元号 |
西暦 |
月 |
事 項 |
応神15 |
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8 |
百済王が阿直岐を遣わし良馬2匹を賜った。大和の軽の坂の上の厩で飼わせた(厩坂)。阿直岐は阿直岐史の先祖。
上毛野君の先祖の荒田別・巫別を百済に遣わして、王仁を召された。 |
応神16 |
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2 |
王仁がきた。・・・王仁は書首(フミノオビト)らの先祖である。 |
8 |
平群木莵宿禰・的戸田宿禰、弓月君率いる百二十県の民が渡来した。 |
応神20 |
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9 |
東漢直の祖、阿智使主がその子都加使主、並びに十七県のともがらとやって来た。 |
雄略 7 |
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東漢直掬に命じて、新漢である陶部高貴・鞍作堅貴・画部因斯羅我・錦部定安那錦・訳語卯安那らを、上桃原・下桃原・真神原の三ヶ所に移し侍らせた。 |
雄略12 |
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4 |
身狭村主青・檜隈民使博徳を呉に遣わす。 |
雄略14 |
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3 |
臣連に命じて呉の使を迎えさせた。その呉人を檜隈野に住まわせ、呉原と名づけた。 |
雄略15 |
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秦氏の率いていた民を臣連らに分散し・・・詔して秦の民を集め秦酒公に賜った。公は各種多数の村主を率いるようになり・・・姓を賜って“うつまさ”といった。 |
雄略16 |
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10 |
「漢氏の部民を集めてその管理者を決めよ。」その姓を直と賜った。 |
欽明元 |
540 |
8 |
秦人・漢人らの近くの国から帰化してくる人々を集めて、各地の国郡に配置して戸籍に入れた。秦人の戸数は、全部で7513戸、大蔵掾を秦伴造とされた。 |
欽明14 |
555 |
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蘇我大臣稲目宿禰が勅を承って、王辰爾を遣わし船の税の記録をさせた。 |
敏達元 |
572 |
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王辰爾、烏の羽に書いた国書を読み解く。 |
崇峻元 |
588 |
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百済より、舎利が献上され、僧・寺院建築工・露盤博士・瓦博士・画工が渡来。
(飛鳥寺の)整地と着工。飛鳥衣縫造の祖樹葉の家を取り壊して作る。 |
推古11 |
603 |
11 |
皇太子(聖徳太子)所持の仏像を貰い受け、秦河勝が蜂岡寺を造る。 |
推古28 |
620 |
10 |
檜隈の陵(欽明天皇・堅塩媛合葬墓)に敷石を敷き、域外に山を築き、各氏に大柱を建てさせた。倭漢坂上直の建てた柱がずば抜けて高く、名づけて大柱の直といった。 |
推古31 |
623 |
7 |
新羅・任那から仏像一体、金塔、舎利などが伝えられる。それらのうち、仏像を葛野の蜂岡寺、その他を四天王寺に納める。 |
舒明11 |
639 |
7 |
書直県を百済大寺の大匠とした。 |
皇極3 |
644 |
11 |
漢直らは、蝦夷・入鹿両家の宮門を警護した。蝦夷大臣は、長直に命じ大丹穂山に桙削寺を建てさせた。 |
白雉元 |
650 |
10 |
将作大匠荒田井直比羅夫を遣わして、宮地(豊埼宮か?)の境界標を立てさせた。 |
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倭漢直県らを安芸国に遣わして、百済船二隻を造らせられた。 |
天武元 |
672 |
6 |
坂上直国麻呂ら、高市皇子の近江京脱出に付き従う。大伴吹負、坂上熊毛と謀り、漢直(倭漢直)らと、倭京の指揮権を奪取。坂上直老ら、倭京から不破宮への使者となる。 |
天武6 |
677 |
6 |
東漢直らに勅して「お前たちの仲間はいままでに七つの良からぬことを行なった。・・・漢直を絶やそうというのではない。大恩を持って許す。・・・」 |
朱鳥元 |
686 |
8 |
檜隈寺・軽寺・大窪寺に各百戸を封す。三十年を限る。 |
宝亀3 |
772 |
4 |
坂上大忌寸苅田麻呂らの言上「…先祖阿智使主が応神天皇も御世に十七県の人民を率いて帰化し、高市郡檜前村に地を賜り居を定めたこと・・・」 |