このページは、第12回定例会 講演会「飛鳥のみち 飛鳥へのみち」において、講師 近江俊秀先生の「古道を歩いてみましょう!」と言う呼びかけに応え、実際に「下ツ道ウォーキング」を体験した参加者10名によるレポート集です。
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この色の文字は、リンクしています。 |
ぷーまま さん
下ツ道ウォーキング ―遥かなり朱雀門―
2009年2月21日
橿原神宮前駅の丈六交差点から平城京復元朱雀門まで25kmのほぼ一直線の古道を、自分用の地図に記入し、確認しながら辿りました。
飛鳥遊訪マガジン42号 近江先生の地図を参考にさせて頂きました。
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丈六交差点 |
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9時半スタート |
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かしはら万葉ホール |
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下ツ道跡の碑 |
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飛鳥川 |
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小房町 |
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古い町並み |
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JR畝傍駅 |
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札の辻 |
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横大路・下ツ道の交差点
江戸時代の高札場 旅籠 |
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八木駅 |
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新の口 |
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梅川・忠兵衛所縁の地 |
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米川・寺川合流 |
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寺川に沿って歩く |
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多神社鳥居 |
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多坐弥志理都比古神社
古代の豪族多氏ゆかりの神社 |
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田原本町役場 |
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保津坂手道・下ツ道交差点 |
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鏡作神社 |
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鏡作坐天照御魂神社 鏡の神様 |
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安養寺 |
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寺川を渡り川から離れる |
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今里杵築神社 |
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蛇巻 男の子の成人を祝う節句行事
農作物の豊作祈願 |
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初瀬川(大和川) |
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二階堂駅 |
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ここまで13km |
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管田神社鳥居 |
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中世中街道との分岐点 |
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高瀬川 |
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菩提仙川 |
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売太神社 |
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稗田阿礼 稗田環濠集落
住宅街をぬける |
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羅城門跡 |
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佐保川の付け替えで水の中
近くの公園に羅城門跡の碑 |
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佐保川・秋篠川分岐 |
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西の京 |
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薬師寺の塔、垂仁天皇陵が遠くに見える |
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三条大路 |
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建物の上に朱雀門の金色の鴟尾が見えてくる |
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朱雀門ゴール |
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4時半 10人揃って完歩!! |
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大極殿 |
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5時 |
今回は毎日まいにち地図を眺めて楽しんでいました。実際歩いてみると違う発見があり、更に楽しかったです。
お天気に恵まれて、ウォークには最適の日でした。お仲間と賑やかに、楽しく踏破出来たことが嬉しいです。まだまだ大丈夫!歩けると、自信もつきこれからも楽しく歩きたいです。
ありがとうございました。
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下ツ道を行く 橿原市小房町 |
らいち さん
「遙かなり朱雀門」嗚呼、本当に遙かだった朱雀門
橿原市万葉ホールの敷地に建つ「下ツ道跡」の碑裏に書かれていた文には
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日本書紀には、天武十年(西暦六八一年)「親王及び群卿(朝廷に仕える高臣)達が軽市(現大軽町・石川町付近)に集まり、華麗に着飾った馬に乗り、大路(下ツ道)を南から北へ行進した。」と記されている。
飛鳥に宮がおかれ、京と外界を結ぶ大路として築かれた下ツ道は、奈良盆地を縦貫し、藤原京、そして平城京を成立させた。二つの京を誕生させたこの道は、現代そして未来へ、連綿と人々が行き来する道である。
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とありました。
いつのまにか「道」は自動車の為のものとなり、人が歩くスペースは限られたものとなってしまいました。下ツ道の痕跡をたどって果たして朱雀門まで歩いてたどり着けるのでしょうか。
事前に送っていただいた地図のデータをA4に印刷できるように何枚かに分けて、つなぎ合わせてみると、おっそろしく縦に長いものができあがりました。
歩くルートは起点の丈六の交差点(古代の「軽の巷」にあたるそうです)からほとんどまっすぐ北に国道24号線と近鉄線の間を寺川に沿って北上して朱雀門へと続いています。田原本も天理も郡山も車では何度も通ってる地元ですが、いざ、歩いて…となるといったいどのくらいなのか、全然イメージがつかめません。事前に調べようと思ってネットで検索すると、ヒットするのはほとんど某氏の書かれたものでした。ま、歩いて歩けないことはないらしいです。
さて、当日は晴天に恵まれ気持ちよく出発する事ができました。小房から横大路と交差する札の辻あたりは道沿いに古いレンジ格子の民家が残っていて古い街道の名残を残しています。道の角にはいつ頃からあるのか古い道標があり、確かにここをいにしえ人が歩いたのだと思うと、心は時をさかのぼり、往時の雑踏のざわめきが聞こえたような気さえしました。
寺川沿いに田原本へ、鏡作神社を通り、蛇巻きの神社をのぞき天理市へ。
飛鳥川、巻向川、寺川、佐保川と何度も川を渡りました。
古代の人はどうやってこの川を越えたのでしょう。
羅城門跡の碑を見て、佐保川から秋篠川にかかると、いよいよコースも終盤。西に薬師寺の二つの塔が並んで見えました。やがて、日も傾き影が長く伸びてきた頃、ようやく金色に光る朱雀門の屋根が見えてきました。
本当に進路の正面に見えたのでちょっと感激しました。軽の巷からほとんどまっすぐ北に歩いてきたのだから当たり前なのですが、あっさりと、いや、やっぱり、と言うべきなのでしょうか。朱雀門の下にたどり着いたときにはかなりの達成感です。
行程25キロ、およそ7時間。ちょっと足は痛くなりましたが、一年に一回くらいは歩いてもいいかなーと思えるコースでした。
ご一緒した皆さん、企画して下さった両槻会の皆さん、ありがとうございました。
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寺川沿いの下ツ道
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もも
昔々、古道制覇隊なるものがあった。隊長1名と隊員1名。(笑)
時々に臨時隊員を巻き込んで、古代の道をなるだけ忠実に歩こうとする無謀な隊。取り付かれたように、明けても暮れても(大層な(笑))古道を歩いた記憶がある。
第12回定例会で、近江先生が道のお話をして下さった。予習として、近江先生の著作も読ませていただいた。今回、近江先生のお話を実体験しようと開催された特別回「遥かなり朱雀門〜下ツみちウォーク」。
下ツ道は、その昔古道制覇隊として初めて歩いた道でもある。私には、2回目となる下ツ道踏破。歩けるだろうかと言う不安は、道のりを知ってるだけに以前以上に大きかった。行程25キロ。何故にまた歩くのか。古代の道にそこまで思い入れがあるわけでもないし、下ツ道の両端にあるそれぞれの宮時代にもそんなに思い入れがあるわけでもない。相変わらず道筋も道順も全く覚えない。
古道と言われる道が当時そのままに残っているわけじゃない。全てが一直線で繋がっているわけじゃない。でも、そこここに古代の、往年の面影が残り、今も道として機能してる部分がある。道には、自然発生的に出来上がった道筋があって、それを人の力で移動し易いように変更していったんだそうな。使いやすさは、継続性を生み、道は道として機能し続ける。いにしえから続く道には、あちらこちらにその名残が神社や祭りや地形として残っている。それを体感しながら歩くと色んなものが繋がっていると思える。そう、道だけではなく。今回、9名の方とご一緒させて頂いて、色んなお話を伺った。1人や2人では、経験できない貴重な二度目の下ツ道踏破になる。今も繋がる古代のみちは、人と人をも繋ぐ。実体験というのがやはり一番なのかもな・・と、特別回「遥かなり朱雀門」で再確認。「繋がってる」と言う漠然とした実感を感じることができるのが「古道を歩く」ということなのかもしれないなと思った。
ご一緒してくださった皆さん、お世話になりました。またの機会がありましたら、よろしくお願い致します。(^^)
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