両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪

主催講演会

第57回定例会


発掘調査から見えてきた飛鳥京跡苑池のすがた


レポート


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第57回定例会 資料
2016年7月16日


2016年7月16日 飛鳥京跡苑池 現況

 今回の定例会も、一週間前には「雨天かな?」と天候が危ぶまれていたのですが、当日は、曇り空から一転、快晴となりました。事務局長の風人さんは、人徳のすべてを天候に使い切ってしまって自分の体調までは及ばなかったようで、この日は、杖をもって車で移動しての参加でした。


 この日は、講師の鈴木先生も事前散策から参加してくださいました。参加者は、橿原神宮前駅東口から甘樫丘までバスで移動し、飛鳥京跡苑池に向けて、事前散策を開始しました。
飛鳥京跡苑池遺構は、既にほとんどが埋め戻されていましたが、この現場の発掘調査を担当された鈴木先生が丁寧に説明してくださり、どこからどのような遺構が出土したかが、まるで発掘現場を見るようによくわかりました。また先生は、炎天下にもかかわらず、参加者からの質問にもひとつひとつ答えてくださっていました。その後参加者は、新しく建てられた休憩舎で涼んだ後、飛鳥宮跡に向かいました。


 現在、「伝飛鳥板蓋宮跡」と呼ばれている飛鳥宮跡は、昭和47年に史跡指定されて、その名称が定められました。両槻会に参加されている皆さんはよくご存じのとおり、この遺跡は、これまでの調査で3層4期の宮殿が営まれたことがわかっており、そのため、先日、国の文化審議会の答申により、「飛鳥宮跡」に名称変更されることとなったのです。


 この遺跡では、まず、第3期遺構の北正殿と南正殿の間を東西に通る村道で立ち止まり、風人さんから、宮の中心軸や南門の位置などが明日香村役場や喫茶店「珈琲 さんぽ」さんの位置を基に説明があり、また、その規模や位置が現在の水田の位置や広さで確認できる北正殿や南正殿についても説明がありました。また、井戸跡遺構では、鈴木先生が学生時代に正殿遺構の調査に参加したときの思い出話などもありました。その後は、飛鳥資料館前庭まで移動して、出水の酒船石の説明を受け、資料館講堂での休憩後、懇親会、講演会へと移りました。


 講演準備では、資料館のパソコンの調子が悪く、風人さんが懇親会で時間を稼ぐ中、鈴木先生とよっぱの二人でパソコンに悪戦苦闘し、なんとか先生が準備されたパワーポイントが無事立ち上がり、この日の講演会を予定通り開始することができました。

 この日の講演は、2部構成で、第1部は今回のメインテーマである「発掘調査から見えてきた飛鳥京跡苑池のすがた」、第2部は、「小山田遺跡の調査から」でした。


 第1部の講演で取り上げられた「飛鳥京跡苑池」は、現在、第11次まで調査されています。この調査は、第1次から第4次調査が平成11年(1999)1月から平成14年(2002)年2月にかけて行われ、その8年後の平成22年(2010)12月に第5次調査が再開され、現在第11次調査まで進められてきました。先生は、その調査期間の連続性から、第1次から第4次調査を第1期、第5次から第11次調査を第2期と区分したうえで、飛鳥京跡苑池発見の第1次調査、諸施設を確認した第2・3次調査、おおよその範囲確認がなされた第4次調査、北池の規模が確認された第5次調査、南池の再発掘と諸施設が確認された第6~8次調査、区画施設と諸施設を確認した第9~11次調査を各項目に細区分し、その項目ごとに、数多くの詳細な現場写真等を交えて懇切丁寧に説明してくださいました。続いて、これらの調査で判明した南池、北池、渡堤、周辺施設の規模、形状や特徴と、当初の想定と違った点などについての説明や南池の時代変遷についての説明などがあり、参加者は、10数年に亘るこの遺構の調査結果の要点を凝縮して理解することができました。また、第10次調査で出土した掘立柱建物が2間4間で中心に柱が来るにもかかわらず門の可能性が高いこと、そして、苑池の南北で出土した東西の掘立柱列の中間点がこの門のほぼ中心となることに言及され、さらには、定例会の直前で報道発表された、第8次調査で水路から出土した海老錠についても具体的な説明がありました。そして、北池の構造の解明や苑池施設の北限はどこになるのかなどが今後の課題となるとの説明で、第1部が終了しました。


 第1部の終了時には、飛び入りで3名のゲストをお迎えしました。
 そのうちのお一人は、両槻会でもおなじみの帝塚山大学付属博物館館長の清水昭博先生でした。そして、あとのお二人は、韓国益山にある國立弥勒寺址遺物展示館館長の李 炳鎬(イ・ビョンホ)先生と京都府立大学の井上直樹先生でした。イ・ビョンホ先生は、橿原考古学研究所に留学された経歴をお持ちで、定例会の翌日に帝塚山大学考古学研究所で開催された歴史考古学研究会での講演のために来日され、清水先生や井上先生と共に飛鳥見学などの途中、両槻会の定例会にも立ち寄られ、ご挨拶してくださいました。


 イ・ビョンホ先生のご挨拶の後、鈴木先生の第2部の講演が行われました。


小山田遺跡(H27.1.18現地説明会時 両槻会事務局撮影

 第2部の小山田遺跡の説明では、戦後まもなく撮影された米軍の航空写真から現在までの航空写真、現地の発掘調査の開始時から現地説明会までの順を追った発掘調査の写真を用意してくださり、周辺地形の変遷、調査の過程や発見時の遺構の状態が非常によくわかりました。また、この遺跡を古墳として特定した要件についての説明では、掘割の特徴を示す写真や宮内庁の段塚古墳の調査写真等を示されました。さらに、旧校舎建設の基礎で破壊されたために発見することができた貼石や敷石の敷設状況や現地説明会後の調査結果についても説明があり、現地説明会では見ることや気づくことができなかった箇所がどのようになっていたのかが、非常によくわかりました。先生は、小山田遺跡のドローン撮影による動画もご用意されていたのですが、これはパソコンとの相性が悪かったのか、残念ながら見せていただくことができませんでした。

 鈴木先生には、各現場の対応や直前の報道発表など、非常にお忙しいのにもかかわらず、数多くの写真や定例会でしか聞けない最新情報等をご用意いただいてご講演くださり、ありがとうございました。
今後も先生は、飛鳥の遺跡を発掘される予定ですので、再び定例会で新たな発見について、講演いただければと思っています。本当にありがとうございました。

レポート担当:よっぱさん


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