和暦 |
西暦 |
事 柄 |
白雉 4 |
653 |
僧・旻の死に際し作らせた仏像を川原寺に安置(或る本には山田寺) |
斉明元 |
655 |
飛鳥板蓋宮火災。飛鳥川原宮に遷る
飛鳥川原宮に遷居す。後、川原寺を作る(『扶桑略記』) |
斉明7 |
661 |
斉明天皇崩御。飛鳥川原宮にて殯 |
天武 2 |
673 |
初めて川原寺で一切経を写す |
天武14 |
685 |
天皇、川原寺に行幸
天皇の病気平癒の為、三日間大官大寺・川原寺・飛鳥寺で誦経 |
朱鳥元 |
686 |
川原寺の伎楽を筑紫に運ぶ。 天皇の病気平癒のため川原寺で薬師経を説く
川原寺で百官による盛大な斎会。 悉く川原寺に集い天皇の病気平癒を請願 |
大宝 2 |
702 |
四大寺(大官・薬師・元興・弘福)で斎会 |
大宝 3 |
703 |
太上天皇のため、四寺(大安・薬師・元興・弘福)で斎会 |
霊亀元 |
715 |
弘福・法隆の二寺で斎会 |
天平 6 |
734 |
水主皇女、大和国広瀬郡広瀬荘の水陸田三十六町を川原寺に施入 |
宝亀 2 |
771 |
川原寺で田原天皇(志貴皇子)の忌日の斎会 |
延暦17 |
798 |
十大寺の三番目に列せられる
(大安寺・元興寺・弘福寺・薬師寺・四天王寺・興福寺・法隆寺・崇福寺・東大寺・西大寺) |
大同 2 |
807 |
伊予親王・母藤原吉子、川原寺に幽閉・獄死 |
弘仁11 |
820 |
大安寺僧・勤操、弘福寺別当 |
承和 2 |
835 |
空海の弟子・真雅、弘福寺別当 |
天慶 3 |
879 |
聖宝(真雅の弟子)、弘福寺別当 |
9C中頃~後半 |
・・・この頃、火災に遭い焼亡。 |
承暦元 |
1077 |
川原寺、初めて東寺の末寺であることを自称する。 |
建久 2 |
1191 |
火災に遭う。 『玉葉』 |