西暦 |
年号 |
事 項 |
639 |
舒明 11 |
大宮と大寺(百済大寺)を造らせる |
670 |
天智 9 |
庚午年籍作成 |
673 |
天武 2 |
美濃王、紀臣堅麻呂を高市大寺の造司に任ず |
676 |
5 |
新城に都をつくらんとするも果たさず |
677 |
6 |
高市大寺、名を大官大寺に改める(大安寺縁起) |
680 |
9 |
凡そ諸寺は、今後、国の大寺二、三を除いて、その他は官司の管理をやめる。
天皇、薬師寺建立を発願する |
682 |
11 |
天皇、薬師寺をつくる(僧綱補任抄出・七大寺年表)
140余人を大官大寺で得度させた |
683 |
12 |
天皇、京師を巡行す |
684 |
13 |
天皇、京視を巡行し、宮室を定む |
685 |
14 |
天皇不予のため大官大寺・飛鳥寺・川原寺で誦経 |
686 |
朱鳥 元 |
大官大寺で、観世音経の講説
天武天皇崩御
五寺(大官大寺・飛鳥・川原・小墾田豊浦・坂田)で、無遮大会を行う |
688 |
持統 2 |
薬師寺で無遮大会を行う |
690 |
4 |
高市皇子、藤原宮をみる
天皇、公卿百寮を従え藤原宮地をみる |
691 |
5 |
新益京を鎮祭す 新益京の宅地を班給 |
692 |
6 |
天皇、新益京の路をみる
天皇、講堂の阿弥陀仏繍帳をつくる(薬師寺縁起)
藤原宮地を鎮祭す |
693 |
7 |
造京司衣縫王らに詔し、掘り出した屍を収容せしむ
天皇、藤原宮に幸す |
694 |
8 |
藤原遷都 |
697 |
11 |
公卿百寮、天皇の病気平癒のため仏像を発願、薬師寺において開眼供養
持統天皇譲位 |
697 |
文武 元 |
文武天皇即位 |
698 |
2 |
薬師寺の構作ほぼ終わり、衆僧を住せしむ
薬師寺講堂阿弥陀仏繍帳の開眼講師賞として僧・道昭を大僧都に任ず
(僧綱補任抄出・七大寺年表) |
701 |
大宝 元 |
大安寺で僧尼令を講説さす
波多朝臣牟胡閇・許曽部朝臣陽麻呂を造薬師寺司に任ず
造大安寺・造薬師寺の二官を寮に准じ、造塔・造丈六(ともに大安寺)の二官は司に准ずる |
702 |
2 |
高橋朝臣笠間を造大安寺司に任ず
持統太上天皇崩御。 四大寺(大官・薬師・元興・弘福)で斎会 |
703 |
3 |
故持統太上天皇のため、四大寺(大官・薬師・元興・弘福)で斎会 |
707 |
慶雲 4 |
文武天皇崩御 |
710 |
和銅 3 |
平城遷都 |
711 |
4 |
大官大寺並びに藤原宮焼亡(扶桑略記) |
716 |
霊亀 2 |
元興寺(大安寺の誤記?)を左京六条四坊に移す |
718 |
養老 2 |
薬師寺を平城京六条二坊に移す |
730 |
天平 2 |
(平城薬師寺)東塔を建てる(扶桑略記) |
764 |
天保宝字 8 |
紀寺の奴ら、良民への身分回復を訴えでる |
924 |
延長 2 |
薬師寺僧「希に本寺に下向す」 |
1015 |
長和 4 |
薬師寺縁起を撰す |
1025 |
万寿 2 |
源経頼、本薬師寺に宿す(左経記) |
1095 |
嘉保 2 |
本薬師寺の塔跡から舎利を掘り起こす(中右記) |
1096 |
永長 元 |
前関白藤原師実、薬師寺にて本薬師寺より発掘の舎利を見る(中右記) |
1098 |
承徳 2 |
藤原宗忠、本薬師寺より発掘の舎利を見る(中右記) |
1106 |
嘉承 元 |
本薬師寺発掘の舎利を小塔婆に納む(七大寺日記) |
1812 |
文政 1 |
香久山法然寺とてきれいなる寺あり。…此寺にもうでて西に行く。田の中に大きなる礎石あり。此も塔の礎と見ゆ。(卯花日記) |