『日本書紀』に見る「飛鳥寺の槻の樹の広場」
皇極3年(644)正月 |
法興寺の槻樹の下 |
中臣鎌足と中大兄皇子の出会い。 |
大化元年(645)6月 |
大槻樹下 |
群臣を召集めて忠誠を誓わせる。 |
斉明3年(657)7月 |
飛鳥寺の西 |
須弥山石を造り盂蘭盆会を設け、都貨羅人に饗宴を催す。 |
斉明5年(659)3月 |
甘樫丘の東の川上 |
須弥山石を造り、陸奥と越の蝦夷に饗宴を催す。 |
天武元年(672)6月 |
飛鳥寺の西の槻の下 |
近江朝廷軍が軍営を置く。 |
天武6年(677)2月 |
飛鳥寺の西の槻の下 |
多禰島人等に饗宴催す。 |
天武9年(680)7月 |
飛鳥寺の西の槻に枝 |
自ら折れて落ちる。飛鳥寺の僧が亡くなる予兆か。(弘聡) |
天武10年(681)9月 |
飛鳥寺の西の河邊 |
多禰島の人等に、種々の楽を奏する。 |
天武11年(682)7月 |
飛鳥寺の西 |
隼人等に饗宴を催し、種々の楽を奏する。 |
持統2年(688)12月 |
飛鳥寺の西の槻の下 |
蝦夷の男女213人に饗宴を催す。 |
持統9年(695)5月 |
西の槻の下 |
隼人の相撲を観る。 |
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