両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第34回定例会レポート


埋もれた古代を訪ねる3

-稲渕の棚田の謎に迫る-


飛鳥光の回廊参加


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散策資料
2012年9月15日


朝風峠からの南淵山

 両槻会恒例「埋もれた古代を訪ねる」の第3弾は、「稲渕の棚田の謎に迫る」。春は菜の花、秋には案山子と彼岸花が彩る飛鳥稲渕の棚田。今回は、その形成過程にも目を向けてみようという企画です。

 集合場所の近鉄飛鳥駅前のロータリー付近には、電車が止まる度に沢山の人が降りて来られました。飛鳥散策らしき団体さんや光の回廊のボランティアらしきお揃いのTシャツをきた学生さんなど、飛鳥にもいよいよ秋の観光シーズンが到来したことを感じる光景でした。

 集合時間には、皆さん無事ご到着。受付を済ませて資料を配布し、いざ、本日の散策スタートとなる石舞台へ向かうためにバスへと乗り込みます。まだまだ残暑厳しい中での散策ということで、今回の歩行距離は6kmほどと短めです。


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 石舞台バス停から、玉藻橋を渡り祝戸へと抜けます。飛鳥川の川音が何とも涼しげでした。



 初めに訪れるのは、坂田寺跡。マラ石横の井戸跡の前で説明を聞きました。坂田寺に関しては、今年初めの第30回定例会で詳しく取り上げましたので、今回は主な遺構の位置や珍しい遺物の話などがありました。ここでは、σ(^^)も瓦のお話を少しさせて頂きました。坂田寺式と言われる単弁蓮華文軒丸瓦が、11月に行なう第35回定例会で訪れる尼寺廃寺からも出土しています。それも、坂田寺と同笵のものが。飛鳥と片岡がどう繫がるのか、詳しくは、第35回定例会でご案内頂く清水昭博先生のお話を楽しみにしてください♪


 「坂田金剛寺址」の碑の立つ公園化された跡地へと入ります。斜に構えた石碑と史跡案内板に気付かなければ、空き地に見えてしまうところが寂しいですね。



 公園内には、「御食向ふ 南淵山の 巌には  降りしはだれか 消え残りたる(9-1709)」の歌碑があるため、ここが坂田寺の遺構中心部だと思われがちですが、奈良時代の主な建物は、万葉歌碑の背後や西側になるという説明を聞いた後、公園を区分けしているレンギョウの垣根をクルクルと回り込んで、建物跡の位置を確認しました。(詳しくは、資料ページを御覧下さい。)
 坂田寺の考古資料に関しては、第30回定例会ネット版資料を御覧下さい。

 さて、ここからいよいよ稲渕へと歩を進めるわけですが、ほんの数分歩いたところで、突然、事務局長が田んぼの向こうを指差しました。右手に広がる緑の田の先、飛鳥川も超えたその先に、今日最後に訪れる予定の稲渕宮殿遺跡周辺が一望できるとか・・。

飛鳥川右岸から望む稲渕宮殿遺跡
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 稲渕宮殿遺跡は、今は駐車場になっていますので、川のこちら側からでも、白っぽく見え目立ちます。事務局長曰く「周辺の地形も頭に入れておいてください」とのこと。確かに言われてみれば跡地の南側にも平坦地が少し広がっているようです。

 こちらも、後程訪れる塚本古墳ですが、飛鳥川の対岸から僅かに確認できます。稲渕の棚田にすっかり溶け込んでしまっていて、それと知らなければ古墳とは思えない状態で存在していることが分かります。


塚本古墳遠望

 飛鳥川の右岸、通称南淵山の山際沿いを伝うように歩き、勧請橋の男綱を横目に集落の中へと入っていきます。次に訪れるのは、飛び石。σ(^^)には、見慣れた稲渕の飛び石ですが、初めて御覧になったという参加者の方もいらっしゃいました。この辺りまで来ると、咲き始めの彼岸花をチラホラ見ることができました。
 昔は、水深の浅い川によく用いられた渡川の手段だったんでしょうね。(詳しくは、資料ページを御覧下さい。)

 この日の飛び石は、上の写真のように石列が乱れてました。7月ごろの豪雨の名残りでしょうか。こんな石をゴロゴロと動かしてしまうなんて、そよぎ流れる川面からは想像し難い畏るべし水の威力! 水には充分気をつけましょう。。。

 ということで、今回は飛び石ではなく、横手のコンクリート製の橋を渡って、いよいよ棚田周回へと向かいます。


 車道へあがり、勧請橋下の案山子ロードへの入口を目指します。ここから朝風峠へ上っていく間は、自由行動となります。


 昨年の大案山子がお色直しされて、棚田を見下ろしていました。真っ赤な絨毯やレッドラインには、まだ少し早かった彼岸花でしたが、青々と稔った稲と青空は清々しいものでした。翌週末の彼岸花祭りを控えて立ち始めた案山子を見ながら、ゆっくり散策をして頂こうという予定・・・が、皆さんサクサクっと上がっていらっしゃいます。さすが、両槻会参加者♪


朝風峠より、細川・上居方面を望む

 朝風峠では、吹き来る風が心地よく、さすが朝風峠、風と名がつくだけはあります。それぞれ思い思いに一息着いたところで、峠にある石碑の前で、説明がありました。

朝風峠 朝風の碑
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 「朝風」と陰刻された不成形の石碑の横に、長屋王家木簡や竜福寺の石塔銘文を引いて朝風についての説明された碑もあります。これに加えて、更に事務局長から、現在の稲渕がどのように出来上がっていったのかなどの話がありました。(詳しくは、資料ページを御覧下さい。)

 次の目的地は、浅鍛冶地蔵尊。朝風廃寺という山寺があった場所か?と言われている場所です。
 朝風峠を上りきり、ひょこっと左に折れ、最早、下草とは言わないんじゃないか?と言うぐらい背の伸びた雑草に埋もれるようにして進む面々。やっと草がなくなったと思うと、今度は、山道に入ります。


浅鍛冶地蔵尊への道

 崩れた路面、山裾に向かって傾斜した細い道を足元ばかりを気にして先に進みます。これらの道も昔は、農道や林道として整備された時期があったのかもしれません。頻繁に行き交うことがなくなると、道もまた廃れてしまいますもんね。
 「これって、道?」という声もチラホラ。(^^ゞ すいません。両槻会のウオーキングでは、歩けるところは全部「道」です。

 さて、ワアワア言いながら辿り着いた先で待っていて下さったのは、一体のお地蔵様。そんなに古いものではなさそうですが、お地蔵様を囲む祠から、今も大事にお祀りされていることが窺えました。


 山寺は、人里離れた所に造られるものですから、場所としては適しているのかもしれませんね。が、発掘調査などがされていないので、詳しいことはまだ闇の中・・・なんだそうですが。(詳しくは、資料ページを御覧下さい。)
 ただ、栗原にあるお地蔵様に「右 於か寺」とある表記は、昔は栗原からこの辺りに至る道があったことをしめしているんではないかとのことです。夏草生い茂る時期が終わり、冬になったら・・・と、事務局長が嬉しそうに言ってました。きっとまた、山肌に残る道の痕跡を探し出してくるに違いないと思います。^^;

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 山寺や稲渕・朝風の話を聞き終えて、もと来た道を戻ります。男綱のところからここまで、字セイサン・浅鍛冶と巡ってきました。次は、字アサカゼを通り、棚田に残る1基の古墳を訪ねます。


 塚本古墳は、石取りによる破壊で、奥壁や壁石の一部を残すだけになります。古墳築造当事には、当然棚田はなかったでしょうから、この尾根全体が、古墳としてこんもり盛り上がっていたってことになるんでしょうか?大きさと言い、時期と言い、場所と言い、色々と妄想の膨らむ古墳ではありますね。(詳しくは、資料ページを御覧下さい。)
 この後、昼食場所の祝戸公園へと向かいました。昼食後は、稲渕宮殿遺跡へ回ります。


 現在は駐車場として使用されているそうですが、碑や案内板に気付かなければ、何もないただの広場としか見えませんよね。ここからは、宮殿クラスの遺構がでているんだそうです。人頭大の敷石は、天皇に関連する遺構だと考えられるお話は、第17回定例会「飛鳥の諸宮をめぐる」で山田隆文先生にお話頂いてますので、ご参加くださった皆さんは記憶にもあるかと思います。
 ここは、白雉4年に、孝徳天皇を難波に置き去りにして、皇太子・中大兄皇子が一切合切を連れ戻って入った「倭飛鳥河辺行宮」の可能性があるそうです。こんな川沿いのこんな飛鳥の奥に宮殿?とも思いますが、ここが何であったかはさておいても、遺構が語るものは素直に受け取ろうと思いました。(^^ゞ
(詳しくは、資料ページを御覧下さい。)

 予定していた時間よりも早く散策を終えることが出来ました。この後、石舞台公園へと下り、第1部のみ参加の方とは、お別れです。
 時折り風が吹くとは言えまだまだ暑い中、ご参加くださった皆さん、有難うございました。m(__)m


祝戸にて

  第2部以降は、書き手が風人に変わります。

  第1部のみの参加者と別れ、予定より1便早いバスで飛鳥資料館に到着した面々は、通用門に設けられた関係者受付でIDカードを貰い、いよいよ第2部の開始です。

  トイレ休憩もそこそこに、男性メンバーはテント張りなどの仕事から開始です。半数くらいは、昨年の光の回廊にも参加していただいた方なので、テキパキと動いてくれます。私を含めてスタッフの方が疲れて、動きが悪かったかもしれません。(^^ゞ スミマセン! 


 陽射しが痛く感じるほどの好天で、気温も上がっているようでした。照明担当スタッフの指示を受けながら、1,400個のカップロウソクを並べます。指示しなくとも役割分担が決まり、各々がしっかりと活動しました。カップロウソクの準備には、カップを取りやすいように並べる係、それに土や水を入れる(倒れないようにするため)係、それを運んで並べる係が必要です。
 手慣れたものですね♪ 要領良くカップが並んでいきます。

蓮華文
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海獣葡萄鏡
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 今回は、ステージ上に「海獣葡萄鏡」をイメージした地上絵、須弥山石を中心に「蓮華文」の地上絵を浮き上がらせます。設計図通りに置いていくのですが、図面と現物は違いますので、見た目での修正が欠かせません。二つの地上絵を作成した後は、飛鳥川をイメージした光の流れと、亀石・猿石などの石造物の周辺を飾って行きます。1,400個ものカップロウソクですので、かなりの時間を要すると覚悟していたのですが、手際の良い参加者の皆さんのおかげで、順調に作業を終了することが出来ました。


須弥山奥の飛鳥川

 暫くの休憩の後、点火作業が始まります。ライターを持って先ほど置いたカップロウソクを灯して行くのですが、加熱すると火付きが悪いなどの理由で、ほとんどの方が両手にライターを持っての作業です。夕方に近づくにつれ、揺らめく灯が浮き上がってきます。すべてが灯った時には、達成感を感じました。


 控室に戻って食事になるのですが、その前に集まっていただいて、事務局サポートスタッフのyukaさんがご結婚されるお祝いをしました。「おめでとうございます♪」 参加の皆さんからも、それぞれにお祝いの言葉が送られました。


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 食後、私達には重要な任務が課せられていました。それは、ナイトミュージアムのサポートです。他の目的で来られた来館者の方に、少しでも資料館内を見ていただき、一つでも好印象や興味を持って帰っていただくようにサポートするのが役目です。

 このイベントの真の目的に沿う仕事ですので、緊張感が否が応でも募ってきます。定例会ウォーキングでは、説明役になることが多い風人ですが、他の皆さんはもっと緊張されたのではないかと思います。最初は戸惑うことも多かったのですが、次第にそれにも慣れ、皆さんも観覧者に話しかけておられる様子でした。

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 15・16両日とも、基本はこのような流れで行われました。16日には、world order のライブが行われ、1700名という大勢の来館者がありました。それにつれ、ナイトミュージアムも大盛況となり、慌ただしい中でしたが、両槻会も活躍することが出来たのではないかと思います。カップロウソクが消え始めたころ、私達の活動も終了となり、第34回定例会は幕を下ろしました。

 このイベントについて、風人の考えを書き留めておきたいと思います。

 飛鳥時代の石神遺跡は、迎賓館であったとされています。庭には石人像や須弥山石が置かれ、蝦夷や隼人や、また韓半島・大陸からの使者が持て成されました。そこには篝火が焚かれ、様々な演出が凝らされたことでしょう。我国が如何に素晴らしい文化を持っているかや、盤石な政治体制がアピールされたに違いありません。また、蝦夷や隼人は、自分たちの歌や踊りや相撲を披露したのかも知れません。

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 私は光の回廊 飛鳥資料館会場は、それを再現する場であると思っています。石造物が灯に揺れるとき、タイムスリップが出来るのではないかと思います。その束の間のタイムトラベルに私達両槻会が関われることは、とても素敵なことではないでしょうか。ライブショーもまた、宴(とよのあかり)の再現であるのかも知れません。

 今回は特に、ナイトミュージアムの開催も有り、両槻会にそのサポートの役割が与えられたことも、これまでの活動の評価であると考えています。

 重要な任務を、少しだけでも達成できたのは、参加してくださった皆様のおかげであり、励ましてくださった様々な方の力によるものだと思っています。ありがとうございました。

 最後に、両日共に遅くまで手伝ってくださった参加者の皆さんに、心よりの感謝を申し上げます。m(__)m



レポート担当: もも・風人 

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