両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



飛鳥時遊録


 真神原風人飛鳥三昧



「今の時」と「古の時」
二つの「時」をテーマに自由に時を翔けめぐり、
今この時と飛鳥時代を結ぶ記事に出来ればと思います。

三つのギャリートーク
越 塚御門古墳
4周年記念と特別寄稿
年末のご挨拶
新年のご挨拶
雪の便り
4周年・100号御礼
雪の飛鳥
弥生三月
10 両槻会の決意


60号まで季節・時事記事は、こちら♪
61~69号までの時遊録は、こちら♪
70~83号までの時遊録は、こちら♪
84~93号までの時遊録は、こちら♪


【1】 「三つのギャリートーク」          (10.11.26.発行 Vol.94に掲載)

  紅葉が盛りとなりましたね。風人は、ここという名所には行けませんでしたが、それでも色づく樹木の彩りに目を和ませています。飛鳥に限定しますと、岡寺が綺麗ですし、中尾山古墳周辺も色濃く染まります。近郊では、多武峰談山神社が有名ですが、定例会でも訪れました高取城址の紅葉がとても綺麗です。登るのは大変ですけれど、登ればそれに見合う光景が待っています。皆さんの中に行かれた方がいらっしゃいましたら、写真のご投稿をお待ちしております。また、高取城址や談山神社に関わらず、紅葉の写真を撮られましたら、ぜひ事務局宛に送ってください。お待ちしています。

 もう2週間を経過いたしましたが、おかげさまで、第23回定例会を無事に終える事が出来ました。生憎、時ならぬ黄砂が視界を狭くしてしまいましたが、それでも参加者の皆さんと楽しい一日を過すことができました。中には、関東からわざわざ参加してくださいました方が4名もおられ、主催者としましては、遠方より参加して良かったと思っていただければと、いささか緊張した次第です。

 両槻会定例会も、延参加者数が700名を超えました。来年の1月(第24回定例会)で、丸4年を経過することになりますが、当初から考えれば、想像もしなかった大きな数字になってきました。両槻会定例会に参加すれば、なにかしら面白いことがあり、飛鳥への興味が少しだけど深まる。そのようなことが、少しずつ定着してきたのではないかと思っています。初心を忘れず、飛鳥好きの仲間が集うサークルとして、これからもスタッフ共々楽しんで行ければと思っています。今後共、よろしくお願いいたします。

 さて、そろそろ今秋の特別展なども終幕を迎えつつあるようです。今年は充実した展示が多かったように思いますが、皆さんの観覧記は楽しさで埋まりましたでしょうか。風人は、三つのギャラリートークが印象に残りました。ギャラリートークは、展示品を目の前にして解説が聞けますので、分かりやすく興味も深まるように思います。

 一つ目は、帝塚山大学付属博物館の特別展示『平城遷都千三百年記念瓦工場群出現』のギャラリートークでした。森郁夫先生と清水昭博先生によるお話を、実際に瓦に触れながら聴くことが出来、とても印象に残りました。言葉だけでは理解の難しいことが、見ることと同時であれば、少しですが分かったように思いました。

 二つ目は、橿考研附属博物館の『奈良時代の匠たち』です。山田隆文先生のギャラリートークで、見学だけでは気付かなかった工人達の痕跡を目にすることが出来ました。そこで頂いた興味が、元興寺屋根裏探検に繋がっていけたのは、風人にとって大きな収穫であったと思います。

 そして、三つ目は、飛鳥資料館で行われた『木簡黎明─飛鳥に集ういにしえの文字たち』の山本崇先生・成田聖先生のギャラリートークです。木簡を一度にあれだけ見たのは初めてだったように思います。風人などには読めない文字が並ぶのですが、解説をしていただければ、興味深い内容に引き込まれます。木簡は同時代の文字資料ですので、分かるにつけ、その生々しさに惹きつけられるものを感じます。紙資料と木簡という記録の面でのお話も聞けて、充実したギャラリートークでした。

 皆さんも、ギャラリートークにご参加になりませんか。次回は春の特別展になるかもしれませんが、機会がありましたらお奨めです。

 今号から、第24回定例会に向けた咲読がスタート致します。どのようなテーマの講演会なんだろうと興味を持ってくださる皆さん、また参加を予定してくださっている皆さんは、是非お読みください。



【2】 「越塚御門古墳」             (10.12.10.発行 Vol.95に掲載)

 大きなニュースが飛び込んできました!急遽、予定記事を変更してお伝えします。

 『天智六(667)年の春二月の壬辰の朔戌午(27日)、これよりさき、天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)と間人皇女(舒明・斉明天皇の女)とを、小市岡上陵に合葬したが、この日、皇孫大田皇女(天智天皇の女)を陵の前の墓に葬った。』

 日本書紀に書かれるこの文章が、現在の明日香村越の丘に具現しました。風人も興奮を隠し切れずにいます。あたかも1343年前の光景を、今私達は目の前にすることが出来るのです。飛鳥時代という激動の時代を生きた3人の女性たち。静かな眠りを呼び覚ますのはお気の毒ではありますが、その生き様を墳墓から感じ取りたいと思います。


系図

 あまりセンセーショナルに書いてはいけませんね。(^^ゞ 「越 塚御門古墳」、所在地の小字から名付けられたようですが、牽牛子塚古墳から南東に墳丘を下った少し先(約20m)から発見されました。まさに「陵の前」といえる位置関係になります。墳丘は分からなくなっているようです。記憶の中でも、牽牛子塚のある丘の斜面に、それらしい隆起は無かったように思います。埋葬施設は、飛鳥石(石英閃緑岩)を用いた刳り貫き式の横口石槨で、鬼の俎・雪隠を想起させるような天井部と床石の二石を組み合わせる構造になっています。天井部の大部分は、石取りなどによるのか破壊されて残っていませんが、残存部分からアーチ状のカーブを見ることが出来ます。床石には、溝が2ヶ所彫られており、覆いとなる天井石と床石の接合を確かにしているホゾ穴、もしくはテコ穴と考えられるそうです。一部では、漆喰も検出されたと伝えられています。
 石槨は南に開口し、やや西にずれて川原石を数段積み側壁としたバラス敷きの長さ4m以上・幅1mの墓道が設置されています。古墳とは別に造られた可能性もあるとのこと、文武3(699)年の斉明天皇陵修造の詔に関連するものなのでしょうか。

 印象は、大変小さな石槨です。(内法約2.4m、幅90cm、高さ約60cm。)棺台の部分を示すようにコの字に溝が彫られ、排水を考慮された作りになっているようです。石槨内からは漆膜片が出土しているそうで、漆塗りの木棺が安置されていたのかも知れませんね。

 このような古墳ですから、終末期の古墳であることは間違いがないでしょう。断定は難しいのかも知れませんが、前回9月の牽牛子塚古墳の調査成果と合わせて、もう被葬者を確定しても良いのではないかと思います。前回現説時に、大田皇女墓さえ近くにあればなあと言っていたことが、現実のものとなったような気がします。やはり興奮してしまいますね。

 現地見学会が開催されます。飛鳥情報のコーナーをご覧下さい。
 また、牽牛子塚古墳の発掘調査に関しましては、89号のあい坊さんの記事をご参照ください。

斉明天皇陵をめぐる謎 -牽牛子塚古墳の発掘調査から-」(遊訪文庫)
 

 さて、前号から今号までの間には、多くの考古学的な発見が報告されました。菖蒲池古墳が2段築成の方墳であったことなどが判明しました。秋津遺跡では謎の4世紀を解明する大きな手掛かりとなる大規模な区画と建物群が検出されています。また先日は、水落遺跡の北側から木樋や銅管、石敷遺構が見つかり、石神遺跡との間に密接な関連性を持っていたことが明らかにされました。
 さらに、この間には明日香村発掘調査報告会が行われ、週末は掛け持ちの大忙しとなっていました。
 頭の整理をしないと、とても理解が追いつかなくなります。

 前号で呼びかけました紅葉の高取城址の写真を送っていただきましたので、是非リンクを飛んでご覧下さい。石垣と紅葉がとても綺麗ですね♪また、独立峰として綺麗な山容を見せる高見山がよく捉えられています。

高取城址
クリックで拡大します。

高取城址から望む高見山
クリックで拡大します。

 ぷーままさん、ありがとうございました♪ また、皆さんも投稿をお願いいたします。




【3】 「4周年記念と特別寄稿」          (10.12.24.発行 Vol.96に掲載)

 暖冬傾向とは言いながら、冬らしい寒い日が混じってきましたね。先日の寒波では、奈良は氷点下1.5度にまで冷えました。これからの季節、盆地特有の底冷えが思いやられます。そんな日は、炬燵に潜り込んでコタツムリになりたいところですが、日常に追われる身には夢のまた夢です。

 さて、両槻会は来年1月8日の第24回定例会を持ちまして、丸4年を経過することになりました。年6回の定例会も4周を終えることになります。そこで、次回定例会では、懇親会の時間を使いまして、若干のイベントを行い、これまでのご支援へのお礼の気持ちを表したいと思っております。その意味でも、是非定例会にご参加くださいますようにお願いします。

 また、当メールマガジンも創刊より100号が目前となってきました。2月上旬には100号記念号の発行など、紙上のイベントも企画しております。その中で、皆さんにお願いがあります。100号記念に、読者投稿を募集することになりました。私などが投稿しなくてもとお思いにならず、この機会に是非ご投稿をお願いいたします。
 会からのお知らせのコーナーに要領を掲載しておりますので、どうぞご覧下さい。スタッフが困るほどの多数の投稿をお待ちしております。ささやかですが、投稿してくださった方の中から、4名様にプレゼントもご用意させていただきました。よろしくお願いいたします。

 飛鳥では、現説ラッシュも漸く落ち着き、いつもの静かな飛鳥が戻ってきました。寒い日でしたが、先日、風人は稲渕の棚田を歩いてきました。農作業の方を僅かに見かける程度で、稲藁を積んだ「すすき」の間を飛鳥風がカサカサと音をたてて吹き抜けて行きます。風人は、このような散策が好きです。この日は、奈良時代にかかる頃に在ったらしい朝風廃寺に思いを馳せながら、棚田の景観を楽しみました。酔狂なことです。(笑)

 と、ここまで書いたところでニュースが入ってきました。(^^ゞ
 飛鳥京跡苑池の北池周辺で行われていた調査で、北池の東岸の石組みや岸の外側に小さな石を敷き詰めた場所、またその更に外側に石組み溝が確認されたようです。北池の東西幅や池の佇まいが分かるような成果ですね。この調査では、調査区に沿って見学用の通路が設置され、平日のみですが発掘調査の様子が公開されています。1月末まで調査は続けられるとの事です。機会があれば、是非見学したいものです。
 また、この近くでは、吉野川分水路の改修工事に伴う調査が進められており、次回定例会講師の大西先生が担当されておられます。

 さて、今号はその大西貴夫先生が講演会内容に即した記事を書いてくださっています。また、あい坊さんが、越 塚御門古墳に関して詳しく書いてくださっていますので、どうぞじっくりとお読みください。





【4】 「年末のご挨拶」                  (10.12.29.発行 Vol.97に掲載)

 2010年も残すところ数日となりました。この一年、飛鳥遊訪マガジンをご愛読くださいまして有難うございました。年末に際しまして、読者の皆様に篤く御礼申し上げます。

 皆さんにとりまして、この一年はどのような年であったでしょう。世の移ろいは、良いことばかりではありませんでした。気候も異常と言われることが耳慣れるほどでしたね。そのような中ではありましたが、両槻会では、定例会活動や飛鳥遊訪マガジンを通じまして、少しでも心温まる交流が出来ればとスタッフ一同奮闘してまいりました。
 また、スタッフは飛鳥応援大使を委嘱されている者もおり、読者の皆さんを始めとして、広く「飛鳥」の魅力を発信してきたことは、その職責をまっとう出来たのではないかと思っております。

 飛鳥遊訪マガジンには、この一年を通じまして、飛鳥に所縁を持たれるたくさんの先生方からご寄稿・ご投稿をいただきました。アマチュアのグループである私達には、過ぎたる紙面作りが出来たのではないかと思っております。お忙しい中、ご執筆くださった先生方には、感謝の言葉もありません。先生方の記事に負けないように、読者の皆さんに支えられながら、スタッフの記事も更なる充実を図って行ければと考えております。

 両槻会は、ご支援くださいます先生方と皆様のお陰で、この一年の活動の全てを無事終えることが出来ました。本年も、6回の定例会を無事に実施することが出来ました。ご参加くださいました皆さん、ありがとうございました。一つ一つの回を丁寧に催して行きたいと思っているのですが、如何せんスタッフの人員や余暇時間に限りがあります。至らぬ点も多々あったと思いますが、それを反省点として来年からの運営に生かして行ければと思っております。

 2011年は、新しい取り組みとして、古代史・考古学以外の分野にも力を注ぎたいと思っております♪ どこまで力が及ぶかは分かりませんが、事務局の課題として取り組んで行ければと思っています。
 読者の皆様にも、一層のご支援を下さいますように、お願い申し上げます。
 皆様、良い年をお迎えください♪

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「2010年 両槻会定例会 報告」

 本年は、第18回定例会「石神遺跡について」に始まる合計6回の定例会を開催しました。定例会には延べ160名の方がご参加くださいました。ありがとうございました。中には、近畿エリア以外から参加していただいた方々も数多く居られ、飛鳥というキーワードが繋ぐご縁の不思議を今更ながらに感じることもありました。飛鳥遊訪マガジンでも、遠方の方々にもご愛読をいただけているようです。いつか読者の皆さんにも、お会い出来る機会がありますことを願っております。

【2010年実施定例会一覧】

  1月10日 第18回定例会 「石神遺跡について」
         講師:青木敬先生
  3月13日 第19回定例会 「竜在峠から入谷へ」
  5月 8日 第20回定例会 「新緑の高取城址から奥飛鳥へ」
  7月31日 第21回定例会 「キトラと高松塚の壁画」 
         講師:加藤真二先生
  9月11日 第22回定例会 「瓦を楽しく学んでみよう!」 
         講師:岡田雅彦先生
 11月13日 第23回定例会 「磐余・天香久山から飛鳥へ」 


 各定例会の資料・レポートは、両槻会サイトの「飛鳥路アーカイブ」または「活動記録」からご覧いただけます。

  飛鳥路アーカイブ
  両槻会活動記録

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 2011年、両槻会では、第24回から始まる合計6回の定例会を予定しています。日時や内容などの詳細につきましては、随時両槻会サイトやブログ、この飛鳥遊訪マガジン上でご案内していきます。お楽しみに♪

【2011年定例会予定】

 第24回定例会  1月8日(土) 主催講演会
  「飛鳥をめぐる山の信仰-山林寺院を中心に-」
    講師:橿原考古学研究所 主任研究員 大西 貴夫 先生

 第25回定例会  3月20(日) 主催講演会
  「飛鳥と万葉(仮題)
    講師:万葉古代学研究所 主任研究員 井上さやか先生

 第26回定例会 5月14日(土) ウォーキング
  「西飛鳥の古墳を訪ねる2」

 第27回定例会 7月 9日(土) 主催講演会
  「未 定」
    講師:明日香村教育委員会文化財課 主事 相原嘉之先生

 第28回定例会 9月10日(土) 主催講演会
  「未 定」
    講師:未定

 第29回定例会 11月12日(土) 
  「未 定」
    講師:橿原考古学研究所付属博物館 主任学芸員 山田隆文先生(予定)

 講演会は、両槻会らしい暖かな雰囲気と、先生方に熱く語っていただける会になるように努力して行きたいと思っています。また活発な質疑応答を通じ、講師と参加者の距離が近い講演会を続けて行きたいと思います。講演会の内容に則した事前散策は、両槻会主催講演会ならではの企画だと思いますので、これからも続けて行きたいと考えています。

  どうぞ来年の定例会もご期待ください。ご参加を楽しみにお待ちしております。
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 飛鳥遊訪マガジンや両槻会ブログでは、飛鳥に関わる現地説明会やニュースなどを出来る限りご紹介してきました。2010年の締めくくりとして、「2010年 飛鳥の考古学の動向」と題し、この一年の主だった動きをリストアップしてみました。中には、両槻会にご縁のある先生方が関わっておられるものもあります。

 また、ほんの一部ですが、公開されている発掘調査などの資料ページや 飛鳥遊訪マガジンに頂いた特別寄稿などのリンク先を再掲しました。現地説明会の現場へ、当日足を運ぶことはなかなか難しいものです。参加出来なかった方や資料をご覧になれなかった方もたくさんいらっしゃると思います。
 年末年始、ほっと一息つかれるときに、気になっていた遺跡の資料など捲られてみてはいかがでしょう。

 下記では、皆さんの記憶を喚起しやすいと思い、あえて新聞報道の見出しをリストアップしています。中には、センセーショナルなタイトルとなり、本来の遺跡の意味づけや発表内容にそぐわないタイトルや記事も多かったように思います。アマチュアが接する情報には限りがありますが、しっかりとした目を持ってこれらの報道を見つめて行きたいと思います。

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【2010年 飛鳥の考古学の動向】   (日付は新聞報道日)

【1月】
    6日 出土大刀は、純金の象嵌で中国製・東大寺山古墳
    7日 銅鏡片331点出土。81面以上が副葬 ・桜井茶臼山古墳
    8日 鏡は絹袋に包まれて?・桜井茶臼山古墳
   14日 来目皇子墓の可能性高まる 聖徳太子の弟、巨大な外堤・ 塚穴古墳
   20日 4世紀前半の方形区画施設跡。囲形埴輪のモデルか・秋津遺跡
   22日 檜隈寺創建時の工房跡か
   29日 井戸枠に扉を転用・天理市 小路遺跡
   30日 築造時の葺石を120m確認・巣山古墳

【2月】
    9日 7世紀前半頃の石敷きや石組溝跡・飛鳥京跡第164次調査
   18日 創建当初の塔の心柱を立てるやぐらの柱穴跡・中宮寺旧境内
   26日 食用に栽培か?縄文晩期中頃のクリの切株が25本・観音寺本馬遺跡

【3月】
   17日 槻の木広場か?7世紀の石敷跡を発見・飛鳥寺西方遺跡
   18日 蘇我氏の城柵か。丘陵に7世紀の塀跡・甘樫丘東麓遺跡
   30日 墳丘の裾で直線的に延びる石列。方墳か多角形墳・菖蒲池古墳

【4月】
    1日 東院地区で井戸跡・平城宮跡
    8日 「続日本紀」記載の唐出身の官僚「皇甫東朝」の名が須恵器に
                                        ・西大寺旧境内
   15日 東方官衙地区に執務空間・平城宮跡
       「平城第466次発掘調査」
   21日 平城宮造営中の地名入り木簡が多数・平城宮跡
   28日 七支刀は鋳造品?
   29日 7世紀前半の巨大な柱穴2基・島庄遺跡

【5月】
   11日 6世紀中頃の直径24mの円墳と確認・高取町・与楽鑵子塚古墳
   20日 7世紀後半の京内最大級の建物跡。内裏の先駆け?・飛鳥京跡
       「飛鳥京跡第165次調査」

【6月】
    3日 6世紀末~7世紀初めの大型掘立柱建物跡を検出・脇本遺跡
       「脇本遺跡(第15次)調査」
    8日 白鳳の軒丸瓦出土。西塔の創建時期が遡る可能性・当麻寺
   15日 地鎮具の壺から魚の頭部の骨。地鎮祭に呪術?・興福寺南大門跡
   17日 奈良時代に肉食か?役人の糞便から寄生虫・平城宮跡
   18日 飛鳥から奈良時代の寺院や宮殿の築造年代は、「雨落溝」が鍵に。
         川原寺創建を7世紀中頃と推定。
   20日 第一次第極殿回廊跡に南海地震時の地割れ・平城宮跡
   26日 井戸跡から烏帽子の人形・吉備遺跡
   26日 銅が腐食を防ぐ?・桜井茶臼山古墳

【7月】
    1日 大嘗宮の建物跡か!・藤原宮 
   22日 出土木簡に続日本紀に記載のある「大伴直宮足」の名・平城宮跡

【8月】
    4日 弥生前期の巨大集落跡・中西遺跡
   14日 藤原仲麻呂邸跡から「供養」の墨書土器出土
   31日 東塔の礎石出土・大安寺旧境内

【9月】
    9日 八角形墳で斉明天皇陵確定か・牽牛子塚古墳
    7日 祭祀用?2000個以上のモモの種出土・纒向遺跡  
   22日 文献に登場しない奈良時代の前身建物?・壷阪寺

【10月】
   25日 東大寺金堂鎮檀具の大刀は正倉院御物の「陽寶劔・陰寶劔」

【11月】
   18日 大嘗宮はなかった!・藤原宮跡
   19日 造営時の資材運搬用の運河支流跡検出・藤原宮跡
   24日 古墳前期の大型建物群跡。大王の祭祀施設か・秋津遺跡
   25日 2段築成の方墳・菖蒲池古墳

【12月】 
    2日 迎賓館石神遺跡への導水か?木樋跡検出・水落遺跡
    9日 大田皇女墓?牽牛子塚古墳の南面新たな終末期古墳・越塚御門古墳

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【資料編】

【1月】
 「秋津遺跡 現地説明会資料
 「飛鳥の古代寺院とその工房 -檜隈寺跡の調査成果から-」(*)

【2月】
 「飛鳥京跡第164次調査-外郭北部の調査-」 現地説明会資料
 「ある考古学者の発見-百済寺院の心柱を立ち上げた中宮寺のやぐら-」(*)

【4月】
 「飛鳥寺西の槻樹の下で歴史が動く-飛鳥寺西方遺跡の調査成果から-」(*)
 「平城第466次発掘調査」 現地説明会資料

【5月】
 「飛鳥京跡第165次調査」 報道発表資料 

【6月】
 「飛鳥宮の大型建物を考える -飛鳥宮内郭北辺の調査から-」(*)
 「脇本遺跡(第15次)調査」 報道発表資料
 「興福寺南大門跡の鎮壇具」 報道発表資料(#)
 「乱石組雨落溝の構造と変遷」奈文研紀要2010(#)

【7月】
 「儀式の広場が語るもの- 藤原宮朝堂院朝庭の調査から -」 (*)

【9月】
 「牽牛子塚古墳」 現地見学会資料
 「斉明天皇陵をめぐる謎 -牽牛子塚古墳の発掘調査から-」 (*)
 「纒向遺跡第168次調査」 現地説明会資料
 「秋津遺跡」現地説明会資料

【11月】
 「明日香村発掘調査報告会 2010」当日資料
 「儀式の広場が語るもの2 -藤原宮朝堂院朝庭下層の調査から-」(*)

【12月】
 「越塚御門古墳」 現地見学会資料
 「斉明天皇陵をめぐる謎2 -越 塚御門古墳の発掘調査から-」(*)

 (#)は、奈良文化財研究所の学術情報リポジトリのページになります。「本文をダウンロード」をクリックすると、PDFファイルが開きます。(*)は、飛鳥遊訪文庫にリンクしています。



【5】  「新年のご挨拶」 (11.1.7.発行 Vol.98に掲載)

 明けまして、おめでとうございます♪ 
 本年も変わりませず、飛鳥遊訪マガジンをご愛読・ご支援くださいますようにお願いいたします。まだ、年末臨時号でご挨拶をしたばかりのように思うのですが、2011年新春第1弾となります飛鳥遊訪マガジン98号をお届けします。

 飛鳥では年末の積雪もありましたが、当初の予報とは違って穏やかな正月になっています。気温は低いものの風は無く、過しやすい新年となりました。ニュースを見ますと、日本海側では被害も出るほどの雪だったようですが、皆さんのお住まいの辺りは如何だったでしょうか。

 昨年は、大和のお雑煮の話を書きました。きな粉雑煮は気持ち悪い!とか思われた方も多いでしょうね。(^^ゞ 美味しいのですけどね。ご興味のある方は、遊訪文庫の昨年お正月の記事をご覧下さい。

 大和雑煮

 さて、今年は風人の初詣を書きたいと思います。風人は、橿原市の北東部に住んで居るのですが、初詣は三輪明神や橿原神宮などという大和ではメジャーな神社が比較的近くにあります。昔は、大晦日から三輪に出かけ、年越し初詣の後、若水を頂いてそのお水で雑煮を炊くということをしていました。しかし、もう若くはない。(笑)近年は、温かい布団の中で年越しをするのが常になりました。

 今年は漸く2日に初詣です。それも近場です。(^^ゞ 風人の住まいの近くには、大和三山の一つとして知られる耳成山があります。その山の8合目付近に耳成山口神社が鎮座しています。年々この耳成山が高くなっているのではないかと風人は思うのですが・・・。(笑)山頂標高139.7mで、麓との比高は約80m、神社付近ですと60m程度ではないかと思います。息を荒げながら登り切ると、山中としては立派なお社があります。
 場所柄由緒正しい神社なのですが、この神社自体の由来ははっきりしません。正倉院の天平税帳(天平2<730>年)に記録が残り、延喜式に大社と記される耳成山口神社が、元々何処にあったかは確かではありません。山口神社ですから、あまり山頂付近に元々あったとは思えないわけです。

 それはともかく、律令制下での国家祭祀である祈年祭に、祈願の対象とされた「○○山口神社」と地名を冠して称される神社の一つに数えられています。飛鳥山口神社、石寸山口神社、畝火山口神社、忍坂山口神社、長谷山口神社、耳成山口神社の6社の内の1社です。祈年祭は天武天皇の頃から始まったともされますので、飛鳥時代には既に耳成山口神社が山中に存在していたのかも知れませんね。

 もう一ヶ所、大字の氏神さんにもお参りをします。市杵島姫神という宗像三女神のお一方を祀る市杵島神社です。神様のことはよく分かりませんが、この神社のある位置が面白いのです。今号にも関連記事がありますが、飛鳥時代の官道「横大路」と「中ツ道」の交差する所に近く、藤原京の東市が置かれた場所だとされています。詳しくは知りませんが、市杵島姫神は「市」との関係も深いとされ、市の位置を示す目安となると言う話を聞いたことがあります。

 いかがでしょう!風人はお正月から古代史の真只中で過しているのです。(笑)



【6】 「雪の便り」                    (11.1.21.発行 Vol.99に掲載)

 寒いですね~!冷蔵庫の中、いや!冷凍庫の中状態です。(((>_<)))こんなに寒い冬も久しぶりのように思います。地球温暖化なんて嘘だろう!とか思ってしまいます。

 皆さんのお住まいの辺りは如何でしょうか?日本海側の雪害が、頻繁にニュースとして流れてきます。被害や不便に合われた方が居られましたら、お見舞い申し上げます。

 秋田県在住で風人の知人であります飛鳥応援大使のさきもりさんから、豪雪の便りをいただきましたのでご紹介します。

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 写真の二本の木は、ケヤキだそうです。
 http://asuka.huuryuu.com/bunko/jiyu-roku/99/akita-hutatuki.jpg

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 つまり槻の木であります。両槻ですね♪ そして酒田市の飛鳥にある飛鳥神社です。

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 明日香村にある飛鳥坐神社を、奈良時代に分祀したとされているようです。当時の朝廷の東北経営と関わるのかも知れないですね。あっ、詳しいことは知りません。m(__)m いつか、さきもりさんにレポでも書いていただきましょう。(笑)

 さて、一月も半ばとなりました。飛鳥では、年中行事の勧請綱掛神事やとんども終りました。見学や参加された方も居られるでしょうか?写真など撮られていましたら、ご投稿をお願いしますね。

 一昔前の飛鳥では、大字ごとに行われる大とんどの火を貰い受けて小豆粥を炊き、家のあちこちにお供えをするのだそうですが、今ではされているお家は少ないでしょうね。そうそう!「とんど」というのも、色々な呼び名があるのではないでしょうか。「左義長」「さぎっちょ」「どんど」などは聞きますが、きっと地方色豊かな名前があるのではないかと思います。違う名称をご存知の方は、教えてくださいね。

 一行目を、もう一度ご覧ください。100号目前です!お知らせのコーナーをご覧になって、是非4周年・100号記念読者投稿にご応募ください。m(__)m 430名を超える読者が居てくださいます。だから、私が投 稿しなくてもと思われるかも知れませんが、皆さんがそう思われるので、まだまだ投稿数が少なくて困っております。難しいことを書いていただく必要はありません。「飛鳥が好きです!」「飛鳥には、こんな思い出が有ります。」と言うようなことを書いていただければ大丈夫です♪両槻会やこのメルマガのことでも結構ですよ。読まれている先生方も投稿歓迎です。(笑)よろしくお願いいたします。

 残念ながら、風人はこの1週間、風邪引きでした。前号発行日から、出かけたのは1日だけ。橿考研博物館の特別陳列「十二支の考古学-卯-」に関連する講演会を聴講しただけでした。菅谷先生・鹿谷先生のお話は、とても興味深く、楽しいものでした。お月様のウサギは、いつから餅をつくようになったのか?などというお話でしたので、肩も凝らずにお聞きできました♪古代においては、ウサギは薬をついていたようですよ。天寿国繍帳などに描かれているのだそうです。お餅つきなんて、皆が知るようになるのは江戸時代なんでしょうね。その辺りが転換点ではないかというようなお話でした。

 病み上がりの風人は、時遊録のネタもありません。(^^ゞということで、本編にささっとお進み下さい。いつもが長すぎる? m(__)m



【7】 「4周年・100号御礼」               (11.2.4.発行 Vol.100に掲載)

 飛鳥遊訪マガジンも2007年12月7日の創刊号より、積み重ねてきました号数が100を数えることになりました。これも偏にご愛読くださる皆さんと、お忙しい中、執筆を担当してくださいます先生方のご支援の賜物だと思っております。改めまして、御礼を申し上げます。

 また、飛鳥遊訪マガジンを発行しております両槻会は、2月12日をもちまして4周年を迎えることになりました。講師を引き受けてくださいました先生方、定例会にご参加くださいました延740名の皆さん、ありがとうございました。重ねて、御礼を申し上げます。

 5年目、101号に向けて、会を代表いたしましてご挨拶を申し上げます。

 飛鳥好きの者がネットを通じて知り合い、飛鳥をもっと楽しみたい、もっと深く知りたいという思いを持ち、両槻会を創設しましたのが、2007年2月12日のことでした。両槻会の原点はそこにあります。
 今では、定例会という年6回のイベントを企画し、講演会やウォーキングを当たり前のように実施していますが、私達スタッフは大半の読者の方々と同じ単なる飛鳥好きの者に過ぎません。設立当初は、講師をお願いする当ても無く、どのようにすれば講演会が開催出来るのか、また借りられる会場があるのかどうかも分かりませんでした。その事を思うと、両槻会は大きく育つことが出来たと思っております。

 両槻会は、会員制を採っておりません。今後も会員制を導入することはありません。会として成文化した会則を設け、組織化することもありません。定例会などでお会いする方々に、「もっと大きくなれば良いですね。」、「きっちり組織化すればどうですか。」、などというご意見やご質問をいただきます。答えは、先ほど書きました原点にあります。

 私達スタッフは、決して何かを成し遂げるという高邁な目的を持って集っているわけではありません。両槻会は、私達スタッフが学び楽しむことを最大の目的とした集いなのです。そして、「こんなに楽しいことを企画しましたから皆さんもご一緒に如何ですか」とお誘いをする。これが千古不変の両槻会の基本姿勢であります。

 組織は、往々にして自らの意思で肥大化しようとします。そのような目的の置換をスタッフは嫌い、基本姿勢を頑なに守って行きたいと考えております。会の責任者が会長ではなく、定例会の企画・運営を担当する事務局長であるのも、そのような考え方によります。また、スタッフはボランティアや世話係ではなく、一参加者でもあります。ですから、スタッフも参加費を払って定例会に参加しております。

 私達両槻会は、様々な方に知っていただけるようになりました。昔のように、ご支援を下さる先生方を探し、参加者を集めるために、汲々とすることもなくなりました。ありがたい環境が整ってまいりました。だからこそ、今、スタッフは原点に立ち返る必要を感じております。皆さんのご見やご期待とは逆行するかも知れませんが、両槻会とは何だったのかを問う5年目としたいと考えております。

 今が最大の活動状況です。それを如何に維持して行けるかが最重要課題だと考えております。スタッフも皆さんと変わらぬ諸事情や日常を抱えおります。如何にそれらを乗り越えて行けるか、今後難しい局面も出てくるものと思います。皆さんの一層のご理解と力強いご支援が無ければ、両槻会の存続は難しくなって行くことでしょう。

 スタッフは、出来る限りの熱意と努力をもって「飛鳥好きの全ての人を会員とし、飛鳥を愛する心を会則」として運営を続けて行きたいと思っております。両槻会ならではの定例会を企画し、スタッフと参加者が共に楽しめる定例会を目指したいと思います。

 また、今まで同様に講演や現地探訪そのものだけではなく、飛鳥遊訪マガジン「咲読」を開始する2ヶ月前から終了後のレポート・資料集のサイトアップまでを含めた期間に、テーマについて皆さんと共に学べる機会にして行ければと考えています。

 どうぞ今後共、両槻会を温かく見守り、ご支援を賜りますように、切にお願い申し上げます。

 さて、今号は、特別な記事構成でお楽しみいただきます。ローテーションで書いてくださっている先生方の記事とスタッフの飛鳥話・咲読はお休みをいただき、特別寄稿とスペシャル飛鳥情報と、そして募集にお応えくださいました読者投稿の中から、玄武賞に輝きました「らいちさん」、青龍賞に輝きました「Tadさん」のご投稿をメインに構成しております。飛鳥遊訪マガジン100号を記念するに相応しい内容となっておりますので、ごゆっくりお読みください。



【8】 「雪の飛鳥」                  (11.2.18.発行 Vol.101に掲載)

 立春も過ぎましたが、飛鳥は10日深夜から大雪になりました。といっても東北・北陸の豪雪とは比べ物にならない10cmほどの積雪だったのですが、それでも雪に慣れない飛鳥地域では、近年にない大雪でした。原稿を書いています13日でも、まだ雪が残っています。

 両槻会ブログなどで、この大雪の写真を募集しましたところ、写真をお寄せ下さいましたので、ご紹介させていただきます。是非クリックで拡大して、ご覧下さい。
 ご協力くださいましたのは、yosioさん、ぷーままさん、らいちさん、木下さん、suibiさんです。ありがとうございました。

石舞台・2月11日(yosioさん撮影)
川原寺跡・2月11日(yosioさん撮影)
真神原・2月12日(ぷーままさん撮影
多武峰西門から飛鳥方向・2月13日
(らいちさん撮影)
小原・2月11日(木下さん撮影)
 酒船石(suibiさん撮影
クリックで拡大します

 前号発行から本日までに、飛鳥ではまたまた発掘調査の成果が発表されました。第24回定例会の講師であり、発掘を担当されていました大西先生にご案内をいただきました「飛鳥寺西方遺跡」から、飛鳥寺の西参道ではないかと思われる石敷遺構が検出されました。槻の木の広場を通り、飛鳥寺西門に真直ぐに向かう通路だと考えられるようです。


飛鳥寺西方遺跡と南方遺跡外略図(事務局作製)

 遺構の報道発表資料も是非リンクを飛んでご覧下さい。また速報展示も紹介しています。
 飛鳥寺南方及び西方遺跡(飛鳥京跡第168次)発掘調査の概要


 今号は、創刊100号記念特集の第2弾と致しまして、特別な構成になっています。まず、特別寄稿と致しまして、飛鳥遊訪マガジン初登場となります奈良県立民俗博物館の鹿谷勲先生が、「ある日の明日香」と題しまして、季節感もピッタリな原稿をお書きくださっています。民俗学者ならではの細かな観察眼や取材によって、興味深い読み物になっています。
 続きまして、2月6日に行われました「飛鳥京跡苑池第5次発掘調査現地説明会」を踏まえまして、この調査を通して分かったことを、あい坊先生がお書きくださいました。特別寄稿としまして、この旬な飛鳥情報をお読みいただければと思います。
 「飛鳥の名勝庭園 飛鳥京跡苑池 -飛鳥京跡苑池の発掘調査から-」

 4周年・100号記念投稿は、朱雀賞を受賞されました”よっぱさん”の「私の飛鳥・両槻会」を掲載いたしました。また、再開しました咲読は、若葉が担当しています。掲載記事がたくさんありますので、スタッフの飛鳥話は今号もお休みさせていただきました。



【9】 「弥生三月」                    (11.3.4.発行 Vol.102に掲載)

 3月ですねぇ~♪ 弥生三月花見月ですねぇ~♪ 心も明るくなるような気がします。けれど、奈良では東大寺お水取りが終わるまでは、もう少し冬も居座ります。寒暖の差も大きくなりますので、体調には気をつけないといけませんね。

 風人は、先日、蕗の薹を食べました。ほろ苦い味で、口の中には一足先に春がやって来ました。大量に食べる物ではありませんが、季節感のある食べ物として風人は好きです。普通は天ぷらだと思うのですが、串揚げと蕗の薹味噌でいただきましたよ。美味です♪

 先日、三輪山の麓、茅原大墓古墳から面白い顔の埴輪が出土しました。「盾持ち人埴輪」と言うのだそうですが、人物を模した埴輪としては最古の物だと報道されました。現地説明会も行われましたので、この武人と対面された方も居られると思います。考古学的なことはともかく、冑の下の顔は、笑っているように見えます。

 埋葬された人を守る意味もあるだろう武人の頭部を持つ盾形埴輪です。そのちぐはぐさが面白いですね。葬られた人も、頼りない奴に守られて不安だったかも知れません。(笑)埴輪にもゆるキャラブームがあったのでしょうか? (^^)

 さて、今号は、創刊100号記念の第3弾になります。第25回定例会の講師を務めて下さいます井上さやか先生が、原稿を寄せてくださいました。是非、お読みいただいて、第25回定例会にもご興味を持っていただければと思っております。両槻会では、初めての実施となります万葉関連の講演会です。今後、両槻会定例会で万葉関連も続けて行くためにも、多数の方のご参加をお待ちしております。
 もう1本、ご寄稿があります。アジクさんの「飛高百新」です。また、飛鳥情報スペシャル版としまして、橿原考古学研究所附属博物館で行われています特別陳列「埴輪(はにわ)のはじまり-大和の特殊器台とその背景-」について、主任学芸員の山田隆文先生がご紹介の記事を書いてくださっています。
 また、4周年・創刊100号記念読者投稿の最後を飾りますのは、白虎賞に輝きました「さきもりさん」のご投稿です。飛鳥遊訪マガジンには、秋田の豪雪の写真をご投稿いただきましたので、覚えていただいている方も多いと思います。



【10】 「両槻会の決意」                (11.3.18.発行 Vol.103に掲載)

 大変な災害が起こってしまいました。自然の驚異の前に、人間は無力なのでしょうか。これ以上の被害拡大が無いように祈るばかりです。
 飛鳥遊訪マガジンの読者の方の中にも、被災された方が居られるかも知れません。また、親戚・友人・知人が被災された方が居られるのではないかと思います。言葉で書きますと、あまりにも軽くなってしまいますが被災者の皆さんに心よりのお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 両槻会では、明後日20日が定例会の実施日となります。このような時期にという考えも有りましたが、被災者の方への支援の機会にも出来るのではないかと思い、予定通りに開催することに致しました。重い心を引きずっての開催となると思いますが、私達もまた前に向かって立ち上がらなければならないと思っております。

 事務局では、定例会において義援金を募ることにしました。また、事務局からは、参加費の経費を除いた全額と運営費の一部、またスタッフが飛鳥グッズの一つとして企画に係わりました「古代瓦ストラップ」の定例会での収益金全額を、義援金として寄付することに致しました。
 集まりました義援金は、日本赤十字社を通じまして、被災地の支援のために役立てていただこうと思っています。義援金の取り扱いにつきましては、飛鳥遊訪マガジン104号にて顛末をご報告いたします。

 なお、両槻会は、事務所を現実世界に持ちませんし、専属のスタッフもおりませんので、義援金の受付は定例会開催中・参加者に限らせていただきます。(3月20日(日)橿原神宮前駅東口9:30~9:50、飛鳥資料館講堂前12:45~13:00、にお持ちくだされば、お預かりすることは可能です。)

 全ての人にとりまして辛い時期ではありますが、ひと時、心を飛鳥に遊ばせていただければと考えております。





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