両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪

両槻会事務局・帝塚山大学清水ゼミ合同企画

第50回定例会


蘇我氏の奥津城

―蘇我四代の墓を考える―

共通資料集




資料作成
両槻会事務局
2015年5月16日
散策古墳個別資料集は、こちら♪
  項目                  (文字は各項目にリンクしています。)
関連系図 蘇我氏関連古地名図・邸宅一覧 飛鳥時代主要人物没年一覧
主な古墳の大きさ比較 散策古墳規模一覧 蘇我氏関連年表
菅笠日記 抜粋 阿不幾乃山陵記 島庄遺跡遺構配置概略図
夾紵棺と漆塗木棺 ウォーク前半古墳分布図 ウォーク後半古墳分布図
清水昭博先生 特別寄稿 清水ゼミ生レポート  事務局当日レポート
飛鳥咲読 両槻会


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関連系図


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蘇我氏関連古地名図・邸宅一覧


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名前 邸宅名 日本書紀 記載年月日 記事概要
稲目 小墾田の家 欽明13年(552)10月 仏像を置いた
向原の家 家を喜捨し寺とした
軽の曲殿 欽明23年(562) 8月 妻として住まわせた
馬子 石川の邸宅 敏達13年(584) 2月 仏殿を造った
槻曲の家 用明 2年(587) 4月 大伴比羅夫が守りに駆け付け
嶋の家 推古32年(624) 5月 嶋大臣と呼ばれた
蝦夷 豊浦の家 舒明 6年(634) 7月 豊浦大臣と呼ばれた
畝傍の家 皇極 元年(642) 4月 百済の大使をもてなした
甘樫丘上の宮 皇極 3年(644)11月 甘樫丘に並べ建てた
入鹿 甘樫丘谷の宮






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飛鳥時代主要人物没年一覧

西暦 死亡年月 名 前 陵・墓名 備 考
570 欽明32年3月 蘇我稲目 (候補:五条野丸山古墳
    都塚古墳)
571 欽明32年5月 欽明天皇 檜隈坂合陵 平田梅山古墳
 (候補:五条野丸山古墳説)
585 敏達14年9月 敏達天皇 河内磯長中尾陵 太子西山古墳
587 用明2年4月 用明天皇 河内磯長原陵 春日向山古墳
587 用明2年6月 穴穂部皇子
587 用明2年7月 物部守屋
587 用明2年頃 桜井皇子
この頃 竹田皇子 大野岡上陵 植山古墳(620年合葬)
592 崇峻5年11月 崇峻天皇 倉梯岡上陵 (候補・赤坂天王山古墳説)
603 推古11年2月 来目皇子 河内国埴生山岡上 塚穴古墳
592~607頃 押坂彦人大兄皇子 成相墓 (候補・牧野古墳)
堅塩媛 檜隈大陵 612年欽明天皇陵に合葬
621 推古29年12月 穴穂部間人皇女
622 推古30年2月 聖徳太子 磯長陵 叡福寺北古墳
626 推古34年5月 蘇我馬子 桃原墓 候補:石舞台古墳
628 推古36年 境部臣摩理勢 (候補:塚本古墳)
628 推古36年3月 推古天皇 磯長山田陵 山田高塚古墳
(初葬陵:植山古墳説)
641 舒明13年10月 舒明天皇 押坂内陵 段ノ塚古墳
(初葬陵:小山田遺跡説)
643 皇極2年9月 吉備姫王 (候補・カナヅカ古墳)
643 皇極2年11月 山背大兄皇子 (伝承墓:法輪寺近郊
      「岡の原」)
645 大化元年6月 蘇我入鹿 今来双墓(小陵) (候補:菖蒲池古墳
     宮ケ原2号墳)
645 大化元年6月 蘇我蝦夷 今来双墓(大陵) (候補:小山田遺跡
     宮ケ原1号墳)
645 大化元年9月 古人大兄皇子
649 大化5年3月 蘇我倉山田石川麻呂 (候補:仏陀寺古墳)
649 大化5年3月 蘇我興志 (候補:菖蒲池古墳)
649 大化5年3月 阿倍内麻呂
651 白雉2年7月 大伴長徳
654 白雉5年7月 孝徳天皇 大阪磯長陵 山田上ノ山古墳
654 白雉5年 高向玄理
658 さえ名4年1月 巨勢徳多
658 斉明4年 建皇子 越智崗上陵 合葬 (候補:牽牛子塚古墳)
658 斉明4年11月 間人皇女 越智崗上陵 合葬 (候補:牽牛子塚古墳)
658 斉明4年11月 有間皇子 (候補:岩内1号墳)
661 斉明7年7月 斉明天皇 越智崗上陵 車木ケンノウ古墳
(候補:牽牛子塚古墳・
    岩屋山古墳など)
664 天智3年 蘇我連子
667 天智6年2月か 大田皇女 越智崗上陵の前 (候補:越塚御門古墳)
669 天智8年10月 藤原鎌足 (候補:阿武山古墳)
672 天智10年12月 天智天皇 山科陵 御廟野古墳
672 天武元年7月 蘇我果安
672 天武元年7月 弘文天皇 長等山前陵 円城寺亀丘古墳
672 天武元年8月 中臣金
678 天武7年4月 十市皇女 山と赤穂の地
683 天武12年7月 紀大人
683 天武12年8月 大伴馬来田
683 天武12年8月 大伴吹負
686 朱鳥元年9月 天武天皇 檜隈大内陵 野口王墓古墳
686 朱鳥元年10月 大津皇子 二上山墓 (候補・鳥谷口古墳)
689 持統3年4月 草壁皇子 岡宮天皇陵 (候補:束明神古墳)
691 持統5年9月 川島皇子 越智野付近
696 持統10年8月 高市皇子 三立岡墓
699 文武3年7月 弓削皇子 (候補:キトラ古墳)
700 文武4年4月 明日香皇女
701 大宝元年1月 大伴御行
701 大宝元年7月 多治比嶋
702 大宝元年12月 大来皇女
703 大宝2年12月 持統天皇 檜隈大内陵(合葬) 野口王墓古墳
705 慶雲2年5月 忍壁皇子 (候補:高松塚古墳)
707 慶雲4年6月 文武天皇 檜隈安古岡上陵 栗原塚穴古墳
707 慶雲4年9月 書根麻呂 宇陀市榛原八滝所在(墓誌)
708 和銅元年6月 但馬皇女
713 霊亀3年3月 石上麻呂 (候補:高松塚古墳)
714 和銅7年5月 大伴安麻呂
715 和銅8年6月 長皇子 (候補:キトラ古墳)
715 和銅8年8月 穂積皇子 (候補:高松塚古墳)
716 霊亀2年8月 志貴皇子 田原西陵 春日宮天皇陵
717 霊亀3年3月 石上麻呂 (候補:高松塚古墳)


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主な古墳の大きさ比較

前方後円墳
古墳名 全長 築造時期 所在
大仙古墳(仁徳天皇陵) 486m 5C前・中 百舌鳥古墳群
誉田御廟山古墳(応神天皇陵) 425m 5C初 古市古墳群
上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵) 365m 5C前 百舌鳥古墳群
造山古墳 360m 5C前 岡山市
河内大塚山古墳 陵墓参考地(雄略陵) 335m 6C後 古市古墳群
五条野丸山古墳 一部陵墓参考地 318m 6C後 橿原市
渋谷向山古墳(景行天皇陵) 302m 4C後 柳本古墳群
土師ニサンザイ古墳 288m 5C後 百舌鳥古墳群
箸墓古墳 276m 3C中・後 纏向古墳群
平田梅山古墳 (欽明天皇陵) 140m以上 6C後 明日香村

方墳
古墳名 規模 所在
桝山古墳 96m×90m 奈良県橿原市
竜角寺岩屋古墳 80m×80m 千葉市印旛郡栄町
越前塚古墳 75m×55m 大阪府太子町
猫塚古墳 63m×63m 奈良県御所市
春日向山古墳(用明天皇陵) 66m×60m 大阪府太子町
山田高塚古墳(推古天皇陵) 66m×58m 大阪府太子町
シシヨツカ古墳 60m×53m 大阪府河南町
塚穴古墳 (来目皇子墓) 54m×54m 大阪府羽曳野市
石舞台古墳(蘇我馬子墓) 50m×50m 明日香村
ハミ塚古墳 48.8m×45.6m 奈良県天理市
赤さK天王山古墳(崇峻天皇陵) 45m×45m 奈良県桜井市
都塚古墳 41m×42m 明日香村
首谷古墳 40m×40m 奈良県桜井市
茅原狐塚古墳 40m×40m 奈良県桜井市
岩屋山古墳 40m×40m 明日香村
塚本古墳 39m×39m 明日香村
カナヅカ古墳(欽明天皇陵陪塚) 35m×53m 明日香村
小谷古墳 35m×35m 奈良県橿原市
コロコロ山古墳 30m×30m 奈良県桜井市






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散策古墳 規模一覧
古墳名 墳形 墳丘規模 石室規模 時期 備考
岩屋山古墳 方墳 一辺40m
高さ12m
二段築成
全長17.78m
玄室長4.86m、幅1.8m、
高さ3m、
羨道長13m、幅2m、
高さ2m
終末期
7C前半
両袖式
横穴式石室 
岩屋山式
高松塚古墳 円墳 径23m 
高さ5m
二段築成
奥行2.66m、幅1.04m
高さ1.13m(内法)
石材の厚さ45~61㎝
終末期
7C末~
8C初
横口式石槨
中尾山古墳 八角形墳 対角長30m
高さ4m
三段築成
90㎝四方(内法) 終末期
7C末~
8C初
横口式石槨
火葬墓
五条野丸山古墳 前方後円墳 全長318m
後円部径150m
前方部幅210m
全長28.4m
玄室長8.3m
最大幅4.1m、高さ4.5m
羨道長20.1m、幅1m
高さ1.5m
後期
6C後半
両袖式
横穴式石室
家型石棺2基
欽明天皇陵
 平田梅山古墳
前方後円墳 墳丘長140m以上 不明 後期 
6C後半
檜隈坂合陵
カナヅカ古墳 方墳 一辺35m
高さ6~8m
二段築成
全長16m
玄室長5.5m、幅3.6m
高さ2.7m
羨道長10m
後期 両袖式
横穴式石室
天武持統陵
 野口王墓古墳
八角形墳 最下段一辺15m
高さ7.7m
五段築成
全長7.7m
玄室長4.2m、幅3m
高さ2.4m
羨道長3.5m、幅2.4m
高さ2.1m、
終末期
7C後半
檜隈大内陵
横口式石槨
菖蒲池古墳 方墳 上段一辺18m
下段一辺30m
二段築成
玄室長7.3m、幅2.6m
高さ2.6m
後期
7C中頃
両袖式 
横穴式石室
家型石棺2基
塚本古墳 方墳
(半壊)
一辺39m
二段築成
全長12.5m以上、
玄室長4.35m(東)
4.60m(西)
玄室幅2.25m(奥)
玄室高2.8m(奥)
羨道長8m以上
羨道幅2m弱
羨道高1.85m(推定)
後期
7C後半
両袖式 
横穴式石室
都塚古墳 方墳 東西41m
南北42m
七~八段築成か?
全長12.2m
羨道長6.9m、幅1.9~2m
高さ2m
玄室長5.3m
中央幅2.8m
高さ3.55m
後期
6C後半
両袖式 
横穴式石室
石舞台古墳 方墳 一辺50m
二段築成
全長19.m
玄室長7.75m
幅3.44~3.7m
高さ4.8m
羨道長19~19.6m
幅2.1~2.57m、
高さ2.25m
後期 両袖式 
横穴式石室
横穴式石室 模式図
横口式石槨 模式図







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蘇我氏関連年表
和暦 西暦 事 象
雄略 9   3 蘇我韓子、紀小弓、大伴談、小鹿火宿禰とともに、新羅討伐の将軍に任命される
5 韓子、戦地で没す。
宣化元 536 2 蘇我稲目、大臣となる。
5 稲目、勅命により、凶年に備え尾張連に尾張国の屯倉の籾を運ばせる。
宣化 4 539 2 宣化天皇崩御。
12 欽明天皇即位。
欽明 2 541 3 堅塩媛・小姉君(ともに稲目娘)、欽明天皇の妃となる。
欽明13 552 10 百済・聖明王より、釈迦仏の金銅像一体、幡蓋若干、経論若干が伝えられ、蘇我稲目が仏像を貰い受け小墾田の家に安置。
向原の家を清め寺とする。
後に疫病が流行り、物部連尾輿・中臣連鎌子の奏上により仏像を難波の堀江に流し、寺に火を放つ。
『扶桑略記』
第廿七代継躰天皇即位十六年壬寅。大唐の漢人鞍部村主司馬達止。此年の春二月入朝す。即ち草堂を大和國高市郡坂田原に結び、本尊を安置し帰依礼拝す。
欽明14 553 7 稲目、勅命に奉じ、王辰爾に船賦の記録を命じる。
欽明16 555 7 稲目、穂積磐弓臣らと吉備に派遣され、5郡に白猪の屯倉を置く。
欽明17 556 7 稲目ら、備前に派遣され、児島郡に屯倉を置く。
10 稲目らを高市郡に派遣され、韓人の大身狭の屯倉と高麗人の小身狭の屯倉を置く。
欽明23 562 8 稲目、大伴連狭手彦より贈られた高句麗の女2人を妻とし軽の曲の家に住まわす。
欽明31 570 3 稲目没す。
欽明32 571 4 欽明天皇崩御。檜隈坂合陵に葬る。
敏達元 572 4 敏達天皇即位。蘇我馬子、大臣となる。物部守屋、大連となる。
5 王辰爾、高句麗の鳥の羽に書かれた上表文を読解。
敏達 3 574 9 馬子、吉備国に派遣され、白猪の屯倉と田部の農民を増やす。(翌年2月帰京)
馬子、鹿深臣・佐伯連の請来品の石の弥勒像と仏像を貰い受け、邸宅の東方に仏殿を建て、石の弥勒像を安置する。
また、石川の家に仏殿を造る。鞍部司馬達等・池辺直氷田を遣わし、仏法の師として、播磨の還俗僧・恵便を探し出す。
善信尼(司馬達等の娘)らを出家させる。
司馬達等、法会の際に舎利を発見。
敏達14 585 2 蘇我馬子が大野丘の北に塔を立てる。先に(敏達13年9月)司馬達等が得た舎利を柱頭に納める。
3 馬子、病み、奏上し許可を得て仏法を祀る。
物部守屋らが、塔を倒して仏殿を焼き、焼け残った仏像を難波の堀江に捨てる。善信尼らを海石榴市で鞭打つ。三人の尼、馬子に返還される。
8 敏達天皇崩御。殯宮での誄で馬子と守屋が罵倒しあう。
9 用明天皇即位
用明 2 587 4 天皇病臥。三宝(仏・法・僧)への帰依を群臣にはかる。
鞍部多須奈、天皇の為に出家。丈六仏と寺を造る。
用明天皇崩御。
6 馬子、炊屋姫を奉じ穴穂部皇子を殺害。
7 物部守屋との戦いに際し、廐戸皇子、四天王像を彫り戦勝を祈願。馬子、寺塔を建立し、仏法を広めることを誓願。
物部守屋滅ぶ。
8 崇峻天皇即位。
崇峻元 588   百済より、僧恵総・令斤・恵寔が遣わされ舎利を献上する。同時に、僧6名、寺院建築工2名、露盤博士、瓦博士4名、画工が渡来。
善信尼らが受戒を受けに百済へ発つ。
(飛鳥寺の)整地と着工。
崇峻 3 590 3 善信尼らが帰国し、桜井寺に住む。
10 山に入って寺(飛鳥寺)の用材を伐った。
崇峻 5 592 10 (飛鳥寺の)仏堂と歩廊の工を起こした。
11 馬子、東漢直駒に崇峻天皇を暗殺させる。即日、倉梯岡に葬る。
馬子、東漢直駒を処刑。
12 推古天皇、豊浦宮で即位。
推古元 593 1 (飛鳥寺の)仏舎利を塔心礎に安置し、塔の心柱を建てた。
この年、難波・荒陵に四天王寺を造り始める。
『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』
止由等の宮を寺と為す、故に止由等寺と名づく
推古 2 594 2 皇太子(聖徳太子)と大臣に詔し、三宝の興隆を図る。
多くの臣・連たちは、きそって仏舎を造る。
推古 4 596 11 飛鳥寺、落成。馬子の長子・善徳臣が寺司に。慧慈、慧聡が飛鳥寺に住まう。
推古11 603 10 推古天皇、小墾田宮に遷宮。
12 冠位十二階制定
推古12 604 4 十七条憲法発布
推古13 605 4 銅と繍との一丈六尺の仏像を各一躯造り始める。
鞍作鳥が造仏工に任じられる。
高句麗・大興王より、大仏の鋳造用に黄金300両が伝えられる。
推古14 606 4 (飛鳥寺の)金銅と繍の丈六釈迦仏を安置。
(『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』では、推古17年)
5 鞍作鳥、祖父・司馬達等、父・多須奈の功、及び、飛鳥寺への丈六仏安置の功により、大仁の位と近江国坂田郡水田二十町を賜る。金剛寺造営。
『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』
この年、(飛鳥寺の)金人(金銅の仏像)を造らせる。
推古20 612 1 馬子、宴で天皇と歌を詠み交わす。
2 皇太夫人堅塩媛を檜隈大陵(欽明天皇陵)に合葬。
推古22 614 8 馬子の病気平癒のため、男女1000人を出家さす。
推古28 620   馬子、聖徳太子とともに、「天皇記」「国記」などを記す。
推古30 622 2 聖徳太子薨去。
推古32 624 4 天皇、僧の規律について馬子に問う。
10 馬子、葛城県を天皇に要求し拒絶される
推古34 626 5 馬子、没す。桃原墓に埋葬。
蝦夷、大臣となる。
推古36 628 3 推古天皇崩御。
9 蝦夷、嗣位をめぐり、山背大背大兄皇子を推す境部臣摩理勢を殺害。
舒明元 629 1 推古天臭の遺勅として田村皇子(舒明天皇)が即位。
舒明 8 636 7 大派王が官吏の朝参の怠慢を非難。卯の刻に出仕、巳の刻に退庁する提案に蝦夷賛成せず。
舒明13 641 10 舒明天皇崩御
皇極元 642 4 蝦夷、畝傍の家に百済の翹岐らをよび、対談。良馬1匹と鉄20錠をおくる。
7 入鹿の従者が白い雀の子を捕える。同し時に蝦夷も白雀を献上される。
蝦夷、大寺で読経による雨乞い。(効無し)
8 天皇、南淵において雨乞い。大雨が降る。
9 天皇、蝦夷に百済大寺造営のため、近江と越の丁を微発するよう命じる。また、宮殿(板蓋宮)造営のため国々から用材を、遠江から安芸の国に人夫を調達するよう命じる。
10 蝦夷、蝦夷を家に迎え饗応する。
11 蝦夷、葛城の高倉に祖廟を建て、八侑の舞を行う。
12 舒明天皇を滑谷岡に葬る。
この年、蘇我蝦夷・入鹿、今来に大陵と小陵を造営。上宮王家の部民を使役する。
皇極 2 643 9 舒明天皇を押坂の陵に葬る。(改葬)
吉備姫王薨去。檀弓の丘に葬る。
10 蝦夷、病で出仕せず。紫冠を入鹿に授け、大臣の位に擬し、弟を物部大臣と呼ぶ。
11 入鹿、山背大兄王を殺害。
皇極 3 644 6 剣池に、1本の茎に2つの花をつけた蓮が生じ、蘇我反映の徴とし、蝦夷、金泥でそれを描かせ法興寺の丈六仏に供える。
11 甘樫岡に邸宅を建て、暇夷の家を上の宮門、入鹿の家を谷の宮門とよび、子供たちを王子(みこ)と呼ばせる。
大化元 645 6 中大兄皇子、中臣鎌子と共に、宮中で入鹿を殺害する。
蝦夷、「天皇記」「国記」珍宝に火を放ち自殺する。
蝦夷・入鹿の埋葬および慟哭を許される。
皇極天皇譲位。孝徳天皇即位。
斉明 7 661 7 斉明天皇、朝倉宮で崩御
11 斉明天皇の喪を、飛鳥の川原で殯した。





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菅笠日記抜粋     *両槻会槻会事務局で一部追記
下の巻

十日。けふは吉野をたつ。・・・(中略)・・・・又御陵どもは。この近き平田野口などいふ里にあなる。いにしへはそのわたりかけて。ひのくまとなんいひしとかたる。

・・・(中略)・・・平田といふ里にいたりて。御陵をたづぬるに。野中のこだかき所に。松三もと四本おひて。かたつ方くづれたるやうなるつかあり。これなん文武天皇のみざゝきと申す。(高松塚古墳か)そこを過きて。又野口といふ里にて。こゝかしこ尋ねつゝ。田のあぜづたひの道をたどり行て。一ッの御陵ある所にいたる。こはやゝ高くのぼる岡のうへに。いと大きなる石してかまへたる所あり。みなみむきに。横もたても二尺あまりなる口のあるより。のぞきて見れば。いはやのやうにて。内せばく。下は土にうづもれて。わづかにはひいるばかり也。うへには。たてよこ一丈あまりのひらなる大石を。物のふたのやうにおほひたり。そのうしろにつゞきたる所。一丈四五尺がほど。やゝたひらにて中のくぼみたるは。ちかき世に。高取の城きつくとて。大石どもほりとりしあと也といへり。みだれたる世に。物の心もしらぬ。むくつけきものゝふのしわざとはいひながら。いともかしこき帝の御陵をしも。さやうにほりちらし奉りけん事の心うさよ。そこにわらびなどたきるてたる跡の見ゆるは。あやしきかたゐなどの。すみかにしつるなめり。と思ひしもしるく。やがて此御山の下に。さるものどもおほくあつまりゐたりき。(野口王墓古墳か)これを武烈天皇の御陵也と申すなるは。所たがひて覚えし故に。そのわたりにて。これかれにとふに。みなさいへるは。いかなることにか。すべてこの檜隈に御陵と申すは。延喜の式にのせられたるを見るに。檜隈坂合陵は。磯城島宮に天下しろしめしゝ天皇(欽明天皇)。同じき大内陵は。飛鳥浄御原宮に御宇天皇(天武天皇)。又藤原宮御宇天皇(持統天皇)。同じき安古岡陵は。同宮にあめの下しろしめしゝ文武天皇にておはします。このうち。いづれかいづれにおはしますらん。今はさだかにわきまへがたし。こゝなるを武烈としも申すやうなる。ひがことしあれば里人のつたへも。もはらたのみがたくこそ。

・・・(中略)・・・

岡より五六丁たつみのかたに。嶋の庄といふ所には。推古天皇の御陵とて。つかのうへに岩屋あり。内は畳八ひらばかりしかるゝ廣さに侍る。(石舞台古墳か)又岡より十町ばかり。これも同じ方に。坂田村と申すには。用明天皇ををさめ奉りし所。みやこ塚といひて。(都塚古墳か)これもそのつかのうへに。大きなる岩の角。すこしあらはれて見え侍る也となんかたりける。この御陵どもの事はいかゞあらん。坂田も嶋もふるき所にしあれば。里の名ゆかしく覚ゆ。

・・・(中略)・・・あなたは程なく大軽村。是はかの天皇の都の跡也(応神天皇:軽島豊明宮)。かるの市などいひしも。こゝなるべし。軽をはなれて。猶西へゆけば。やゝ高き所なる。道の南に。なほ高くまろに見ゆる岡あり。その南のつらに。塚穴といふいはや有ときゝつれば。細き道をたどりゆきて見るに。口はいとせばきを。のぞきて見れば。内はやゝひろくて。おくも深くは見ゆれど。闇ければさだかならず。下には水たまりて。奥のかたにその水の流れいづる音聞ゆ。これは何の塚ぞととへど。しるべのをのこもしらぬよしいへり。(五条野丸山古墳か)もし宣化天皇の身狭桃花鳥坂上御陵などにはあらぬにや。其故は。此岡の下はやがて三瀬村といふ所なるを。牟佐坐神社も。今かの村に有ときけば。身狭は此わたりと思はれ。又坂上とあるに。所のさまもかなへれば也。それにつきて猶思へば。今みせといふ名も。身狭と書る文字を。しかよみなせる物か。又さらずとも。聲かよへばおのづからよこなまりつるにや。かくて西へすこしくだりて。かの三瀬村にいづ。・・・(後略)


 





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阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)

 盗人乱入の事<文暦二(一二三五)年三月廿日廿**両夜入れりと云ふ。> 件(くだん)の陵、形八角なり。石壇は一匝り、一町許(ばか)りか。五重なり。此の五重の峰に森十余株有り。南の面に門有り。門の前に石橋有り。此の石門を盗人等纔(わづか)に人の一身の通る許り切り開けり。御陵の内、内陣と外陣とあり。

 先、外陣は方丈許りか。皆馬脳(瑪瑙)なり。天井の高さ七尺許り、此も馬脳にして継目無し。一枚を打ち覆ふと、云々。内陣の広さ、南北一丈四五尺、東西一丈許なり。内陣に金銅の妻戸有り。広さ、左右扉各三尺五寸七分、扉の厚み、一寸五分、高さ六尺五寸、左右の腋柱の広さ四寸五分、厚さ四寸。マグサ三寸。鼠走三寸。冠木広さ四寸五分、厚さ四寸<已上の金銅>。扉の金物六、内小四<三寸五分許り>、大二<四寸許り、皆金なり>。已上の形蓮花の返花の如し。古不(こふ)の形は獅子なり。
 内陣の三方上下皆馬脳か。朱塗なり。御棺は張物なり<布以て張る。角を入るるなり>。朱塗にして長さ七尺、広さ二尺五寸許り、深さ二尺五寸許りなり。御棺の蓋は木なり。朱塗なり。御棺の床の金銅は、厚さ五分にして、牙上を彫り透かし、左右に八、尻と頭に四、クリ(カ)タ四<尻二、頭二なり>。
 御骨、首は普通<より少し大なり>。その色赤黒なり。御脛の骨の長さ一尺六寸(→とすると身長二メートル以上になるか)、肘の長さ一尺四寸なり。

 御棺の内に紅の御衣の朽ちたる少々之在り。盗人の取り残せる物等は橘寺の内に移さる。石御帯一筋、其の形は、銀兵庫クサリにして、種々の玉を以て飾れり。唐物に似たり。石二あり。形連銭の如し。表手の石の長さ三寸、石の色水精の如し。玉帯に似たり。御枕金銀珠玉を以て飾れり。唐物に似たり。言語及び難きに依りて、注さず。仮令(たとへ)ば、其の形鼓の如し。金銅の桶一<一斗許りを納るるか>を床に居ふ。其の形は礼盤の如し。鎖少々。クリカタ之在り。又此の外、御念珠一連之在り。三匝の尻(琥カ)珀の御念珠を銅の糸を以て貫きたり。多武峰の法師取り了せり。又彼の御棺の中に銅のカケカケ(ネ)二つ之在り。已上、記此の如し






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島庄遺跡

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夾紵棺と漆塗木棺

夾紵棺
 棺の原型に漆と布(絹・麻)を交互に重ね合わせ、厚さを2~3cmまで厚さを作った後、原型を取り外して作られた棺のことです。夾は重ね合せること,紵は麻布を意味しています。

 出土例からは、外面は黒色の漆を使い、内面は赤色の漆が使用されていました。夾紵棺を用いた棺を埋葬する古墳の被葬者は、すべて天皇やそれに準ずる人物が考えられます。

夾紵棺を納めていた主な古墳
牽牛子塚古墳 明日香村 八角墳 斉明天皇・間人皇女 合葬
野口王墓古墳(天武持統陵) 明日香村 八角墳 天武天皇・持統天皇 合葬
叡福寺北古墳(聖徳太子陵) 太子町 円墳 聖徳太子・膳夫人 合葬
阿武山古墳 高槻市 無丘墳 藤原鎌足


漆塗木棺
木製の棺に漆と布を用いる棺です。夾紵棺に比べると貴重な漆の量が少なく済み、夾紵棺には及ばない身分の貴人に用いられたと思われます。

漆塗木棺を納めていた主な古墳
越塚御門古墳 明日香村 方墳か 大田皇女
高松塚古墳 明日香村 円墳 石上麻呂・忍壁皇子
キトラ古墳 明日香村 円墳 阿倍御主人など
マルコ山古墳 明日香村 多角形墳 川嶋皇子など
カヅマヤマ古墳 明日香村 方墳 百済系王族など
平野塚穴古墳 香芝市 円墳 茅渟王か
石のカラト古墳 奈良市 上円下方墳
初田2号墳 茨木市 円墳
アカハゲ古墳 河南町 方墳 渡来系氏族
シシヨツカ古墳 河南町 方墳 渡来系氏族
ツカマリ古墳 河南町 方墳 渡来系氏族
御嶺山古墳 太子町 円墳か 皇族
岩内1号墳 御坊市 方墳 有間皇子か




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ウォーク前半 古墳分布図





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関連系図 蘇我氏関連古地名図・邸宅一覧 飛鳥時代主要人物没年一覧
主な古墳の大きさ比較 散策古墳規模一覧 蘇我氏関連年表
菅笠日記 抜粋 阿不幾乃山陵記 島庄遺跡遺構配置概略図
夾紵棺と漆塗木棺 ウォーク前半古墳分布図 ウォーク後半古墳分布図
清水昭博先生 特別寄稿 清水ゼミ生レポート  事務局当日レポート
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