の奥飛鳥入りをはたし、(神様は出雲へ出張中であったのがよかったのか?)程よいしっとりとした雨の奥飛鳥と危険水位以下で増水した雄々しい飛鳥川を楽しむことができました。今回は2回目、しかも飛鳥京跡苑池へのおまけ付きとあり、わくわくの参加となりました。

 さて、突然ですが、皆さんはブラタモリという番組をご存知でしょうか?先日の放送でも「土地の記憶」というものが話題になっていましたがこの飛鳥京跡苑池を巡ってはまさにその土地の記憶が現代によみがえっていると言えます。まだまだ何が出るか目が離せません。

 水は多すぎてもいけない、少なすぎてもいけない、と言う難題を解決するため、見事な古代都市のインフラ事業をなし得た古代人は本当にすごいの一言です。そしてそのインフラ事業を誇るための道具としても苑池はあったのでしょうか?しかも庭として見せる工夫もしていた?

 飛鳥盆地が中央部を流れる飛鳥川と盆地周辺から流入する渓流による土砂輸送により形成され、地表水や地下水と深い関わりを持ちながら、この盆地に湿地帯などの水の環境が形成されたとしたなら、飛鳥京跡苑池の報道はまさに、そんな水環境を作り出した根源の地へ行く今回のツアーをよりアツーくしたのでした。飛鳥を東西部にわけて地上水の系譜として河川をみてみると結構たくさん知らない呼称のそれがあるのですが、東部上流域だけで8河川もありました。

 本来、飛鳥川という呼称は冬野川、稲渕川の合流する祝戸から下流を言うそうです。その稲渕川は栢森で行者の川、寺谷川(てらんだに)と細谷川(畑谷(はたんだに)川とも言われているようですが?)の三上流が合流したもので、一般的には栢森での合流をもってすでに飛鳥川とも言われます。冬野川は多武峰川、尾曽(おうそ)川と阪田川が上、尾曽、石舞台東南あたりで合流し古くから細川の名で親しまれた飛鳥川最大の支流。阪田川は葛(くず)神社を経由します。今回はおもに細谷川に沿って滝巡りをし、細川あたりで冬野川沿いに景色を堪能しながら石舞台へ下ったと思います?多分・・・まず始まりの稲淵から栢森へは、先のツアーとはちがう稲渕川対岸のルートを歩くという心憎い計らいで、明るくのどかでありながらダイナミックな空間を満喫、また一つお気に入りの道ができました。遡上するにつれ川は次第に元の単独の細谷川になり奥深い山道と寄り添うようにながれ、瀬音が心地よく響きます。そして上流に行くに従い、その奥深さは時に近寄りがたい厳しさもかいまみせてくれます。独りではやっぱり無理なコースと実感するのでした。特に男淵。


ごろの滝(撮影 tubakiさん)

 さて、ごろの滝という奇妙な名前の滝では斜めから接近したことで、神を守るかのごとく棲む魔物たちを発見。ごろの滝の写真をよーくご覧下さい。向かって左に大きな口を開けたウミヘビのようなの、その下には川面に首をもたげた亀のようなの、向かって右には大きな黒目のかわいいのが滝を見つめているではありませんか? あなおそろしや・・・おそろしや。
 次の女淵は、おやおや、栢森集落のご近所さんでしたか、と思うほどの近場、ここなら独りでもゆっくり来れるじゃんとホクホク。ただ、滝の前にぐっさりとつきささる流木を間近に観ては少し心が痛みましたが、これも自然ですから仕方ありません。確かに雨乞い神事にはよいところと感じました。

 しかし、思えば心から余裕をもって楽しめたのはこの辺りまで。後は私のつま先に魔物が噛みくことになったのです。ですから、山深い里の集落も撮影はなし、何とも残念なことでした。
 そもそも、両槻会の根源は歩くことにあると理解しています。卓上の知識を元に歩くことで感じ考え検証すること。本来は事前にいただく資料や地図をブラタモリのように参考にしなが歩くのが筋というものです。今回こそ正当に資料を持って考えながら歩こうと思いきや・・・  *:ちょっとちょっとtubakiはん。タイトルと内容が違うんちゃうの?紙面にも限りがあるしまだ、もうこんの森はでてきーひんの? T:どなたか存じませんが突っ込み遅いんちゃう? *:知るかいな!  
 で、もうこんの森。冬野川の上流付近にある気都倭既神社(きつわきじんじゃ)にある森だそうです。気都は食物を指す古語「ケツ」?で、稲作の守護とされ、この神も同時に川と水の守護神でもあるとか?
 それよりもこの印象的なフレーズが、冬野という名前とともにいつしかお気に入りになりました。今回写真タイムがあるので淵に入るぞ。という、無謀なポジティブ思考のせいで、長靴を履いてきたことが大仇に。飛鳥を生んだこのアップダウンのコース半ばには十分地形的変化を体感。私は下を向きつま先をなだめながら「もうこんなとこ・・・」「荷物は・・もうコンデジだけにしとこ・・」「もうこん、もうこん」、折れそうになる心を励ますように逆説的に呟いていたのでした。で、もうこんの森に想いを馳せる?事になったという訳。チャンチャン!

 当初考えていた思考予定は想定外(・・・)に吹っ飛んでいましたが、ある事を密かに考察する変な余裕がありました。それは健脚たちの歩き方。いかにもクライマー的風貌のYPさんはのぼりになると少し小股で歩き、人徳メーター装着の某氏は下りでは常に踵が浮いています。おそらく両氏は理論的なウオーキング術を心得ておられる。一日5万歩のMさんはのぼりでもくだりでも全く同じ。脅威の鍛錬の賜物か。そしてこの日一番注目した素晴らしい健脚がWさん。あの方の歩行術は上記どれにも属さない。数十メートル離れていたはずが、いつの間にか時にひらひら時にポンポン、そうまるで蝶か兎のように追い越していかれる。天性の身体のしなやかさとしか言いようがないと結論。まるで飛鳥を歩くために生まれてきたような羨ましいお方です。ですからツラレて一緒に最後尾で写真をとることだけは避けようと心に誓うのでした。そんなことをしたら滝の魔物より怖いお怒りが飛びますからね。もうこんでいいと言われないよう、次回のウオーキングのための仕様を今からあれこれ思考するのでした。

 最後に、今回の企画運営に、参加させていた事に、そして楽しく過ごさせていただいた同行者の皆さん、疲れた脚でお料理出していただいたYさん、そして絵馬奉納のmmさん、皆さんに感謝。  
勿論、九頭神さまにも。そして古代人にも乾杯!(清い滝水で割った芋焼酎なら最高?)

九頭の神さま (作 tubakiさん)
クリックで拡大します。

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―奥飛鳥滝巡り―  ぷーままさん

 両槻会特別会が12月3日にあり参加到しました。奥飛鳥を一人で歩けるのは女淵あたり迄といつも思っていました。奥飛鳥の滝は男淵、女淵しか知らなくて、ごろ滝、二段の滝それはどこ?まして男淵は行きたいけど私には無理かなと……

 当日の朝まで歩けるかなと不安な気持ちと、ダメなら折り返しの所で待てばとか、でも皆さんと一緒なら歩けるかと、迷いながらでかけました。
 早朝には雨が降っていましたが、飛鳥駅では陽が射し始め、好いウオーキング日和です。スタートしてからは、写真を撮り、皆さんとおしゃべりしながら楽しく歩いていましたが、厳しい上り、下りになるとおしゃべりする余裕もなくなり黙々と歩き、滝や風景の写真を撮り、歩き終えたときには達成感でやや興奮気味で、今回も楽しい一日が過ごせました。

 両槻会に最初に参加したのは2回目の「埋もれた古代を訪ねる」からです。毎回一人では行けないマニアックなところへ案内して下さいます。以前は飛鳥を一人で歩いていたのですが、講演会も参加して、少しずつ歴史の入り口に立てたかなと自分で思っていますが、なかなか覚えられなくて…

 2ヶ月に1回の定例会が毎回楽しみです。来年も頑張って両槻会に参加します。

 事務局の皆さんありがとうございました。


男淵(撮影 ぷーままさん)

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飛鳥川妄想紀行          miyauchiさん

 早朝、我が家に吉報が届けられた。何やら「飛鳥好きの仲間が集まった定例会」が飛鳥川の源流を訪ね、我が一族が隠れ住んでいる各場所の滝を巡り写真撮影を行う計画が有るとのこと、一部の滝や淵へは有っても系統だった来寓は久し振りだ。感極まり大粒の涙があふれ出て大雨になった、が彼等の集合時間前には涙も止まり快晴までも行かないが適当なハイキング日和にしてやった。集まった連中たちは俺が晴れ男、晴れ女だと喚いている、その戯言忘れるな、時々お前たちに意地悪したる。大粒の涙雨で洗い流された木々の紅葉、朝日に照らされた神秘的な飛鳥の山々を良く記憶記録しておけ、こんな風景はめったにない、新鮮な空気、飛鳥時代と変わらない古代の雰囲気を充分堪能してくれ。

 我が子供たちが遊び場所にしている淵に来た、昔は名前を付けて管理していたが名前も忘れた、今の奴らは長い長い呼び名で寓居を言っていたな、「飛鳥川上巫宇須多伎比売命神社前の淵」こんな長ったらしい名前なんか覚えられるか!!もっと簡単な名前に変えてくれ。ここでチョッと意地悪をしてしまった。
昔の彼女を呼び出し岩陰に隠す、たちまち周りは木立で暗くなり、写真撮影が少し難しくなった。露出がどうのシャッター速度がどうの手ぶれがする、三脚が必要だとか、所詮記録するだけだ、それより自分の脳裏に今の感動を叩き込んでおけと叫んでしまった。帰られる時少し反省した、涙で洗い流された鮮やかな紅葉と岩肌、水の流れと朝日が差し込んでいる幻想的な光景を眺めさしてやればよかったと。

 こんな奥深い交通の悪い場所まで川探索をする族はほんの一部の人達だろう、我々を雨の神様、龍神様と尊び畏敬の念で恐れられていた良き飛鳥時代の人たちが懐かしく又愛しく思われてくる。我が一族の考え方一つで豊作か飢饉か大きく作用されたのに、今は飛鳥人の聖地、吉野から水を取り入れ愛する飛鳥の里をコンクリート川で一部風景を変えてしまった。残念なことだが古代の飛鳥遺跡を発掘する契機づけには為ったのだろう。そんな関係か知らないが奥飛鳥川系を軽視している。飛鳥川は山間から短い距離で飛鳥京に流れ込んでいる。落差や水量、景観等勘案して[淵][滝]と名付けても可笑しく無い場所は数多く有る、小字名とか公募でもして各々其の場所に名前愛称を付け、もう少し宣伝PRして皆を楽しませてくれ。 昔の良き時代の都人達や村人は何と言って我々一族の住む神聖な場所を表していたのか?もう少し若かったら思い出すのだが年月も経ってしまった、思い出さない。諄いようだがもう一度言う、今からでも現代人の感性で風光明媚な多くの場所に愛称を付けてくれ。愚痴のついでに寓居の格式について考えた「滝」「淵」の違いだ。現代の国語辞典では滝と淵は明確に区分されている。後から訪問してくれる寓居は両方とも「淵」と言っている。この場所は我々一族の内郭で本丸御殿と思っている、落差も水量も滝壺の大きさも自信を持っているが「女淵」「男淵」と呼んでいる、どんな感覚で名付けたのかな?愚痴は又後にして次に行こう。


飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社前(撮影 tubakiさん)

 玄関から寓居までの道で一番自慢できるコースだ。「女淵」と呼んでいるらしい、段々畑の畦道を降りて行く、昔は大切な棚田だったが今は荒れ放題になっている場所も見受けられる、仕方がないかな。? 沢道に降りる、これから慎重に歩いてもらわないと小石を踏み外し怪我をする、一部小石等で整備され歩き易くなって渓流道としては最高に気持ちが良い、何しろコンクリート化されていない。観光化された[飛鳥の飛び石]は舗装された畦道となり昔の面影を無くした、一族がもっと若く尊厳されていたら配下の川筋には手出しさせなかったけど時代の流れか、残念で堪らない。注意深く歩いて行くと一族が自慢できる光景となる、流れ出る水量、落差、水面の広さだ、良き時代の人々は水面の下に我が一族が住み、竜宮城まで行けると信じていた、彼らの思いは正しい。今の奴らには夢もロマンも無くしている。雨降りを祈願し、火を燃やし踊り狂った良き時代の飛鳥人よ。

 粋人達はまだその先まで求めてきた、今は「男淵」と言っているそうだ、折れ腐りかけた標識が寂しく立っている。我が寓居の全景を見ようと一生懸命に路を探し求めていた、残念ながら発見出来ず眼下30メートル下をブツブツ言いながら覗き込んでいる。自然とはこんなもんだ、近くまで行き全体の調和風景を観ず、一部を見て批判感想をせず、遠くから観て我ら一族の寓居の素晴らしさを想像する方が現実を見て落胆するより良い時もある。今度、機会を作って来寓した時は又別の景観を眼下に繰り広げて見せる、楽しみにしてくれ。

 言っても無駄かもしれないが我が一族も昔ほど権威も無く、観光化の波には勝てない。寓居の周りの木立には季節ごとに化粧をして来寓者の目を楽しませと啓蒙しても、一年中緑服の奴、春夏秋まで緑服で冬はスッピン裸で過ごす奴達で色気もセンスもない。これからは商いの時代だ、春から夏にかけての新緑、真夏の暑い日差しを遮る深緑、秋の紅葉、黄色も良いが燃えるような赤色が一番似合うと思う。そんな木立の仲間が増えればモットモット来寓者が増えると思う。≪紅葉狩りは飛鳥川系の我が一族の寓居だ≫!!「金かめ」「赤かめ」バス2社が大キャンペーンを実施する。 管理する者がいたら伝えてもらいたい。但し、どんな事情が有ろうともコンクリ-ト舗装は我が寓居近辺は不釣り合いだ、断固として反対する。

 今回の奥飛鳥滝巡りは最高な企画で合ったと褒めてやる、幹事さん御苦労であった、本当はもう少し意地悪する積りだったが、メンバーの飛鳥を思う気持ちに負けてしまった。何、!!歩行途中に小雨に遭った? あれは休息タイムと火照った体を冷ましてもらうオシボリをプレゼントした心算だ。もつと大きなプレゼントを忘れていないか??歩行中の会話に飛鳥京跡苑池の見学時間に間に合わないと小耳に挟んだ、我が一族の感謝の気持ちを表そう!!適任者が見つかった、当時飛鳥京苑池の水管理は親戚の「堰」が担当していた、その番頭は第二の人生を川傍で弥勒石として今も活躍している、すぐに連絡、一行が到着するまで閉鎖しないように見守ることを指示した。彼のお陰で終了時間が過ぎてもゆっくりと満足するまで見学出来たと思う。
                         感謝 感謝         miyauchi


女淵へ(撮影 若葉さん)

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「私の人徳です。それでは特別回滝巡りに出発します。」   よっぱさん

 降水確率70%の予報を覆して、飛鳥の空は青く晴れ、事務局長の誇らしげなあいさつで、両槻会の特別回がスタートした。

 「マニアックな両槻会」「飛鳥の王道を歩かない両槻会」「飛鳥寺や亀石を背にして田んぼを指差し説明する両槻会」ではあるが、「奥飛鳥のこんなところにこんな滝が」「こんなところにこんな素敵な店が」と感嘆させられ、七曲がりの展望台では飛鳥を見下ろし奈良盆地を一望、見渡す限りの建物や道路を頭の中で消し去り、この地に宮がおかれた当時の風景を思い描くことができた。


七曲展望所より(撮影 風人)

 今回の「両槻会特別回」の案内では、「健脚向き」と記されていたが、両槻会の「健脚」は、予想どおり「頑健」であった。

 わたしの足裏は一部皮が剥がれそうになったが、葦原中国まで降りたつと、唐国から伝えられし技法を駆使して調合された、類い希なる美味な薬膳と、いにしえより隼人の地に伝わりし美酒のおかげで傷も癒され、飛鳥の地に思いを馳せながら、その夜はすぐさま眠りにつかせていただいた。

 翌日、目を覚ますとテレビからは山下達郎の「クリスマス・イブ」が流れ、月曜日の新聞は現政権の支持率が云々と伝えており、現実に戻された私はスーツ姿で駅のホームに立っていて、またいつものように一週間が始まった。

 俗世間から離れ、次に飛鳥へ思いを馳せることができるのはいつかと思いながら、通勤電車の座席で両槻会サイトを携帯電話でチェックしている自分に「はっ!」とした。


 両槻会にどっぷりと浸っている。

女淵(撮影 よっぱさん)

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飛鳥滝巡りに参加して          河内風さん

 嶋宮から吉野をめざした大海人たち一行もかくやと思うほど早足で急坂を登り下りし、いくつもの美しい滝を見て写真を撮り、土曜日しかやっていない栢森のレストランで旨いあんかけうどんを食べ、「えっ、あんなところにも古墳が……」と驚き、でっかい柿をお土産にいただき、あと片付け真っ最中の飛鳥京跡苑池をかぶりつきでゆっくりと見学し、家にたどりついたら久し振りの2万6千歩で、申し分のない師走の一日でした。


飛鳥川上巫宇須多伎比売命神社前(撮影 河内風さん)

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奥飛鳥の滝巡りレポ    若葉さん

 12月3日、両槻会の特別回が行われ10名の参加者で奥飛鳥に行って来ました。明け方まで降っていた雨も上がり、すっかり秋色になった石舞台から飛鳥川に沿って歩き出しました。

 稲渕の棚田のパノラマは、とても気持ちの良い眺めを見せてくれます。どの季節に訪れても写真を撮りたくなる場所です。来月には新しく付け替えられる男綱の横を、景色を楽しみながら栢森に向かって進んで行きます。飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社の前の渕では、見ているような美しさをそのままカメラに収めようとしますが、いつもながら、撮ってからあまりの残念さに何度も首をひねってしまいました。

 お昼を頂く予定の「どらどら庵」の前を過ぎ、先に滝を見学しに行きました。私一人では絶対気が付かないだろうという、消えかけた案内の先を行くと、すぐの所に水量もほど良い“ごろ滝”がありました。「後ろのガードレールが入ってしまう…」と、ぼやく声もチラホラ。少しでも良い写真を撮ろうと長靴で参加された方は、どんどん滝に近づいて何枚も撮っておられました。さすが!準備から違います。何枚も撮っておけば一枚位マシなのが撮れるだろうという、適当な私などとは大違いでございます。おまけに、「三脚を使っていいよ」という事務局長のやさしいお言葉を無視した私は、この後も、いまいちピントのずれた写真を何枚も撮る事になりました。

 
どらどら庵

 「どらどら庵」は栢森にある土曜日のみ営業されているお店です。お腹が空いてやっと出てきたスパゲッティやあんかけうどん、かわいくトッピングされたカレーは歓声が上がるほどで、本当に美味しかったです。ぜひまた寄ってみたいと思いました。

 加夜奈留美命神社で九頭神が祀られている小さな祠を見学させて頂いた後、女淵の“ナゴトの滝”へ向かいました。紅や黄色の葉が沢山石の上に落ちている上を進み、濡れた足元に注意しながら思い思いのポイントで撮影をしました。

 女淵から進むと左手に見事な紅葉が見えました。何とか見えたままの色を出したいと、あれこれカメラの設定を替えてみます。(もちろん適当に…)

 右手に“二段の滝”(←かってに命名)が見えてきましたが、小さいのも入れると“三段の滝”でした。きっと夏だと気持ち良さそうに見えるのでしょうねぇ。九頭神にお参りしたためか、どんどん曇って来ました。

 男渕(トチガ渕)の案内を左に入り、すぐに急な傾斜を下って行くと、ちょっと向こうに木々に隠れた滝が見えました。少し前にカッパを着ていたし、リュック&重いカメラであぶなくて仕方ありませんでした。ここでブレブレ写真と、何を撮っているのか解らない写真を沢山撮ってしまいました。

 進んで行く間少し雨に降られましたが、七曲展望所ではじゅうぶん展望を楽しめました。その後、石舞台まで下って下って、下って行きました。

 時間的に無理かと思っていた「飛鳥京跡苑池」の現地説明会には、現場到着手前で資料をわざわざ持って来て頂くなど(ありがとうございました。)、撤収直前でしたがギリギリ見学する事が出来ました。
池の中の石が赤茶色に染まっているのが真っ先に目に付いたのですが、鉄の成分の影響から染まっているのだろうとの事でした。東側が3m以上の高さがあったそうで、池の場所がとても低く感じました。

 カッパを着て冬に滝を見に行くという貴重な特別回となりました。時間がたっぷり取られていたので、皆さん思うように撮影出来たのではないでしょうか。雨でも楽しゅうございました。


女淵(撮影 若葉さん)


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奥飛鳥写真集 散策資料 飛鳥咲読


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