両槻会(ふたつきかい)は、飛鳥が好きならどなたでも参加出来る隔月の定例会です。 手作りの講演会・勉強会・ウォーキングなどの企画満載です。参加者募集中♪



飛鳥時遊録


 真神原風人飛鳥三昧



「今の時」と「古の時」
二つの「時」をテーマに自由に時を翔けめぐり、
今この時と飛鳥時代を結ぶ記事に出来ればと思います。

耳成山口神社
第30回定例会のご報告
飛鳥の考古学 2011
久々の飛鳥ウォーク
今後の予定
特別回 紀路踏破の趣向
春の特別展
花見
飛鳥資料館の春期特別展
10 第32回定例会無事終了
11 飛鳥ウォーキング


60号まで季節・時事記事は、こちら♪
61~69号までの時遊録は、こちら♪
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【1】 「耳成山口神社」       (12.1.6.発行 Vol.124に掲載)

 皆さん、明けましておめでとうございます♪本年も、ご購読よろしくお願い致します。

 お正月休みは、いかが過ごされましたでしょうか。故郷に帰られた方も、多いのではないかと思います。地域毎、お家毎の風習やお正月風景など、投稿していただければと思います。どうぞ、お気軽にメールで送ってください。お待ちしています♪

 飛鳥では、2日に一雨ありましたが、まずまず穏やかな正月になったように思います。若干寒かったように思うのですけど、飛鳥では雪は降りませんでした。

 さて、今号の時遊録では、風人の初飛鳥レポをと思っていたのですが、暮れの慌ただしさの中で風邪を引いてしまい、元日、2日と、家にこもっていました。この記事は、3日が原稿締切日になりますので、3日に書いているのですが、まだすっきりしない状態が続いています。(-_-)  

 そんな中ですが、残念ながら飛鳥までは行けませんでしたが、漸く初詣に出かけてきました。参拝したのは、耳成山口神社です。いつもなら新年早々に夜参りをするのですが、3日のお昼過ぎの参詣となり、境内は音もなくひっそりと静まっていました。

耳成山口神社

 風人は、大和三山の一つとして知られる耳成山の近くに住んでいます。山までは、約1kmと言ったところでしょうか。昔は、我が家からも耳成山の端正な山容が望めたのですが、今は家の屋根に何重にも遮られて見ることは出来ません。三山の中では、もっとも低い山(139.6m)ですが、裾野が伸びないので香久山よりも目立っています。耳成と書けば、耳があるように思いがちですが、耳無と書くと正反対に耳が無いことを表しているようですね。耳梨などとも書かれますが、果たして山名はどのような意味があるのでしょうか。一説には、耳(顏から出ている)のような付け足しの突起や尾根が無いところから名づけられたとされるようですが、しかし耳のように地上から出ている(成っている)とも解釈できるわけで、真相はどうなんでしょう。謎を楽しみましょうか。(笑)

 「耳無の 青すが山は 背面の 大御門に 宣しなへ 神さび立てり」 万葉集 巻1-54 

 藤原の宮の御井の歌の一部ですが、「藤原宮の鎮護の山として、北にまことに神々しく立っている」とでも訳せば良いでしょうか。香久山や畝傍山とは表現が違い、「神々しい」と書かれています。現在では、他の二山ほど注目されませんが、宮のほぼ真北になりますので、特別な思いがあったのかも知れません。

耳成山

 耳成山口神社は、その8合目ほどに在ります。山の上にあるのに山口とはこれ如何に!(^^ゞ 登るとちょっとばかりしんどいです。ちょうど甘樫丘に登るような感じでしょうか。

 延喜式内大社です。○○山口神社と言うのは、有りそうですけど古くは6社しかありません。飛鳥山口神社、石寸山口神社、畝火山口神社、忍坂山口神社、長谷山口神社、耳成山口神社です。皇室の用材を切り出す山として、言わば国有林のような扱いを受けた山と言えるようです。
 耳成山口神社は、祭神は大山祗神・高御産霊神とされています。創建時期は分からないのですが、古くは『正倉院文書』の正税帳の730(天平2)年に天皇より稲を給わった事や、『延喜式神名帳』に大社として月次祭・新嘗祭を仰せつかったとの記載があるそうです。また、806(大同元)年に、天皇の遣使によって雨乞いの神事が行われたと記録が残っているようです。これ以降も、雨乞いの神事に関する記録があるようで、雨乞い祈願が近年まで行われていた様子があります。両槻会特別回として行いました「奥飛鳥滝巡り」の参考資料にも関連記事を掲載しましたので、参考にしてください。

 「奥飛鳥滝巡り」資料ページ

 南側の池(広池)から登り、10分ほどの登りに耐え、新年の祈願をしたのですが、帰りは山頂に登ってみました。全く展望はありません。三角点の表示があるだけなのですが、山頂付近は、手を加えられているような気もします。中世城砦でもあったのでしょうか。
 そんなことを思いながら、風人の初歩きは、僅かに4,038歩、2.6kmほどでした。また、元気に歩かねばなりません。頑張ります♪



【2】 「第30回定例会のご報告」             (12.1.20.発行 Vol.125に掲載)

 年明けから寒い日が続きます。北の方からは豪雪のニュースが頻繁に届きますが、皆さんのお住まいの地域は如何でしょうか。これから本格的な厳冬期がやってきますが、風邪などひかずに過ごしたいものですね。

 さて、14日に第30回定例会を行いました。飛鳥資料館の共催という形を採っての開催となりましたが、然したる混乱もなく楽しい定例会を実施出来たのではないかと思っています。ご講演をいただいた田辺征夫先生、ご参加くださった皆さん、ご協力をいただきました飛鳥資料館の皆さん、ありがとうございました。

 定例会には、午前中の坂田寺跡の現地案内から約30名の方が参加をいただきました。一つの寺跡で30分の説明は長いのではないかと判断していたのですが、実際には時間が足りず、案内役の風人としては、充分な案内が出来なかったのが心残りでした。その部分は、配布しました資料で各自補っていただければと思います。

 皆さんと共に飛鳥鍋を食べ、本会場の飛鳥資料館に向かいました。スタッフ風人とももは、先行して飛鳥資料館に向かったのですが、皆さんには、ゆっくり食事をしていただけたものと思っています。
 先行した二人は、当日の打ち合わせや会場前の受付の設置など、慌ただしく時間を過ごしていました。先生との打ち合わせの中で、飛鳥資料館で展示中の坂田寺出土遺物の見学などの案も出て、よりイメージを掴んで講演会に向かっていただけることになったと思います。

 田辺征夫先生の講演は、予定の時間を超えて2時間に及びました。創建伝承から始まる飛鳥時代の坂田寺のお話、そして奈良時代の発掘された坂田寺の説明へと進みました。また、ご自身が発掘を担当されたお話も交えられ、淀みないお話が続きます。飛鳥時代の初期寺院の概要にも触れていただき、この時代の飛鳥の姿にも話が及びました。建物の方位にも触れられ、飛鳥の都市計画について語られたところで時間が来てしまいました。
 「今は90分の講演で精一杯です。」と仰っていたにもかかわらず、時間を延長しての熱心な講演をいただき、先生には感謝の言葉もありません。
講演終了後は、若干の質疑応答にもお答えいただきました。ありがとうございました。

 講演終了後は、飛鳥資料館から申し込みをいただきました方にも自由参加の形で懇親会にも加わっていただき、両槻会らしい時間を過ごしました。

 初めての試みとなりました飛鳥資料館との共催ですが、まずまずの成果を上げられたのではないかと思います。今後、どのような形になるかは分かりませんが、より楽しい定例会を実施して行ければと思っています。



【3】 「飛鳥の考古学 2011」          (12.2.3.発行 Vol.126に掲載)

 寒いですね!日本海側は大雪、太平洋側は低温と乾燥、飛鳥は盆地特有の底冷えと厳しい冬になりました。こんな時にはインフルエンザも蔓延しますので、充分に対策を講じておきたいものですね。飛鳥では、流石に散策の人影もまばらになっています。寒風の中のサイクリングは辛いですから、仕方がないのかも知れません。ですが、こんな時ならではの静かな飛鳥が好きな方も居られるのではないかと思います。「飛鳥には喧騒は似合わない」そんなことを言っては叱られるかもしれませんが、風人は人が少ない厳冬期の飛鳥も好きです。

 両槻会は、2月12日に創設記念日を迎えます。丸5年の活動を振り返ると、会を継続出来たのが奇跡としか思えません。僅かなスタッフが、余暇を利用して運営を続けてきました。ここに至るまでに頂いた先生方のご支援と、飛鳥資料館のご理解、参加・購読してくださる皆さんに、心よりの感謝を申し上げます。ありがとうございました。m(__)m

 6年目に、何が出来るのかは分かりません。両槻会は、飛鳥を良くするのだ!飛鳥のために何かを成すのだ!と言うような高邁な目標設定はしません。ただただ飛鳥が好きな者が集まって、もっと楽しく遊びましょうと言うのが最大の目標です。面白可笑しいばかりが楽しいことではなく、ほんの少しずつですが知的好奇心を満たしていければ、なお楽しいのではないかと思っています。どうぞ、6年目の両槻会にもご支援をいただきますようにお願い致します。

 さて、飛鳥情報でも紹介していますが、飛鳥資料館の冬期企画展が始まっています。今回は、2010年度の調査を中心に展示がされているのですが、牽牛子塚古墳の復元模型やCGなど素人にはより馴染みやすい展示になっているように思いました。主な展示は、現在も調査が続けられている甘樫丘東麓遺跡、大勢の見学者が列を作った牽牛子塚古墳・越塚御門古墳、檜隅寺周辺、水落遺跡、飛鳥京跡などがあります。

 両槻会として特に注目したいのは、坂田寺跡の鎮壇具の研究成果の報告です。遺物自体は以前に出土している物なのですが、主だった鎮壇具を目の前にすることが出来ます。定例会時には、銅銭や金箔などは見ていただくことは出来ませんでしたが、奈良時代の建立時期を決定づけたこれらの遺物を、企画展ではじっくりと見ることが出来ます。定例会に参加していただいた方には、一層興味深い展示になるのではないでしょうか。ハート型水晶も見やすい形のケースに入れられ、より可愛らしさが際立っていました。

 風人個人としては、檜隈寺周辺(飛鳥藤原第164次調査)の展示を興味深く見学しました。飛鳥遊訪マガジンで連載をしていただいていた、ゆき先生が担当された調査だったということもあるのですが、瓦組暗渠の下部が展示ケース内に実際に組まれていました。また、「呉」(字体は異なる)と書かれた墨書土器や両槻会ではお馴染みになった火焔文軒丸瓦のほぼ完形品なども有り、目を引きました。

 今回の企画展では、新しい試みが有りました。2011年に、奥飛鳥が重要文化的景観に選定されたのですが、その飛鳥川の源流地域の景観や伝統行事などを紹介するパネルが、多数展示されています。景観もまた貴重な文化財の一つであるとする考え方に立っての展示だと理解しているのですが、そのような取り組みの中で、飛鳥の景観が守られていくことを願います。展示の中には男綱のシンボルも有り、企画展の展示スペースへと階段を下りて行くと正面に置かれており驚かされます。普段は、高い綱にぶら下げられていますので実際より小さく見えるのですが、目前にすると大きなものです。綱の綯い方も見てみると面白いですよ。

 さて、この企画展に関連して、写真展も行われます。締切が近づいていますが、皆さん、是非応募してください。応募方法など詳細は、飛鳥情報のコーナーをご覧ください。風人も、応募しました。結果は気にせずに、参加重視の応募なのですが。(^^ゞ



【4】 「久々の飛鳥ウォーク」                  (12.2.17.発行 Vol.127に掲載)

 寒の戻りなどという言葉も聞かれる今日この頃、寒いですね。けど、石舞台公園では梅の花が一輪開いていました。まだまだ硬い蕾がほとんどですが、なにか冬の脱出口が見えた気がして、ほっとしました。春よ来い!早く来い♪

 さて、晴天となった11日、日差しは暖かく感じられ、吹く風こそ冷たいものの絶好のウォーキング日和となりました。汗かきの私は、防寒具を身に着けて早足になると汗ばむほどでした。しかし、冷たい風が汗を押えてくれるので、防寒着を緩めると心地よく歩けました。飛鳥にも久しぶりに観光客がたくさん来られており、外国人観光客の中には、Tシャツ一枚の強者も見かけました。そこまで暑いわけではないのですけど! 欧米の方って、日差しが有ると薄着になったり裸になったりされますよね。(^^ゞ

 初めて行われた飛鳥資料館の写真コンテスト「知られざる飛鳥の情景」の審査が終わり、入賞作品の展示が11日から始まりました。飛鳥遊訪マガジンのお知らせを見て応募していただいた方も多かったのでしょうか、総数162点の力作が集まったそうです。入賞作品の中には両槻会定例会でお馴染みの名前も見かけることが出来、両槻会も作品募集に少しはお役にたったのかも知れません。出来レースと思われるかも知れませんが、風人の写真も選んでいただけ「従二位 古都写真大納言」を拝命することが出来ました。

 資料館のB1には、入賞作品と佳作が多数展示されています。素敵な飛鳥の情景を、是非ご覧ください。感想などを投稿していただければ、なお嬉しく思います。
 また、飛鳥資料館冬期企画展も開催されていますので、こちらもご覧ください。発掘調査で分かった地面の下の興味深さと、守られてきた景観を織り交ぜた地上の魅力を、共に見ることが出来ます。地下の遺産と地上の遺産、風人はどちらが欠けても飛鳥らしさは無くなると思います。どちらも、未来に繋がるように大事にして行きたいものですね。

 11日は、高松塚壁画館にも行きました。ちょうど「高松塚古墳40年の歴史」展が始まりましたので、見学してきました。40枚ほどのパネル展示なのですが、40年前の発見当初の興奮を思い起こしました。全くの門外漢だった私ですが、高松塚の現地を訪れ、その長蛇の列に並び竹藪の周りに作られた柵を眺めました。何も見えるはずはないのですが、報道で知るだけではなく大騒ぎの中に身を置いたことが深く記憶に刻まれ、私がいつしか古代に魅せられてゆく足掛かりになったのかも知れません。今では、綺麗な公園に成り過ぎた気もしますが、やはり飛鳥ではメジャーな史跡ですから、訪れる方に理解しやすい展示施設なども必要なのでしょう。小さな展示館ですが、期間中に足を運ばれては如何でしょうか。風人は、高松塚古墳から中尾山古墳に登って、立部から橘に抜けるコースを良く歩きます。飛鳥の裏道は素敵ですよ♪



【5】 「今後の予定」                  (12.3.2.発行 Vol.128に掲載)

 まだまだ寒い日が続いていますが、梅の開花情報もぼちぼち聞こえてきました。明日の第31回定例会の道中で、綻び始めた梅の花を見ることは出来るでしょうか。私は、これからの時期、春の山菜を楽しみにしています。蕗の薹やタラの芽を、天ぷらやフライでいただきます。揚げたての熱々を口に入れるとほろ苦い春の味がして、何やら懐かしいような温かい心持がしてきます。旬の味は、美味しいですね♪週末の飛鳥歩きの後で訪ねるいつものお店のメニューに、早く出てこないかなと心待ちにしているこの頃です。

 さて、楽しみにしていた甘樫丘東麓遺跡の現地説明会が、4日(日)に行われます。この原稿を書いている時点では内容は分からないのですが、注目の遺跡ですから成果が期待されますね。蘇我氏邸宅を決定づけるような遺構や遺物は見つかったのでしょうか。風人も、説明会に参加したいと思っています。また、長蛇の列が出来るのかも知れませんね。

 この2週間、事務局では大きな動きが有りました。お知らせのコーナーでも書いていますが、時遊録でも風人視点で紹介したいと思います。

 まず、特別回定例会として「紀路踏破-有間皇子追慕の道を歩く-」と題したウォーキングを実施します。両槻会HPやブログで先行して募集していましたので、早くも定員まで僅か数名になっています。参加ご希望の方は、出来るだけ早くお申し込みください。紀路をまとまった距離で歩く機会は、少ないと思います。今回は、橿原神宮前駅丈六付近から、今も奈良と和歌山の県境となっている真土山まで歩くことにしました。総距離25kmを超える長丁場ですので、健脚の方のみとさせていただきます。両槻会ではお馴染みの清水昭博先生が推定されている有間皇子邸を出発地点としましたので、上記のようなサブタイトルにしましたが、有間皇子押送の旅路と言っても良いかも知れませんね。有間皇子になりきったり、反対に蘇我赤兄になってしてやったり!と思って有間を連行する気分で歩くのも面白いかも知れません。ご一緒に妄想ウォーキングをしてみましょう。(笑)

 また、第32回(5月)定例会の主催講演会の演題が「小山廃寺(紀寺跡)を考える」に決定しました。帝塚山大学の森郁夫先生に、小山廃寺とはどのようなお寺なのかを詳しくお話しいただくことになります。ガイドブックや地図では紀寺跡と書かれますので、小山廃寺というと馴染みのな
い方も居られるかも知れませんが、なぜ小山廃寺と呼ばれるようになったのかを含めて、興味深い講演になることと思います。

 三つ目は、第33回(7月)と第35回(11月)の予定を変更したことです。第33回は帝塚山大学 甲斐弓子先生の講演、第35回定例会は同じく帝塚山大学 清水昭博先生のご案内によるウォーキングを実施することになりました。詳細は、追ってお知らせいたします。

  寄稿は、近江先生の“飛鳥のみち 飛鳥への道 その3「番外編 葛城氏と紀路」”です。特別回「紀路踏破」は、この記事に合わせての実施になります。今号には、あい坊先生の特別寄稿が有ります。飛鳥宮の北東部で大規模な土地造成が行われたことが分かりましたが、先日の橿考研の発表から数日の内に、詳しい解説を皆さんにお届け出来ることになりました。風人は「大君は神にし坐せば水鳥のすだく水沼を都となしつ」という万葉歌を思い起こしました。



【6】 「特別回 紀路踏破の趣向」                (12.3.16.発行 Vol.129に掲載)

 暖かくなったと思えば、また寒くなり、気温差が大きい季節になりましたね。風人は、風邪をこじらせてしまったようです。(-_-) なかなか治ってくれず、辛い日が続いています。皆さんも、お気をつけてください。

 風人は、見に行けてないのですが、梅の花が漸く見ごろになっているようですね。時折、民家の庭先の梅の木が満開になっているのを見かけますが、梅園などはどうなのでしょう。飛鳥では、真弓地ノ窪に大きな紅梅があるのですが、徐々に樹勢が衰えているようです。今年はどのような咲具合を見せているのか、気になっています。風人が好きな梅の木は、尾曽にある紅梅です。二本の木の間から、二上山や畝傍山が見えるんですよ。一度定例会で訪ねましたね。また、明日香村ではありませんが、香久山の南登山ルートの途中に一本の白梅があります。それぞれに訪れたいところなのですが、残念ながら今年は難しそうです。(>_<)

 さて、たくさんの参加申込が有り、定員を増やした(20名)特別回「紀路踏破 -有間皇子追慕の道を行く-」の企画についてお話ししたいと思います。両槻会が長距離ウォーキングに挑戦するのは、3回目になります。「下ツ道踏破」(橿原神宮前駅東の丈六交差点から平城京大極殿まで)、「壬申の乱ウォーク」(明日香村嶋庄から吉野町宮滝まで)を歩きました。いずれの回も募集を開始すると、あっという間に定員に達して、健脚の方が多いのに驚いてしまいます。そして、過去2回とも全員が完歩しています。今回も、全員一緒にゴール地点に到着したいものです。

 下ツ道では、平城宮大極殿で聖武天皇が待っていて下さるという設定で、遠つ国の缶コーヒーなる珍宝を献上に向かいました。また、壬申の乱ウォークでは、書紀の旧暦日付に合わせて開催し、旧道を歩くことで、より追体験が出来るように企画しました。
 
 今回の「紀路踏破」では、「有間皇子ごっこ」をしながら歩きたいと思っています。『日本書紀』の有間皇子の変として知る方も多いと思いますが、斉明4(658)年11月5日、皇子は謀反の容疑で拘束され、紀路を通って紀温湯に押送されます。そして、11日に藤白坂で絞首刑に処せられました。皇子は尋問に答えて、「天與赤兄知。吾全不知」と言っています。有間を陥れる陰謀があったとする説や、実際に謀反をたくらんだとする説もあるようですが、両槻会らしいシナリオを作りたいと思っています。そして、コース中の4ヶ所程度で、寸劇を交えて遊びながらのウォーキングが出来ればと、只今知恵を絞っている真っ最中です。どうぞ、参加の皆さんは、ご協力のほどをお願いします。また、今回参加していただけなかった皆さんは、レポートをお楽しみにしてください。どのような有間皇子の変が展開されるでしょうか。

 今号は、あい坊先生が通常の連載ではなく、3月4日に行われました甘樫丘東麓遺跡の発掘調査に関して、その成果をまとめてくださっています。

 特別寄稿 飛鳥時代の画期を跨ぐ遺跡-甘樫丘東麓遺跡の調査から-

 風人も現地見学会に足を運んだのですが、近くで見学していた人達の中には、なんだか分からん!と言っておられた方達も居ました。古代史ファンとしては、もっと蘇我氏との関連を示す遺構や遺物を期待していたのに、がっかりしたのでしょうね。

甘樫丘東麓遺跡 現地見学会の様子

 しかし、あい坊先生の記事を読んで、その意味するものを掴んでいただければ、また興味も増すのではないかと思います。



【7】 「春の特別展」                  (12.3.30.発行 Vol.130に掲載)

 この時期は、別れと出会いの季節ですね。皆さんの中にも、職場や学校など環境が変わった方も居られることでしょう。なにかしら落ち着かない日々が続きますが、こんな時だからこそ、大きく深呼吸をしてみるのも良いのではないでしょうか。飛鳥の菜の花畑の真ん中で、ふー!っとしてみると気持ちが良いですよ♪ そんなことが、きっと新年度への活力になると思います。皆さんも是非♪

 各資料館・博物館で、春の特別展やそれに関連する講演会・イベントの予定が出てきました。飛鳥情報のコーナーで出来るだけ紹介したいと思っているのですが、スタッフが気付かなかった情報がありましたら、是非お知らせください。

 風人は、とりわけ飛鳥資料館の春期特別展を楽しみにしています。「比羅夫がゆく‐飛鳥時代の武器・武具・いくさ‐」というテーマなのですが、両槻会では第15回定例会として、今回も関連の講演をされる豊島直博先生を講師にお招きし「飛鳥時代の戦いと武器-大化改新の時、蘇我氏はどのような武器で戦ったのか?-」を開催しました。両槻会HPの関連ページを参照してください。

 第15回定例会 咲読

 この定例会の担当スタッフであった私には、とても思い出深い回になっています。今でもgoogleの画像検索で「飛鳥時代の武器」などを調べてみると、風人作の画像がトップに掛かります。実は、刀剣甲冑のイラストを随分と描きました。必死に調べて、ついには難解な軍防令まで読んだのを覚えています。講演会では、豊島先生が貴重な資料まで会場にお持ちくださり、本物の鉄鏃などに心を躍らせました。今回の特別展では、その復習と定例会の記憶を蘇らせながら楽しみたいと思っています。ご興味のある方は、飛鳥資料館に足を運んでくださいね。

 さて、前号からの間に、風人は特別回の足慣らしのウォーキングを続けていました。といっても1回につき13~14kmなのですけど、梅の花咲く田舎道をてくてくと歩いていました。下見というわけではないのですけど、2回に分けて特別回「紀路踏破」の予定コースをすべて歩くことが出来ました。危険な場所やトイレの確認などが出来たので、スタッフとしての役目も少しは果たせたかも知れないと思っています。

 まだ肌寒い日が続いていますが、梅が咲き、タンポポや菜の花も咲いています。また、桜の蕾が大きくなってきました。潜んでいた春が、いよいよ出番を迎えているのを感じます。

 これまでの特別回では、様々な趣向を考えてきましたが、今回の特別回でも「有間皇子の変」をテーマにした軽いノリの有間皇子ごっこを企画しています。そのシナリオも、もうすぐ出来上がります。参加の皆さんも、どうぞお楽しみに。(^^) また、今回は参加していただけない皆さんにも、特別回の報告ページでシナリオを公開しますので、お待ちくださいね。参加の方は、足慣らしをしておいてくださいね。



【8】 「花見」                  (12.4.13.発行 Vol.131に掲載)

 皆さんは、花見をされましたか。今年は3月になって寒い日が続きましたし、4月になって雪が散るような天気もありました。実感としては、満開も1週間遅れているように感じます。しかし、ここに来てようやく景色も華やかになってきました。満開が土日を外しましたから、飛鳥の満開の桜をお届け出来ないのですが、先週末の甘樫丘豊浦展望台の桜を撮ってきました。


豊浦展望台の桜


 全体にはまだ6~7分咲きといったところだったのですが、南側の枝だけが陽当たりが良いのでしょうか、満開に近い状態になっていました。遠景の山は耳成山です。この日は、お天気も良く、行楽客で展望台も満員でした。もう少しアングルを下げたかったのですが、実は写真の下にはブルーシートに座り込んだグループが・・・残念でした。

 風人は、先週土曜日に奥飛鳥に向かったのですが、とても寒い一日でした。なんと栢森に到着した頃には、雪が散ってきたのです! 汗かきの風人は、ウォーキングの時は薄着なのですが、おかげでとても寒い思いをしました。4月上旬になって雪を見たのは、人生初めてかも知れません。霙程度は何度か経験したように思うのですけど、雪には驚かされました。体を温めたくて急いで石舞台に向かったのですが、下りてきても風が強く吹いていたので、さっさと帰路についた次第です。

 ここ数年ゆっくり花見をしたことが有りませんので、来年こそは・・・、と鬼が笑うようなことを考えています。(笑)

 さて、明日は、いよいよ特別回「紀路踏破」です。参加の皆さんは、距離に対する不安もあると思いますが、とりあえずは元気に集合場所にお越しください。ロングウォーキングのコツの一つは、緊張しないで歩くことだそうです。不安な気持ちを捨てて楽しく歩けば、きっと距離も伸びるでしょう。楽しく過ごしましょうね♪



【9】 「飛鳥資料館の春期特別展」                (12.4.27.発行 Vol.132に掲載)

 皆さん、良い季節になりましたね。歩いていますか? 自然の中に入ると新緑がとても爽やかで、風も山も輝いているようです♪ 稲渕の棚田では、ヒバリや鶯の鳴く中で菜の花や蓮華が咲いています。そして、里では終わってしまった桜が、遠くの山の中で咲いているのが見えます。ふらっと出歩くには、良いシーズンになりましたね。是非、飛鳥へおいでください。足を延ばして奥飛鳥へ向かうと、栢森では幾つもの鯉のぼりが薫風に靡いていますよ。

稲渕の棚田

 さて、14日に行いました特別回の報告です。紀路踏破-有間皇子追慕の道を行く-は、全長25kmの長旅でしたが、参加者20名全員が完歩することが出来ました。実質的には28kmほどを歩いたと思われますが、驚くほどに疲れも無く、無事に奈良・和歌山県境を越えることが出来ました。一人で歩くと、とてもこのように楽に歩けないのですが、参加者のマンパワーを分けていただけるのか、意外に簡単にゴールに到着してしまったという印象でした。午前中は、小雨の降り続く天気だったのですが、巨勢寺の子院の一つと言われる正福寺さんのおかげで、本堂の縁を借りて食事が出来たり、トイレを貸していただいたり、様々な便宜を図っていただきました。心よりの感謝を申し上げます。

 後半は、雨も上がり心地良いウォーキング日和になりました。街道の名残をとどめる吉野口辺りや五條市新町の街並み、そして、道端に立つ道標は何人の旅人を導いてきたのでしょうか。飛鳥からの長旅の疲れを忘れさせるような吉野川の広々とした景色、選択したルートが正しいことを証するかのように沿って走る鉄道、この旅の中には様々な思いを寄せる光景が展開されました。スタートからゴールまで、苦痛なことは何一つ起きず快適なロングウォーキングでした。参加の皆さん、ありがとうございました。ウォーキングの様子は、参加者のtubakiさんがレポートを書いてくれています。

 また、両槻会のサイトには、この道中で行いました寸劇のシナリオを公開しています。道中では、時間短縮のためにカットバージョンでの公演になりましたが、参加者全員が何らかの役を担当して、アドリブも利かせながらの熱演になりました。ページでは、フルバージョンのシナリオをお楽しみください。シナリオは、サポートスタッフのyukaさんが作成してくれました。

 さて、風人は先週末、飛鳥資料館の春期特別展「比羅夫がゆく-飛鳥時代の武器・武具・いくさ-」を見学してきました。展示担当の学芸員さんによるギャラリートークに合わせて行ったのですが、細かな点をより意識して見学出来たように思います。両槻会では、第15回定例会として飛鳥時代の武器や戦いを取り上げたのですが、その折に勉強した大刀や弓矢の本物を見ることが出来、とても興味深く見学しました。皆さんも、足を運ばれる折には、第15回定例会の咲読やレポート・資料集をご覧いただいてから見学していただければと思います。風人には、その時に教えていただいた蘇我氏の大刀といわれる「双龍環頭大刀」や物部氏のものだとされる「頭椎大刀」、また、両槻会には時期的にぴったりの有間皇子墓だとされる岩内1号墳出土の「銀線蛭巻大刀」などが、特に興味深い展示品でした。出来れば、紀路踏破の寸劇の小道具として有間皇子役や、風人が演じました蘇我赤兄に持たせたかったと思ったのは内緒です。(笑)



【10】 「第32回定例会無事終了」                (12.5.11.発行 Vol.133に掲載)

 5日、五月晴れの下、第32回定例会を無事に終了することが出来ました。森郁夫先生の講演を中心に、充実した定例会を実施できたのではないかと思っております。お世話になりました先生方に、厚く御礼を申し上げます。また、参加していただいた皆さん、ありがとうございました。

 詳しくは、定例会レポートをお読みいただければと思いますが、この日に行いました企画を皆さんにも紹介しておきたいと思います。

 当日午前中は、恒例になりました事前散策を実施しました。
 主に、森先生のお話に出てくる場所を、実際に知っていただくのが目的です。それともう一つには、奈文研藤原宮資料室に展示される瓦を見ていただくのを主眼としていました。お話の中に出てくる瓦の瓦当文様だけでも頭の中に思い描くことが出来るなら、講演の理解度も大きく違ってくると考えての企画でした。

 ウォーキングでは小山廃寺、大官大寺などを巡りましたが、風人の案内でその規模や立地などが分かっていただけたでしょうか・・・、かなり不安です。今回は、藤原京の条坊も関連してきますので、現地で条坊との位置関係も示したのですが、時間に限りがありましたので充分には案内できなかったのが残念です。配布資料を、是非読み返していただければと思います。

 藤原宮資料室では、特別展示「埋もれた大宮びとの横顔 -藤原宮東面北門周辺の木簡-」を見学し、山本崇先生のギャラリートークを聞くことが出来ました。ゆっくり見学する時間は有りませんでしたが、先生のお話を聞きながら、木簡の世界にも浸っていただけたと思います。

 飛鳥資料館では、春期特別展「比羅夫がゆく-飛鳥時代の武器・武具・いくさ-」を見学し、ここでも加藤真二先生にギャラリートークをお引き受けいただきました。展示をざっと見ていただくより、はるかに展示品を仔細に見ることができたように思います。

 講演は帝塚山大学の森郁夫名誉教授が、「小山廃寺(紀寺跡)を考える」と題して90分の講演をしてくださいました。小山廃寺は、建立の経緯や発願者や更には寺院の名称すらも分からず、「小山廃寺」と呼ぶしかない謎の寺跡です。手がかりは、出土する雷文が配された小山廃寺式軒丸瓦や僅かな考古学資料と数点の文献だけです。それらを検討する中で、百済大寺・高市大寺・大官大寺・大安寺と繋がる官寺の系譜がどうクロスしてくるのかが興味深い点でした。
 いや~面白いです♪ 歴史の断片を組み立てて行く過程は、とても楽しいものです。ジグソーパズルのピースが嵌るように、全ての謎が解き明かされるのを期待しましょう♪

 定例会には、甲斐弓子先生もお越しくださり、関連したお話と次回定例会の紹介もしていただきました。また、岡一彦先生には、講演でも話が出ました海会寺の紹介をしていただきました。両先生には、10分という短い時間しか話していただけませんでしたが、さらに充実した定例会に出来たのではないかと思っています。

 今定例会は、森郁夫先生という偉大な先生をお迎えしての定例会でした。スタッフも緊張していたのですが、先生のお人柄により直ぐに緊張は解れ、楽しく充実した一日になりました。森先生、ご支援くださった先生方、参加の皆さん、ありがとうございました♪


【11】 「飛鳥ウォーキング」                  (12.5.25.発行 Vol.134に掲載)

 第32回定例会の報告ページ(散策資料・参考資料・レポ―ト)の作成・公開も終わり、只今、ほっと一息入れています。こんな時にこそ勉強をして、知識を積み重ねたいところなのですが、人間そう頑張れるものではないですね。(^^ゞ まっ、風人が怠け者だと言うだけのことかも知れませんが。

 先日、飛鳥を大学の先生方に案内していただいて歩いてきました。橿原神宮前駅から川原寺までのいつも歩いているコースだったのですが、風人には良い機会になりました。というのは、σ(^^)が案内して歩くことは多いのですが、案内していただくことは全くと言ってよいほど無いからです。特に、初心者向けの案内を耳にする機会はありませんでした。このウォーキングで学んだことは、たくさんありました。これをどう生かしていくか、皆さんに出来るだけ分かりやすく話すにはどう話せば良いのかを考えてみたいと思っています。分かりやすい案内というのは、説明する人の知識量がとても重要なのですね。その辺りに、説得力というか話の重みが関係しているのでしょう。風人には、とても難しい課題です。(^^ゞ 上っ面の知識の披露では案内とは言えませんから、反省しきりの風人です。頑張ります!

 さて、皆さんにお知らせがあります。次号より、飛鳥遊訪マガジンをリニューアルすることになりました。レイアウトも若干変わりますが、記事構成を変えてみようと思っています。あっ!先生方の寄稿は変わりませんので、ご安心ください。

 飛鳥遊訪マガジンは、文字数が多くて読むのも大変だ!とよく耳にします。書くのも大変なのですけどね。(笑) たぶん一般的なメルマガサイズの2~3倍の文字数なのではないかと思います。それで、少しコンパクトにしようと思っています。記事は、三つを基本として、寄稿と咲読と、特別寄稿・飛鳥話・読者投稿から一つを取り上げて、構成します。飛鳥情報やお知らせのコーナーは、従来通りです。

 一番変わるのは、風人が担当しています時遊録です。巻頭記事から飛鳥話のコーナーに移ることになりました。他の飛鳥話と同じくローテーションで登場することになりましたが、引き続きよろしくお願いします。m(__)m
 スタッフ一同、皆さんにより良い記事を送れるように努力しております。変わらぬご支援とご愛読をお願いします。



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