両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪

両槻会事務局・帝塚山大学清水ゼミ合同企画

第50回定例会


蘇我氏の奥津城

―蘇我四代の墓を考える―

両槻会事務局レポート
帝塚山大学清水ゼミのレポートはこちら♪

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第50回定例会 個別古墳資料
第50回定例会 共通資料
2015年5月16日


塚本古墳にむかう

 今回、先日行われた第50回定例会「蘇我氏の奥津城」のレポートを書かせていただきます。随分と前に登場させていただきましたアダッチと申します。宜しくお願い致します。
 レポート…重要任務に戸惑っております…が、頑張って書かせていただきたいと思います。

 今回は帝塚山大学の清水ゼミの学生さんたちが緊張しながらも頑張って各担当の遺跡の解説を行って下さいました。学生さん…若いなぁと思いながら見守っていました(笑)

 集合は飛鳥駅。当日は両槻会に参加して初めてではなかろうかと思ったくらい珍しく雨が降ったり止んだりの1日でした。私にとって子どもの頃から何かと所縁のある飛鳥の地。歴史があり、自然があり、自分にとっても色々な思い出がある飛鳥の地はやはりとても落ち着く空間でした。

 当日朝は久々の参加過ぎて家を出る時間をミスするという事件はありましたが、ギリギリ間に合い、無事に参加させていただきました。以前お話させていただいた方もいらっしゃったので構っていただいている内に定例会が始まっていきました。全部で回った古墳は12箇所。少しバスに乗りましたが、ほぼ歩きで回っていきます。


 岩屋山古墳→高松塚古墳→中尾山古墳→欽明天皇陵→カナヅカ古墳→鬼の雪隠・俎→天武・持統陵→菖蒲池古墳→小山田遺跡→塚本古墳→都塚古墳→石舞台古墳
といった順で回っていきました。

 飛鳥駅を出発して最初に行ったのは、飛鳥駅から少し裏(西)に入って行ったところにある岩屋山古墳です。


 線路を越えてほぼ一本道を歩いていくと直ぐ右側に階段があり、そこに岩屋山古墳があります。羨道の高さは2mほどなので背の高い方は天井が余裕で触れるほどでした。羨ましい…羨道を入ると両袖式の石室が現れます。中はライトを照らさなければならない程真っ暗な空間でしたが、天井の低い羨道とは打って変わり天井の高い広い石室に入ることができます。飛鳥石を使用した石室で、色んな形の石が積まれているわけではなく、綺麗に四角く加工された石が積まれ、切石の表面も岩のようなゴツゴツした感じはありませんでした。


 岩屋山古墳を出発して次に向かったのが高松塚古墳です。岩屋山古墳を出たときにレポートの話を聞いた私は、若干焦っておりいつの間にか高松塚古墳に着いておりました…


 高松塚古墳は、なぜか私が通っていた高校に女子群像の写真が飾られていたこともあり、割と昔から存在を知っていた古墳であります。そして、当時古代に少し興味を持たせてくれた古墳でもあります。この古墳は四神や星宿図、人物などが描かれている壁画古墳として有名で、石室中に実際に入ってみることは出来ませんが、古墳の形が発掘調査で判明して整備されたので、高松塚が二段築成の円墳であるのが見てわかります。また、古墳の規模としては少し小さいなぁと思う方もいらっしゃると思います。私がそうでした(^^;)古墳を知るまでは古墳の形は全部前方後円墳で大きい物だと思っていたので…


 中尾山古墳は、おそらく初めて訪れた場所だと思います…。山の中に入っていくと、周りには遺跡を巡りに来たわけではなく、野草などを探しに来られた方?で賑わっていました。そんな中に少し小高くなった場所があり、その中によく見ると石槨の天井石が少し見えており、説明を聞いた後、皆さん雨が降って足元がぬかるんでいる中、気をつけて歩きながら見えるところを回って石室がある場所を確認されていました。


 次はカナヅカ古墳です。大規模なテラスがあり、その上に墳丘が築かれていたということや、丘陵の南斜面をL字型にカットして平坦面を造りだしているという話初めて聞きました。カナヅカ古墳も初めて来た場所で、話を聞いてへーとかホーとか思いながら聞いていました。この場所で一番印象的だったのは説明をして下さったのが風人さんだったのですが、それまでは学生さんの説明で終わると拍手が起こるのに、風人さんの時だけ拍手が…それがとても印象的でした(笑)


 鬼の雪隠・俎ですが、道の横に雪隠が現れてきます。そこから道向かいの細い階段を上がっていくと俎を見る事ができます。雪隠はどのようにして上から落とされて、今の場所に行ったのかがとても気になるものですが、この遺跡の名前が付けられた鬼の伝説の話もとても興味深いものでした。また此処の古墳には双墓説があり、その話を聞いて参加者の皆さんがもう一つの古墳がある方向を見て、場所の確認をしていらっしゃいました。


 天武・持統天皇陵は、鬼の雪隠・俎から直ぐのところに位置しています。此処は天皇陵という事もあって整備されています。天武・持統天皇陵の別名が野口王墓古墳というのは初めて知りました。計画的に置かれた古墳であるとか、藤原宮との関係の話、両天皇の埋葬のされ方の違いの話には皆さん興味を持たれていたように思います。


 ここから少し歩き、菖蒲池古墳と小山田遺跡に向かいました。菖蒲池古墳は小高い丘陵の上から石室内を見る事ができ、石棺が二つ置かれていたのを確認することが出来ました。また、カナヅカ古墳と同じようにテラスがあったという話や、小山田遺跡は現在、養護学校内にあるため遺跡は見ることは出来ませんでしたが、どのような遺跡であったかの諸説のお話を聞くことが出来ました。


 この後、金カメバスに乗り込み、稲渕まで行き塚本古墳を目指しました。此処までは観光シーズンという事もあり、多くの観光客や他の会で飛鳥を歩いているグループと遭遇したのですが、流石は飛鳥の奥。両槻会しかおらず、車もほぼ走らないという状況でした。

 塚本古墳は明日香村の中心部から離れたところにあることが確認でき、この日は、天気が少し悪かったこともあって、霧が出ていました。先に鬼の俎・雪隠古墳の名前の由来の説明ときに、学生がこの地方は霧がよく発生することから「風の森」「霧ケ峰」と呼ばれていたと話してくれたのを、ここに来て実感することが出来ました。
 ほぼ自然の中で景色がよく皆さんなかなか来れない飛鳥の風景を写真に収めてました。


 そこから少し家が密集しているところを通り、都塚古墳を目指します。都塚古墳…話題になってた古墳ですよね…ってくらいの知識しかなく、場所もよくわかっていませんでした。実際何処にあるのか気になっていたので、今回ルートに入っていた時はラッキー!と思ったのを憶えています。現地で説明を聞いて、似たものが朝鮮半島にあるという事を写真つきで聞け、イメージしやすかったです。


 最後に行ったところは、飛鳥の中でもポスターの写真になるほど有名である石舞台古墳です。この場所はやはり観光地という事もあり、多くの人が見学されていました。石舞台古墳はやはり大きいなと思いながら石室内に久しぶりに入ったのですが、最初に寄った岩屋山古墳とは違い、綺麗に切りそろえられた石を使ってはおらず、隙間が開いているのが印象的でした。また、岩屋山古墳で説明してくれた学生2人が「触った感触を憶えて、石舞台古墳との手触りの違いを感じてください」と言ってくれていたので、実際に触って違いを確認していた参加者の方も多く見受けられました。


 今回参加させていただき、相変わらずの資料の多さや中身の濃さは流石だなぁと思いました。後輩でもある学生たちの緊張しながらも頑張って説明してくれる姿は、応援しながら聞き入っていました。自分が彼らの時分だった時ってどんな感じだったかなぁと思いながら…

 「蘇我氏の奥津城」初めて巡った古墳、改めて行った古墳。実際に現地に行って実物を見たりして聞くというのは、自分なりにイメージを浮かべたりするので良いなと改めて感じた会でした。皆様本当にお疲れ様でした。


レポート担当:アダッチ



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