両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪

【問61~問80】

問1~20 問21~40 問41~60 問61~80 問81~100 飛鳥概略図 解答一覧

解説ページ中の「緑色の文字」は、参考ページにリンクしています。
解説ページ中の
「赤色の文字 」は、正解を表します。



 飛鳥地域北部概略図(クリックで別ウィンドウが開きます)を見ながら、以下の4択問題にお答えください。

問61   9番は中世城郭跡です。何城と呼ばれているでしょうか。
                                 (飛鳥地域北部概略図番号照合表

      1:飛鳥城   2:岡城   3:雷城   4:小山城

 飛鳥地域は、飛鳥時代の遺跡・史跡群で知られていますが、中世の飛鳥の様子はあまり知られていないのが現状です。
 飛鳥地域の中世は、複雑な勢力争いの中にあったようです。南北朝の争いや、興福寺と多武峰の争い、越智氏や十市氏、また筒井氏などの勢力争いにより、混沌としていました。


飛鳥城(西から
 飛鳥地域にある中世城郭は、小丘陵上に造られた規模の小さなものが多く見られます。城郭は、大字に一つほどの割合であり、飛鳥城の他には、雷城・岡城・野口植山城・野口吹山城・奥山城などがありました。おそらくは、在地の勢力によって築かれたものだろうと思われますが、越智氏勢力の前線基地であったのかもしれません。

 若干規模の大きなものとしては、小山氏の小山城が上げられます。なお、発掘調査が行われたのは、雷城だけに止まっており、その実態は良く分かっていないのが現状です。

(参考資料:飛鳥における中世の城郭(雷城図)
(参考:第2回定例会 埋もれた古代を訪ねる 野口吹山城・野口植山城 )




問62   26番には飛鳥の謎の石造物の一つがあります。次の内のどれでしょうか。
                                 (飛鳥地域北部概略図番号照合表

      1:出水酒船石   2:弥勒石   3:岡の立石   4:くつな石

 この石造物は、信仰と親しみを込めて、地元では「ミロクさん」と呼ばれ、下半身(特に女性)の病気が治ると伝えられていますが、この石造物が元々は何であるのかは不明です。

 石造物の所在が、小字木ノ葉であることから飛鳥川に作られた「木ノ葉堰」の水門に用いられていた石材の一部とする説や飛鳥時代の橋脚の一部とする説の他、条里制の境界を示すものとする考えもあるようです。
 また日本霊異記には、飛鳥寺の「道場法師が100余人して引く石で川をふさぎ、寺田に水を引いた」話があります。その話を受けたものだと思われますが、江戸時代に書かれた「飛鳥古跡考」には、弥勒石のある場所を「道場塚」と呼んでいたと書かれています。
(参考:第10回定例会事務局員発表レポート 
              元興寺の鬼と弥勒石

 民間伝承としては、「飛鳥川の中に有難い石があったので、村人が引き上げて祀った」、あるいは、「飛鳥川の中に大きな仏さんのような石が挟まっているのを村人が見つけ可哀想に思って引き上げて祀った」とされているようです。その日が8月5日であったため、今日もその日にお祭りが行われるということです。
(参考資料:日本霊異記上巻

 1の出水酒船石は、現在飛鳥で本物を見ることは出来ません。(レプリカは飛鳥資料館前庭にあります。)飛鳥浄御原宮に付帯する「白錦後苑」ともされる飛鳥京跡苑池遺構の近くから発見されており、苑池に水を導入する際の石造物の一つだったと考えられています。

 3の岡の立石は、岡寺の北側山中にありますが、その山道が通行止めになっているために、現在は見学することは出来ません。自然石だと思われますが、山中の傾斜地に忽然と立っています。見える部分で、高さ2mくらいでしょうか。他の立石と呼ばれる物と比べると、大きい方だと言えます。自然に在るものか、人為的に立てられた物かを含めて、不詳の石としか言えないものです。

 4のくつな石は、大字阪田の南東山中にあります。「くつな石」と呼ばれ、石屋がこの大きな石を切り出そうとノミを打つと、割れ目から赤い血が流れ出し、傷ついた白い蛇が現れたという伝承があります。実際には、この石は雨を司る「オカミ(龗)神」として、タカオカミ(高龗)を祭神とする神社の磐座だと思われます。現在では阪田集落近くの葛神社に併合されています。「くつな」は「くちなわ(=蛇)」の転訛であろうと思われます。

(参考:第10回定例会事務局員発表レポート 飛鳥の謎の「立石」について
(参考:飛鳥の石造物
(参考:飛鳥検定解説集 観光編問70)


出水の酒船石
(奈良文化財研究所の掲載許可取得済み)

岡の立石

くつな石





問63   30番にある石造物は次の内のどれでしょうか。

      1:亀石   2:亀形石造物   3:二面石   4:猿石
                                 (飛鳥地域北部概略図番号照合表

 2000年に行われた発掘調査によって、酒船石の北側にある谷筋から、大規模な石段遺構や石垣・石敷遺構と共に、水に関連すると思われる一連の石造物が発見されました。
 花崗岩で作られた亀形石造物は、全長約2.4m、幅約2mで、頭と尻尾と足が作り出されています。甲羅部分は、直径1.25m、深さ20cmにくり抜かれており、頭の部分の穴から水が流れ込み、ある程度の水位を超えると、尻尾の穴から流れ出すようになっていました。

 また、尻尾に栓をすることで水を溜めることもできるようです。亀形石造物の南には小判形石造物がありました。長さ1.65m、幅1m、深さ20cmで同じく水が貯められるようになっており、排水口は亀の頭に繋がっていました。これらの石造物の先(南)には、木樋で繋がれていたと思われる湧水施設があり、砂岩の切石に囲まれた給水システムを作っています。


砂岩石列
 この調査に先立つ1992年には、酒船石の北の斜面で石垣が発見されており、日本書紀の斉明天皇の時代に記述される「宮の東の山に石を累ねて垣とす。」に該当するものであることが分かっています。(参考:第五回定例会 両槻宮をめぐる諸問題レポート

酒船遺跡復元模型
飛鳥資料館ロビー模型より
奈良文化財研究所の撮影および掲載許可取得済み。
 酒船石を含め、これらが一連の施設であるかどうかは断定出来ないようですが、何らかの公式な祭祀に関わる遺構だと思われます。尚この遺構は斉明天皇の頃に造られ、平安時代までの約250年間に渡って維持されていたことが分かっています。

(参考資料:
   酒船遺跡・飛鳥池遺跡参考図

 1の亀石は、橘寺の西に在りますが、史跡としては川原寺に属します。
 3の二面石は、橘寺の境内にあり、善悪二相の顔を表すとされています。
 4の猿石は、吉備姫王墓に4体が並びますが、本来の使用目的などは不明なままです。




問64   23番の遺跡は次の内のどれでしょうか。
                                 (飛鳥地域北部概略図番号照合表

      1:奥山久米寺跡(7番)     2:八釣マキト古墳群(23番)
      3:雷丘北方遺跡(1番)     4:飛鳥池遺跡(24番)

 八釣マキト古墳群は、八釣東山古墳群のマキト支群と呼ぶのが正確です。農地整備にともない、1999年に発掘調査が行われています。全部で5基(八釣東山古墳群全体で7基)の古墳が確認されており、6世紀中頃から7世紀前半かけて尾根筋上に造られているようです。


マキト1号墳
 これらの古墳の内、1・4・5号墳が移築保存されています。中でも飛鳥資料館の中庭に移築された5号墳は、最も大きな墳丘で、径22mの円墳です。6世紀後半に築かれ、両袖式石室を持ち、玄室長4.1m、玄室幅2.1mを測ります。また、1号墳と4号墳は、本来の場所から西に100m程度移されて、小公園として再築されています。4号墳(7世紀前半)は、玄室の長さが77cm、幅55cmの小石室で、改葬したものであったのかも知れません。1号墳は、直径約18mの円墳で、右片袖式石室を持っています。玄室は長さが3.55m、幅が1.6mを測ります。これらの3つの古墳は、ともに天井石を失っています。
 古墳からは、金環やガラス小玉、銀製空玉、雲珠などの馬具が出土しています。副葬品は、明日香村埋蔵文化財展示室に置かれています。

マキト5号墳出土馬具
(明日香村埋蔵文化財室展示品・掲載許可確認済)
 被葬者は、可能性として、中臣氏(藤原氏)の名があがっています。中臣氏に関連の深い大原の里が近いためだと思われます





  以下は、4択問題です。

問65   飛鳥の猿石と呼ばれる石造物が吉備姫王墓とされる墓域に4つ並んでいますが、 一番南端にある石はなんと呼ばれているでしょうか。

      1:法師   2: 男   3:山王権現   4:女

  

 吉備姫王墓にある4体の猿石は、北から、女・山王権現・僧(または力士)・男と呼ばれています。江戸時代欽明天皇陵の南にある字イケダの田から五体の石造物が掘り出され、そのうち一体は高取町土佐の寺に、残る4体がこの地に移されたとあります。


人頭石
 この土佐の寺に移されたのが、現在、光永寺にある人頭石だと伝えられています。当初欽明天皇陵の前方部南側に置かれていたものが、明治初期の陵の整備工事に伴い現在地に移動されたと思われます。4体の内、女・山王権現・男には背面にも彫刻が施され、僧に関しては、底面に直径30cm、高さ13cmの凸部が作り出されていて、他の物に差し込んで設置されていた可能性が指摘されています。(背面は、飛鳥資料館前庭の復元石造物で確認出来ます。)また、光永寺の人頭石には頭部に手水鉢様の加工があります。

 これら猿石の用途は、道祖神説・石の埴輪説・平田キタガワ遺跡の庭園遺構に付随する石造物説などがあります。
 字イケダから出土した5体の石造物。その中には、凸部と凹部を持つ可能性のものがあること、道祖神など一方向から見られることを想定した場合無意味に思える背面にも彫刻が施されていることなどを考えると、それぞれがトーテムポールのような造型を組みあげる為の部品の一つであったのかも知れません。

(参考:飛鳥検定解説集 観光編問61)
(参考:飛鳥の石造物




問66   飛鳥には「立石」と呼ばれるいくつかの謎の石造物が遺されています。京域や寺域の境界石ではなかったかとも言われています。その「立石」のある在所名を採って呼ばれるもののうち、今は見ることができないのはどの立石でしょうか。

      1:立部   2:川原   3:上居   4:豊浦

 「立石」はいずれも自然石を立てたものであり、大小さまざまで、明日香村の何箇所かで見ることができます。立石が何のために立てられたのか定説はありませんが、設問に記したほかに条里制以前の地割りの位置を示したものではないかとも言われています。

 豊浦にある甘樫坐神社の境内で毎年4月の第1日曜日に行われる「盟神探湯(くがたち)」神事はこの立石の前で行われます。この盟神探湯神事の由来を記した案内板には、立石はこの豊浦のほか立部、岡、上居、小原にもあるとされています。

 立部のものは定林寺跡の雑草に埋もれるように立っていますし、上居の立石は石舞台から冬野川に沿って細川方面に向かう道路の上居バス停付近から見ることができます。また、岡寺の山中にも巨大な自然石が立っていますが、この立石に至る小径は現在通行止めになっています。


上居の立石                    立部の立石

 さて、川原寺東方の飛鳥川沿いの発掘調査でも、自然石(高さ1.6m)を立てたものが見つかっていますが、その後埋め戻されているため、この立石は今は見ることができません。なお、小原の立石については、どれがその立石なのか分かりませんでした。

(参考:第10回定例会事務局員発表レポート 飛鳥の謎の「立石」について
(参考:飛鳥検定解説集 観光編問70)
(参考:飛鳥の石造物




問67   飛鳥には様々な祭祀や伝統の祭事が継承されていますが、明日香村伝承芸能保存会の皆さんによって復元され、継承に取り組まれている芸能のうち、飛鳥寺の長老(故山本雨宝師)が保存、伝承に尽力されたものはどれでしょうか。

      1:八雲琴   2:南無天おどり   3:飛鳥蹴鞠   4:万葉朗誦

 明日香村のホームページでも紹介されていますが、八雲琴の保存伝承に生涯尽力された飛鳥寺の長老・故山本雨宝師は、八雲琴演奏者(第7世振琴師)として国の無形文化財の指定を受けられ、口伝であったたくさんの曲を採譜し、また神前楽器であったこの琴を広く東洋音楽として紹介されました。「明日香の響保存会」のみなさんがそれを受け継ぎ、古代の心を今に伝えるとともに後継者育成にも取り組んでおられるということです。

 八雲琴は、古事記に記された「天詔琴」にまでその起源を遡るようですね。「詔琴」とは、「託宣の琴」の意で、神懸りの際には琴が用いられたことから、宗教的支配力を象徴したものではないかと解されています。




問68   飛鳥の南西部の檜隈(ひのくま)の里は、東漢(やまとのあや)氏ら渡来系の技術者集団が住み着き拓いた土地とされています。現在、於美阿志神社のある境内が渡来系氏族の氏寺であったと思われる檜隈寺跡です。さて、この檜隈寺跡の境内には宮跡を示す石柱も建てられていますが、どの天皇の宮跡とされているでしょうか。

      1:宣化天皇   2:安閑天皇   3:顕宗天皇   4:安康天皇

 於美阿志神社の鳥居を潜ると直ぐ右手に「宣化天皇檜隈廬入野宮跡」と記された石柱があります。現地でこの石柱を見て「宣化天皇ってだれ?」という声を何度か聞きました。同母の兄である安閑天皇の後を継いで69歳の高齢で即位し、在位がわずか3年余と短いのですが、その在位中に蘇我稲目が大臣に就いています。稲目から馬子へと続く蘇我氏全盛の基礎が固められた時代です。

 宣化天皇の後は、その娘の石姫皇女が宣化天皇の異母弟である欽明天皇の后になっていますが、稲目はこの欽明天皇に我が娘の堅塩姫と小姉君を嫁がせ、王家の嫡流との縁を深めていきます。宣化天皇の宮が、この渡来系氏族の地に設けられたのは、大和外の地から招かれた継体天皇を父に持ち、尾張系の母を持つ宣化天皇にとって、有力豪族に頼らざるを得なかった裏事情があったのかもしれません。そこには、蘇我氏の影が見え隠れするようでもあります。

(参考資料:飛鳥時代天皇家系図
(参考:宣化天皇の宮




問69   奥飛鳥の稲渕、栢森集落の入口に当たる飛鳥川には男綱、女綱と呼ばれる勧請綱が掛けられています。飛鳥川を遡って悪疫や悪事が集落に侵入するのを封じ、男女のシンボルを綱の中央に飾りつけることで子孫繁栄、五穀豊穣の願いが込められています。さて、2008年は閏年でした。この閏の年に架け替えられる綱にはある特徴が見られます。どんな特徴があるでしょうか。

      1:女綱のシンボルに添えられる蜜柑が葉付きになる
      2:男綱のシンボルの茎を締める縄が13本になる
      3:男綱、女綱とも逆縄に綯われる
      4:男綱と女綱の祭祀日が例年より一日繰り下がる


2008年 男綱
 この設問は、正解をご存知ない方でも比較的分かり易いかもしれませんね。日本各地に伝えられる祭りや神事の飾り付けが1年の月数である12本あるいは12個としているものが多く、閏の年は12+1とする習俗が多いようです。(飾り提灯を13個としたり、注連縄に飾り付ける幣の数を13本とするなど)

 明日香村稲渕の男綱の場合、閏の年は男性シンボルを巻き付ける縄が平年より1本多い13本となると村の方からお聞きしました。閏年の女綱の場合はこの数字に変化があるような特徴はないようです。

 男綱も女綱もともに奥飛鳥の正月の恒例神事として行われていますが、その起源は村の方にお聞きしても定かではないようです。稲渕も栢森も、これまで年の初めの農事を始める田起しの日として正月の11日をこの伝統神事の日として来ましたが、近年、神事の担い手が少なくなり、稲渕の男綱は伝統の11日から休日の成人の日に切り替えられています。女綱の方は今も、綱掛けの日は11日として続けられています。なお、4択肢のその他は全くの創作ですが、この神事に使用される綱を平年であれ閏年であれ逆縄に綯うのは事実です。
(参考:第6回定例会 西飛鳥古墳めぐりと男綱勧請綱掛神事レポート )




問70   飛鳥時代の調味料のひとつに「醤:ひしお」がありますが、その材料ではない物はどれでしょうか。

      1:米    2:麹     3:糯     4:大豆

<醤:ひしお>について
 醤は、現代の醤油の元と言われています。その材料は、大豆・米・糯(もち)・酒・小麦を醸造した液体でした。現在の醤油は麹を入れて作りますが、飛鳥時代にはまだこのような方法は発見されていませんでした。醤油が今のような形になったのは鎌倉時代だと言われています。

 醤は、東南アジアから中国、韓国、日本で色々な加工がなされていたようです。

 中国や韓国ではどうか・・・
 <醤:ジャン>と言えば現代では<味噌>を意味します。コチュジャンなんかそうですよね、コチュとは唐辛子の事で、ジャンとは味噌を意味します。勿論、ジャンは日本の味噌のように粘りがあります。

 東南アジアではどうか・・・
 ナムプラーが代表的な例で、あれは醤油のようにさらさらしています。小魚を発酵させたものの上澄みを、熟成させて作る<魚醤>と同じです。

 日本ではどうか・・・
 「令集解(りょうのしゅうげ)」大膳職(おおかしわでしき)の註解によると、唐醤や高麗醤の製法が準用されていたと書かれています。と言う事は、味噌に近いのか?とも思いますが、秋田のショッツルや能登のイシリのように、魚介類や甲殻類などで作られた醤があり、中国、ベトナム、ミャンマーなどの少数民族が作っていたとされる醤(醤油に近い)が共通のルーツだと言う学者さんもおられるようです。

 奈良時代<醤院:ひしおいん>では、麹菌のプロテアーゼ(タンパク分解酵素)やアミラーゼ(デンプン分解酵素)などの作用で、大豆・米・麦のタンパク質とデンプンをアミノ酸やブドウ糖、アルコールに分解し、うまみ成分を生成させ、現在の醤油の原型となる物を作っていたとされています。わざわざ醤院なるものを作ったと言うことは、当時相当醤の製造に力を入れていた、それだけ無くてはならない調味料になりつつあったと言えるのではないでしょうか。

 ここから私P-saphireの考えですが・・・
 中国や韓国から伝わった味噌に近い醤と日本の海岸沿いで発達した醤油に近い醤が上手く適合して、日本独自の醤油の原型が出来て来たのではないかと思います。ただ、味噌に近い物は庶民には高嶺の花だったので、一般的にはまだまだショッツルのような魚醤が利用されていたであろうと想像しています。

平安時代の醤は塩分が非常に高く、唐醤は材料の20%の塩に対し醤は材料とほぼ同じだけの塩を利用していたので、平安時代の醤は液状だったろうと、廣野卓氏は<食の万葉集>に書いておられます。

正直、当初私は<液体>なんだろうか?と疑問を持ちました。なぜなら、大豆・米・糯・酒・塩・小麦を混ぜたらドロドロになるだろうって考えたからです。しかし、飛鳥資料館が発行している<万葉の衣食住>の中に、「大豆・米・糯・酒・塩・小麦を原料として醸造した液体である」と、わざわざ明記されていましたので、きっと上澄みを調味料として利用していたのだろうと推測しています。

*注釈:醤院・・「大宝律令」の中に宮内省の醤院<ひしおいん>という所で大豆を原料とした「醤」がつくられていたという記録が残っています。



問71   飛鳥時代の食用油と言えば、ゴマから抽出したごま油がもっとも一般的でしたが、その他にも油はつくられていました。下記の中で、当時食用油として利用されていなかった材料はどれでしょうか。

      1:エゴマ    2:マツ   3:ツバキ     4:アサ

 エゴマ(シソ科)、マツ、ツバキ、アサ(麻)、これらの植物は、すべて油を抽出する事が出来ます。しかし、この問題は「食用油じゃないもの」とありますので、明かりを灯すための油として利用されていたマツの油が正解です。

(参考:飛鳥遊訪文庫 古代植物談義その2




問72   万葉集が作られた頃、宴席ではハスの葉にご馳走を盛り付けていたそうですが、これはあくまでも上流階層の人々の話。一般の官人の家庭ではそれの代用としてある植物の葉を利用する事が多く、今でも粋じゃない人をその植物にたとえる言葉が残っています。その植物とはどれでしょうか。

      1:椿     2:里芋    3:芭蕉     4:葵

 蓮はハス科、里芋はサトイモ科で、全く別の種ですが、どちらも水を好む性質を持っています。葉もよく似た、やや円形に近い大きなお皿のような形をしています。蓮は仏教のみならず、ヒンズー教、密教などでも特別な意味を持つ植物とされていて、当時の日本では高価で高級品でした。
 万葉集に、次のような歌があります。

 蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家なる物は 芋の葉にあらし (16-3826)

 高級官僚は宴席料理を蓮の葉に乗せて出していたけれど、下級官僚は一般的に食べられていた安価な里芋(当時はまだサツマイモやジャガイモは伝わっていません)の葉に料理を盛り付けたと言われています。しかし、蓮の葉ではなく芋の葉で盛り付けられているのは貧相で粋じゃない(見栄えが悪い)とされました。「粋じゃない人」を「イモ」と表現するのは、案外この辺りから来ているのかも知れませんね。

(参考資料:戯笑歌の達人・長忌寸意吉麻呂の万葉集歌
(参考:第10回定例会事務局員発表レポート 戯笑歌の達人・長忌寸意吉麻呂
(参考: 飛鳥遊訪文庫 蓮の葉、芋の葉
(参考: 飛鳥遊訪文庫 Pの飛鳥・食物記2




問73   上流階層の暮らしぶりは、木簡などからうかがい知ることが出来ますが、一般階層の食事の話はあまり出て来ません。そんな中、万葉集や貧窮問答歌などに、貧窮にあえぐ庶民の暮らしぶりを沢山歌にして残している人物がいました。さて、その人物とは誰でしょうか。

      1:山部赤人    2:大伴家持    3:大伴旅人    4:山上憶良

 下級貴族の出身でありながら、702年の第七次遣唐使船に同行し、唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を勉強しました。それゆえ、仏教や儒教の教えから学んだ事柄を踏まえつつ、社会の矛盾点、特に貧困や女性など弱者にも目を向け、鋭く観察したそれらを巧みに歌にして現代に残しています。その代表として「貧窮問答歌」があります。万葉集には七十八首が撰ばれており、貧窮にあえぐ様子を如実に表している歌を一首と、その返歌一首をご紹介したいと思います。

 風雑(まじ)り 雨降る夜の 雨雑り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うち啜(すす)ろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾をおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさぶすま) 引き被り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) ありのことごと 着襲(きそ)へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 
天地は 広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 吾が為は 照りやたまはぬ 人皆か我のみやしかる わくらばに人とはあるを 人並に我れも作るを 綿もなき 布肩衣(ぬのかたぎぬ)の海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に藁(わら)解き敷きて 父母は枕の方に 妻子どもは足の方に 囲み居て憂へさまよひ かまどには火気吹き立てず 甑(こしき)には蜘蛛の巣かきて 飯炊くことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を端切ると いへるがごとく しもと取る 里長(さとおさ)が声は寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道 (5-892)

<反歌>

世間(よのなか)を 憂(う)しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば (5-893)

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風交じり、雨降る夜の、雨交じり、雪降る夜は、なすすべもなく寒いので、硬い塩を齧りながら糟湯酒をすすり、咳をしつつ鼻水をすすり、少しばかり生えた髭を撫でつつ、自分より能力のある人はいないと自惚れても、麻衾(麻布で作った粗末な夜具)を引っかぶり、ありったけの衣を重ね着しても、寒い夜を私よりも貧しい人の父母は、飢えて凍えているだろう、妻や子供たちはないているだろう。こんな時、あなたはどんな風に暮らすのだろうか。

天地は広いと言うけれど、自分には狭く思える。陽や月は明るいと言うけれど、自分を照らしてはくれない。人はみんなそうなんだろうか、それとも自分にだけこうなのだろうか。人と生まれ、人並みに働き、綿も入っていない海草の様なボロボロの衣を肩に引っ掛けて、壊れ曲がった家の中に、地べたの上に藁を敷き、父母は枕の方に、妻子たちは足の方に、囲むように嘆き悲しむ。かまどには火さえも燃やすことは出来ず、蒸し器にはクモの巣がかかり、ご飯を炊くことも忘れて、ぬえ鳥のように泣いていると、これ以上短く出来ようも無い物の端っこを切るように、ムチを持った里長(さとおさ)は寝ている所まで来て叫ぶ。こんなにもどうしようもないものなのだろうか、世間と言うものは。

<反歌>

世の中を生きてゆくのは、辛く耐え難いと思うけれど、どこかへ飛んで行ってしまうことも出来ない。鳥ではないのだから。




問74   早春の飛鳥を歩いていると、枯れたような土からひょっこり顔を出している植物が目に飛び込んできます。この植物は、新芽を天ぷらにしたり、サッと湯通しして潰してお餅に入れると、春の息吹が感じられます。また、洗濯ネットに入れてお風呂を沸かすと、とても体を温めてくれる優れものです。さて、この植物とは次の内のどれでしょうか。

      1:ニンニク    2:ヨモギ   3:ノカンゾウ  4:レンゲ


ニンニク
 
ヨモギ

ノカンゾウ

レンゲ
ニンニクには体を温める成分が含まれていると言われていますが、強い臭いがあるためにお餅に入れる事はありません。
 ヨモギに含まれる上質の葉緑素(クロロフィル)が新陳代謝を促進し血行改善するので、お風呂に入れると体が温まります。
ノカンゾウは早春、綺麗な淡いグリーンの新芽を出し、さっと茹でるとクセの無い甘さが美味ですが、体を温める成分はありません。
 飛鳥の春を彩るレンゲの花はとても美しく、新芽はサッと湯通しをすれば食べることが出来ますが、これも体を温める成分はありません。

 ヨモギの新芽をお餅に入れた物は草餅として今でも食べられています。ヨモギを乾燥させて手でよく揉むと葉についている毛が残りますが、これがモグサの原料となります。

(参考資料:野草の利用
(参考:第10回定例会事務局員発表レポート 野草とその利用法について
(参考: 飛鳥遊訪文庫 Pの飛鳥・食物記1




問75   晩秋、朝風峠を歩くと、黄色に実ったある果物が沢山、目に美しく映ります。この果実、皮を食べ、果肉は捨てられると言う面白い食べ方をします。さて、それは次のうちどれでしょうか。

      1:橘   2:花梨   3:金柑   4:文旦


タチバナの花
 橘はミカン科の植物で、非時香菓(ときじくのかぐのみ)と呼ばれ、古事記や日本書紀にも登場し、常世国から田道間守(三宅連の祖)が持ち帰ったと記されていますが、酸っぱくて食べられません。

 花梨はバラ科の植物で、渋く石細胞が多く堅いため生食には適さず、砂糖漬けや果実酒に加工されます。

 金柑はミカン科の植物で、皮の白い綿状の部分に相当する部分に苦味と共に甘味があります。果肉は酸味が強いので、生食の場合、皮だけを剥ぐように食べ、実を捨てる場合が多いです。ただし、砂糖や蜂蜜で甘く煮込めば実も一緒に楽しめます。

 文旦はミカン科の植物で、果肉は果汁が少ないのですが、独特の甘みと風味を持ち生食や和え物に利用され、飴は鹿児島県のお土産でも知られています。




問76   冬の畦道を歩いていると、地面にピタッと張り付いたような「ロゼット」という葉っぱの状態で冬越ししている植物を見かけます。飛鳥の畦道でよく見られる次の植物のうち、「ロゼット」を作らないものはどれでしょうか。

      1:ナズナ    2:ハコベ    3:タンポポ    4:ヒメジョオン

 植物の葉は根出葉と茎葉という区別をすることがあります。茎の地面に近い位置に出る葉を根出葉といい、地上に伸びた茎から出る葉を茎葉というのです。この根出葉が茎の地面ギリギリの位置に群がって、茎を取り囲むように生えた状態を「ロゼット」といい、タンポポやコオニタビラコ、ハルジオン、ヒメジョオンのようなキク科の植物、タネツケバナ、ナズナのようなアブラナ科、オオマツヨイグサ、マツヨイグサのようなアカバナ科などに見られます.

 ハコベやノミノフスマ、オランダミミナグサのようなナデシコ科の植物では、茎の下の方に群がった根出葉は出ないので、「ロゼット」を形成する植物とはいいません。また、キンポウゲ科のセリバオウレンやヒメウズのように、根出葉が極端に長い茎を持っているものは、根出葉が群生しても「ロゼット」とはいいません。「ロゼット」は「rose」からきていて、八重咲きの薔薇のように葉っぱが重なった状態をいうのですから。

(参考:飛鳥で会える花たち )



問77   次に上げる花は飛鳥の野道・畦道によく見られる春の花ですが、このうち万葉集に詠まれている花はどれでしょうか。

      1:シロツメクサ    2:スミレ    3:ワスレナグサ    4:ハルジオン


スミレ
これは、万葉集が好きな方には比較的簡単だと思います。そうでなくとも、見当は付けやすいかと...。
「春の野に すみれ摘みにと来し我れぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける」 (8-1424)
山部赤人の歌です。

これ以外の、シロツメクサ、ワスレナグサ、ハルジオンは江戸時代以降に帰化植物として見られるようになったものですから万葉人の目に触れることは無かったと思います。

ワスレナグサ

ハルジオン




(参考資料:帰化植物について
(参考:第10回定例会事務局員発表レポート 帰化植物の話
(参考:飛鳥で会える花たち )




問78   次に上げる花は飛鳥の野道・畦道で夏から秋にかけてよく見られる花ですが、このうち万葉集に詠まれていない花はどれでしょうか。

      1:クズ    2:カナムグラ    3:ヨモギ    4:ノゲシ

問79   飛鳥の野道・畦道にもグローバル化が進んでいます。次の植物のうち、帰化植物でないものはどれでしょうか。

      1:オオイヌノフグリ     2:ヒメオドリコソウ
      3:ムラサキサギゴケ    4:ニワゼキショウ

 問78、79は同じ系統の問題なので、まとめて説明します。
 問78は一見万葉集問題のようですが、実は帰化植物に関する問題です。つまり、万葉集が読まれた頃には日本になかった植物を見つければ良いのです。「ノゲシ」の原産地はヨーロッパ、中国経由で渡来したものと言われています。かなり古くから帰化植物として生育していたようですが、原産地から考えて万葉の頃にはまだ渡来していなかったのではないかと思います。


クズ

ヤエムグラ

 参考までに万葉歌を挙げておきます。
 「クズ」はそのまま「くず」として詠まれています。
   夏葛の 絶えぬ使の よどめれば 事しもあるごと 思ひつるかも(4-649)
 「カナムグラ」は「むぐら=やえむぐら」として詠まれています。
   玉敷ける 家も何せむ 八重葎 おほへる小屋も 妹とし居らば(11-2825)
 「ヨモギ」は「よもぎ」または「ももよぐさ」として詠まれています。
   父母が 殿の後方の ももよ草 百代いでませ 我が来るまで(20-4326)
 「よもぎ」は(18-4116)に長歌があります。


オオイヌフグリ

ヒメオドリコソウ

ムラサキサギゴケ

ニワゼキショウ

 問79の「オオイヌノフグリ」はヨーロッパ原産で明治の初期に帰化した植物です。この仲間で日本原産のものは「イヌノフグリ」だけなのですが、見かけることはあまり無く、今や絶滅危惧種ではないかと...。
 「ヒメオドリコソウ」はヨーロッパ原産で、明治中期に帰化しています。
 「ムラサキサギゴケ」は本州、四国、九州に分布し、中国や台湾にも見られる日本原産種です。
 「ニワゼキショウ」は北アメリカ原産で、明治中期に観賞用植物として渡来したものが野生化しています。

(参考資料:帰化植物について
(参考:第10回定例会事務局員発表レポート 帰化植物の話




問80   蘇我一族は飛鳥時代最も権勢を誇った一族です。蘇我馬子の時にその最盛期を迎えますが、この時期、馬子に疎んじられるようになった時の天皇は、献上された猪を見て思わず「私のことを好ましく思ってない者(馬子のこと)を何時かこのようにして。」と言ってしまいます。これを聞きつけた馬子は、東漢直駒をして天皇弑逆に出ます。さてこの時、弑逆された天皇は次の誰でしょうか。

      1:用明天皇   2:敏達天皇   3:崇峻天皇   4:欽明天皇


崇峻天皇陵
崇峻天皇は蘇我物部戦争の後、蘇我馬子によって擁立された天皇です。欽明天皇の12子ですが、蘇我小姉君を母としているため、馬子にとっては自分の思いのままに言う事を聞くであろう天皇だと思っていた訳です。ところが、本人は天皇であることは理にかなったことだと思うようになります。そのうえ宮を飛鳥から離れた山奥のかなり辺鄙な倉梯宮に移されてしまいます。

 そんな中、思わず口走ったのが問題の言葉です。日本書紀の「ある本」には、崇峻天皇の妃であった大伴小手子の密告によって、この事態が招かれたように記載されていますが、真偽の程は分かりません。
 馬子は、朝廷軍が任那復興のため九州に行っているのを良いことに、東漢直駒に崇峻天皇の殺害を命じます。ところが、駒は崇峻天皇の妃である蘇我河上娘を奪って妻としてしまいます。やがてそのことは露見し、駒は馬子に殺害されることになります。この顛末の一部始終が、蘇我馬子の策謀であるとも取れますが、真相はどうだったのでしょう。

(参考資料:飛鳥時代天皇家系図 蘇我氏系図




問1~20 問21~40 問41~60 問61~80 問81~100 飛鳥概略図 解答一覧

解説ページ中の「緑色の文字」は、参考ページにリンクしています。
解説ページ中の
「赤色の文字 」は、正解を表します。

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飛鳥における中世の城郭
(雷城)






― 戯笑歌の達人・長忌寸意吉麻呂の万葉集歌 ―

  二年壬寅に、太上天皇、三河の国に幸す時の歌
1-57  
引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに


  長忌寸意吉麻呂、結び松を見て哀咽しぶる歌二首
2-143 
岩代の崖(きし)の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも

2-144 
岩代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ

  長忌寸意吉麻呂、詔に応ふる歌一首
3-238 
大宮の内まで聞こゆ網引(あびき)すと網子(あこ)ととのふる海人の呼び声


3-265 
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野(さの)の渡りに家もあらなくに


9-1673 
風莫(かざなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに

   右の一首は、山上億良が類聚歌林には、「長忌寸意吉麻呂、詔に応へてこの歌を作る」といふ。


 長忌寸意吉麻呂が歌八首
16-3824 
さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津(イチヒツ)の檜橋より来む狐に浴むさむ

    右の一首は、伝へて云はく、「あるとき、もろもろ集ひて宴飲す。時に、夜漏三更にして、狐の声聞こゆ。すなはち、衆諸、意吉麻呂を誘ひて曰はく、『この饌具、雑器、狐声、河橋等の物に関けて、ただに歌を作れ』といへれば、すなはち、声に応へてこの歌を作る」といふ。

  行縢(むかばき)、蔓青(あおな)、食薦(すごも)、屋梁(うつはり)を詠む歌
3825 
食薦敷き青菜煮て来む梁(うつはり)に行縢懸けて休めこの君

  荷葉(はちすば)を詠む歌
3826 
蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家にあるものは芋の葉にあらし

双六の頭(さえ)を詠む歌
3827 
一二の目のみにはあらず五六三四(さむし)さへありけり双六の頭

  香(こう)、塔、厠、糞、鮒、奴を詠む歌
3828 
香塗れる塔にな寄りそ川隈の糞鮒食(は)めるいたき女奴(めやっこ)

  酢・醤(ひしほ)・蒜(ひる)・鯛・水葱(なぎ)を詠む歌
3829 
醤酢に蒜搗(つ)き合てて鯛願ふ我れにな見えそ水葱の羹(あつもの)

  玉箒(たまはばき)、鎌、天木香(むろ)、棗を詠む歌
3030 
玉箒刈り来(こ)鎌麻呂むろの木と棗が本(もと)とかき掃かむため

  白鷺の木を啄(く)ひて飛ぶを詠む歌
3831 
池神の力士舞かも白鷺の恈(ほこ)啄ひ持ちて飛び渡るらむ





~野草の利用~

〔ニンニク〕

(効能)
☆内臓を温めて、新陳代謝を活発にして、強精・強壮に働きます。
☆解毒作用や殺菌作用があります。
☆風邪をはじめとした病気予防にも効果があります。
☆血液をサラサラにする作用も確認されて、血栓の予防にも役立つと言われています。
☆少量ずつ毎日食べれば免疫力が高まるとも言われています。

(注意点)
★いくらにんにくの効能を期待するとはいえ、摂りすぎはやめましょう。
★すばやい効果やパワーを期待するあまり、一度に多量に食べると、胃を痛めることもあります。

★一般的なサイズのにんにくの場合、一日で1~2片くらいが適量です。
★強力なパワーがある一方で、身体のコンディションや体調によっては、アリシンの刺激が強すぎる場合がまれにあります。

(利用法)
* ニンニク風呂 *

  効能: 冷え性、肩こり、腰痛、神経痛の症状を和らげる。
     : 保温効果があり、肌をすべすべにする。
   ニンニク一片をガーゼで包み、お風呂に入れて湯を注ぐか湯を沸かし、ゆっくりと浸かる。

* ニンニク醤油 *
   小分けにしたニンニクの薄皮を剥いて瓶にいれ、ヒタヒタになるくらい醤油を
   注ぎ入れて1週間ほど冷暗所で置けば利用出来るようになります。
    (炒め物や唐揚げの下味に利用すると便利です。)


〔ヨモギ〕( 効 能)
神経痛、虫刺され、健胃、利尿
カラダを温める作用があり、特に冷え性の方におすすめです。
気管支の拡張作用があります。
葉を干して叩くと、白い毛が取れます。それがモグサ(灸)の材料となります。

(注意点)
ヨモギとよく似た植物があります。見分け方は、葉裏に白い細かい毛があり、揉むとヨモギ特有の香りがあるものがヨモギです。葉裏が白くない物はヨモギではありませんので注意して下さい。

(利用法)
*
 若葉の天ぷら *(早春の若い芽を食べます。香りが優しくて美味しいです。)

春に出る新芽を摘み取って、薄力粉と片栗粉(73)の割合で水溶きし、油で揚げると、カラリと美味しく頂けます。

*
 ヨモギ団子 *(早春の若い芽を食べます。若い芽の保存はさっと茹でて冷凍)

1.
ヨモギ20gをさっと茹でて絞り、細かく刻んですり鉢で擂る。  
2.
レンジ可のボウルに1を入れて、上新粉160g、白玉粉40g、砂糖60gを加え熱湯200gを少し
ずつ流しいれながら良く混ぜる。
3.
電子レンジで3分加熱し、濡らしたすりこ木で良く潰すように混ぜる。硬い場合は少し水を足す。
4.
手に水をつけて、3を団子に丸めて出来上がり。

*
 ヨモギ風呂 *(生葉、または、天日干しをした乾燥葉を利用)
ヨモギを一握りガーゼに包み、湯船に浮かべてしばらく置いてから体を浸けてじっくり入る。

*
 ヨモギの湯気 *(生葉、または、天日干しをした乾燥葉を利用)
効能: 体を温め、血の流れを良くします。
風邪引きの時、ヨモギを入れてお湯を沸かし、その湯気を吸い込むと、初期症状が随分収まります。

*
 ヨモギ茶 *(天日干しをして、カラカラに乾燥させて利用)
効能: 肥満、高血圧、冷え症、神経痛、腹痛、虫下し、産後・痔・下痢出血、喘息、気管支炎、湿疹、かぶれなどに良い。
1
リットルと大さじ12杯のヨモギの茶葉をやかんに入れ、火にかける。沸騰したら、とろ火で78分ほど煮詰めて出来上がり。

ヨモギを沢山採取した場合、茹でて冷凍にするか、天日干しにすると、長期保存が可能です。

〔ノカンゾウ〕
(効能)
☆解熱、利尿作用があります。
☆心の病(うつ病、不眠症)に効果。
☆自律神経失調症、痴呆症、貧血の改善。

(注意点)
★同じカンゾウ類の中にニッコウキスゲがありますが、自分で栽培しない限り採取してはいけないことになっていますので、くれぐれも気をつけて下さい。
★群生しますので、すべて採取せずに、必ず来年の分として残しておいて下さい。
★漢方薬のカンゾウ(甘草)はマメ科の植物で、この種とは全く別物です。

ニッコウキスゲ カンゾウ(甘草)

★中国食材の金針菜(キンシンサイ)は、ホンカンゾウの花を蒸して日干しにした物です。

(利用法)

* 新芽 *
  3~4月、薄緑色の着物の襟元のような重ね状で新芽が出ます。
  一度見れば、絶対に忘れない姿をしています。
  *土際の茎の根元部分に爪をたてて採り、サッと茹で、酢味噌、マヨネーズで和えると、ほんのり甘くて美味しいです。

* 花 *
  7~8月、オレンジ色のユリのような花が咲きます。
  一重はノカンゾウ、八重はヤブカンゾウで、どちらも食べられます。
  *花が蕾の間に摘み取り、天ぷらで食べると、絶品です。

ノカンゾウ ヤブカンゾウ






「帰化植物について」

 帰化植物は、2003年現在で約1,200種以上に上っていると考えられています。そして、現在も増え続けているのです。日本に生育する植物の種の数は、種子植物とシダ植物を合わせて、約4,000種(琉球諸島を除く)ですから、その4分の1以上が帰化植物ということになります。
 帰化植物が学術的に研究されるようになったのは明治の中頃のことだそうで、1888年に発表された植物学雑誌の中の論文で、大久保三郎氏が植物に対して最初に「帰化」という言葉を使い、その後「naturalized」に対応する言葉として「帰化」という言葉が使われるようになりました。
1918年の平山常太郎著「日本に於ける帰化植物」という本が、日本最初の帰化植物に関する単行本です。この本の中で平山氏は、帰化植物を「外国から伝来してその国の風土や気候に適応して、在来の植物と生存競争をしたり、共存したり、在来の植物を圧倒して路傍、田畑、溝の畔、荒地原野などを占領し全然野生の状態に戻って繁殖する植物」としています。
1943年には前川文夫氏が、有史以前に人の移動によって運ばれた帰化植物があるとして、「史前帰化植物」という考え方を提案し、今では広く受け入れられています。メルマガNo.23,24でご紹介していますが、現在では弥生時代までの有史以前に帰化した植物を「史前帰化植物」としていて、稲作の渡来に伴って潜入した植物や、栽培植物として持ち込まれたものなどがあると考えられます。しかし、記録がある訳ではないので、耕作地の雑草としてどのように生育しているかを調べたり、世界中の耕地雑草の分布や生態的特性を調べて、種ごとに検討しているそうです。将来は、DNA鑑定によって、はっきりと原産地や近縁関係が分かるようになると思います...そういうことをやろうという研究者が居れば、のことですが。
その後研究が進むにつれて、「馴化」「野化」「移入」など、色々な表現をするようになりましたが、欧米の生態学者の間でも、このような「帰化植物」に対する研究が盛んになり、「naturalized」という言葉以外にも、「allophyte(よそ者植物)」とか、メルマガで使った「invader(インベーダー:侵入者)」という言葉を使う人もいるようです。欧米での関心は、これらの植物が人間の耕作植物に対して害になるという危惧から来ていて、その為に「侵入」という言い方が多く使われているということです。
日本の場合を見ても、農林業が帰化植物によって被害を受けているという例は、沢山あります。例えば、「ハキダメギク」という飛鳥でもあちこちに見られる帰化植物は、種子が休眠しないため1年に何回も世代を繰り返して繁殖し、畑の養分を奪ってしまうやっかいな雑草です。しかし、一方では農林業自身が帰化植物を作ってしまっている例も多いのです。18世紀前半に中国から栽培植物として輸入された「モウソウチク」は、食用のタケノコ生産を始めとして、様々な利用がなされ竹林として維持されてきましたが、近年、中国から大量の安いタケノコが輸入されるようになって採算が取れないからと、放置される竹林が増えてきたのです。その結果、地下に長い頑丈な地下茎を数十メートルも伸ばして勢力範囲を広げ、隣接するスギやヒノキの林を竹林に変えていっている様子は、飛鳥の地でもそこここで見られようになっています。また、観賞用に持ち込まれた「セイタカアワダチソウ」があれほどに帰化植物として繁殖したのは、花期が長いことに目を付けた養蜂業者が全国に広めたからだそうです。また、牧草として導入され、牧草地以外で雑草となる例には、「カモガヤ」などのイネ科の植物の他に、お馴染みのものでは「ムラサキツメクサ」や「シロツメクサ」があります。
メルマガNo.28でご紹介した「ホテイアオイ」も、観賞用としてはとても美しいのですが、これが帰化植物となると、自然の池で在来の水草を駆逐してしまったり、人工のダムや水路の水面を覆って流れを悪くしたりと、とても美しいなどと言っていられない状態になります。また最近では、緑化という一見自然を大切にしているように見える人間の営みが、生態系を破壊している例もあるのです。災害防止のためなどの理由で、崩落した山肌とか、道路ののり面などに蒔かれる種子の大半は、量を確保することの容易さから外国産のものを用いることが多いそうです。道路沿いや遊休地を美しく見せることが出来るからと、「ワイルドフラワー」というほとんどが欧米原産の園芸植物の種を蒔くことが流行のようになっていますが、これも同様に帰化植物を大量に増やしていっていることになるのです。
笑いネコが帰化植物に拘る理由ですが、帰化植物がその繁殖力の強さから、在来種を絶滅に追いやっている、という状況を危惧しているからです。飛鳥検定にこういう問題を出させて頂いたのは、飛鳥でも、万葉集に詠まれているのに、現在は見られない植物が幾つもあるということを、飛鳥ファンの皆様に知って頂きたかったからです。そして、「綺麗だから良いじゃないか」と園芸植物を空き地などに捨てたりする行為が、環境破壊の一助になるということを認識して欲しかったからです。自然が自然であるということは、単に放ったらかしで良いということではありません。里山が美しい自然を保ち、在来種が良く育つような環境にするには、人の手で余分な外来種が「帰化」しないように除去してやったり、下草刈りなどで風通しを良くして生育環境を良好に保ったり、ということが必要になるのです。地元の方達の努力だけでは、とても足りないこともあるでしょうが、勝手に手出しをするわけにもいきませんから、上手く何らかのお手伝いが出来るといいな、と思う今日この頃です。



帰化植物について関連写真


ハキダメギク

ムラサキツメクサ

シロツメクサ

セイタカアワダチソウ

植物用語解説表

単語

意味

帰化植物

外国から何らかの目的で持ち込まれた、または偶然に入ってきた植物が、野生で繁殖するようになったものをいいます。栽培用のみに存在するうちは、帰化植物とは言いません。

雑草

野生の植物で、田畑や牧草地、庭園などの栽培植物に被害をもたらす植物をいいます。野生の植物でも、山野に生えて栽培植物の害にならないものは、野草という呼び方をします。

種子植物

種子を作って子孫を残す植物。

種子

「たね」のこと。果実の中にあるもので、次世代の植物の元になる「胚」、これを育てる養分である「胚乳」(無いものもある)、およびこれらを包む「種皮」からなるものをいいます。ただし、日常的には、果実と種の部分が分けられないものの場合、全体を「たね」と呼びます。

シダ植物

「たね」を作らず、「胞子」で増える植物。

胞子

生殖細胞の一種。「たね」は雌しべ由来の卵細胞と雄しべ由来の「精細胞」が合体して出来たものですが、「胞子」は単独で発芽して、前葉体という植物体になります。その前葉体の中で「卵」と「精子」が作られて、これらが合体したものから、元の親と同じ植物体が出来るのです。

生物を分類する際に基本となる単位。生物を分類するために国際的な規約に従ってつけられた学名は、「種」の上に「属」があり、その上に「科」、「目」、「綱」、「門」、「界」があります。また、「種」の中を分ける時は「亜種」「変種」「品種」などを使います。

naturalized

外国からやって来て、あたかも自生のごとく繁殖し、存在を確立すること。






蘇我氏系図