★ 藤原京体感ツアーに参加して そらさん
藤原京域の一部を実際に歩くものの、大きさの実感はなかなか難しい、あの辺に朱雀門があったと聞いても「へえ~」と残念な感想しかでてきません。でも、奈文研藤原宮跡資料室で航空写真や模型などをみると、なんとなく実感がわきます。
西面南門跡 (復元された大垣柱列と唐石敷などの礎石) |
復元された柱の説明の中では、現在の一間とこの当時の一間は同じ距離ですか?との質問に、柱の間の距離は決まっておらず、柱と柱の間を一間と呼び、柱が何本あったかで何間かが決まるというなんともアバウトな話もあり、笑えました。
建物の方角はきっちりしているのに、距離はあいまいって、昔の人は物事をどんな風に捉え、どんな考え方をしていたのか・・・と思いをはせてみましたが、まあ、さっぱりわかりません。案外、現代とそう変わらないのかもしれませんよね。
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現代の1間は、約1.8mと長さの単位を表すこともあるけど、古代の「間」は「柱の間(あいだ)」と言う意味しかなかったんだよね。
藤原宮の大垣と門では1間の距離が違ったけど、ひとつの建物では柱間はできるだけ揃えられていたんだよ。
一間の距離は建物の規模や格によって変わったんだよね。
同じ言葉でも、古代と現代では、意味や使い方が違ってるのも面白いよね。^^
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大極殿跡(13.2.16.撮影) |
また、藤原宮の大極殿は平城宮に移築され、復元されているものがここにあったのかとイメージができ、周りの土地よりも高台にあるので、とても大きく見えたんだろうなぁと想像ができました。
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色々想像して貰えれば、頑張って企画をした甲斐があります。ありがと♪ |
雨のため楽しみにしていた耳成山には登れませんでしたが、とても楽しい一日を過ごさせていただきました。このような楽しい会に参加できるのは、スタッフの皆様のおかげです。本当に感謝、感謝です。ありがとうございます。またこれからも参加させていただきますのでよろしくお願いいたします。
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いえいえ・・こちららこそ、いつもご参加有難うございます。m(__)mペコ |
膳夫寺跡へ向かう |
数日前から天気予報とにらめっこしていましたが、当日はあいにくの大雨。でもあんな雨の中を歩くことってあまりないので逆に新鮮でした!
そして、足が痛い風人さんに変わって、ももさんの解説。雨だから資料を出すと濡れてしまうからといって、私たちにわかるように、言葉を変えながら伝えようとしてくださり、ももさんの優しさも一緒に受け取りましたよ。ありがとうございました。
でも、やはり心残りは、「劇」ができなかったことですね。このシナリオ・・・読むだけではもったいない!!
★第38回定例会 藤原京体感ツアー
-藤原京の広さや大路間の距離を体感しながら知られざるポイントを巡る-
参加レポート
5月11日に第38回定例会がありました。定例会当日は、前日から雨が降っていました。しかし、両槻会は雨天中止はない会。 集合場所である畝傍御陵前駅に9:30に集合しました。
小雨の中での集合 |
雨天のため、集合場所は屋根のある西口に変更になり、顔馴染みの方々や初参加の方々と雨の割りには大勢いました。
朝の挨拶時に事務局長が体調不良のため、散策に付いていけなく、所々で現れるかもとのこと。その代わりに某先生が散策に急遽参加して頂けたとのことでした。
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急遽、ご参加下さった某先生、有難うございました。m(__)m
ボクもお話をお聞きしたかったなぁ~・・・
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本薬師寺跡(13.2.16.撮影) |
畝傍御陵前駅西口を出発して、まずは本薬師寺跡へ向かいました。本薬師寺跡は、以前にも会で散策しており、その時にはホテイアオイが咲いていましたが、散策時には蓮華草が咲いていました。私はホテイアオイは時期が来れば自然と生えてくると思っていましたが、わざわざ水田にして、手をかけているそうで、管理が大変だと感じました。
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本薬師寺跡は、東側の田んぼに蓮が植えられることもあるんだよ。^^
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本薬師寺跡から右京二坊大路を北上中 |
雨天のため、本薬師寺跡の中のほうには入らず、次の藤原宮西面南門跡 に 向かいました。
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西面南門に行く途中にある木殿神社や鷺栖神社は、藤原京右京二坊大路上にあるんだよ。飛鳥川沿いの道を歩くから、二つの神社が同一線上にあることには、気付きにくいんだけど。(^^ゞ 地図上で確認してみて。^^
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散策していて、飛鳥の宮跡と違い、周囲に建物や田んぼがなく、広い。地形的にも平地が多く、地形的段差が少なく感じました。特に京内を横断したときに、水溜りが多く靴がすっぽりと濡れてしまい、晴れても水はけが悪そうだなと感じました。当時働いていた方々は、雨の時や通勤時にはかなり憂鬱だったのではと妄想しました。
西面南門跡(13.2.16.撮影) |
さて、藤原宮西面南門跡には、朱色の柱で当時の大垣の規模を再現しているとのことです。実際にはもう少し高かったらしいです。
次に大極殿跡に向かいました。途中朱雀門跡を経由しましたが、ここだと言われないと気がつかないほど道幅が狭く感じ、普通の道だと思うほどでした。
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大垣の高さは、約5.5mあったと推定されているんだよ♪
京や条坊路のことは、資料を見てね♪ |
朝堂院南門と日高山 |
解説のなかで朱雀大路を通すために、日高山をわざわざ削ったとおっしゃっていました。
奈文研藤原宮跡資料室 展示パネル
クリックで拡大します。
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次に大極殿跡に行きました。この場所は他の場所に比べて地形的に高くなっていました。木々があるためにやや狭く感じました。今後調査もあるのではとおっしゃっていました。
一向に雨が止む気配がないため、計画のルートを変更して、橿原市藤原京資料室前停留所からバスを利用して、奈文研藤原宮跡資料室に移動しました。コミュニティーバスに乗りましたが、ほぼ貸切状態でした。
到着後、まずは昼食です。各々昼食して、午後の散策に備えて休憩しました。
定例会で何度か奈文研藤原宮跡資料室に来たことがありましたが、今回は雨天のため、いつもよりもゆっくりと展示をみることが出来ました。入館料払ったことないので、無料ですよね。
でも、展示している内容はかなり充実しています。特に瓦関係は充実しています。あの瓦は全てレプリカなんですかね?と思いつつ、観ていました。私事ですが、時間があったので展示している瓦をデジカメで一つ一つ写しました。
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無料です。^^
おっ!ここにも瓦マニアが一人♪(笑)
飛鳥・藤原地域で出土したおおよその瓦は、並んでると思いますよ。
特に藤原宮の瓦は、葺かれた建物や瓦窯別の展示があります。^^
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藤原宮式軒瓦
奈文研藤原宮跡資料室 展示品 |
いつもよりは長く観ることができましたが、あっというまに集合時間になりました。色々とあるからこの場所で展示していると思いますが、駅からも離れているし、もったいないと感じました。
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資料室のロビーで、最新の発掘調査成果が展示されることもあります。^^
三坊坊間路も位置や規模が復元されているし、屋外展示も楽しいです。 |
雨は激しく降っていますが、午後からも散策を開始しました。
まずは、膳夫寺跡に行きました。ここは聖徳太子妃膳夫姫が、養母古勢女を弔うために建てた寺らしいです。境内に礎石があります。
膳夫寺跡の礎石 |
次に三輪神社に。ここは横大路と中ツ道が交差する地点です。
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ここまで、およそ中ツ道沿いに北上してきたんですよね♪
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三輪神社西南隅の礎石(13.2.16.撮影) |
外から境内の用水路にある大きな石を見に行くときに、どこかしらから自転車にのって、その石について解説しだす聞きなれた声の合羽の人。
そう事務局長でした。自転車で体調不良の中来たそうです。大きな石は礎石かもしれないが不明とのことです。
次に市杵島神社に向かいました。事務局長も自転車で同行しました。神社及び周辺建物が整備されており綺麗になっていました。「市」に関する木簡が出土しており、米川を利用して物資運搬をしていたとのことです。
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「市」と書かれた木簡は、北面中門(猪使門)の近くからでてるんだよね。市へ行くのに便利な門が利用されたと考えられているんだよ。
川や道が交差するところは、水運・陸運に便利だから、市が推定されるんでしょうね。
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次に横大路に向かいました。マンションの一角にレンガが敷いてあり、そこが当時の道幅の端だったとのことです。反対側は事務局長が立っており、道幅として25~30mあったと推測されています。事務局長の立っている場所は特にレンガと
かなにかの跡がなく、よくわかるとなーと思いました。後日Googlemapで見てみると、そのマンションは郵政の宿舎でした。民間のマンションならレンガで目印も粋でさりげなくてよいかなと思いましたが、郵政となるとちょっと・・・。
近くのオークワでトイレ休憩。余談ですが、このスーパーは関東では見たことないチェーンでした。調べてみると関西地方中心で150店舗を有するチェーンみたいですね。
朝堂院南門跡から耳成山を望む(13.2.16撮影) |
耳成山に行く予定でしたが、雨のため中止になりました。耳成山は大和三山の一つです、と書きましたが、私中々、地理的・縁的・親しみ的にも今一歩なんです。
甘樫丘展望台や他の高い所に行ったときも、まずは大和三山はどこだとかになりますよね。わかりやすいとか歴史的に関連があるということはわかるのですが、そのほかに何かがあるように感じます。奈良の方のアイデンティティーというか、うーん?。とまた脱線しましたね。
後、言葉的には「みみなし」なのに、漢字だと「成」だと謂れを聞いても慣れないと違和感を感じますね。
雨が強い中、下ツ道と横大路の交差点である札の辻に向かいました。その横の札の辻交流館(東の平田屋)に入りました。途中で消えた事務局長もタクシーで合流しました。中ではボランティアガイドさんにより温かいお茶と札の辻に関する説明をして頂きました。
雨がしのげることと座れるだけでも、雨の中歩いてきた体にはとても良かったです。
二階での建物の説明やここの市ではこういった歴史的建造物に対する補助がないと聞き、少しびっくりしました。二階からは見晴らしがよく、道の先のほうまで見えました。
札の辻は当時よりはかなり狭くなっており、六角形の井戸も削られて残されていました。江戸時代の今でいうガイドブックにも絵が残っていましたが、かなり大きさが今と異なることが垣間見れます。しかし、狭くなっても現在も自動車の往来が多かったです。
そして、そのまま交流館の中で、会の交流会と閉会をしました。
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八木札の辻交流館のガイドの皆さん
暖かいお茶とお琴の生演奏でのおもてなしを有難うございました。 m(__)m
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最後に大和八木駅まで行き、そこで解散。私は打上会の花林に移動しました。
会の散策としては珍しく一日雨でした。そのために当初の予定とかなり変更になりましたし、シナリオのほうもできませんでした。
しかし、雨の中の散策もこれはこれで良い経験をしたと思いました。はるか昔、藤原京の人も雨には泣かされたのかなーと思いました。
後、藤原京が16年という短い期間で遷都したのは、もったいないと思うし、何故と思うし現在だったら、税金の無駄遣いと騒がれますね。
最後にスタッフの皆様、先先方お疲れ様です。雨と事務局長体調不良ということで色々と変更かつ大変だったと思います。いつもいつもありがとうございます。
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こちらこそ、いつもお世話になります。
雨の中ご参加下さってありがとうございました。m(__)mペコ
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第38回定例会「藤原京体感ツアー」は、降りやまない雨の中での開催となりました。予想していた雨天による参加者のキャンセルも殆どなく、27名で無事ウォーキングすることが出来ました。
ご参加下さった皆さん、有難うございました。m(__)m
今回は、開催直前にご案内させて頂くスタッフの交代や雨天によるルート変更などがあり、ご参加下さった皆さんにはご迷惑をお掛けしたと思います。m(__)m
今回は、急遽ご参加下さったあい坊先生のお力をお借りすることが出来ました。
最後になりましたが、あい坊先生をはじめご尽力頂いた先生方や皆さんに、心よりお礼を申し上げます。有難うございました。m(__)m 両槻会事務局
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