飛鳥咲読
第51回定例会
飛鳥の古民家―飛鳥の甍に想いを馳せて―
と
飛鳥光の回廊 点灯ボランティア
Vol.216(15.5.29.発行)~Vol.222(15.8.21.発行)に掲載
|
【1】 (15.5.29.発行 Vol.216に掲載) 風人
今号より、第51回定例会に向けての咲読を始めます。担当は風人が務めます。よろしくお願いします。
お知らせのコーナーでも紹介していますように、7月定例会を8月末にずらせて行うことになりました。現在、その対処に頭を悩まされているところです。飛鳥資料館と打ち合わせながら準備を進めることになりますが、出来るだけオープンに情報をお伝えできればと思っています。
今回の「飛鳥 光の回廊」実施日は、飛鳥資料館の第6回写真コンテスト「ひさかたの天-いにしえの飛鳥を想う-」の応募作品の展示期間に当たります。両槻会では、この写真コンテストに協賛しており、来館者投票の一位となった作品の撮影者に副賞を授与することになっています。詳しくは、こちらのページをご覧ください。
ひさかたの天 飛鳥資料館第6回写真コンテスト(応募は終了しています。)
第51回定例会は、3部構成で実施するのですが、その第2部として行います光の回廊 点灯ボランティアでは、「光の回廊」飛鳥資料館会場に写真コンテストのテーマに沿った光の地上絵を作り出したいと思っています。地上絵のテーマは「そら(空・天)」です。これから飛鳥資料館と協議しながら、どのようなものを作るのか決めていきたいと思っています。皆さんも良いアイデアがありましたら、事務局までお知らせください。一緒に作っていきましょう。やるからには良いものを作りたい!
観覧者が「おぉ!」と思わず口にするような地上絵を作りましょう。今のところ、天の川と星宿などを組み合わせてはどうだろうかと思っているのですが、すべてはこれからです。
昨年の「飛鳥 光の回廊」の様子は、こちらをご覧ください。ページ後半にイベントの様子がレポートされています。
第46回定例会レポート
第51回定例会では、「飛鳥 光の回廊」の点灯ボランティアに先駆けて、第1部 講演会を開催します。まだ、確定している部分は少ないのですが、講師は飛鳥資料館学芸室研究員
西田紀子先生にご登壇いただきます。講演内容に関しましては、昨年好評を得ました写真コンテスト「飛鳥の甍」に沿ったものになると思います。西田先生のご専門は建築ですので、飛鳥の古民家にスポットを当てたお話が展開されることでしょう。
講演内容が確定しましたら、また咲読でご紹介して行きます。普段より、1ヶ月早い定例会の準備になりますので、内容をご紹介できるものが少なくなっています。このようなところにも、実施日の変更は影響を及ぼしています。(>_<)
話は変わりますが、第50回定例会について書かせていただきます。今号でお知らせしていますように、配布資料ネット版や事務局の当日レポート、また学生さんたちが書いてくれた感想文集をページに作成し、ネットアップをしています。で、ここで一つ足りないものを思い出してしまいました。(^^ゞ 事務局の第50回への感想です。清水先生のご感想も書いていただいているのですが、事務局の感想だけがありません。(^^ゞ というわけで、代表して感想を書かせていただきます。
風人感想 第50回定例会を終了して
帝塚山大清水ゼミの皆さんは、優秀でした。飛鳥については殆ど知識の無い若者が、わずか1ヶ月の間に目を見張る進歩を見せてくれました。5月初めに顔合わせをしたときに、彼らは不安だらけで、緊張した面持ちでした。大丈夫だろうか・・・とσ(^^)も不安に。(笑)
不安や緊張というのは、感染するものです。何時しかσ(^^)も彼らと同様に不安になり緊張していたようです。
ところが、わずか1回のリハーサルは、彼らに自信や足りなかったものを自覚する能力を目覚めさせたようです。頑張りましたね。(^^)
しかし、人前で説明するのは、とても難しいことです。準備したことの3分の1も話せれば上出来なのです。σ(^^)など、何十回とやっていてもそれはあまり変わりません。(^^ゞ上手く説明できなかった学生さんもいましたが、そんなに落ち込むことはありません。難しいということを知ったことが、成長の糧となるはずです。
厳しいことも一人くらいは書かねばいけません。(笑)、σ(^^)には、ひとつ気になったことがありました。学生さんたちが、読み原稿を準備して、それを読むことでした。間違ってはいけないと思うあまりのことなのですが、読み原稿は文語体で書かれていました。せっかく現地に来ているのに、それでは気持ちが込められないなぁ~と思ったのです。聞いている方も、もっと生き生きとした話口調で説明して欲しいと思ったのではないでしょうか。
難しいと思うのですが、読み原稿は箇条書きにしておいて、自分の言葉でそれを繋いで話して欲しかったですね。下手でも構いませんので。読んでしまえば、彼らがその場にいる必要はありません。原稿さえ有れば良いことになります。そこのところが、まだまだ出来ていなかったように感じました。一部の学生さんは、出来ていました。これには驚かされました!
全体を通して思ったことは、良く頑張った!です。彼らは、もっともっと伸びて行く余地を残しています。来年、また彼らに出会えれば、目を見張る成長を見せてくれるに違いありません。その期待を強く感じさせる彼らは、やはりとても優秀です。(^^)
ご参加くださった皆さんへ。
飛鳥の案内としては、中途半端さは否めないこのイベント。しかし、ご参加くださった皆さんは、何かを受け取って下さったのではないかと思っています。形のはっきりしないものではあるのですが、それが両槻会らしさという形になって行ければ、風人は幸せに思います。
他のサークルでは出来ない両槻会ならではのイベントとして、来年も実施したいと思っています。ご理解、ご協力ありがとうございました。m(__)m
文末になりましたが、このような素人の団体を学外授業のパートナーとして選んでいただき、共に学ぶ機会を与えてくださっています帝塚山大学教授 清水昭博先生に、深くお礼を申し上げます。ありがとうございます。
【2】 (15.6.12.発行 Vol.217に掲載) 風人
第51回定例会に向けて、2回目の咲読です。今号では、飛鳥光の回廊飛鳥資料館会場での点灯ボランティア活動について、書かせていただきます。
両槻会が飛鳥資料館会場の点灯ボランティアを始めて、次回定例会で4回目になります。私個人としては、光の回廊以前に行われたキトラ古墳展の折に参加しており、また飛鳥応援大使として飛鳥駅前を何度か手伝っていますので、光の回廊とのご縁も長くなりました。
まず、私達が取り組むのは、明日香村が一体となって行う「飛鳥光の回廊」というイベントのボランティア活動です。奈良公園で行われる「燈花会」に似た蝋燭の灯による仄かな明かりのイベントだと思っていただければ良いかと思います。主な会場は、私たちが担当する飛鳥資料館会場の他、高松塚公園、飛鳥京跡、石舞台公園、川原寺跡や各寺院がメインとなって、村中の道路やお店なども、それぞれに趣向を凝らした灯のモニュメントが作り出されます。蝋燭の総数は、2万本を超えると言われています。昨年の飛鳥資料館は3500本ほども使いましたので、その物量は他会場を圧倒していたことをお分かりいただけることでしょう。
さて、私たち両槻会は、飛鳥資料館に協力してボランティアとして活動をしていただく方々を募集しております。両槻会が、人を集め当日の進行も担当しますが、イベント自体は飛鳥資料館が行うイベントとなります。
さて、光の回廊の点灯ボランティアにご興味はあっても、いざ何をするのだろうと思われる方も多いと思います。具体的な作業は、分かりませんよね。皆さんにお願いする作業は、カップ蝋燭の配置と点灯なのですが、カップ蝋燭というのはこのような物です。大きさは、大ジョッキ程度と思っていただければ良いかと思います。
カップ |
このカップを並べて、私たちが光の地上絵と呼んでいる図形を作って行くことになります。でも、ちょっと待って!(笑) その前にもう一つ作業があります。それは、カップに転倒防止用の砂や土を入れなければなりません。会場の飛鳥資料館前庭は平坦ではありませんので、安定を考えねばならないのです。もちろん、風による転倒を防止するためでもあります。
カップに砂を入れて準備する人と、設計図に合わせて配置して行く人に分かれます。分担は、成行きです。人員が少ないと思う方を手伝っていただければと思います。
細かな模様を作る時には何度も修正を加えて行くのですが、手分けしながら前庭全体にも配置して行くことになります。以前は、グリッドと呼ぶ方眼を地面に描いていたこともあるのですが、今年はそのような細かな作業は無い予定です。
作業中の様子 |
地上絵を作成していると、自分が手掛けた模様には力が入ります。もちろん、炎天下の作業になりますので熱中症にも注意しながら、自由に講堂に戻って休憩していただけます。それぞれの体力に応じて、作業をしていただければと思っています。
カップを持って来て並べるという単純な作業なのですが、徐々に形が見えてくるあたりからは、物を作り出す喜びも感じ始めます。小さなお子さんにも十分にというか、とっても楽しんでいただけると思います。ただ、中学生以下のお子さんの場合には、親御さんのご同伴をよろしくお願いします。
蝋燭 |
さて、カップが置けると、全員で蝋燭をカップに落とし込んで行きます。細かな注意点は、作業の際にご説明しますが、なかなか根気のいる仕事になります。蝋燭は、左ようなイベント用の蝋燭です。 |
ここで、少し休憩を取ります。点灯が18時と決まっていますので、だいたい17時40分頃からの点灯作業に掛かります。例年は、9月中旬ですので、8月にはまだ日が高いかも知れませんね。調べてみると30分ほど昼の時間が長い様ですので、もしかすると点灯時間がずれるかもしれません。
ともかく、現時点では18時点灯完了の予定としておきましょう。点灯作業中には、このようなプレゼントが皆さんに贈られます。毎年、夕焼けがとても綺麗なのです。
夕景 |
さて、昨年、両槻会が作りました光の地上絵を見ていただき、今回の咲読を終えることにします。
2014年 光の回廊 飛鳥資料館会場
ページの「前の投稿」をクリックしていただくと、前日の様子も見ていただけます。
次号からは、2回ばかり ももが第1部の講演会に関して咲読を綴る予定です。
【3】 (15.6.26.発行 Vol.218に掲載) もも
毎度、横入りの もも でございます。(笑)今号と次号の2回は、ももが担当させて貰います。なぜ、急にσ(^^)が出てくるのか・・・勘の良い方なら既にお分かりかと。(笑)
第51回定例会の第1部として行う両槻会主催講演会では、飛鳥資料館学芸室 研究員の西田紀子先生にお話頂きます。講演タイトルは「飛鳥の古民家―飛鳥の甍に想いを馳せて―」。副題に「飛鳥の甍」とあります!甍、イ・ラ・カ!これは、もう瓦好きの出番でしょう♪(笑)。
「飛鳥の甍」は、昨年の飛鳥資料館写真コンテストのテーマでもありましたので、応募作品が一堂に展示された昨年の飛鳥資料館の夏期企画展「飛鳥の甍」をご覧になられた方も多いと思います。σ(^^)も観覧しましたが、来館者直接投票の用紙を持って、真剣に作品を選んでいる方々を沢山目にしました。(ちなみに、来館者直接投票最多得票者には、両槻会協賛の特別宝物が副賞として授与されました♪こちらも、人気なんですよ。^^)入賞作品は、現在も飛鳥資料館サイトに掲載されていますので、まだご覧になっていない方は、是非どうぞ♪
飛鳥の甍 飛鳥資料館第5回写真コンテスト
さて、甍と言えば瓦葺きの屋根。お寺さんであったり、民家であったり飛鳥の何処かの屋根の写真がメインになります。まさに鯉のぼりの歌のように、連なる屋根を風景と共に納めた写真もありました。そりゃ~、瓦ですからね。自然と被写体は屋根になりますよね。でもね、入賞作品の中でひとつだけ屋根ではない場所の瓦を撮られている作品があるんです。「甍の道」と名付けられ従二位を獲得した作品。雨を受けて光るこの瓦の道は、橘寺の西門前ではないかと思います。言われてみれば・・・と、実際にこの上を歩かれたことを思い出される方も多いと思います。
晴れの日の橘寺西門前の道 |
本来、瓦は木造家屋の雨仕舞のために屋根に葺かれるものですから、修理による瓦の葺き替えでお役御免になると、それこそ「瓦礫」と呼ばれてしまうわけですが、こんな風に地面の舗装に使われたり、築地塀にはめ込まれたりして再利用され、第二の人生(瓦生?)を送る瓦もあります。瓦は屋根だけには非ず。と、あちこち探すのも面白いです。
そうそう、肝心なことを忘れていました。今回講師を務めてくださる西田先生は、この写真コンテストを担当されていました。飛鳥遊訪マガジンにも「飛鳥の甍」としてご寄稿下さっています。
飛鳥の甍
西田先生は、コンテストの資料収集のために飛鳥を沢山歩かれたそうです。その成果は、夏期企画展で「飛鳥の甍」と題したパンフレットになりました。西田先生は、建築をご専門にされていますので、このパンフレットには、瓦屋根だけではなく飛鳥の色んな建物が見られる貴重なパンフレットになっていると思います。つまり、今回の講演会では、そういう視点でお話が進むであろう・・・と、σ(^^)は期待しています。^^
あら、昨年の写真コンテストを振り返るだけで、咲読一回分の文字数を費やしてしまいました。^^;次号では、少し違う「甍」のお話をさせて頂こうと思っています。
【4】 (15.7.10.発行 Vol.219に掲載) もも
今号の第51回定例会の咲読も、前号に引き続き もも が「甍話」をさせて頂きます。
さて、屋根の中に「甍」と呼ばれる部分があるのをご存知でしょうか。童謡 鯉のぼりで「甍の波」と歌われているように、瓦で葺かれた屋根や瓦を指すことが殆どの甍。実は、瓦葺きの屋根のとある部分だけをさして「甍」と呼ぶ場合があるようです。
古都散策などが趣味の方なら、一度や二度は目にされていると思います。でも、特に記憶には残らないかもしれませんね。だって、ただの屋根ですもん。。。。
瓦葺きの屋根には、棟と呼ばれる箇所が幾つかあります。建物の一番上の大棟、大棟から軒先へ向けて置かれる下り棟など、棟は熨斗瓦という平坦な瓦を積み上げて高さが出されているわけですが、ここに甍と呼ばれる部分があります。では、大棟に注目して、下の画像をご覧になってみてください。
橘寺西門(左)・安居院(飛鳥寺)東門 |
橘寺と飛鳥寺に違いがあるのがわかりますでしょうか。飛鳥寺の門は、高さを出すための熨斗瓦のみで棟が造られています。線が横に入っているように見えるのが熨斗瓦の列になります。一方、橘寺の門は、熨斗瓦の下に、軒瓦のようなものが一列に並んでいるのがお分かりになるでしょうか。この部分を「甍(甍瓦)」と呼ぶんだそうです。橘寺の門にはめ込まれているのは軒先に葺かれた瓦と同じように見えますが、甍用に小さい瓦が特別に作られることもあるようです。また、平瓦で工夫し「輪違い」「青海波」といった文様が組まれることもあるとか。
棟の高さが格を表すなんていうことが言われたりもしますので、お寺の中心となるお堂には高い大棟を持つものもあります。ただ高さを出すだけではなく、色々趣向が凝らされている様子もうかがえます。
本堂などの大きな建物よりも、σ(^^)は門などの小規模な建物でよく見かけられるように思います。σ(^^)が覚えている限りでは、橘寺は、東門に本堂や鐘楼も西門と同じようになっていたと思いますし、岡寺の山門も同様だったと思います。また、安居院の北にある来迎寺の門には、何やら人影が・・・鐘馗さんだという話もあるようですが、じっくり見たわけでもお話を伺ったわけでもないので、真相は分かりません。(^^ゞ
飛鳥ではないですが、法隆寺では西院から東院へと歩いていく両側の子院の門だけでも結構楽しめますし、奈良の元興寺の塔跡では、門の上でクネクネとウネル龍が見られます。(笑)
史跡元興寺 塔跡の門 |
飛鳥近郊でも、まだまだじっくりと探せば色々と見られると思います。特に、鴟尾や留蓋など道具瓦と呼ばれるこれらの瓦は、火災除け・魔除けの意味も込めて意匠を凝らした瓦が用いられている場合が数多く見られます。明日香村の小山辺りの民家も屋根を見上げて歩くだけで面白いと思います。そうそう、法然寺にもきっと何かありそうです。(笑)
と、ここまで書いてハタと気付きました。「飛鳥の甍」は、今回の講演会の副題であって主題ではない。つまりは、西田先生のしてくださる内容には、あまり関係ないのではないかと・・。スイマセン。^^;
でもまぁ、今回の主題である古民家と瓦は切っても切れない間柄にあります。いつ頃からでしょうか、古民家再生という言葉をよく聞くようになりました。古民家が作り出す町並みを保存しようという自治体もあるようです。時間と手間を掛けて風土にあうよう建てられた建物。そこには必ず趣のある甍の波がともにあると思います。古民家同様、これらにも興味を持っていただければ、瓦好きとしては大変うれしく思います。・・・って、再生時に瓦が葺き変えられちゃう可能性は大なんですが・・古い瓦はしょせん瓦礫。。。(T_T)
【5】 (15.8.7.発行 Vol.221に掲載) 風人
猛暑の8月に突入しましたね。飛鳥近辺では、とても暑い夏になっています。体温に近い気温になると、何をするにも気力を奮い立てないと出来ません。そんな中、気力を最大限にして、咲読に立ち向かっていますが、駄文を積み重ねるだけとなっています。m(__)m
第51回定例会は、お知らせしていますように3部構成になっているのですが、その第1部は講演会です。「飛鳥の古民家 -飛鳥の甍に想いを馳せて-」と題して飛鳥資料館学芸室研究員 西田紀子先生が講演をしてくださいます。
飛鳥は、地面の下ばかりに目が行きがちですが、地面の上も魅力的なものがたくさん有ります。他地域からお越しの方は、長閑な農村風景を日本の原風景だとか、思い描く故郷のようだと仰います。そこには、他地域では残ることが難しかった風景が守られてきたからなのでしょう。けばけばしい色合いの建物は無く、騒音もほとんど聞こえてきません。また、重要な遺跡も記録されると田んぼに返り、静けさを取り戻します。この様な事から、日本人が感じる故郷に近い景色を、飛鳥に感じることが出来るのかも知れませんね。
そんな風景の中には、古い民家が有ります。大和棟と呼ばれる独特の屋根の重なりを持つ民家、換気棟を持つ民家、茅葺の民家や、重厚な本瓦を葺いた民家などなど、多くの個性的な民家を上げることが出来ます。
個人が所有される民家ですので、あまり詳しくは書きませんが、大字 雷の土蔵と大きな母屋、豊浦、八釣、東山、檜前、上平田などに在る古民家の数々、あるいは奥飛鳥の各地にみられる独特な雰囲気を持つ民家群。これらは明日香村の外辺部に多く見ることが出来ます。
中でも、写真の背景としても多く使われている民家を紹介しましょう。
明日香村大字八釣 |
1月の花「ロウバイ」の写真の背景によく使われる民家がそれです。八釣のロウバイとして知られる場所で、夕日を撮るにも良い場所です。写真中央の民家がそれで、大和棟の特徴が良く出ているように思います。
大和棟というのは、Web辞書によると「奈良県・大阪府河内地方・三重県伊賀地方で行われた民家の一形式。急な勾配の藁葺(わらぶ)き屋根の両妻部分を瓦葺きにして、一段低く緩勾配の屋根を設けたもの。高塀造(たかへづくり)とも呼ぶ。棟の高い部分が主屋で低い部分が釜屋(くどや土間)で構成されている。」と説明されています。白壁が際立つ綺麗な建築ですね。
大字入谷にも多く残っているのですが、時代の変化でしょうか、現在トタン葺になっているお家も目立ちます。
明日香村大字入谷 |
今回の講演では、「近代和風建築」(明治以降の建築)が中心としてお話が進むものと思いますが、飛鳥には、もう少し古い民家も存在します。
飛鳥遊訪マガジン187号に、帝塚山大学教授 清水昭博先生が書いてくださいましたので、皆さんも思い出していただけるかと思います。
今からおよそ180年前(天保9年(1838)頃に活躍した、常門(じょうど)村(現在の橿原市一町)に住み、明日香村奥山付近にあった瓦屋・奥瓦嘉で働く瓦職人の新兵衛さんが作った鬼瓦を乗せた民家が有ります。それは、明日香村大字栢森の川沿いに所在します。
明日香村栢森 |
こちらの民家は、路面から家に入ると母屋や離れや土間が有るのですが、入口から見ると地下になる階下にスペースが有り、納屋のような使い方をされていました。一階部分は川に張り出していて、川沿いに地下階が有ります。集落の南に続く芋峠を越えると吉野に出るのですが、建物も吉野建と呼ばれる斜面を利用した建て方に似ているように思えました。狭いスペースを極力広く使う人間の知恵、現在なら川を暗渠にして塞いでしまったりするのでしょうか。そうではないところに、先人の知恵を見る思いです。
講演テーマから少し時代を下りますが、橿原市には文化財に指定されているものを含めて、古い住宅が残っています。次号では、参考資料として、それらを紹介していくことにします。
【6】 (15.8.21.発行 Vol.222に掲載) 風人
第51回定例会に向けての咲読も、今号で最終回となりました。定例会の準備も佳境を迎え、事務局は慌ただしい日々を送っています。
さて、今回は、江戸時代の飛鳥は、どの様であったかを考えてみたいと思います。飛鳥地域の大部分は、高取藩に属していました。藩主は前城主本多政武に世継ぎが無かったため徳川家譜代の臣であり幕府の大番頭であった植村家政が藩主となりました。植村家は、明治の廃藩置県を迎えるまで藩主を務めています。石高は、2万5千石です。
飛鳥の川原村は高取藩には属さず、旗本 神保氏領となっていたそうです。また、越村も、変遷はあるものの高取藩には属していなかったようです。
領主である植村家は、石高の合計で4~5000石を基準にして大庄屋を設け、その下に庄屋が村ごとに置かれる体制をつくり、農村を支配していました。江戸時代の前半の飛鳥では、岡組と言われる岡村の庄屋を大庄屋としていましたが、後半は八釣組がその役を担っていたようです。また、飛鳥の南部(阿部山・大根田付近から橘・野口辺りまで)は土佐(現高取町)組に組み込まれていました。
文久3年(1863)の八釣組は、24ケ村であったそうです。この大庄屋さんのお屋敷が、前号で紹介しました八釣の古民家なのです。
八釣の古民家 |
江戸時代が後半になると、世の中が落ち着きを持つようになります。人々は、寺社への参詣や霊場巡りのために大和を訪れる人が増加してきます。また『大和名所記』『和州巡覧記』『和州名所図会』などの刊行が、それに拍車をかけることになりました。
飛鳥でその中心となったのが岡寺です。「西国巡礼第七番霊場」として、第六番霊場の壺坂寺から、第八番霊場の長谷寺へと向かうルート上にありました。また、吉野から芋峠、竜在峠を越え多武峰を経て飛鳥へ向かう人も増加していきました。
史料に見る江戸時代の岡村の様子です。
天明3年(1785)、2軒の造酒屋がありました。
文政13年(1830)、「米屋」(4軒)・「薬屋」(3軒)、「葛屋」・「中屋」・「車屋」(各2軒)、「樽屋」・「横屋」・「傘屋」・「面堂屋」・「醤油屋」・「きぬや」・「まんじゅうや」・「はりまや」・「蕎麦屋」・「色屋」(各1軒)の屋号を冠する家が存在していました。面堂屋さんは、今、食堂をしている「めんどや」に繋がるかも知れません。
江戸時代後半には、7・8軒の旅籠屋が存在していました。
天保13年(1842)には、「薬屋源太郎・かせや平兵衛・玉木屋清五郎・花屋平四郎・京屋幸助・車屋嘉兵衛・玉家清右衛門がこれを営んでいたが、旅客の獲得をめぐる争論が起こった」との史料が残っています。
嘉永4年(1851)には、「質屋・古手古鉄古道具渡世」を営む家が9軒、同じく「古手古鉄古道具渡世」が8軒、「荷次渡世」が1軒在ったそうです。質屋さんが多いですね。豊かでなかったことを示しているのでしょうか。
また、『西国三十三所名所図会』には、以下のような文章が掲載されています。
「南ハ多武峰・よしの、西は橘寺へ四丁、壺坂道、北ハはせ・伊勢かいどう、かくのごとく四方ともに名所なれば、此所に宿りて便宜ゆへ旅人多くはここに帯留す。旅舎端麗にして至って賑はし」
顕著な特産物もなく、飛鳥の各村は決して豊かではなかったようですが、岡村の一角だけは賑わいを見せていたようです。
岡村に次ぐ戸数が在った飛鳥村にも、1軒の宿屋が在りました。今に残る文章によると、飛鳥坐神社のすぐ近くであったそうです。
また、他にも嘉永5年(1852)、呉服屋・紺屋が各2軒、宿屋兼鍛冶屋・呉服屋兼醤油屋・質屋・荒物屋・機織屋・多葉粉屋・豆腐屋が各1軒、「御職人」が1軒存在しました。(御職人=おしょくにん・藩に召し抱えられた職人)
飛鳥坐神社に向かう東西の道路や岡の道路沿いには、昔を偲ぶ古民家が軒を連ね上記の面影を訪ねることが出来ます。飛鳥時代ばかりではなく、近世も面白いかもしれませんよ!是非、飛鳥を歩いてみてください。
次号より、第52回定例会の咲読が始まります。またまた風人が担当しますが、よろしくお願いします。
|