両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



飛鳥時遊録


 真神原風人TOM    
飛鳥三昧       


「今の時」と「古の時」
二つの「時」をテーマに自由に時を翔けめぐり、
今この時と飛鳥時代を結ぶ記事に出来ればと思います。

年始のご挨拶
飛鳥の蝋梅
飛鳥の考古学2009 観覧記
飛鳥京跡第164次調査
春間近
春爛漫と発掘情報
飛鳥の桜と百済・王興寺、弥勒寺と風水思想聴講記
石楠花と古代道路からみた平城京の造営聴講記
飛鳥京跡第165次発掘調査と大唐皇帝陵展
10 脇本遺跡(第15次)発掘調査の成果
11 初夏の飛鳥  (by TOM)


60号まで季節・時事記事はこちら♪
61~69号までの時遊録はこちら♪


【1】 「年始のご挨拶」   (10.1.8.発行 Vol.71に掲載)

 皆さん、明けましておめでとうございます♪ 本年も飛鳥遊訪マガジンを、よろしくお願いいたします。
 両槻会は、飛鳥遊訪マガジン71号より今年の活動を開始いたします。どうぞ、変わりませずご愛読・ご支援くださいますようにお願いいたします。

 さて、今年は寒いお正月になりました。北の方では、ずいぶん雪も降ったとニュースが伝えていましたが、皆さんのお住まいの地域では如何でしたでしょうか。
 飛鳥は、元旦こそ寒い北風が吹きましたが、2日・3日と風も納まり穏やかなお正月になりました。しかし、風人は、まだ飛鳥に行けず、新春の飛鳥風景をお伝えできません。m(__)m 例年3日に初飛鳥となるのですが、本年は未だにそれを果たせていません。風人の初飛鳥は、第18回定例会(9日)になりそうです。

 そこで、本年最初の飛鳥ネタ話は、大和国中(くんなか)のお雑煮をご紹介することにしました。最近は、マスコミでも奈良の雑煮として紹介されることもあり、ホテルなどでも出されている所もあると聞きますが、皆さんは大和国中のお雑煮をご存知でしょうか。
風人家元日のお雑煮は、いたってシンプルなお澄ましの雑煮です。お餅は、丸餅でこんがり焼いた物を入れます。具は鶏肉とカマボコ・三つ葉だけで、お餅をいただくための雑煮になっています。風人家では、2年前まで自前の石臼で搗いたお餅を食べていました。そのお餅を味わうためのお雑煮です。

 さて、2日目がいよいよ国中のお雑煮になります。関西では白味噌仕立てのお雑煮が一般的ですが、国中のお雑煮も基本は白味噌仕立てのお雑煮です。お餅は、丸餅を焼かずに用います。他には、大根・小芋・人参・豆腐等が入り、彩りに三つ葉や水菜を使います。さて、国中のお雑煮の特徴はこれからです。お雑煮のお碗の横には、お皿に入れたきな粉を添えて出してあります。


大和国中のお雑煮

 甘いきな粉です。そうです!雑煮のお餅を取り出して、そのきな粉を付けて食べるのです。気持ち悪い!と思われた方も居られるでしょうね。(笑) 風人は、元々この土地の者ではなかったので、この雑煮を初めて見たときには気持ち悪かったです。(^^ゞ
しかし、しかしです!食べてみると白味噌の風味と塩味に、きな粉の甘みが交わって独特のうま味があります♪
 飛鳥周辺を含めて、スーパーでもお雑煮の具材が置かれたコーナーには、きな粉も置かれています。これが極当たり前の食べ方だということですね。(笑)
まずはお試しあれ♪美味しいですよ♪
 皆さんのお家のお雑煮はどのようなものでしょうか?また、お知らせください。(^^)



【2】 「飛鳥の蝋梅」   (10.1.22.発行 Vol.72に掲載)

 皆さん、こんにちは♪寒い日が続きましたね。飛鳥地域では、13日に少しだけですが雪が降りました。風人家の庭もうっすらと雪景色です。


 あっ!モデルは、決して風人ではありません。(笑)この号が皆さんの手元に届く頃には、暖かくなっていると予報されていますが、どうでしょうか。
 飛鳥では、2月の上旬頃が寒さの底になるように思います。節分寒波などといって、雪になることも多かったように思いますが、次号あたりで飛鳥の雪景色をお伝えすることになるかもしれませんね。

 皆さんに、楽しみなニュースをお伝え出来ることになりました♪飛鳥遊訪マガジンの寄稿のコーナーに、新しい執筆者が加わってくださいます♪飛鳥遊訪マガジンで自慢出来るものがあるとすると、それは寄稿してくださっている先生方のラインナップです♪ご本名じゃない方が多いですが、錚々たるメンバーが執筆してくださっています。今回からその中に加わっていただくのは、ご存知の方もあると思いますが、アジクさんです♪今回は、ご挨拶代わりに、これからの記事の概要を書いていただきました。次回からの本格的な連載を、どうぞお楽しみにお待ちください♪

 また、今号には、前回定例会の講師を務めてくださいました奈文研の青木敬先生が、「第18回定例会を終えて」と題して特別投稿をしてくださいました。講演をしてくださった側からのお話を書いてくださいましたので、スタッフもとても貴重なご意見をいただけたと喜んでおります。どうぞ皆様もお読みいただいて、両槻会主催講演会の様子を感じ取っていただければと思っております。
 紙面ではありますが、青木先生には、スタッフを代表してお礼を申し上げます。

 さて、飛鳥では、蝋梅の花が見頃を迎えています。「梅」の文字が入るのですが、梅の仲間ではないそうですね。ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木だそうです。花の中まで黄色い物を「ソシンロウバイ」というそうですが、花に疎い風人はそこまで注意して見ていません。(^^ゞ 花の無い時期に、強い香りと共に鮮やかな黄色い花を咲かせるので良く目立ちますね。写真を撮られる方は、この時期の風景は殺風景なので、蝋梅を入れる人が多いようです。
 飛鳥でも、やはりこの時期は蝋梅が格好の被写体になります。よく知られているのは、八釣の道路沿いの密生した所や集落の東側にある大和棟の古民家を取り込んだポイントです。また、さらに東の墓地の所から、背景に二上山や畝傍山を入れた写真を撮られる方も多いようですね。

八釣の蝋梅

 他には、稲渕の棚田を背景に出来るスポットに、蝋梅が植えられているところがあります。男綱の綱掛の木の上方です。案山子ロードの入口から上がって行くのですが、かなり上の方にあります。

稲渕の蝋梅

 こちらも、飛鳥らしい風景の中で季節感も取り入れられそうですよ。皆さんも如何ですか?



【3】 「飛鳥の考古学2009 観覧記」  (10.2.5.発行 Vol.73に掲載)

 皆さん、こんにちは♪今回の時遊録は、只今、飛鳥資料館で開催中の冬期企画展「飛鳥の考古学2009」の観覧記を書かせていただきました。

 明日香村では、三つの研究機関(明日香村教委・橿考研・奈文研)によって、毎年20件を越える発掘調査が行われています。飛鳥ならどこを掘っても何か出る!そう思われている方も多いようですね。ですから、かえってマスコミに取り上げられない発掘成果は、注意を向けていてもつい見逃してしまうことがあります。風人のように明日香村の近辺に住んでいて、毎週末飛鳥を歩いている人間でさえ、知らない間に埋め戻され気付かないままに過ぎて行く遺跡もたくさんあります。飛鳥のこの一年の発掘成果を改めて確認するには、「飛鳥の考古学」は本当に良い機会だと思います。シーズンオフの飛鳥で行われる地味な企画展ですが、古代飛鳥のイメージをより鮮明に描くことが出来る機会として、また、もっともっと充実した展示になるように願いを込めて、両槻会では、この企画を応援して行きたいと思っています。

 今回の展示では、8遺跡が取り上げられています。出土遺物の展示や発掘現場の貴重な写真パネル、コンパクトにまとめられた説明文などが並びます。8遺跡の中には、両槻会定例会や飛鳥遊訪マガジンでお馴染みの先生方が担当された遺跡もあり、そういう意味でも興味深いものがあります。担当者のお顔を思い出せる遺跡は、より親近感が持てるような気がします。第9回定例会で講演をしてくださった市大樹先生が担当された「飛鳥寺南方(飛鳥藤原152-5次調査)」、前回定例会の青木敬先生の「石神遺跡(第21次調査)」、また、たくさんの方が関わられた「高松塚古墳」。これらは、両槻会にとっては、とても親しみの持てる遺跡になりました。

 展示室で最も目を引くのは、高松塚古墳の墳丘築造過程を紹介する展示で、120層にも及ぶとされる版築工法を示す「剥ぎ取りされた土層」でした。また、石神遺跡から出土した謎を呼ぶ瓦(奧山廃寺式瓦)の展示にも目が留まります。風人も現場を見に行けなくて、初めて詳細を知った「阪田遺跡群」・「阿部山遺跡群」などの興味深い成果も展示されていました。他にも、今回初めて紹介された檜隈寺跡の調査で検出された「檜隈寺関連工房跡」も目を引く成果の報告になっています。檜隈寺で使った鉄製品を作ったとみられる工房跡と考えられますが、製鉄で用いた炭や、鞴(フイゴ)から風を送り込んだ羽口などが分かりやすく紹介されていました。
 「飛鳥の考古学」展は、2月28日まで行われています。皆さんも、是非ご覧下さい。

 さて、今号には、投稿記事があります。スタッフ間では、明日香村人枠と言っているのですが、明日香村にお住まいの方に、ご投稿をいただきました。明日香村の日常の情景やその方のお人柄をご紹介できればと思っています。

 今号でご紹介するのは、「珈琲 さんぽ」のtaamaさんです。「珈琲 さんぽ」は、明日香村のど真中にあり、本格的な自家焙煎の珈琲 が飲めるお店です♪薫り高く、味わい深い珈琲がとても美味しく、また、taamaさんが作るお昼のメニューもとっても美味しいのです♪ 飛鳥散策で疲れた足を休めるには、ここが最適です。場所は、明日香村役場の前、古民家を改装した素敵なお店です。(o^-^o)

 さて、この「珈琲 さんぽ」さん、飛鳥浄御原宮内郭南門の直ぐ近くにあるんですよ♪(参考図をご覧下さい)ほぼ正確な遺構図と重ねてみました。エビノコ郭と内郭南門の間にあった東西道路上にあたります。裏庭にも座席があるのですが、庭の外れは南門に掛かるのではないか思えるような位置になります。

参考イラスト地図

さんぽさん店内から飛鳥浄御原宮内郭南門方向を見る。

 飛鳥好きにはたまらない場所ですよね♪飛鳥散歩に疲れて、ゆっくりと美味しい珈琲を飲みながら、古代飛鳥へと妄想を駆け巡らせるには最高の場所です。天武天皇が宮殿から裏庭を通って入って来られるかも知れませんよ!(笑)皆さんも是非どうぞ♪飛鳥遊訪マガジンを見ました!と仰ってくださいね。笑顔のサービスがあります♪
 さんぽさん・taamaさんの記事はこちら♪



【4】 「飛鳥京跡第164次調査」  (10.2.19.発行 Vol.74に掲載)

 皆さん、こんにちは♪ 飛鳥でもいよいよ梅が咲き始めました。まだ寒さも続きますが、春の気配もそろそろ感じられるようになってきました。蕗の薹も顔を出す頃ですね。風人は、もう食べましたよ♪早春のほろ苦い味は、とっても身体に良いそうです。

 さて、飛鳥からは、発掘現地説明会の話題を一つお伝えしようと思います。目立つ所での発掘調査でしたので、現場をご覧になった方も多かったのではないでしょうか。飛鳥寺の南150mの地点で、東西に2つの調査区が設けられていました。(橿考研:飛鳥京跡第164次調査)

第164次調査 関連参考図

 まず、風人が描きました参考図をご覧下さい。厳密に言うと正確ではありませんが、だいたいの感じは掴んでいただける程度には正確に描いたつもりです。(^^ゞ (注:飛鳥寺は、主要な伽藍は別にして、講堂や回廊・門などは正方位を向いていません。若干ですがブレを伴っていますが、作画上正方位に描いています。また、参考図中の各遺構の方位も測って描いているわけではありませんので、ご了承ください。m(__)m)

 1区とされた東側の調査区では、トレンチ南端で東西方向の石組溝が検出されています。幅3m・深さ68cmの飛鳥では最大と表現された立派な溝です。参考図で確認していただくと分かりやすいと思うのですが、これまでの調査で検出された溝(実線)と、ほぼ一直線に繋げることが出来ます(点線)。飛鳥宮の北限近くにあった基幹排水路と思われます。

1区南端の東西石組溝

 ここで疑問が湧いてきます。前年の調査(161次調査)では、その東西溝を塞ぐように掘立柱建物とされた柱列が検出されています。昨年の説明会では、南に庇があり、礫敷の広場を持つ5間×3間以上の建物として報告されました。今年の164次調査の報告では、東西石組溝は、この建物を迂回するようにどちらかに曲がって繋がっているのではないかと、現段階では考えられるとの説明がありました。しかし、風人は、あまり納得が出来ませんでした。というのは、建物の時期と溝の時期が同時期だとすれば、普通なら地割や施設の割り振りを考える時、整地をして、まず道路や溝を考慮した区画を考えるのではないかと思うからです。藤原宮の建設でもそうだったと思います。なんらかの特別な理由がない限り、基幹排水路が曲折するなどという場当たり的な開発をするでしょうか?皆さんは、どのようにお考えでしょう。
 では、161次の柱列は何だったのかということになりますが、そんな難しいことは風人には分かりません。(笑)ただ、橋でも良いんじゃ?っという話を小耳に挟みました。(^^ゞ風人は、面白いなと思っていますが、それなら、飛鳥寺南門の真南に欲しいと思ったりもします。きっちりとした性格なもので。(笑)

 もう一つ疑問に思ったことは、2区と呼ばれている西側の調査区で検出された石敷広場です。

2区の石敷広場と溝

 以前から存在は分かっていましたし、現在、飛鳥寺の南を通る東西の道が、その方位を今に伝えているということも、定例会などで学んできました。この西で北に8度ばかり振れる方位は、何なのでしょうか。今まで、風人は、正方位に先行する地割は、北で西に20度振れるのだと思ってきました。今回の現地説明会で、西で北に8度ほど振れる方位と、それと直角の関係(北で東に8度ほど振れる方位)になる遺構を目の当たりにしたのですが、どうもしっくりきません。目の前にあるのだから否定は出来ないのですが、マスコミで伝えられたように、飛鳥寺に先行する地割を取り込んだとしても、整地をする時に何故飛鳥寺と同じ方位に合わせなかったのでしょう。巨大な寺院の建設に比べれば、実に簡単なことだと思うのですが・・・。その方位に従う用途の分からない方形区画(写真)、また1区で検出された掘立柱塀や溝など。その方位を維持する、または造っておく必然性があったのでしょうか。現地説明会では、その謎を持ち帰る以外にはありませんでした。

2区の用途不明の方形区画

 疑問は、いずれ明快な答を伴って示されると思います。とりあえずは、次回発掘調査までのお楽しみにしたいと風人は思っています。これが、アマチュア考古学ファンの一番お気楽で楽しいところであります。(笑)

 現地説明会当日に配布された資料が橿原考古学研究所サイトにて公開されています。是非ご覧下さい。
  飛鳥京跡第164次発掘調査 現地説明会配布資料



【5】 「春間近」 (10.3.5.発行 Vol.75に掲載)

 皆さん、こんにちは♪ずいぶん暖かくなってきましたね。気温の変動が激しい時期ですが、体調を崩さずに過ごしたいものです。奈良では、「お水取り」が始まりました。これが終わらないと、本格的な春はやって来ませんが、先日、西飛鳥を歩いていると鶯の初鳴きを聞きました。もちろん、ホォーホケキョとは鳴きませんよ。(笑)初鳴きは、奈良では2月末から3月の始め頃に聞かれるようですね。こうして自然の中に季節を感じることが出来るのは、とても幸せな気がします。鶯の初鳴きに振り返ると、白梅が見事に咲いていました。そしてその下には、土筆が顔を覗かせています。春間近です♪

 飛鳥でも梅が綺麗に咲き出しています。写真を撮る方にとっては、以前は、阪田地区にある金剛寺の白梅や真弓地之窪の紅梅が知られていましたが、樹勢が衰えたのか以前ほど魅力ある被写体ではなくなっているようですね。今では、栗原の栗原寺跡付近の白梅や稲渕の棚田にある白梅が被写体としてはよく撮られているようです。また、天香具山の南中腹にある白梅も風人は好きです。中でも風人のお気に入りは、尾曽の紅梅です。


尾曽の紅梅

 昨年、両槻会定例会で、まさに満開の時に訪れました。(「第13回定例会 天空の里を訪ねる」)集落に入る道路際の2本の木と、下の田んぼ際にある木も好きです。今年の咲具合は、どうでしょうね。このメルマガの発行直後の週末などに行ってみたいのですが、予定が詰まっていて今年は行けそうにありません。とても残念です。どなたか写真を撮りに行かれましたら、是非ご投稿をお願いします。

 第13回定例会レポート



【6】「春爛漫と発掘情報」 (10.4.2.発行 Vol.77に掲載)

  今号がお手元に届く頃、飛鳥は桜の見頃を迎えていることでしょう。お天気はどうでしょうね。春爛漫の飛鳥を是非お訪ねください。

甘樫丘豊浦展望台(3月27日撮影)

 各地に桜の名所は数有りますが、飛鳥もそれらに決して引けをとりません。桜のボリュームなら石舞台公園。ロケーションで選ぶなら甘樫丘が定番のお奨めスポットです。また、橘寺の東西両門の桜や蓮華塚の桜もお寺の佇まいと共にお奨めです。しかし、飛鳥遊訪マガジンでは、そのような一般的な桜をご紹介しても、読者の皆さんにな~んだ知ってるよ!と思われるに違いありません。やはり、マニアックにご紹介しなくてはなりませんね。(笑)

 風人が一番のお奨めは、南淵請安墓の桜のドームです。明神塚に立つ古木や祠の雰囲気が一層桜を引き立てます。また、飛鳥川の対岸からこの桜のドームを見るのも素晴らしいです。その次にお奨めは、石舞台公園の桜なんですが、東側の上居(じょうご)という集落の天辺にある墓地から見下ろします。上宮寺というお寺を通り抜けて、西端まで行くと絶景が待っています。稲渕の棚田の菜の花もここからは一望ですよ。お寺には、ここからの眺めが良いことを示す表示もありますので、お墓への配慮をされた上で一度登ってみてください。石舞台公園から東に見える丘の上です。近年、ボランティア活動のおかげで、斜面にもたくさんの桜が植えられました。桜の丘として私達を楽しませてくれる日も近いことでしょう。また、連翹やたくさんのタンポポと一緒に咲く坂田寺跡の桜もお奨めです。写真を撮られましたら、是非ご投稿をお願いしますね♪



【7】 「飛鳥の桜と百済・王興寺、弥勒寺と風水思想聴講記」
                                (10.4.16.発行 Vol.78に掲載)

  桜狂想曲もついに終わりましたね。この2週間ほどを見ていると、日本人が如何に桜が好きなのかを思い知らされました。万葉集には、梅花を詠んだ歌が多いのは知られますが、桜も40首以上はあるようです。

  桜花 時は過ぎねど 見る人の 恋ふる盛りと 今し散るらむ(10-1855)

 風人に歌心はちっともありませんが、桜を愛で、散り際に情緒を感じる日本人の心が少しですが分かるような気がする歌です。

 皆さんの花見は如何だったでしょうか。もし、飛鳥の桜を撮られた方がありましたら、投稿を是非お願いいたします。「私なんかが投稿しなくても」と全員が思われるので、まだ一枚も事務局には届いておりません。(^^ゞ風人は今年の満開の桜を撮っておりませんので、是非お送りいただければと思います。よろしくお願いいたします。

 さて、前号でもご案内しました『帝塚山大学考古学研究所市民大学講座』「百済・王興寺、弥勒寺と風水思想」と題する清水昭博先生の講演を聴講してきました。両槻会定例会に参加していただく方達とご一緒に、百済にあった寺院の立地などについて楽しいお話を聞くことが出来ました。
 王興寺や弥勒寺などが建設された地形は、大型建築物を造るには適した土地ではないように思いました。それは、秀麗な山を背後に持ちますが、両側に伸びる尾根に囲まれた谷を形成する土地柄です。谷地形ですから、排水を考慮したり、湿地を克服してまで建造する背景には、中国南朝から伝えられた新しい価値観である風水思想があったと考えられるようです。
 飛鳥時代、百済から多くのものが我国にもたらされました。しかし、飛鳥時代の寺院の立地は、百済の幾つかの寺院のような谷地形ではありません。風水思想が伝えられていることは終末期の古墳などでは明らかなように思うのですが、何故我国の寺院立地に反映していないのでしょうか。寺院建立の動機や意味づけが、百済と我国では違いがあったのか?などと風人は妄想していました。(^^ゞ



【8】 「石楠花と古代道路からみた平城京の造営聴講記」
                                (10.4.30.発行 Vol.79に掲載)

 まず今号は、投稿写真のご紹介から始めましょう。飛鳥の桜を投稿してくださ~いと時遊録でお願いしたところ、数枚の写真をご投稿いただきました。両槻会ブログに掲載させていただいておりますので、読者の皆さんも是非ご覧下さい。ご投稿ありがとうございました。皆さんも、飛鳥で写真を撮られましたら、是非ご投稿ください。

 前号で飛鳥情報として書きました岡寺の石楠花を、18日に見てきました。とても綺麗でしたよ♪新緑と淡いピンクの石楠花の花、そして赤い蕾。岡寺の境内は、爽やかな色合いで埋め尽くされていました。時期的には、少し早かったように思いますので、この連休前が良い頃合いではないかと思います。遷都1300年記念祭関連の「祈りの回廊 岡寺書院・寺宝の公開」も行われていますし、そろそろ牡丹も良いでしょうから、是非機会がありましたら行ってみてください。18日の岡寺境内です。

岡寺の石楠花

 さて、遷都1300年祭もいよいよ開幕しました。最初の土日は、1日3万人を越える来場者が有ったそうです。人気の施設ではかなりの列が出来たようですが、皆さん我慢強いですね。風人は、どうも行列に並ぶのが苦手です。一段落した雨の平日にでも行ってみようかと思っています。(笑)皆さんは、如何でしょうか。

 遷都1300年祭のオープニングの日に、風人は帝塚山大学で行われました市民大学講座「古代道路からみた平城京の造営」という講演会を聴講してきました。講師は、メルマガ(今号も記事があります)でお馴染みの近江俊秀先生です。90分が瞬く間に過ぎ去ってしまうような、密度の濃いお話でした。メルマガで連載していただいている内容も含まれましたので、より理解を深められたように思います。古代大和や河内の直線道路の成立時期やその背景にあるものが語られて行きます。直線道路の成立を7世紀の早い時期に想定される先生の説は、各道路の発掘調査の成果でも充分に証明されてきたように思います。勝手に名乗る不肖の弟子ですが、蘇我氏が主導する大規模な土地利用の再編の中で、道路網も整備される必要が生まれ、飛鳥時代の幕開けと共に直線道路の建設に拍車が掛かったのではないかと風人は考えたいです。
 近江先生のお話は、河川を利用した水運にも展開され、古代河川の流路の説明にも及びました。そして、全国的な道路網の成立へと進みます。七道駅路の整備が行われ、平安時代にはその総距離は6,300kmにも及んだとされました。これは、北海道を除く現在の高速道路網の総距離6,500kmに非常に近い数字になるそうです。それらは納税や軍事のための道路なのですが、数字の一致に驚かされます。
 また、平城京の造営と道路との関係にも触れられ、平城京の都市計画や最後には宅地とその居住者の関連にまで言及されました。左京三条三坊が舎人親王の邸宅の可能性が大きいことを論証され、条坊道路と宅地の関連から居住者の特定出来る可能性があることをお話されました。歴史上の人物も住まいが特定されると、急にリアリティーを持った存在に感じます。宅地が特定されている長屋王や新田部親王、藤原不比等、仲麻呂などだけではない奈良時代の人物像を、より身近に感じさせる研究成果であるように思いました。最後には、吉備真備邸の所在地の可能性も・・・。今後がものすごく楽しみですね。



【9】 「飛鳥京跡第165次発掘調査と大唐皇帝陵展」 (10.5.28.発行 Vol.81に掲載)

 飛鳥では、様々なイベントが行われています。沢山の方が訪れていらっしゃるようですね。風人は、週末に行われている飛鳥資料館前庭の光の回廊を手伝っています。両槻会では、ずいぶん飛鳥資料館にお世話になっていますし、先生方にも多大なご助力をいただいています。ほんの少しですが、お礼の気持ちを表せたらと思って頑張っています。それは私的な気持ちなので置いといても、闇に浮かび上がるキトラ壁画朱雀の「光の地上絵」は、とっても綺麗ですよ♪ また、たくさん置かれる蝋燭の仄かな灯りはと
 ても幻想的で、復元石像物群を揺らめく炎で演出しています。是非、会期中にお越しください。土曜日だけですが、6時に点灯、7時頃に見頃になります。期間中の土曜日は遅くまでバスもありますので、見に来てください。(詳細は飛鳥情報参照)

 さて、突然のニュースでビックリしましたが、橿原考古学研究所「飛鳥京跡第165次発掘調査」の概要が、発表になりました。報道では「飛鳥京跡最大級の建物跡発見、天皇の内裏か?」、「7世紀後半、”内裏”の先駆けか」などのタイトルが目を引きました。
 発掘調査は、昨年の11月から今年の2月までで、調査区は既に埋め戻されています。今回の発表は、その調査成果がまとめられたことによる発表であったようです。
 調査の概要は、こちらでご覧になれます。(橿考研サイト

 吉野川分水路が、飛鳥京内を南西から北東に流れています。その改修工事が行われているのですが、それに伴う調査が行われていました。大型建物に復元された柱穴群(11基)は、吉野川分水路に東西に分断されています。復元案として2つの案が示されていますが、どちらにしても飛鳥浄御原宮の大極殿と推定されるエビノコ大殿に匹敵する大きさだとされました。建物の中心部分が水路で破壊されているので、未解明の部分があるのは仕方ないのかもしれませんね。建物の終焉時期は、柱の抜き取り穴から出土した土器によって藤原宮期であろうとされましたが、建築時期を特定することは出来なかったようです。この柱穴群の東側で石組溝が検出されましたが、建物の柱穴を避けるようにクランク状に曲がっているようです。以前の調査で検出された石組溝の延長であるようですが、復元される建物と同時期に存在していたと考えられ、これらの遺構は飛鳥京第3期(飛鳥後岡本宮・飛鳥浄御原宮)のものだと推定できるようです。

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調査地近影(10.6.5撮影)

 実際に調査地に立つと、内郭から結構離れているようにも感じます。内裏や天皇に直接関わる施設であるなら、その間には石敷の通路などもあったのではないかと思いますし、内郭の北限の塀には門があるはずです。内郭北西部から検出された「南北方向掘立柱列」も含めて、今後の周辺調査を期待したいですね。

 風人は、これらの西にある苑池が気になるところですが、そうすると建物の向きが違うようにも思いました。どんな建物だったのかな?何だったのかな?またまた妄想モード全開です。(笑)

 飛鳥遊訪マガジンで、お奨めしている橿考研附属博物館の「大唐皇帝陵展」に行ってきました。もう2度目なのですが、この展示は2度ぐらいでは充分見られないかもしれません。前号でアジクさんがお奨めくださった「馬球図」を、改めて見ました。ポロを競技する騎手だけではなく、馬の躍動感も見事です。ずっと見ていたら競技を始めそうな気さえします。皆さんも是非♪



【10】 「脇本遺跡(第15次)発掘調査の成果」(10.6.11.発行 Vol.82に掲載)

 飛鳥では、田植えが始まりました。メルマガがお手元に届く頃には、その真盛りとなっているでしょう。
 風人は、この時期がとても好きです。水が張られた田んぼには、いろいろな物が写っています。小さく区切られた空、陰を落とす樹木、時には低空で飛んで行く燕の姿も写ります。そして、落日を映しこんで染まる田んぼは、本当に綺麗だと思います。飛鳥では、細川の棚田や最近では古宮土壇にもカメラマンが沢山来られるようになりました。皆さんも一度、水無月の飛鳥をお訪ねください。

水無月の古宮土壇

 さて、先日、脇本遺跡(第15次)発掘調査の成果が報じられました。脇本遺跡というと、雄略天皇の泊瀬朝倉宮の候補地として、ご存知の方も多いと思います。該当する地域は、桜井市脇本から黒崎にかけての大和川(初瀬川)右岸の微高地にあります。この地は大和盆地の東南隅にあたり、東国と結ぶ交通の要衝として大変重要な場所になります。この谷筋は、現在も近鉄大阪線や国道165号線が通り、奈良と三重を結びます。今回の調査は、その165号線の拡幅工事に伴うものだそうです。


脇本遺跡付近地図
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↑大きな地図で見るをクリックしてください。
写っている場所(画面では国道の左側の一段高くなっているところ)が、掘立柱建物2棟分と柵(塀)が検出された調査区になります。
地図写真の左側に表示されるダイヤルで、写真を回転・上下に動かせます。
また「-」をクリックすると地形図になります。
なお、写っている建物は、朝倉小学校です。

 これまでの調査では、5世紀後半から7世紀後半にかけての建物跡や塀跡などが検出されています。今回の調査では、掘立柱建物(東西2間×南北3間以上)が6世紀後半に建てられ、6世紀末から7世紀初頭頃に同じ場所に建替えられていたことが分かりました。また、この建替えと同時期と思われる柵(塀)と、それを南限にしたと推測される区画内に掘立柱建
物(東西1間×南北1間分検出)が建てられていました。この建物も、時
期を経て建替えられているようです。先の建物は西に方位を振りますが、
柵とこの建物は正方位に建てられており、遺構図を見ると一体のものではないのかふと疑問が起ったりしました。

 雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」を始めとして、欽明天皇の行宮「泊瀬柴籬宮」、また大来皇女の泊瀬斎宮などを連想させる地に、宮が飛鳥地域に移った後も、宮殿に匹敵する太さの柱を使った建物が、場所を移動することなく建替え続けられていたことになります。単に交通の要衝というだけに止まらず、何らかの重要な意味が隠されているのかも知れませんね。まっ、それは風人の戯言ですが。(^^ゞ

 詳細は、橿原考古学研究所HPに報道発表資料が公開されています。ご興味のある方はご覧下さい。 報道発表資料橿考研HP
 飛鳥遊訪マガジンでも、何度もご紹介してきました「大唐皇帝陵展」も、いよいよ今月20日までになりました。まだ行きそびれていらっしゃる方は、是非ご観覧ください。博物館では、いろいろな関連イベントも行われています。風人は、先日その中の「唐楽を楽しむ」というイベントに参加してきました。唐楽というのは、中国やインド・ベトナムなどの音楽が遣唐使などによって伝えられたものを言うそうです。また、それらを模して我が国独自に作られたものも含むそうです。演奏形式としては管弦と舞楽があるそうですが、楽器は笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)・鉦鼓(しょうこ)・鞨鼓(かっこ)・楽太鼓(がくだいこ)で、管絃の場合は楽箏(がくそう)・楽琵琶(がくびわ)が加わります。
 難しい話はともかく、天理大学雅楽部の皆さんの演舞は、素晴らしかったです。風人は雅楽に特別な関心は無かったのですが、炎天下に観賞した約30分のミニコンサートは、あっという間に終わってしまい物足りなさを感じたほどでした。

唐楽を楽しむ



【11】 「初夏の飛鳥」 (10.6.25.発行 Vol.83に掲載)

 今回は風人に代わりまして、TOMがお届けします。
 さて、当たり前の話ですが、飛鳥を歩いていると色々な景色や遺跡に出会います。

 例えば、発掘調査の続いている甘樫丘東麓遺跡では「ああ、この辺りに蘇我氏は豪邸を立てて住んでいたんだな。」と思う反面、その根拠は「日本書紀に書いてある」事柄が発掘調査によって段々と明らかになっていく、そう言ったことを踏まえて当時に思いを馳せる訳です。

 焼け跡が見つかる=火を放ったことに符合すると言った按配です。勿論それには考古学的な時代考証が着いて回りますが。

 遺跡=実態から記紀に記載されている内容の確認と言う図式になるのですが、今度は果たしてそれらの記事に続く内容、例えば「蝦夷の家を上の宮門、入鹿の家を谷の宮門」と呼ばせたとありますが、未だその真偽のほどが判然とする木簡などが見つかってはいません。すると、「書紀にはそのように書いてある」域を出ないことになります。丁度奈文研サイトに2010年の紀要がUPされています。昨年の甘樫丘東麓遺跡157次や3月の161次の現地説明会以後の調査成果などが書かれてありますので、ご覧になられると良いかと思います。

 甘樫丘東麓遺跡の調査─第157次・161次
 甘樫丘東麓遺跡の調査─第157次(図版)

 そんな事を思いながら飛鳥の遺跡を巡るのも面白いのですが、時には突拍子もないもの、記紀に記述の全くないもの、亀型遺跡の場合もそうだったのですが、あれほどのものではないにしろ、驚かされるものが出てきます。先だって3月にこの東麓遺跡の現説と並行して明日香村教育委員会で「飛鳥寺西方遺跡」いわゆる槻の木広場があった辺りだそうですが、石敷きが確認されました。と同時に土管が出ていたのです。

飛鳥西方遺跡の土管

 近代の土管と代わり映えのしないもので、それが1300年以上前に使われていたことに少なくともTOMさんは非常に驚きました。新鮮な驚きだったです。未だ何に使われていたかは今後の調査によるようです。別に遺跡に拘るわけじゃありませんが、みなさんも初夏の飛鳥を新鮮な驚きを求めて歩いてみませんか。きっと何かに出会えると思いますよ。



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