両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



第37回定例会レポート


謎の石切場を訪ねる
-石舞台古墳の石材採取場か?-


この色の文字はリンクしています。

第37回定例会資料
2013年3月2日


くつな石へ

 早春とは名ばかりの、冬に逆戻りしたかのような寒い朝。桜井駅南口に、初参加者7名を含む、30名程が集まりました。受付では、事務局作成のカレンダーや絵葉書と引き換えにカンパを募ったのですが、たくさんの方に温かいご支援をいただきました。ありがとうございます。

 この日は雨こそ降っていなかったものの、曇ったり晴れたり雪が舞ったりと、コロコロ変わる天候。その上、冷たい北風がビュービュー吹き荒ぶという、寒がりの私にとってはまるで修行のようなウォーキングでした(笑)。

 9:25発のバスで談山神社に向かい、どんよりとした曇り空の下、ウォーキングスタート。


 神社の西門跡のところにある、弥勒石仏を見学します。もとは飛鳥にあったという伝承がありますが、銘によれば13世紀の造像のようです。(第37回定例会資料ページ)

 ここから5分ほど歩き、民家の裏にある「春井」を見に行きました。

春井への道
(私有地につき、許可を取って入らせて頂いています。)
 
 雨にぬれた叢の中に、「聖徳太子御誕生水春井」と刻まれた石碑が建っており、その横にちょろちょろと水が湧き出ているところがありました。


春井の碑

 太子の産湯に使われた井戸跡といわれているそうですが、場所柄、一般的にはあまり知られていないところなので、皆さん「飛鳥で生まれたとしても、どうしてわざわざこんなところまで産湯を使いにきたんだろう?」などと興味深げに見学していました。(第37回定例会資料ページ)


 このウォーキングは、本来なら山道をメインに歩く予定だったのですが、前日の強い雨で足場が悪くなっていたため、車道を歩いていくことになりました。とはいっても、時折車が通るくらいで交通量はさほど多くありません。その道の途中に、稲淵のあたりを見下ろす、展望のひらけたスポットがありました。
 あいにく曇っていたため、彼方の山々は霞んでいましたが、すぐ眼下にはミハ山と麓の集落が見下ろせました。

 山道や獣道ではなく、舗装道路を歩くなんて両槻会らしくない…と思われそうですが、それでもたずねる場所はどこもマニアック。山道へ入っていかなければ行けない場所にもちゃんと行きます(笑)。


山道へ(笑)

 20分程歩くと、木立の向こうにきれいなお堂が見えてきました。入り口のところに、この定例会のタイトルにもなった「石切場」だったのではないかと想像させる、人工的に切り取った跡が認められる大きな石がいくつかありました。


 上(かむら)に所在するこのお堂は「長安寺薬師堂」といわれ、私も名前だけは見たことがありました。というのも、2年位前に万葉文化館で催された「大飛鳥展」という企画展で、ここの薬師如来像が展示されているのを見たからなのですが、初めて聞く寺名に「どこだろう?」とずっと気になっていました。同じ展示を見た事務局長の風人さんが、その後探し出したそうです。自他共に認める飛鳥通の風人さんでさえ知らなかったような山奥(?)にひっそりと建つお堂。隙間から堂内をのぞいてみましたが、真っ暗で何も見えません。もっとも、内陣は閉まっているためご本尊を見ることはできないそうですが…。
 この薬師如来は、藤原鎌足の子・定恵の作だという伝承があったり、この場所で鎌足を祀る講が行われるということから、多武峰との深い関係が窺えます。(第37回定例会資料ページ)


 その薬師堂からさらに、雨でぬれた地面や草、伸びてきた小枝などの障害物にも負けず奥へ上っていくと、「不動の滝」がありました。(第37回定例会資料ページ)
 滝の横には不動明王が彫られた岩があり、行場ではないかとのこと。
また、先の薬師堂と同様、加工痕のある巨石が散在しており、石舞台古墳の石材を切り出した石切場か?と咲読でいわれていた仮説(?)にも納得しました。
 ちなみにここは、河瀬直美監督の映画「朱花の月」のロケ地でもあるそうです。


 ここから気都和既神社に向けて下っていく途中に、細川谷古墳群の中のいくつかがあり、そのうち上(かむら)2号墳を見学しました。


移築された上2号墳

 石室は、本来あった場所から移築されているとのことですが、入り口が狭いため、数名ずつ順番に中に入って見学。室内に入ると、片袖式の構造であることがよく分かります。
 石室の中は風が遮られてほっとしたのですが、全員が見終わるのを外で待っている間も冷たい風は吹き続け、とにかく寒くてたまりませんでした^^;
 同じ道筋に1号墳や3号墳もあったそうですが、今は消滅しています。「あの辺が○号墳です」という風人さんの説明も、寒さで上の空(ごめんなさい…)>_<; (第37回定例会資料ページ)


細川谷

 雪が降ったりやんだりする中、以前の定例会でも訪れたことのある気都和既神社に到着。参加者の方も言われていましたが、前に来たときはもっと鬱蒼としたところだったと記憶していたのですが、この日はずいぶん明るく感じられました。 (第37回定例会資料ページ)


 この神社はもとは「ケツワキ」と発音していたそうですが、現在は「キツワキ」と呼んでいます。所在地の「茂古森」という地名は、乙巳の変で斬られた蘇我入鹿の首に追いかけられた藤原鎌足が、「ここまで逃げればもう来ぬだろう」→「もう来ぬ森」→「もうこの森」となったという伝承に由来しています。


 境内隅にある石は、その際鎌足が腰掛けたということですが、それらしい石が2つあり、「どっちだろう?」「こっちのが腰掛やすいんちゃう?」などと言いながら、しばし鎌足ごっこ(笑)。

 神社を出て石舞台古墳へ降りていく途中、風人さんが「今から面白いものを見ていただきますのでリアクションの準備をしておいてください」というので、何だろうと思っていると、右手の高くなった田んぼの中に、古墳らしき石が積み上げられているのが見えました。


 「その辺から撮るとバックに二上山が入ってベストアングルですよ」という風人さんのアドバイスに一行は素直に従ってその石を撮影。


試みの石舞台古墳と二上山

 風人さんによれば、「石舞台古墳を作るときに、さっき行った石切場から石材を運んできてここで試しに作った、『試みの石舞台』(by風人さん)」とのことですが、どこまで本当なのかよくわかりません(笑)。
「どういうこと?」と思っていると、種明かしをしてくれました。
 なんと、角度を変えてみると、ただの小屋の一部!古墳ではありませんでした。いかにもそれくさい(?)解説の後にこのオチ!(笑)


古墳もどき

 さらにもう一箇所「古墳もどき」を遠くから眺め、上居の立石を通り過ぎて13時前に昼食休憩場所の石舞台南休憩所に到着しました。
 寒さに凍えながらのランチでしたが、ジョンスさんから梅ヶ枝餅、アジクさんからあすかルビーの差し入れをそれぞれいただいたり、恒例の(?)おやつ交換会でしばし和みます。

 休憩後、ここから第2部。
 まずは昨年1月の定例会のテーマでもあった坂田寺跡へ。


 伽藍の方角が振れているので分かりにくいのですが、初めて来たときよりは堂宇の位置関係がイメージできたように思います。 (第37回定例会資料ページ)

 そして、後で訪ねる「くつな石」のプロローグとして阪田葛神社を見学しました。


 私はその存在自体初めて知ったのですが、そういう方も多かったのではないかと思います。雨乞いに関連する神社のようで、本来は水神信仰に基づき九頭竜が祀られているそうです。藁を蛇の形にして飛鳥川に浸すという雨乞いの儀式があったそうですが、次に訪れた「くつな石」の「くつな」とは、「くちなわ=蛇」が転訛したものといわれています。(第37回定例会資料ページ)

 そのくつな石へ行く途中、面白いダムがありました。


 風人さん命名「ワンコダム」。なるほど、どうみても犬にしか見えない!つい見入って足を踏み外さないよう注意しながら石橋を渡り、なにやら怪しげな雰囲気のする場所へ…1人では来れないところだな~と思っていると、鳥居や榊で丁寧に祀られた巨石が建っていました。これが、「くつな石」です。


 昔、石屋がこの石を切ろうとしたところ、割れ目から血が流れて蛇が現れ、その夜、石屋は苦しみの果てに亡くなってしまった…という蛇の祟り伝承があるそうです。石の上の木にぐるぐる絡みついた枝が蛇のように見え、おどろおどろしい伝説と鬱蒼とした雰囲気に思わず「蛇の魂?」などと言いあいながら眺めていました。 (第37回定例会資料ページ)


 くつな石から車道に出た向かいに展望の良いスペースがあり、ここから大阪方面を見渡しました。晴れていれば阿倍野ハルカスも見えるそうですが、やはりこの曇り空では展望はいまいち…辛うじて、信貴山系や二上山が見える程度で、少し残念。

 その後、家型石棺のある都塚古墳を見学して、再び石舞台南休憩所に戻り、休息タイム。
 (第37回定例会資料ページ)

 第3部のスタートは、島庄遺跡西部地区と東橘遺跡の解説から。


画面中央左方の大屋根が橘寺

 定例会で相原先生が講義してくださった島庄遺跡のお話を思い出しつつ、田畑が広がる風景を眺めました。「あのビニールハウスのあるところが正殿で…」などという話を聞いていると、何もない目の前の景色の中に、飛鳥時代の風景が浮かんでくるような気がしました。 (第37回定例会資料ページ)

 橘寺では、境内南側の塀の外からジョンスさんの解説を聞きながら覗き見(爆)


 その後は、両槻会には珍しく、飛鳥王道観光コースめぐり(笑)。このころには天気もすっかり晴れて、明るい日差しが照ってきました。


亀石に残る矢跡

 おなじみの亀石、鬼の雪隠・俎板、欽明天皇陵、猿石…その途中でも、地面の下の遺跡に注目するあたりは、やはり両槻会。今はレンタサイクル店になっていますが、その場所で飛鳥時代のメインストリートの交差点が検出されているそうです。 (第37回定例会資料ページ)


川原下ノ茶屋遺跡(飛鳥時代の交差点)

 東京でいえば渋谷?大阪でいえば梅田?名古屋なら栄?京都だったら四条河原町?…といったところでしょうか。


カナヅカ古墳(左方の緑の墳丘)

 また、鬼の雪隠と、欽明天皇陵の間にあるカナヅカ古墳は、見に行く人はあまりいないようですが、私も知りませんでした。
 欽明陵は、ただ巨大なだけでなく、より大きく見せる工夫があったのだそうです。飛鳥の玄関口である場所に所在すること、南側の墳丘が1段高いこと、周濠も南を広くしていることなどがそれにあたるそうですが、そういうことも聞いてみないと眺めているだけではなかなか分かりません。 (第37回定例会資料ページ)


 予定時間の5分前にゴールの飛鳥駅に到着。タイムキーパー担当としては、ほっといたしました。

 3月とは思えないほど、とにかく寒い1日でしたが、定例会の宣伝フレーズ(?)にもあったとおり、所々で梅がきれいに咲いていて、これだけの寒さでも暦通り春はちゃんと来ているんだなという実感が、楽しい思い出とともに心の中を温かくしてくれたように思います。

 ※各場所の薀蓄については、咲読資料に詳しく書かれていますので割愛させていただきました。そちらもあわせてご覧ください♪


くつな石からの下り道から 甘樫丘

レポート担当:yukaさん  

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第37回定例会資料



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