和暦 |
西暦 |
月 |
事 象 |
雄略 9 |
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3 |
蘇我韓子、紀小弓、大伴談、小鹿火宿禰とともに、新羅討伐の将軍に任命される |
5 |
韓子、戦地で没す。 |
宣化元 |
536 |
2 |
蘇我稲目、大臣となる。 |
5 |
稲目、勅命により、凶年に備え尾張連に尾張国の屯倉の籾を運ばせる。 |
宣化 4 |
539 |
2 |
宣化天皇崩御。 |
12 |
欽明天皇即位。 |
欽明 2 |
541 |
3 |
堅塩媛・小姉君(ともに稲目娘)、欽明天皇の妃となる。 |
欽明13 |
552 |
10 |
百済・聖明王より、釈迦仏の金銅像一体、幡蓋若干、経論若干が伝えられ、蘇我稲目が仏像を貰い受け小墾田の家に安置。
向原の家を清め寺とする。
後に疫病が流行り、物部連尾輿・中臣連鎌子の奏上により仏像を難波の堀江に流し、寺に火を放つ。
『扶桑略記』 第廿七代継躰天皇即位十六年壬寅。大唐の漢人鞍部村主司馬達止。此年の春二月入朝す。即ち草堂を大和國高市郡坂田原に結び、本尊を安置し帰依礼拝す。
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欽明14 |
553 |
7 |
稲目、勅命に奉じ、王辰爾に船賦の記録を命じる。 |
欽明16 |
555 |
7 |
稲目、穂積磐弓臣らと吉備に派遣され、5郡に白猪の屯倉を置く。 |
欽明17 |
556 |
7 |
稲目ら、備前に派遣され、児島郡に屯倉を置く。 |
10 |
稲目らを高市郡に派遣され、韓人の大身狭の屯倉と高麗人の小身狭の屯倉を置く。 |
欽明23 |
562 |
8 |
稲目、大伴連狭手彦より贈られた高句麗の女2人を妻とし軽の曲の家に住まわす。 |
欽明31 |
570 |
3 |
稲目没す。 |
欽明32 |
571 |
4 |
欽明天皇崩御。檜隈坂合陵に葬る。 |
敏達元 |
572 |
4 |
敏達天皇即位。蘇我馬子、大臣となる。物部守屋、大連となる。 |
5 |
王辰爾、高句麗の鳥の羽に書かれた上表文を読解。 |
敏達 3 |
574 |
9 |
馬子、吉備国に派遣され、白猪の屯倉と田部の農民を増やす。(翌年2月帰京)
馬子、鹿深臣・佐伯連の請来品の石の弥勒像と仏像を貰い受け、邸宅の東方に仏殿を建て、石の弥勒像を安置する。
また、石川の家に仏殿を造る。鞍部司馬達等・池辺直氷田を遣わし、仏法の師として、播磨の還俗僧・恵便を探し出す。
善信尼(司馬達等の娘)らを出家させる。
司馬達等、法会の際に舎利を発見。 |
敏達14 |
585 |
2 |
蘇我馬子が大野丘の北に塔を立てる。先に(敏達13年9月)司馬達等が得た舎利を柱頭に納める。 |
3 |
馬子、病み、奏上し許可を得て仏法を祀る。
物部守屋らが、塔を倒して仏殿を焼き、焼け残った仏像を難波の堀江に捨てる。善信尼らを海石榴市で鞭打つ。三人の尼、馬子に返還される。 |
8 |
敏達天皇崩御。殯宮での誄で馬子と守屋が罵倒しあう。 |
9 |
用明天皇即位 |
用明 2 |
587 |
4 |
天皇病臥。三宝(仏・法・僧)への帰依を群臣にはかる。
鞍部多須奈、天皇の為に出家。丈六仏と寺を造る。
用明天皇崩御。 |
6 |
馬子、炊屋姫を奉じ穴穂部皇子を殺害。 |
7 |
物部守屋との戦いに際し、廐戸皇子、四天王像を彫り戦勝を祈願。馬子、寺塔を建立し、仏法を広めることを誓願。
物部守屋滅ぶ。 |
8 |
崇峻天皇即位。 |
崇峻元 |
588 |
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百済より、僧恵総・令斤・恵寔が遣わされ舎利を献上する。同時に、僧6名、寺院建築工2名、露盤博士、瓦博士4名、画工が渡来。
善信尼らが受戒を受けに百済へ発つ。
(飛鳥寺の)整地と着工。 |
崇峻 3 |
590 |
3 |
善信尼らが帰国し、桜井寺に住む。 |
10 |
山に入って寺(飛鳥寺)の用材を伐った。 |
崇峻 5 |
592 |
10 |
(飛鳥寺の)仏堂と歩廊の工を起こした。 |
11 |
馬子、東漢直駒に崇峻天皇を暗殺させる。即日、倉梯岡に葬る。
馬子、東漢直駒を処刑。 |
12 |
推古天皇、豊浦宮で即位。 |
推古元 |
593 |
1 |
(飛鳥寺の)仏舎利を塔心礎に安置し、塔の心柱を建てた。
この年、難波・荒陵に四天王寺を造り始める。
『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』 止由等の宮を寺と為す、故に止由等寺と名づく
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推古 2 |
594 |
2 |
皇太子(聖徳太子)と大臣に詔し、三宝の興隆を図る。
多くの臣・連たちは、きそって仏舎を造る。 |
推古 4 |
596 |
11 |
飛鳥寺、落成。馬子の長子・善徳臣が寺司に。慧慈、慧聡が飛鳥寺に住まう。 |
推古11 |
603 |
10 |
推古天皇、小墾田宮に遷宮。 |
12 |
冠位十二階制定 |
推古12 |
604 |
4 |
十七条憲法発布 |
推古13 |
605 |
4 |
銅と繍との一丈六尺の仏像を各一躯造り始める。
鞍作鳥が造仏工に任じられる。
高句麗・大興王より、大仏の鋳造用に黄金300両が伝えられる。 |
推古14 |
606 |
4 |
(飛鳥寺の)金銅と繍の丈六釈迦仏を安置。
(『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』では、推古17年) |
5 |
鞍作鳥、祖父・司馬達等、父・多須奈の功、及び、飛鳥寺への丈六仏安置の功により、大仁の位と近江国坂田郡水田二十町を賜る。金剛寺造営。
『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』 この年、(飛鳥寺の)金人(金銅の仏像)を造らせる。
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推古20 |
612 |
1 |
馬子、宴で天皇と歌を詠み交わす。 |
2 |
皇太夫人堅塩媛を檜隈大陵(欽明天皇陵)に合葬。 |
推古22 |
614 |
8 |
馬子の病気平癒のため、男女1000人を出家さす。 |
推古28 |
620 |
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馬子、聖徳太子とともに、「天皇記」「国記」などを記す。 |
推古30 |
622 |
2 |
聖徳太子薨去。 |
推古32 |
624 |
4 |
天皇、僧の規律について馬子に問う。 |
10 |
馬子、葛城県を天皇に要求し拒絶される |
推古34 |
626 |
5 |
馬子、没す。桃原墓に埋葬。
蝦夷、大臣となる。 |
推古36 |
628 |
3 |
推古天皇崩御。 |
9 |
蝦夷、嗣位をめぐり、山背大背大兄皇子を推す境部臣摩理勢を殺害。 |
舒明元 |
629 |
1 |
推古天臭の遺勅として田村皇子(舒明天皇)が即位。 |
舒明 8 |
636 |
7 |
大派王が官吏の朝参の怠慢を非難。卯の刻に出仕、巳の刻に退庁する提案に蝦夷賛成せず。 |
舒明13 |
641 |
10 |
舒明天皇崩御 |
皇極元 |
642 |
4 |
蝦夷、畝傍の家に百済の翹岐らをよび、対談。良馬1匹と鉄20錠をおくる。 |
7 |
入鹿の従者が白い雀の子を捕える。同し時に蝦夷も白雀を献上される。
蝦夷、大寺で読経による雨乞い。(効無し) |
8 |
天皇、南淵において雨乞い。大雨が降る。 |
9 |
天皇、蝦夷に百済大寺造営のため、近江と越の丁を微発するよう命じる。また、宮殿(板蓋宮)造営のため国々から用材を、遠江から安芸の国に人夫を調達するよう命じる。 |
10 |
蝦夷、蝦夷を家に迎え饗応する。 |
11 |
蝦夷、葛城の高倉に祖廟を建て、八侑の舞を行う。 |
12 |
舒明天皇を滑谷岡に葬る。
この年、蘇我蝦夷・入鹿、今来に大陵と小陵を造営。上宮王家の部民を使役する。 |
皇極 2 |
643 |
9 |
舒明天皇を押坂の陵に葬る。(改葬)
吉備姫王薨去。檀弓の丘に葬る。 |
10 |
蝦夷、病で出仕せず。紫冠を入鹿に授け、大臣の位に擬し、弟を物部大臣と呼ぶ。 |
11 |
入鹿、山背大兄王を殺害。 |
皇極 3 |
644 |
6 |
剣池に、1本の茎に2つの花をつけた蓮が生じ、蘇我反映の徴とし、蝦夷、金泥でそれを描かせ法興寺の丈六仏に供える。 |
11 |
甘樫岡に邸宅を建て、暇夷の家を上の宮門、入鹿の家を谷の宮門とよび、子供たちを王子(みこ)と呼ばせる。 |
大化元 |
645 |
6 |
中大兄皇子、中臣鎌子と共に、宮中で入鹿を殺害する。
蝦夷、「天皇記」「国記」珍宝に火を放ち自殺する。
蝦夷・入鹿の埋葬および慟哭を許される。
皇極天皇譲位。孝徳天皇即位。 |
斉明 7 |
661 |
7 |
斉明天皇、朝倉宮で崩御 |
11 |
斉明天皇の喪を、飛鳥の川原で殯した。 |