両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



地理編



 添付地図を参照ください。クリックで別窓が開きます。


問29 大字稲渕の男綱付近から大字平田に抜ける峠までの道を俗に何と言うでしょうか。

    1: 棚田ロード   2: 案山子ロード   3: 奥飛鳥ロード   4: 飛鳥川ロード

 稲淵(いなぶち)の棚田をめぐるのどかな野道です。8月の下旬から逐次この道沿いに案山子が設置されます。棚田を守るオーナー制度に参画する方々が、毎年、その年のテーマに適った力作案山子を製作されています。そして、飛鳥が彼岸花祭りに賑わう頃に案山子のコンテストも行われ、その年の優秀作品が訪ねた人たちの投票によって決まります。

 初秋の風が吹き始めると、棚田と彼岸花と案山子を求めて多くの人がこの道歩きを楽しみます。この道の中ほどにはシンボルとなる巨大なジャンボ案山子が逸早く設置されますので、遠くからでもこの案山子ロードを確認することができます。
 案山子ロードに咲く春の菜の花やレンゲも、飛鳥の見所の一つとなってきています。
 第四回定例会では、彼岸花の咲く案山子ロードを歩く予定です。




問30  甘樫丘の標高は何メートルあるでしょうか。

      1: 120.6m  2: 147.7m  3: 168.3m  4: 200.2m   

 よく似た標高の数字が並びますから、これはかなり難解です。だれも山の高さの正確な数字までは覚えていないでしょうから、おおよその高さの基準として考えられるのは甘樫丘から眺める大和三山の高さです。いずれも200mにはとどきません。

 三山の高さは、畝傍山が一番高く198.5m、香久山が152mで、意外に耳成山は139mしかありません。この耳成山より甘樫丘が高いと感じるか、低いと感じるかです。おおよそ150mぐらいと見当がつけば、正解ですね。

 飛鳥地域の地形は、大まかに南に高く、東に高い地形になっています。 独立した山である耳成山は高く見えるのですが、立地の海抜が低い位置にあるため、肉眼で感じるよりは低い標高になります。耳成山付近と飛鳥石舞台付近では、約100mの標高差があります。



問31  飛鳥地域には、読みの難しい地名があります。 「上居」を読んでください。

      1: じょうきょ   2: うえい   3: じょうご   4: うわい

 
 石舞台古墳の東側山手あたりの大字名です。冬野川に沿って隣接する細川の大字に向かって少し上ってゆくと、左手に飛鳥の境界石とも言われる謎の石のひとつがあります。この石は大字名をとって「じょうごのたついし」と呼ばれています。
 地名というのは振り仮名でもないかぎり、地元の方でないと、どう読むのか分かりません。

 この上居を上宮ととって、聖徳太子ゆかりの上之宮のあった場所だとする説もありました。



問32  「尾曽」を読んでください。

      1 :おそ    2: おぞ    3: びそ    4: おおそ

 冬野川に沿って上ってゆくと右手の川向に大きな二基の灯篭が見えてきます。この灯篭から尾曽の集落内にある毘沙門天にお参りする参道があり、標高400メートルほどの山間の集落に至る旧道です。今はこの旧道とは別に立派な車道が敷かれています。

 数えるほどしかないわずかな戸数のこの小さな集落に、威徳院(いとくいん)という真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の立派な寺があります。寺の境内には、古代飛鳥の権力争いの犠牲となった多くの霊を救う「飛鳥先住霊観世音菩薩」が建立されています。

 川を挟んだ向かいの藤本山から眺めると、尾曽(おおそ)の集落は、ぽっかりと天空に開けた村のように見えます。
  
 旧道は、かなり急峻な道路です。現在の道路が敷設されるまでは、行き来すら大変であったろうと想像されます。 天空の村と名づけたその景観は、第4回定例会でご覧になれます。

  ( 参考  天空の村  奥飛鳥の隠れ里



問33  「高家」を読んでください。   

      1: たかいえ   2: たいえ   3: こうけ   4: こういえ

 これも難読地名のひとつです。高家と書いて「たいえ」と呼ばれています。高い家(たかいいえ)が転じて「たいえ」となったのかと勝手に想像してしまいます。この高家の高台からは、向かいの金剛、葛城、二上山に沈む夕日の絶景を眺めることが出来ます。

  (参考  八釣山麓高家の里から望む明日香夕景

 高家は、桜井市に属します。 この地には、万葉集の歌などから、天武天皇の皇子舎人皇子(とねりのみこ)の邸宅が在ったとも伝えられます。
 

 巻9−1706
 ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手を 高屋の上に たなびくまでに
 意訳】漆黒の夜に夜霧が立っている。高屋の上に長く長く棚引くように。

 ぬばたまの は、夜 を呼び出す枕詞、衣手 も 高 を呼び出す枕詞だとされています。
枕詞は特に訳す必要のないものだといわれますが、語調を整えたり言葉に重み深みを出すには、必要だと考える方がいいかもしれません。

 4句目にある「高屋」が「高家」だと言う説があり(単に高台・高楼とする説もある)、恋の嘆きを詠ったとも単なる風景描写だとも言われています。

 天武天皇の皇子の中で一番の長寿は、この舎人皇子になります。 事績としては、日本書紀の編纂事業の長であったことや、聖武天皇の皇太子時代の補佐役にも任命されていました。 子供には、大炊王(おおいおう)(後の淳仁天皇 じゅんにんてんのう)がいます。 子供が即位しているにも係わらず、草壁皇子(岡宮天皇)や志貴皇子(しきのみこ 春日宮天皇)のように天皇の称号を追号されなかったのは、淳仁天皇が廃帝となったためであろうと思われます。



問34  「上」を読んで下さい。

      1: うえ    2: じょう    3: かむら    4: あがり

 冬野川の上流に位置する地名で「かむら」と読みます。談山神社から飛鳥に下るハイキングコースを下りてくるとこの上(かむら)の里に出ます。
 この山から下りてきて直ぐのところに、気都和既(きつわき)神社という蒼古とした杜に囲まれた社が鎮まっています。大化の改新(乙巳の変)で蘇我入鹿を討った中臣鎌足が入鹿の首に追いかけられ、ここまで逃げてきて「もう来ぬだろうと」と安心をして腰を下したという石が残され、神社の杜は「もうこの森」と呼ばれています。
 蘇我入鹿を討って、後に藤原一族繁栄の礎を築き上げた鎌足一族への怨念が、もうこの森に複雑にくねる藤の蔓に見る思いがします。

 上(かむら)は、上村(かみむら)から転じたものだとも言われます。



問35  甘樫丘豊浦展望台から北西方向を見て、一番右に見える大和三山はどれでしょう
      か。

      1: 耳成山  2: 香久山  3: 畝傍山  4: 三輪山

 この設問は少し分かり難いかもしれません。「北西方向を見て」という表現に惑いそうですが、要するに大和三山のうち一番右手に見える山のことですので、正解は「香久山」になります。甘樫の豊浦展望台から俯瞰して見ると、香久山は、畝傍山や耳成山に比べると、山容の独居性が定かでありませんから、他県からの観光ガイドさんも、ときどき、どれだったか迷っていることがあります。

 なお、歴史的な表記としては「香具山」、現在地名としては「香久山」と書かれるのが一般的です。

  ( 参考  大和三山秋景色 )



問36  真神原の東に見える万葉展望台とも言われる山の名前を次から選んでください。

      1: 甘樫丘   2: 音羽山   3: 弓月ヶ岳   4: 藤本山

 飛鳥を見下ろす万葉展望台には、談山神社の西門から容易に辿り付けます。この展望台のある「藤本山」からの眺望はすばらしく、眼下には飛鳥の中心部の真神原(まがみはら)が一望でき、飛鳥を取り巻く北から南への山並みが見渡せます。
 左手方向には、棚田の広がりも眺望できます。また、設問32の「尾曽」の集落が、この藤本山から眺めると、まるで天空の村のように、谷を挟んだ向かいの山中にぽっかりと開けているのが見届けられます。 
 第四回定例会では、その様子をご覧いただけます。ご期待ください。

 ( 参考  万葉展望台U 藤本山 )

 甘樫丘は、改めて説明の要はありませね。 
 音羽山(おとわやま)は、桜井市と宇陀市を分ける山です。 
 弓月ヶ岳(ゆづきがだけ)は、青垣の山の一つの古名で、三輪山の北にある巻向山(まきむく)の最高峰付近を指すようです。(由槻が嶽)神聖な槻の木があったとする説もあるようです。 (巻向には山頂がふたつ。西が565m)

 弓月ヶ岳は、万葉集に3首詠まれています。

 7-1087  穴師川(あなしがわ)川浪立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立てるらし
 7-1088  あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる
 10-1816 玉かぎる夕さり来ればさつ人の弓月が岳に霞たなびく



問37  明日香村を流れる河川の問題です。村内を流れていない川または水路は、次の内      どれでしょうか。

     1: 高取川   2: 曾我川   3: 吉野川分水   4: 八釣川

 明日香村を流れる河川・水路としては「飛鳥川」「吉野川分水」は誰の目にもつきますので、問題外ですし、「八釣川 やつりがわ」もその地名から明日香村を流れていることは直ぐに分かりますね。問題は「高取川」と「曾我川」です。高取川は飛鳥駅の直ぐ傍を流れていますので、この河川は明日香村をわずかですが掠めて流れています。曾我という名称から、なんとなく明日香村を流れているようにも思えますが、この河川は橿原市を流れています。

 曽我川は、蘇我氏の本拠地とも言われる橿原市西部の曽我町を流れ、近鉄真菅駅付近では宗我坐宗我都比古神社(そがつひこじんじゃ)の近くを北上して行きます。 上流は吉野口あたりを流れる重阪川(へいさかがわ)で、下流は広瀬川と合流した後、大和川となります。

 宗我都比古神社は、入鹿の宮とも称されることもあるようですが、一説には推古天皇のころに蘇我馬子が武内宿禰と石川宿禰を祀って神殿を蘇我村に造営したとする伝承もあるようです。現在の祭神は、ソガツヒコ・ソガツヒメの二神とされています。 

 真菅よし 宗我(そが)の河原に 鳴く千鳥 間なしわが背子(せこ) わが恋ふらくは 
 巻12−3087 

 ま菅よし=曽我の枕。 間なし=絶え間がない。

曽我川 宗我坐宗我都比古神社



問38  明日香村が、村境を接していない市町村は次の内どこでしょうか。

      1: 吉野町  2: 橿原市  3: 御所市  4: 高取町

 これは比較的分かりやすい問題ですね。 御所市と明日香村の間には高取町が入り込んでいますので、御所市とは隣接していません。吉野町とは南東部の奥飛鳥の里「栢森(かやのもり)」で隣接しています。 飛鳥から吉野に抜ける芋峠は、明日香村、高取町、大淀町、吉野町の町村域の分岐点になっています。  

 明日香村は、他には桜井市と境界を接しています。 

  ( 地図参照 )


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