両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪


両槻会第22回定例会レポート


瓦を楽しく学んでみよう!

ー瓦の見方教えますー



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2010年 9月 11日  

  第22回定例会レポート
  主催講演会 「瓦を楽しく学んでみよう!−瓦の見方教えます−」
  講師:橿原考古学研究所 岡田 雅彦先生

 
大官大寺跡をゆく

 第22回定例会は、「瓦を楽しく学んでみよう!―瓦の見方教えます―」と題しまして、橿原考古学研究所の岡田雅彦先生にご講演頂く事になりました。
 より一層理解を深めようと計画しました事前散策では、まだまだ真夏の青空の下、2名の初参加の方を加えた総勢17名の参加となりました。集合場所には、アドバイザリースタッフのアジクさんがご用でお見えになり、お見送り下さるという贅沢なスタートとなりました。


本薬師寺跡

 畝傍御陵前駅を出発し、始めの目的地である本薬師寺跡に向いました。涼しげな薄紫色のホテイアオイが満開の為か、暑い中でも多くの見学の方々が来られていました。

 本薬師寺が発願された680年頃を境に、瓦の文様に珠文鋸歯文が施されるようになっていったのだそうです。金堂跡に残された大きな礎石や、東塔跡の塔心礎などを見学しました。


本薬師寺金堂跡(下見時撮影)

 涼しげな花を見た後に暑いアスファルトの道を東に行くと、飛鳥川の向こうに日高山瓦窯跡のある小さな日高山が見えてきました。
 川を渡り左手に日高山を見ながら進むと、小山廃寺の敷地内へ入ります。草はらを前に、事務局長の「あの辺りが金堂で…」などという説明を聞くと、へぇ〜と思えてきます。


小山廃寺(2010年5月撮影)

 藤原京内で本薬師寺とほぼ対象位置にあるこの寺跡からは、雷文縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦という、ラーメン鉢の縁にあるような文様が外区に施されている瓦が出土しています。 


隅木蓋瓦

 小山廃寺の東にある法然寺には、珍しい隅木蓋瓦(すみきふたかわら)が使用されていました。瓦に詳しいももさんの説明で、他の瓦も道から見学させて頂きました。長〜い指し棒があったら良かったね。


大官大寺跡
(講堂跡付近から南を望む)

 藤原京十条大路に面する大官大寺跡は、緑の田畑がどーんと広がる中にあり、場所を示す石柱が目印になっています。私はそんなこの地が大好きですが、すでに汗だくの今、ここをまだ歩くのはキツイものがありました。


 大官大寺跡は、今日巡ってきた寺域より更に二町分広い六町の寺域であったそうなんですが、そこに建つ金堂や塔も巨大な物となっていたようです。軒丸瓦の直径も20cmとこれまた大きなものだそうです。


中の川(山田道以南)

 奥山廃寺への途中にある田んぼの水路が狂心渠であったと聞くと、歴史を刻む趣ある水路に見えてきます。16回定例会事前散策でも訪れた奥山廃寺を最後に、近くの皇太神社で昼食後、飛鳥資料館へ向いました。

 岡田先生は、同じく橿考研にいらっしゃいました清水昭博先生がご講演下さった第16回定例会の時に、飛鳥資料館の第1展示室で展示瓦の説明をして下さいましたので、覚えていらっしゃる方もおられるのではないでしょうか。
 今回一般的に人気のない瓦を好きになってもらおう!と先生の熱い思いから、お忙しい中160枚ものスライドをご用意下さいました。


パワーポイントで講演をされる岡田先生

 日本の瓦作りというのは、588年に創建された飛鳥寺よりスタートしますが、「日本書紀」や「元興寺縁起」には、百済より4人の瓦工人が渡来したと記されています。(関連年表:第16回定例会資料
 624年には46寺、692年には545寺と瓦の需要が高まって行き、多くの工人が必要となっていったと考えられます。窯の構造が似ている、窯で火を使う仕事である、粘土を使う、須恵器の工具の痕跡が残る事などから、須恵器の工人が召集されたと考えられるようです。


 瓦は使用箇所で分類され、関西で言われる軒丸瓦、軒平瓦、丸瓦、平瓦、熨斗瓦は、関東の研究者の間では、それぞれ鐙瓦(あぶみがわら)、宇瓦(のきがわら)、男瓦、女瓦、堤瓦とその瓦が使用されていた当時の名称で呼ばれているそうです。

 瓦の文様は、「笵(ハン)」と呼ばれる文様を掘り込んだ型に粘土を押し込み型を取ります。木目や年輪が移っているので木を使用していた事が分かるそうです。(新しい時代のものですが陶器製の笵も見付かっているそうです。)

 同じ笵で制作された物が「同笵」(同笵瓦使用例:飛鳥寺と斑鳩寺と豊浦寺)と呼び、良く似た文様だけど笵が違うものを「同系」と区別し、同系は同笵の寺どうしより結び付きが弱いが交流は有ると考えるそうです。
 これらの事から、文献資料では見られない歴史的背景が読み取れるのですって。瓦ってすごいですね!


同笵関係のパターン

 同笵にも色々なパターンがあるようで、
  1. A寺で使用された又は使用するつもりの瓦を、B寺にもって行き使用された場合。
  2. a窯の瓦が複数の寺で使用された場合。
  3. a窯でA寺に使用した笵が、b窯に移動してB寺に使用された場合。

 3の場合は笵だけが移動したのか、工人も移動かを見てゆきます。同笵瓦を見る時は、笵が移動する前と後の瓦の作り方や、粘土の質を見ればよいのだそうです。


 瓦の年代決定方法は、
  1. 古いグループを探す時は出土した一番多い瓦(創建時にすべての瓦を作り使用されている事から)を探せばよい。しかし、後年に改修されている場合があるので注意しなければならない。
  2. 文献資料で創建年代が確実な寺院の出土瓦を集め、引き算をする。
      例:
    • 法隆寺は飛鳥時代〜現在の瓦が使用されている。
    • 東大寺は奈良時代〜現在の瓦が使用されている。
    • 引き算をすると飛鳥時代の瓦が残る。
  3. 木製の為、乾燥でヒビが入ったり、長く使っていると文様が鮮明でなくなる。その為、笵を整形し直したり、文様を一部変えたりする事もある。(この事を改笵という)

     な〜んだ!そうやって見ていたのか〜と、手品の種明かしをされた感じがしました。
     スライドで改笵前後を見比べましたが、改笵される前の文様の方があきらかに線がきれいに見えました。(分かりやすい例を用意下さったのでしょうか?) 前のデザインの掘り残しなどがある場合も、ちゃんと文様に現れているそうです。


出土瓦
泉南市・海会寺跡出土(転用転載禁止)

復古瓦
桜井市・平等寺
川原寺式軒丸瓦

 また、古い文様を真似た復古瓦もありますが、サイズや作り方が違っているので、詳しく見て行くと判定出来るのだそうです。

 古代瓦の軒丸瓦の文様である「素弁」「単弁」「復弁」や、飛鳥寺の創建瓦の「花組」「星組」のお話は16回の定例会の時に伺っていましたので、お話がよく分かりました。(星組花組のお話は、清水昭博先生のご寄稿「瓦と向き合う〜瓦博士の実像を求めて〜」をご参照下さい。)

 この最古級と同時期の瓦が、何と!福岡県で出土しているのだそうです。が、それに伴う建物が見つかっておらず、残念ながらよく分からないという事です。

 丸瓦には重なる部分に段の無い行基式と、段の有る玉縁式があります。玉縁式の玉縁部の内側の角度がなだらかに成る程年代が新しいのだそうです。
 作り方は、模骨(もこつ)という木型に後ではずし易いように布を巻き、その上に粘土板(または粘土紐)を貼り付け、たたき板でたたき締めます。型から抜き、切れ目を入れておき、乾燥後に分割するそうです。
 必要量の粘土を切り取る際の糸痕跡や、巻いた布、たたき板の痕跡などから年代を見つける事が出来るのだそうです。

 平瓦の作り方は、模骨の代わりに桶という型に貼り付ける作り方が主流でしたが、奈良時代に入ると1枚作りが主流になって行きました。
桶巻きと1枚作りの見分け方ですが、桶巻きの場合は桶板の跡があったり、布の縫い目や瓦の分割部、たたき板の跡の付き方などから分かるそうです。(瓦の製作模式図

 また古代では、丸瓦を分割せずに筒のまま土管として使用しており、設置方法も屋根瓦と同じだそうです。(先生は土管がお好きだそうで、一番嬉しそうにお話をされていました。)

 最後に・・・正倉院などに残る文献資料から1つの造瓦所で働いた工人の人数の実際例や労働日数が29日であった事、そして平城宮木簡からは、瓦を運んだ人数が判りました。

 また、文献資料より瓦工人の給料は1日10〜15文と、記された他の工人の中で最も低い給料でありました。奈良時代と現代の米の物価の比較から、おそらく米は食べれなかったのではないかと、(複雑な計算から)先生は導き出されました。


進上瓦三百七十枚/女瓦百六十枚○宇瓦百卅八枚/○鐙瓦七十二枚‖○功〓七人/十六人各十枚○廿三人各六枚/九人各八枚○◇‖・付葦屋石敷○/神亀六年四月十日穴太 □/○主典下道朝臣○向司家‖
                                  (参考:奈文研・木簡ひろば
「平城宮出土木簡」


出土木簡から算出した復元朱雀門瓦に要した工人数


瓦工給料における米の割合
 *奈良時代と現代の単位【1斗:8リットル(奈良時代):18リットル・44合(現代)】
 *天平宝字4年の米相場:1斗40〜50文


注・講演で示された資料を元に事務局が書き起こしたものです。

 長く先生のお話を伺い、すっかり工人の一人と成り、粘土を作り重い瓦を運んだ気になっていた私としては、最後に何とも残念な寂しい現実を知る事になりました。
 これから古い瓦を見たら、今までと違った思いで見る事になりそうです。


                                     レポート担当 若葉

資料編へつづく

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